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2011年10/17(月) 毎日放送ラジオ [シリーズ反骨の人] 第1回 小出裕章氏
インタビュー音声 14分 http://www.youtube.com/watch?v=bwbSWJTuTSA&feature=player_embedded インタビュー音声 11分 http://www.youtube.com/watch?v=S3wYq51Zi4M&feature=player_embedded 私の引用文は一部分です.
引用文だけを読んで勝手に,小出氏を勘違いする事は私の本望ではありません.
全文のラジオ聴取をお勧めします
・東京都の上野で生まれ育って,高校(開成高校)の頃は大変まじめな生徒 だったと聞きましたが? 小出氏: 広島長崎の原爆についての展示があった.
原子爆弾は,悲惨だなと思った. 原爆のエネルギーを平和的に使うことができるなら 原子力は,人類のために役立つと思いこんだ. ・原子力を夢見て1968年に東北大学に入学 人生の大転換の日がやってきます.小出氏が大学3年21歳のときです. 小出氏: 東北地方最大の都会,仙台市で勉強していた.
東北電力が,女川町という小さな漁港町に原発を建てて, 仙台市に長い電線で電気を送る計画ができた. 夢の施設なのに,なぜ仙台市じゃないの?と考えて調べた. 大学は,原発はとても良いものだとしか教えない場所だった. 1970年頃,原発の問題点がアメリカから発信され始めた. その情報を入手できたので,原子力発電の問題を自分で勉強して行った. なぜ仙台市ではなくて女川町なのか答えにたどり着いた. 危険だから人口の少ない過疎地に建てて,都会に電気を送る事だった.
残念だったし,悔しいと思った. 複雑な思いだったが,落とし前をつけたいと思った. 原子力を止めさせようと思った. 当時は,大学闘争があった時代で 自分たちの学問について語り合った. 教員も学生も私に共感してくれる人もいた. 私は,大学の内部で原子力をやめさせる活動を始めた. 教授たちと毎日論争して,授業をやらせないようにした. ある教授が,今回の事故を起こした福島第1原発の公聴会に行って 「原発は絶対に安全だ」と発言をした.
私は,その教授の講義の時間を使って議論を始めた. 学生たちが同じ教室にいて,私と教授の議論を聞いていた. 議論に参加する学生もいた. 最後は,全員がその教授の講義をボイコットした. 教授たちと,なぜ原子力を進めるのか?という議論をずっとしていた. 最終的に,「自分には家族がある」 「生活があるのだから,国に反対して生活を失うことはできない」 「大学を去ることはできない」と表明する教員が大勢いた. そこまで言ってくれた教官は正直だったと思う. 黙りこくって何も言わない教授ももちろんいた. ・学生は,その後の人生をどう悩みましたか? 小出氏: さまざまでした.
自分の考えを曲げて,何とかなるだろうと企業に就職した人もいる. 2年先輩で,「生活するために自分の考えを変えたくない」と言って, 最初から優遇されない場所に居れば良いとトビ職になった人がいる. トビ職の親方になって,今は定年で造園業をやっている. 現在も脱原発の行動をしている. 私は,原子力の場に居ながら反対したいと考えて原子力の場に残った. その2年先輩とは「生活のために自分の考えを変える事はしない」約束を交わした. 京都大学原子炉実験所は,基礎的な学問をやる場所. ある人は物理学,ある人は化学,ある人は生物学をやっている. 原子力推進でもなく,原子力を潰すための場所でもない. ですから,京都大学原子炉実験所という組織を どうこうしようと,私は求めたことはない. その代わり,私がやることには口出しをしないで欲しいと思って来た. ・小出先生の所に学ぼうという若い人たちは,訪れたりするのですか? 小出氏: 私は,原子力は即刻全廃と言っています.
原子力を推進しようという人に来て欲しいと思っているのではない. 作ってしまった放射性物質が,広島原爆120万発分ある. 今後100万年管理という毒物を作ってしまった. 負の毒物をお守りをするための,後生の人たちの責任をとる学問 に来てほしいのです.とても難しいと思う. でも,最近になって私のところに,責任をとりたいと学生が現れてくれた. ------引用終わり------ 小出氏の2年先輩で,東北大を出て,トビ職になって現在造園業の方は・・・ 篠原弘典氏 「宮城脱原発・風の会代表」
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