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渡る世間はハゲばかり
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  筒井康隆や曾野綾子、石原慎太郎にこの百田は、所謂「作家タブー」に守られて、弱いものイジメや差別やり放題の輩である。批判者には「表現の自由」の名のもとに、その「権力」で「言葉狩り」を行なっている。筒井の「言葉狩り」は弱者を責める武器凶器の類であり、それは決して権力・権威には向かわない。
作家タブーで政治家としての批判を逃れてきた石原慎太郎、社会的弱者の人権・人格・人間性どころか生存権まで否定するかの曾野綾子、今なお強いてんかんやHIVとLGBTの方々に対する偏見・差別の要因の一つと言うべき筒井康隆、ほとんどヘイト集団と変わらないこの百田など、この「弱きを嗤い安倍に阿る」者共は最早反社会的勢力であり、その文言を垂れ流す出版社も反社会的企業との烙印を押されても仕方がない。
しかしこの百田などの姓は遠い昔の半島国家「百濟」に由来する帰化人の尊い血筋ではと予々思っているのだが・・
常識的に考えて市井や云々に背後、画一化も読めない奴が国会議員や総理になった挙句改憲をたくらむなど悪夢以外のなにものでもない。
立法府と行政府を何度も言い間違えるのは三権分立の理解が基本的に無いからである。挙句の果てに法の支配の反意語が人の支配であることも知らなかった。こんな存在が提唱する改憲に希望があると言うのか。
また此奴を支持する曾野綾子は作家タブーに守られている事を良いことに障碍者の人権否定や弱者の自己責任を強調ばかりしている。
此奴を積極的に支援する経団連名誉会長は「国民が痛みを感じる改革」と事あるごとにに繰り返し、私達の心胆寒からしめている。
内実は蜜月関係にあるとされる松井や橋下は、労働基本法適用外特区案を提出した程である。
こんな奴らが口にする改憲に夢も希望もない。
人間が夢と希望を持てるのは生きているから。
死んだら夢も希望も持てない。
馬鹿は死んだら治せない。
生きてる内にしか治せない。
だから
安倍は死んでも治らない!
現憲法下では、天皇はあくまで決められた国事行為を行う象徴と言う存在に過ぎず、皇室典範と憲法に整合性がないから問題が生じている。元号や皇后、皇太子も憲法に規定はない。
天皇家も法の下の平等の枠内にある。世襲は皇室典範改正により養子は勿論噺家や歌舞伎役者の襲名と同義の解釈も可能。
また江戸時代までの天皇家は権力にお墨付きを与える存在に過ぎず、昔の相撲で言えば吉田司家のような存在だった。それが明治政権で絶対的な存在に祭り上げられ、脱亜入欧と言って馬鹿にした中国のしかも明代から出来た一世一元を採用したからこうなった。孟子は「民を貴しと為し、社稷之に次ぎ、君を軽しと為す」、つまり政治にとって人民が最も大切で、次に社稷(国家の祭神)が来て、君主などは軽いと明言している。
天皇制は日本列島に住む者が作ってきた統治システムに過ぎず、人間が作ったシステムに不都合があれば変えていくべき。

  記憶に新しいあの醜悪な新潮45騒動で筒井は「表現・思想信条の自由」をツイッター等でほざいたようだが、ローラさん等の言わば、対権力的な場合はそういう言葉は間違っても発しない。
 結局筒井は「弱きを嗤い強きに阿ねるが」がその姿勢で、単に文字を通して差別・弱いもの虐めがしたいだけ話である。
 「言葉狩り」と言えば聞こえが良く、いかにも強大な権力、その「焚書坑儒」に抗っているようだが、その中身は弱いもの虐めに適当な酷い言葉を使わせろと拗ねてるだけである。
 現在のLGBTやHIVの方への偏見と差別は筒井の「唯野教授」の影響が少なからず大きいと思われる。筒井の読者はLGBTやHIVの方の前で同書を読み上げられるのならやってみれば良いと言いたいが、本当に読み上げや挙げ句、「お前等の苦痛は自己責任」と言いかねないので撤回する。
 現在ネトウヨにも人気の筒井だが、それは奴とヘイト集団の言う表現の自由が人を傷つける自由、社会的責任を取らない自由と言う点で同じだからである。  
 
 てんかん協会のHPに「心無い言葉やバッシングという新たな問題」「てんかんのある人やご家族が傷つくことがないようにと願う」−−−でこんな悲しい言葉が出るのはやはり筒井の責任が大きいが、この文言を嘲笑うのが筒井とその読者である。
 かって筒井作品に傾倒した高校生が祖母を殺して自殺すると言うひげきがあったが、それに対して筒井は「人殺しも許容する毒があるから文学は美しいと言って」下品を標榜した。
しかし、自分が阪神大震災の被災者になると、「震災をネタにするな」と言い出した。それはまさに偽善者であり、他人の事は傷つけても良いが自分は傷つけられたくないという、どうしようもない輩であることの証明である。
 本当にうつるかどうか筒井と光子と筒井読者はエイズ患者の方に噛みついて頂けと言いたい。
 


日本の刑法は暴行致死や過失致死までは、懲役等身体の自由を奪う自由刑なのに、殺人になると、文字通り命を奪う生命刑の死刑が適用されてくる。その“中間”ともいうべき身体を傷つける身体刑はない。
  死刑廃止反対の人は被害者・家族と同じ苦しみを与えるべきと言うが、暴行・暴行致死等に身体刑がない事には矛盾は感じないのか。同じ苦しみと言うのなら身体刑導入と言うべき。私の死刑反対の理由の一つとして、身体刑がないのに殺人だけ身体刑と同様の死刑というのは納得できないと言うことがある。
 結局廃止反対の人は家族の思いを錦の御旗にしているだけ。そして殺人や傷害の被害者遺族のその後の生活には目を向けようとしない。
 死刑執行ですべてが解決するわけでない。

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