|
昨日は、62年前に済州島で起こった4,3事件に思いを寄せながらの一日だった。
組合員の仕事を午前中に終えて、気になる高校野球の決勝戦を携帯ラジオで聞きながら、市川文化会館で行なわれた「普天間基地は要らない、県内移設に反対する市川市民の会」に参加した。会場が地下1階だったために、興南高校と日大3校の途中6回の裏、5対4で興南が逆転した直後にホームランを打たれた場面で集会で中断した。集会は、最初に井上さんのサンシンコンサート4曲から始まり、急遽編集されたカデナ基地と普天間基地の米軍機の飛行状況と騒音、国際大学へのヘリ墜落現場状況などのビデオ上映を受けて、安次富さんの約1時間の講演だった。内容は、小、中学時代の一時期を市川の国府台で生活していたという自身の市川市との関わりから始めて、過去の沖縄戦、沖縄の軍事基地、海兵隊の沿革、辺野古の新基地建設反対の闘いの勝利、現在の連立政権、とりわけ平野官房長官、岡田、北沢らの沖縄を無視した言動などに対する厳しい批判の上で、グアムのチャモロ民族の反対運動にも触れ、共に米軍基地をなくすという闘いを共有してほしいと訴えるもので、非常に説得力があった。
それから組合に戻ってから、上里君のお通夜に行くために安次富さんの話が終わった段階で、会場から出た午後4時過ぎに甲子園での決勝戦が終った状態の放送をしていたので、延長戦に入っていたことと最後の終了時に興南高校の優勝を知った。その喜びを抱えて、上里君のお通夜に出かけた。午後6時過ぎ雨が降る中、会場に着くと大勢の参列者、高校生も含めて一階に溢れていた。二回に上がるまでしばらく待ち、やっとお焼香の列が動き出したということで、受付を済ませて式場に入った。遺影の写真は、先日の電話で知らされていた入院直前に親友が撮ったものだと直ぐ分るほど、やつれてはいるが彼の強い意思がそのまま伝わるすばらしい写真だった。大勢の弔問者の中で大勢の久しぶりに会う人たちが居た。家族の中で、二人の息子と思っていたが、末っ子の男の子がいた。三人息子と智ちゃんの深い悲しみが改めて伝わって、言葉が出せなかった。
お浄めの後、その場で異例の偲ぶ会が開かれた。もう1人の親友が司会を勤めていたが、智ちゃんからの挨拶を受けて、会社の社長、一坪の上原さん、義兄で宮古島に住んでいる方、知念良吉さん、そして息子たち三人だったかと記憶しているが、それらの全てが心を奥底から打つものだった。発言の途中には、上里君が作った横断幕も飾られるなど、本人がいれば照れてしまうような演出もあった。そして、最後に沖縄からこられたお母さんの挨拶があった。聞いていて母親と息子は本来一つの命なのだと改めて感じられた。話している内容といいその口調といい、まさに上里君そのもので、それだけに彼の死が痛いほど伝わってきた。
その後は、最近の体調不良が相変わらずのために、失礼した。そして、今日も体の心が不安定で軽いめまいが続いている。結局、午前中起きることを辞めて、告別式の出席をやめた。これから、175回目の署名提出行動で国会へ行く。
組合に来る途中、日暮里の善性寺でのお祭り、隼人神社祭りが賑やかに太鼓の演奏や多くの参列者がいて顔を出した。ここのお寺さんは、しだれ桜がすばらしく、6年前に母親が亡くなってから毎朝お参りをしていたところ。今年7回忌となる母のことと昨晩の上里君と親御さんのことを思いながら組合に来た。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用


