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肝苦さぬ(チムグリサン) という言葉が沖縄にある。
「チムグリサン」 苦しんでいる人のことを思うと、自分のこころが苦しくてたまらないという意味だ。 「チムグリサン」 沖縄に暮らすものは、福島の人々のことを思うと、こころが苦しくてたまらない。 ましてや、福島いわきは、エイサーのふるさと。 エイサーは、いわき出身の浄土宗の僧、袋中上人が伝えた念仏踊りが、その源となっている。 かつて、沖縄の唄人 喜納昌吉は、「袋中上人にあこがれて」 という一文の中で、 次のように語っている。 「未来が安定な様相を呈している今日、もう一度過去を見つめ直し、足下を固めなければならない。(略) 袋中上人が残されたエイサーやじゃんがらなどに、新たな歴史の火を入れて近代化することにより、未来を手繰り寄せることができる。私たちは勇気をもち、念仏を踊り歌い、太鼓を叩き、人類史の中で天災や人災や戦争で、意味なく死んでいった人々のさまよえる魂を供養し、浄土へと祭り上げなければならない。」 「チムグリサン」 じっとしていられない。福島へ行こう。うちなる魂の叫びにしたがおう。 袋中上人を偲び、じゃんがらと共に舞い踊ろう。 「チムグリサン」 フクシマとオキナワの魂が溶け合う。 400 年の時と、2000 キロの距離を越えて、黒潮が結ぶ情けのきずな。 じゃんがらとエイサーが結び、結びつき、うたい、歌い、打ち、打ち鳴らし、音の心柱を天にうち立てて、おどり、踊る。今につながる、命の鼓動。 亡き人の魂と、生きているものが共鳴しあう、ひと夏のまぼろし。 以上の趣旨で、福島いわきの薄磯の渚で鎮魂の祈りと踊りの競演がこの28日に実施されることになった。
この呼びかけ文の中にある喜納昌吉さんの言葉は、たしかエイサー伝来400年を祈念しての行事の時だから数年前の言葉であり、決して3,11以降に書かれたものではない。それが、喜納さんの凄いところであり、まさに神人(カミンチュ)の証だ。
その薄磯の浜は、塩屋岬の灯台のそばにあり、3年ほど前に大学の連中と車で通ったところだろうと思う。約2ヶ月前ぐらいからの準備で、最後まで決まらなかったのが、エイサーの出演。15年ぐらい前だったら自分たちでやれたのが、金城孝栄や伊藤君らがいなくなり、私も年を取った。それでも、この12日から14日の旧盆エイサーワークショップの時は、昔やった浜比嘉島のパーランクーエイサーを思い出し思い出ししながら、参加者と一緒に踊ってみた。14日の満月の下、どうたっち近くの講演で月を見ながらパーランクーを叩いた時は、久しぶりに気持ちの良いエイサー踊りが出来たと思った。ということがありながらも、エイサーが決まったのが、先週の初め。途中では諦めかかっていたところ、最後の頼みに板橋の陸さんに電話で依頼をし、何と小平ユイマールというグループで、垣花という沖縄人が責任者が快く引き受けてくれたのである。
実際の演技は、午後3時から1時間ほどの間になるが、私が朝8時ごろに小平に迎えに行き、その後新宿で和太鼓や他のメンバーと合流して福島を目指し、終了後にまた戻ってくることになるが、マイクロバスを王子に取りに行くのが、朝の7時半ぐらいということで、完全に戻るのは夜の11時位になると思う。何ともハードな一日になるが、これもご先祖様への供養だと思う。
高校時代からの友人で、いわき出身の新宿区議と何かと沖縄や私の関係者に縁の深いプロデューサーが中心で、彼のブログにあった薄磯海岸の写真を以下に掲載。
二枚目の写真の遠くに見えるのが、塩屋の灯台だと思う。美空ひばりの歌碑があり、傍に行くと乱れ髪の歌が流れていた。
当日午後3時からの予定で、
出演・協力頂く方々
大國多摩神社 宮司
浄土宗他 住職
じゃんがら 菅波伝統文化保存会
エイサー 沖縄天願のエイサー・小平ゆいまーる
和太鼓 タヲ
地元有志他
昨日の打ち合わせでは、今でも余震が頻発しているといことで、いざというときにはすぐに高台に非難できるよう車の止め方を注意された。
無事に祈りと踊りを終えることが出来るよう今から念じている。
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