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軍隊と軍事基地のない命輝く人々と自然の循環の島々だった琉球諸島を取り戻すために、非武装琉球ネシア連邦への独立を目指す仲間たちのネ

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連休明けに

連休が明けて、機関紙、専従役員会議案書などで一息ついたところ。
今日は、これから初鹿明弘衆議院議員の集まりに行く。
この間、前段の行動は、4,28集会と宮城善光ライブ、メーデーなど。後半は、憲法集会から4日行動、そして5日の丸木美術館の会館記念日にあわせて金城実さんの木彫展にマイクロバスで参加、最後の6日は、中学校3年と1年生の孫が出演する茨城日立海浜公園でのマーチングバンドの見学。

その前段では、安倍が米国に行ってサンフランシスコ条約が発効した4月28日にオバマ大統領と会談、昭和天皇の誕生日に米議会上下両院の合同委員会で日本人首相として初の演説をした。国会の法案審議前に、日米ガイドラインの改定やTPPを首脳会談で約束すると言う筋書きだ。偽造されたマスコミの世論調査は安部政権支持率高騰を報道し、もう止まらない、止められないとなる。

 この場面設定は、3月にイスラエルのネタニエフが合同委員会で演説してオバマ政権のイラン対策に異を唱えたのと同じ戦争への道に突き進む宣言をさせられたことになる。
病気療養中の山城さんのふざけるなバカヤロー!の怒りの声が聞こえる。よりによって、4,28や4,29にこんな仕組みをしやがってということだ。



そして、メーデーでの物販今回は、沖縄と福島支援を中心にビール、日本酒などを展開、急遽決めたカキ氷が大好評で全て売り切った。純益は、辺野古基金とネパールカンパに送ることになっている。

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そして、色々な花々に感動して撮ったもの。

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イメージ 3左のは、アジサイの花芽が出ているのと赤い花のコントラストが通勤途上の道端で毎朝の変化に感動しているもの。 

イメージ 4右のは、駅のロータリーの花壇。

そして、3日の臨海パークでの集会。
そこでは、40年ぶりに奇跡的に再会した人や色々な人に挨拶、元気を確認しあった。そこに12時頃から4時ちょっと前まで新運転の旗をもって組合員の来るのを待っていたが、動員予定10名のところ、3名が参加してくれた。
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5日の丸木美術館は、何といっても金城さん自身がマイクロバスに乗って移動してくれたお陰で、現地にいるときよりも盛り上がっていた。肝心の木彫の方は移動するのが大変だったらしく、数が少なかった。それよりも酒を飲んでのトークの素晴らしさは相変わらずの豪傑ぶりで、16日に読谷村での再会を約束した。

イメージ 6イメージ 7ということで、6日まで快晴の天気が続くという珍しい中、朝7時に家を出て、船橋の息子の家に行き、そこから茨城の日立海浜公園へ。約2時間弱で現場についたのが、駐車場に入るのにそれからっ小一時間の大渋滞。久しぶりにアウトドアでの昼食とビールを堪能して、孫たちのバンドのパレードやマーチングを満喫し、帰宅してからの酒とご馳走で、積極的少食主義をこの日は忘れた。
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将棋大会とリベンジ

以下、4月の将棋大会の後書き込んでいたのが残っていたもので、遅ればせながら投稿。


19日の将棋大会、17人が参加して午前10時から4人ごとにブロック予選リーグの上位2位で決勝トーナメント方式で個人戦。午後1時から、昨年20数年ぶりにタイトル戦の決勝に進み、残念ながら2勝3敗で敗退したが、4段になった山田久美さんの指導対局で午後4時半まで。
優勝は、自運労の伊藤3段、準優勝が、昨年優勝した新運転の丁子4段、そして去年は私が3位になったが、今年は、若い八納君。彼は、去年から引き続いての参加で、若いだけに将棋の進歩が早い。
私の場合は、残念ながら山田組み四段に飛車落ちと角落ちで連敗しただけでなく個人戦も三連敗といいと無し、辛うじて練習将棋は4勝したぐらい。それでも幹事の役徳で、久美さんとトゥーショット。
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今後、2ヶ月に一回ぐらいは、今回参加者での将棋同好会をやることになった。
その二日後、元役員仲間の3回忌に寄ったついでに、大会の時は、練習で負けていただけにリベンジの意気込みで昔からの将棋仲間の自宅により、5番勝負。見事、3勝2敗で勝ち越した。
その後、駅まで車で送ってもらって気がついたのは、将棋板を片付ける際に老眼鏡を落としたこと。最近は、そのメガネがないと仕事にならない情けなさで、今日の仕事中にドッキングして渡してもらうことに。
アルチュウハイマーも進行しているが、嬉しいのは、この1月から始めている「積極的少食主義」の成果が順調に上がっていること。
今日の朝は、体重計に乗る段階で予想した「64,2キロ」にピッタリ。
身体の軽さと腸の働きの良さが高進している実感を楽しんでいる。

島ぐるみ闘争の勝利へ

去る4月5日、翁長知事と菅官房長官の初会談が、米軍支配の頃から権力者側の拠点だった「ハーバービューホテル」で行われた。激励と抗議に押し寄せた沖縄人たちの中からは、過去の過酷な米軍支配と今の安倍政権の暴虐振りがダブって感じられる会場設定だとの声があがっていた。

会談冒頭、菅長官は政府が取り組んできた基地負担軽減策や今後予定している経済振興策などを説明し「沖縄の皆さんと連携しながら信頼感を取り戻させていただきたい」「辺野古移設を断念することは普天間飛行場の固定化につながる」と述べ、と辺野古移設に理解を求めた。またオスプレイの訓練移転などの負担軽減策、ユニバーサルスタジオジャパンの沖縄進出など沖縄振興に注力すると強調し、移設への理解を求めた。
 これに対して翁長知事は「菅官房長官が言う『粛々』という言葉が、かつての沖縄の自治は神話だと言った米軍統治下のキャラウェイ高等弁務官の言葉と重なる」と指摘。その上で「辺野古に移設できなければ、世界一危険と言われる普天間飛行場が本当に固定化されるのかぜひ聞かせてほしい」と反論した。

更に「建設途中で頓挫することで起こり得る事態は全て政府の責任だ。辺野古移設ができなければ官房長官もラムズフェルド元国防長官も世界一危険だと言う普天間飛行場が固定化されるのか聞かせてもらいたい」と突き付けた。そして、決定的な言葉が「日本の国の政治の堕落ではないかと思う」と面と向かっていったことに加えて、翁長知事は「安倍総理との面談の手配をお願いしたい。辺野古の建設を中止し、しっかりと話し合って基地問題を解決していただきたい」と首相との面談も求めたことだ。つまり、政府のナンバー2に対して、正々堂々「あんたでは役不足だ」と言ったということなのだ。比べるのは筋違いかも知れないが、沖縄平和運動センターの山城議長のアピールに匹敵する政治的発言で、そのパワーに怯んだ菅長官は、思わず「具体的にどういう形かまだ聞いていない。沖縄側の考えを聞く中で進めていきたい」と述べたという。翌日、地元の琉球新報と沖縄タイムスはその発言の一部始終を歴史的な会談として報道したことは言うまでもない。
 そして、昨日の首相官邸に翁長知事が堂々と乗り込み、紋切り型の安倍首相の発言に対して、「私は絶対に新基地は造らせない」と建設阻止の強い意思を示し、今月末に米ワシントンで予定される日米首脳会談でオバマ大統領に伝達するよう要望したという。そして、翁長知事は5月末から6月初旬にかけて米ワシントンを訪問し、新基地建設撤回を直接米政府に求める。また、安倍首相の上下両院議会合同委員会での演説の前に、米上下両院の軍事委員会の全議員に対し、普天間の県外移設と辺野古への新基地建設断念を求める書簡を送るという。
更にハワイも訪れ、イゲ州知事らと会談することも計画している。ハワイには米軍再編計画で在沖海兵隊2700人の移転が予定されており、この計画についても意見交換する。
こうした翁長知事の大胆且つ堂々たる動きを見事に支えて後押ししているのが、オール沖縄島ぐるみ会議の闘いだ。新基地建設阻止を目的に4月9日設立された「辺野古基金」に、16日現在で4629万1683円の寄付が集まっている。更に共同代表に現在までに発表されている6氏に加えて、県出身報道カメラマンの石川文洋氏も就任することが決まった。5月下旬に予定される翁長雄志知事の訪米前に、基金を用い米紙に意見広告を出すという。
そして、新基地建設に反対する抗議行動は18日午前、陸上と海上で行われた。辺野古のキャンプ・シュワブゲート前では約120人が抗議の座り込み。海上では、スパット台船と大型クレーン船によるボーリング作業に対して、抗議船3隻とカヌー19艇で出港し、臨時制限区域の内外で作業中止を訴えた。
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その辺野古基金は、http://ryukyushimpo.jp/uploads/img55274f0289387.jpg以上の口座に続々と入金されているという。週明けには出来る限りの出資を振り込みたい。
その闘いの高揚に歩調を合わせるように、我が家と組合を結ぶ道すがらの木々、花々が美しく輝いている。事務所近くの民家の白木蓮は、毎年見事に咲き誇る。今年も、3月3日に蕾が膨らみ、20日頃に満開、そして、昨日は、緑の葉が新緑の美しさを増していた。
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あとは、自宅周辺から勝田台駅に向かう途中の花々。
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明日は、将棋大会。昨年、何十年ぶりかでタイトル戦に出場し、惜しくも2勝3敗で敗退したが、4段に昇進した山田久美さんが昨年に引き続き指導対局に来てくれる。
昨年は、他の組合員全員が負けたのを、私だけが、飛車、角、香落ちで連続勝利し、、再度の香落ちでは負けたが、3勝1敗の好成績だったので、今年も大いに楽しみだ。

今日は、これから済州島で起こった「四三事件」に関する集会がある。

沖縄報告

4月2日の夜、私は二ヶ月ぶりに沖縄に帰った。翌3日は、伊良部大橋開通から始めての里帰りで、真夏のような太陽と15夜の月の下、島と親戚めぐり。池間島では、漁協の食堂で野菜炒め定食を頼んだにも拘らず、年配の女性店員さんの「野菜炒めはどこでも食べられるけど、サメが揚がったばかりだから食べてください」との気持ちいい押し付けのお陰で、生まれて初めて日替わり定食・深海サメのフライを食べた。
宮古島一泊をした後、4日の夜に辺野古キャンプ・シュワブのゲート前座り込みに参加した。那覇と読谷で先輩達を乗せて辺野古に向かう途中、皆既月食が始まっていた夜空を時々見上げながらの運転で、夜の11時頃ゲート前に到着。昨年の夏以来、24時間態勢で抗議活動を続けて272日目の夜もテントの中と外に多くの仲間が座ったり、睡眠をとったりしていた。1月に比べて、流石に寒さを感じることなく皆既月食から満月に復活する天体ショーの下で、朝まで座った。
 そして5日の朝6時頃から、ゲート前の路上と向かいのテント側に約20名の仲間達が立ち、抗議の集会と道ジュネ(一種のデモ行進)を始めた。昨年来、ゲート前での諸行動で見事なディレクター振りを発揮して2月には無理やり基地内に引きずり込まれて弾圧された山城沖縄平和運動センター議長の発言で、翁長知事が前日から来ていた菅官房長官と午前に会談が予定されていること。多くの仲間達が翁長知事を激励し、菅官房長官に抗議する為に会場のホテル前に結集していること。警備の機動隊やガードマンたちの人数も少なく、その会談が行われるということで、今までもそうだった様に今日は、海上保安官たちも基地内に入らず、工事の強行、資材の搬入などがないとの報告があり、休憩に入った。
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沖縄では3月から4月、冬が終わって大気や大地に潤いが増す。暖かくなる時期のことを若夏とも初夏とも書いて最も過ごし易いの気候をうりずんという。語源は「潤い初め」だそうだ。だからこの頃には、麦の初穂祝い、彼岸祭り、浜下り、麦の収穫祭、そして、沖縄の三大行事のシーミー(清明)祭でお墓の前先祖供養と親類縁者の親睦をはかる年中行事が盛んになる。
 しかし、今から70年前の3月26日に米軍が慶良間諸島の座間味島に上陸して海軍軍政府布告第1号「ニミッツ布告」を公布し、住民に対して日本の行政権が停止されたことを通告した。そして、米軍は4月1日に沖縄島に上陸し、沖縄住民は地獄の戦場と言われた沖縄戦で筆舌に尽くしがたい多くの悲劇に巻き込まれることになった。
それから今日まで沖縄の巨大な米軍基地の全ては、沖縄戦が始まるわずか一年前に急遽日本軍が作ったもので、それまで、沖縄には空軍基地はおろか、飛行場も軍事基地すらなかった。慶良間諸島の中で、日本軍のいなかった前島が米軍の攻撃がなく、強制集団死(集団自決)や日本軍による虐殺住民の犠牲が無かったように、大本営が第32軍を無理やり編成し、使えもしない飛行場を沖縄全域に18箇所も作らなければ、米軍の占領はあったかも知れないが、無益な大量死を強いられることはなかったのだ。


その中で今問題の焦点になっている普天間基地は、沖縄戦の最中に米軍が唯一勝手に造った飛行場で、「ハーグ陸戦条約の第46条:・家の名誉及び権利、個人の生命、私有財産ならびに宗教の信仰及びその遵行を尊重しなければならない。私有財産は没収できない。」に明確に違反して復帰まで違法に占領し続けたもので、43年前の「施政権返還」時に即刻、元の地主や市町村に返すべきだったのだ。
 しかし、「本土並み核抜き返還」とは全く裏腹な核の有事持ち込み密約を含めて在沖米軍基地の自由使用継続が日米両政府で合意され、5年期限の「沖縄公用地暫定使用法」が沖縄でのゼネストや日本中での反対を無視して強行採決で成立し、国際法違反の在沖米軍基地群が居座ることになった。その意味で、70年前のうりずんの季節から今日まで沖縄では戦後とはいえない日常が続いているのだ。




沖縄での感動

二日の夜から六日の朝までの帰沖は、いつもながらの感動の嵐。
宮古島の満月を満喫、19歳の時に感動した東平安名崎での満月に匹敵する伊良部大橋の満月に泡盛の美味さが加わって47年ぶりの生まれ島での大感動だった。
沖縄島では、皆既月食から満月に復帰するお月様を一般的には曇り空で不可能と思われるにも拘らず、キャンプシュワブゲート前での完全徹夜の座り込みの中で尊敬する先輩達と共に体験することが出来た。
翌日は、朝からのゲート前の行動と写真展の手伝いをした後、恩納村の宿泊所で休憩をした後、一人の先輩の読谷村に行き、そこで又素晴らしい出会いに恵まれた。
地球雑貨という凄いスペースを使った店舗を経営していて、元々は法政大学で翁長知事と同級生だった池原さんの凄さに感動した。しかも近くに読谷物語というこれまた凄い泡盛パブを経営しているということ。更に、私の尊敬する沖縄経済界のリーダー宮城弘岩さんや昔の仲間の上地君などとも懇意で、勿論金城実さんや知花昌一さんらなどとも交流がある人だった。その後、那覇で一人を降ろした後、神人の我喜屋との再会、大学の同級生との朝まで気がつかない呑み会など、目一杯恵まれ過ぎた帰沖だった。それだけに、戻ってからの現実は中々厳しい。今日は、雪交じりの出組で、寒暖の差が激しすぎる。
しかし、お陰様で体調は、すこぶる良好だ。ただ、私の積極的小食主義による体重減少を心配している書記さんがいるらしいので、外見の痩せよりも内面の健康を強調しなければ、周囲に余計な心配をかけることになるので、気をつけたい。
ということで、山城博治さんの単独写真も含めて、以下に写真を並べる。
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