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今、日本青年館大ホールで行われている「さよなら原発の講演会」のネットライブで聴きながら、組合の仕事をしていた。統制委員会、酒気帯び違反者の取扱い規程案、専従役員会議事録、大会表彰記念品案、その他溜まりに溜まった資料の整理など。
その講演会で、鎌田慧、大江健三郎、落合恵子、内橋克人さんらの話を聞き、崔善愛(チェ・ソンエ)さんのピアノ演奏とメッセージが続いている。本当は現場に行きたかったが、事務所での仕事でライブ放送を見て、聞いている。感動と怒りと希望で涙が流れる、すばらしい講演会、集まりだと思う。
今日、寿町在住の沖縄人の友人から電話をもらって、時々このブログに目を通しているという。そして、この間書き込みがなかったねという話だったので、昨日の続きをライブを聞きながら書き込みたい。
28日に泊まりこんで仕事に行き、機関紙の発行におわれた後で、夕方の早い時間から連合の友人と小笠原さんという作家との呑み会へ出かけ、有意義な時間をすごして夜中に帰った。翌日は、やはり機関紙の原稿を入稿し、労供労組協の役員会議を経て、琉球センターどうたっちでの指笛教室へ行って、泡盛を飲みながら楽しい時間を過ごし、夜中に帰った。そして31日当時は、組合へ出勤するのでなく、連合東京の事務所へ。岩手大船渡での連合ボランティアに参加した。何とも慌しく、まともな準備なしで、とりあえず昔生コンの仕事をしていたときの長い安全靴や作業服、雨対策の下着沢山などを不便なデカバックに詰め込んで到着した。
そこからは約7時間のバスの旅で、宿舎の廃校となって4年となる小学校に到着。
その夜は、明日からの作業日程などについてのミーティングを終えて、若干のアルコールの体に入れて就寝。
9月1日の関東大震災の日。東京では、朝の9時から大規模な防災訓練が行われている中で、陸前高田や大船渡の被災地では、まだ瓦礫の山と進まない被災者支援が3,11から半年が過ぎる現実だった。実際の作業は、大船渡の海から大分内部に入った川原の土手を超えて津波被害のあった道路の側溝の整理。
結局、途中から台風の影響で強い雨が降り始め、午前中だけの作業になったが、最後に側溝のコンクリートの蓋を閉める作業で全身、体の中までびっしょりと濡れねずみとなり宿舎に戻る途中で風呂場に寄った。作業班だけで50人ほどのメンバーが一気に風呂に寄ったものだから、面白かったのは洗い場が10人分しかないために裸の男たちが立って待っているという異様な風景に遭遇した。私は最初にお湯の中で体を温めただけで、石鹸での洗いをやめて出た。
このボランティアは、連合関東ブロックと全国産別の合体で、行く前は私と仲間の組合が60代ぐらいかと思っていたのが、東京と千葉組には60代が5人ほどもいて頑張っていた。
そして、翌日は更に台風の影響が強まるということで作業を中止したが、バスで気仙沼から回り込む形で多くの被災地とその被災を免れた地域を見ることが出来た。
これは、日本で一番海水浴場に近い駅という大谷海岸駅。駅舎と観光施設をかねた建物の中を津波が通り抜けて、右側の丘の上の民家の数々を飲み込んだ跡があり、線路も駅舎の前だけは残っていたが、その前後は全く流されていた。
これが千本松原に一本だけ残った松で、陸前高田へ入るところに立っていた。
兎に角、今回の津波被害は、千葉から茨城、宮城から岩手、青森、北海道までの海岸沿いの殆ど全てに襲い掛かったことを実感した。それも地震よりは津波被害が大きかったというのは、通る道筋では地震によると思われる建物や石垣塀などの倒壊が殆どなかったことからも分かった。
そして、2日の夜9時ごろからバスで戻り、朝の5時東京駅着で終了、解散となった。 |

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