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怒涛の5月と書き込んだのが先月の9日だったのかと、驚くばかり。
その後は、我ながらよくも続くものだと思うほど超多忙の連続に毎晩のお酒と懇親。先日、電車の中に忘れたリックが戻っていないので、手帳を見ながら諸行動の連続を書き込めないが、先月に引き続いて6月21日から24日まで帰沖。今回は、新運転の役員4名と連合平和行動や労働局、琉球新報、連合沖縄の会長などに挨拶と労供労組の説明。その上に、初めて沖縄を訪れる役員もいたので、辺野古、嘉数台地から普天間基地、カデナ基地、そして南部戦跡も案内した。
帰ってからが更に大変で、27,28日とマイクロバスを運転して福島原発事故関連の視察。そして、30日から7月1日は、組合の関係で山形の銀山温泉で会議と観光。恵まれすぎてご先祖様、組合員様に感謝!感謝!
そうした中で、毎月連載させてもらっているコラムと沖縄レポートも何とか締め切りを守って書かせてもらった。
7月の沖縄の風は「屋嘉節」「なちかしや沖縄(うちなー) 戦(いくさば)になやい 世間御万人(しきんうまんちゅ)とぅ 涙流ち」と沖縄が戦場になったことを嘆き悲しんだり、命からがら戦場を逃げ回った体験が歌われる。沖縄戦末期、米軍が東海岸金武町の屋嘉に設置した最大の捕虜収容所で沖縄住民の捕虜たちは、空き缶やあり合わせの木材、パラシュートの紐を弦としてカンカラ三線を作り「屋嘉節」が生まれて広まった。住民が避難していた間に米軍が勝手に造ったのが世界一危険な普天間飛行場。」 そして、沖縄レポートは
「沖縄から平和の希望を」の締めくくりは「今回のレポートの締めくくりの希望は、冒頭に記した6月23日、慰霊の日に4月末から悪性リンパ腫治療のため抗議行動の現場を離れている沖縄平和運動センターの山城議長が魂魄の塔前で行われた集会に参加し、糸数議員と笑顔の写真を送ってくれたことだ。そして翌24日、辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前を訪れ、「夏以降、政府が埋め立てを強行する。それまでに元気になって戻る。必ず基地建設を止めよう」と呼び掛けた。山城さんはシュワブのゲート前で警備に当たる警察官にも挨拶。警察官の一人は「(元気そうで)うれしいよね。難しいね」とつぶやいたと地元紙が報道した。山城さんが療養している間も、辺野古テント、大浦湾、そしてキャンプ・シュワブ前の現場の闘いは意気軒昂、ひまわりの及川監督の詩の表現そのままに続いてきたし、今後もあらゆる手段を使って進基地建設を阻止するという翁長知事を先頭に世界中を味方にして勝利するという大きな希望に向かって共に進んで行きたい。」とした。 8日に書き終えてその夜送ったのだが、実は冒頭に書いたように普段持ち歩いているリュックを6日の夜、何処かに置き忘れてしまったのだ。これまで何回もあり、その都度京成電車の忘れ物係りにお世話になってきたのが、今回はその夜も翌日も京成に無いという事で、最初に乗った千代田線、その先の常磐線、そして小田急線まで問い合わせたがないということで、最後は警視庁の遺失物係。これもダメといったところで、昨晩自宅に京成忘れ物センターからリュックの連絡が封書で来たという顛末。それなら何故二日目も無かったのかよ、と文句の一言も言いたくなるがという感じで、これからとりにいくところ。
最後に、昨日の連続行動を書き込んでおく。
まずは、朝の交番、千代田線からの乗換駅、町屋の駅前交番に遺失物届け。それから神奈川労働局、職業安定課、需給調整課の担当者に申入れ書(前夜に急遽作ったもの)をもって名ばかり労働組合の告発。調査することの確認を取って約一時間後、初めて湘南何とか線で横浜から池袋、そこから西部池袋線で清瀬へ。復十字病院に結核治療で入院している委員長に見舞金と機関紙、申入れ書を手渡して意見交換。その時のマスクが今まで使ったことのないもので、結核菌をシャッタアウトする為にきつくなっていて話しずらかった。
そこに約一時間。それから池袋に戻り、JRで王子駅へ。法務局の出張所で定款変更の訂正を終えて事務所に戻る駅前で、桃6個500円と書いて座っている年配の女性がいたので、事務所にお土産と想い声をかけたところ。500円は、小さいサイズで並んでいる大きなものは本来2個600円するものを今日限り6個千円というので、12個買った。
そこに別の女性が買いに来て同じ事を言われていたので、大きいサイズ6個千円といった方が売れるよ、と余計なアドバイスをして戻った。事務所の皆に喜んでもらったが、
彼女が一個オマケにくれたものを食べてみたら、瑞々しく美味しい桃だった。
これは、昨日いなかった職員の分で机においてあったもの。今日の午後来るので、喜んでもらうことになる。
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