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軍隊と軍事基地のない命輝く人々と自然の循環の島々だった琉球諸島を取り戻すために、非武装琉球ネシア連邦への独立を目指す仲間たちのネ

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松戸の市民運動誌へ

松戸の市民運動家で、長年お付き合いしている方から次のような依頼を受けた。
「2月15日に1000人の会が主催しました「孫崎享講演会」で、孫崎さんは今後の沖縄の方向性について、一定の先には「沖縄の独立」が進んでいくのではないか。昨年に招かれた『琉球新報』主催の政経懇話会で、社主(社長)も独立論を展開していたとのことでした。孫崎さんも独立の運動を支援したいと述べていました。今日は『たんぽぽ』4月号の原稿依頼です。以下のような特集を企画しました。」ということで、次の原稿を送った。
「1997年12月24日、当時の比嘉名護市長は首相官邸に「拉致」されて普天間基地の移設反対が過半数を超えた市民投票の結果を覆して受入れを表明、市長職を辞した。その2年前に起こった少女レイプ事件で沖縄中に怒りが充満していた中での裏切りだった。その後17年余に及ぶ名護市民と支援の現場抵抗闘争と国内外世論の支持によって今日まで新基地建設を阻止し、日米の政治状況が二転三転する中で積み上げられたのが昨年の「オール沖縄の建白書」だった。沖縄から41全市町村の首長と議会議長を中心に100名を越える行動団が東京に来て「普天間飛行場の閉鎖・撤去と県外移設推進、オスプレイ配備の中止」を安倍政権に突きつけた。まさに1950年代の米軍支配に対する島ぐるみ闘争を想起させる歴史的行動だった。にも拘らず、安倍首相の靖国参拝に連動する形で仲井真知事は、一週間東京の病院に「拘束」された後、「有史以来の予算、税制だ。これはいい正月になるというのが私の実感だ。」「県外移設の公約違反はしていない」と強弁して埋め立てを認可した。17年前と今回のいずれもが日本政府の首相官邸、自民党幹事長による「拉致」「拘束」「買収」「強制」だったことが沖縄民衆の怒りをより増幅させた。地元紙の世論調査では、自民党の地元国会議員や仲井真知事に圧力をかけ、県外移設から公約を方針転換させた政府・自民党の姿勢に「納得できない」としたのは72・6%、普天間問題は県外・国外、無条件閉鎖・撤去を求め、県内移設に反対する意見が計73・5%に達したのである。そうした圧倒的な世論を背景に、沖縄県議会は1月10日、仲井真知事の辞任を求める抗議決議を賛成多数で可決。県議会で知事への辞任要求決議が可決されたのは復帰後初めてのことだった。
その意味で、1月19日の稲嶺名護市長の勝利は新基地建設を容認する対立候補との闘いに留まらず、安倍政権、とりわけ石破幹事長の「500億基金」に対する沖縄人の尊厳を守った勝利だったのである。今回、稲嶺市長を応援した受け入れ容認派だった岸本元市長のご家族は「日本政府が埋め立てを強行するなら体を張って阻止する」と日本政府の差別強行に対する覚悟を語っていたという。そして二月県議会定例会では、仲井真知事の埋め立て承認について審査する調査特別委員会(百条委員会)の設置を決定した際には、野党4会派と県内市民団体の参加者約2千人が県庁包囲行動を実施し、承認取り消しと知事の辞職を求めるメッセージボードを掲げ、抗議の意思を示した。
今後、安倍政権による刑特法弾圧などの暴力的な基地押し付け差別に抗し、子や孫の世代に平和な島を取り戻すためにも、島ぐるみ闘争の復活、党派を超えた「自己決定権」「自立・独立」を求める闘いが続く。今秋には県知事選挙という歴史的な闘いが待っている。 」
 

 

3.11を前に

東日本大震災から3年を前に、福島の郡山で行われた「原発のない福島を!県民大集会」に参加する憲法生かす会の皆さんを組合のマイクロバスに乗せて、8日、9日の二日行ってきた。
先週の土日は沖縄にいて20度前後の暖かさの中にいたことを思うと凄いギャップだった。福島に向かう途中から2,1,0度と気温が下がっていき、郡山に着くころからは雪がまい始め、会場のユラックス熱海に着く前からは本降りの雪と残雪も残っている寒さ状態。降りしきる雪の中、実行委員の皆さんが交差点の各所で交通案内に立っていたのには感動!集会は、午後1時から3時過ぎまで。主催者挨拶、大江健三郎さんの挨拶など感動的なものだったが、中でも除染に従事している青年労働者が労働組合に加入して何度も解雇されたり、脅されたりしながら人間として働き続けたいという実情報告と女子高校生の原発列島にしてきた大人の責任に対する告発と自分自身が大人に近い子ども、子どもに近い大人の立場の当事者として闘い続けるという決意に何度も感動した。更に驚いたのは、沖縄関係の活動家、労働組合関係者とであったことと昔東部地域で活動していてその後三里塚で農民修行した後、埼玉か群馬で農民生活をしているという友人が上さんと一緒に来ていたことだ。
その後、雪の中を移動して無事に温泉旅館に辿り着き、宿泊。今日は、午前中三春町で、福島原発の闘いで象徴的な女性となった武藤類子さんと交流、福島原発の現状と帰還困難地域、制限地域、期間準備地域など新たな差別と分断による福島県民の表現しきれない困難さと苦悩の深さを教えてもらった。
その美しい歴史と自然豊かな三春町も昔とは全く違う世界に落としこめられている現実、その理不尽な多くの被害者がいるにも関わらず、誰一人として加害者とされない検察・政治権力の不当さに満身の怒りを感じた。その後、今は廃墟同然になっている武藤さんの手作りレストランの場所も訪ねて三春町を後にした。
そして最後に、白河市にある「アウシュビッツ博物館」を見学して帰ってきた。
参加者は、夕食と懇親会に行ったが、私は書記の皆さんへのお土産とメールチェック、その他資料整理で組合事務所に戻ってきた。
最近は、メールの中でフェイスブックのお知らせがあり、多くの友人の書き込みを読ませてもらっている。そのフェイスブックには、自分で書き込むことはできないままだが、時々「いいね」とか「コメント書き込み」をしている。何故か分からないが、自分のプロフィールすら書き込んでも消えてしまう状態で、その先にいけないままだが、それでいいのだと思っている。備忘録として書き始めたこのブログですら継続仕切れないで、とびとびになっている有様なのだから。
それよりも最近は、組合のHP更新を今の所何とかやりきっている。

琉球ネシアツアー

相変わらず多忙な日々が続いている。先月の一週間おきの大雪のせいで、久しぶりに風邪を引きながら休むことなく、組合活動に呑み会に集会にと動きまわらせてもらった挙句、2月28日から3月3日までの琉球ネシアツアーも無事に終えることができた。
考えてみればというか、普通の感覚ではたった一人で3ヶ月位前から呼び掛けて、自分の健康、家族や職場の事情、参加者の事情など多くの要因をクリヤーして無事に終えるというのは、奇跡的だと自覚するようになった。昔は、それを20人ほどのツアーを何回も企画、実行したこと、それも今回のように旅行保険を賭けることなど思いもせずにやってきたことの凄さを感じるだけでも年を取ったということかと終わって感動している。ということで、今回は旅行保険をかけた。何故かといえば、参加者7人の内6人、私も入れれば7人が65歳から68歳の男女。一人だけ参加者の娘さんが31歳。その上、南部の聖域を歩くというか岩場を上り下りするという行程が予定されていたからだ。
 そもそも今回のツアーは、昨年9月に松戸で行われた「アジア国際バーベキュー会」の時に沖縄ツアーの希望があり、昔を思い出しながら企画したもので、2月28日から3月3日までの旅だった。初日の午後、首都圏と10度以上も高い気温と文字通り初夏の太陽が輝くなか行った嘉数台地から普天間基地では、一昨年から常駐していて昨年夏からは当初配備の倍となる24機のオスプレイが一機もいないという状況にぶつかった。北部訓練場や伊江島に行っているとしても、先月来たときにはゲートの直ぐ傍からズラッと並んでいたものが全くいないのである。その謎は直ぐに解けた。2月24日から4月18日まで行われている米韓合同軍事演習「キー・リゾルブ」「フォールイーグル」に参加するために朝鮮半島周辺に飛んでいったのだ。
 しかし、翌日の1日の午後には、西海岸の遠くを二機揃って飛ぶのを轟音と共に見たことから沖縄での訓練飛行も続けていたことが分かった。
そして三日目の2日の午前、南部戦跡と聖域を歩く時は雨降り、女性3人がキャンセルしてくれたお陰で行程は順調に行って、予定通り案内の我喜屋さんの家での昼食に間に合った。その時の我喜屋さんのお迎えの言葉が、私が読んでいる「邪馬台国は沖縄」という本とピッタリあって、「ようこそ邪馬台国へ」というもの。美味しい昼食を頂いてから一緒に玉グスクの聖域へ。その時は一転晴れ模様となり、ロッククライミングのような危険箇所も全員体験することができた。
実は、その同じ時刻に普天間基地の野嵩ゲートで、「基地反対と琉球自立独立アピールの集会が開かれていた。その呼び掛け趣意書は、「日本の民主主義の頂点が、民主党が選挙に勝ち鳩山氏が総理になって、普天間基地は県外と決定した時点でした。その後、坂を転げ落ち、日本の民主主義は終わったと感じる方も多いでしょう、このままでは又、先の沖縄戦のように沖縄は日本の為に犠牲になると言えるでしょう。しかし、諦めてはいけません。沖縄が団結すれば犠牲をはね返せる可能性もあります。具体的には日本国も加盟している国際連合で既に認められた琉球民族自決権を利用することです。「沖縄県民」では日本の民主主義の100分の1の多数決に飲み込まれてしまいます。琉球人が団結して内外に向かって特別道州制、特別自治州、自治共和国、琉球国、琉球共和国などとして主張と要求を始める必要があります。」というもので、沖縄の闘いの中で「反基地」と「独立」を始めて結びつける意志を表明したものだった。
 実際の集会は、ウーチューブで配信されていたのを見ると延べでも20名ほどの小さな結集だったが、最初に発言した私の尊敬する彫刻家の金城実氏は、半分英語、三分の一が沖縄語、そして残りが共通語という表現方法で米兵、警察官、民衆に呼び掛けていた。その内容も民主主義、人間の尊厳、徹底した平和主義というまさに阿波根昌鴻主義を踏襲したもので、参加者だけでなく警備の警察官らも否応なく引き込まれる感じで聞き入っていた。
  しかし、その同じ日に任期満了に伴う沖縄県石垣市長選の投開票がなされ、無所属現職で教科書問題や自衛隊誘致などで批判が強かった中山義隆氏が自民、公明の強力な梃子入れによって無所属元職の大浜長照氏を破っての再選を果たしてしまった。
 その結果を聞いて落胆の中、泡盛の酔いで眠っていた明け方、沖縄では真っ暗な午前5時過ぎに震度4の地震で起こされ、その後も午前11時ごろに震度3の地震が相次ぐという珍しい出来事に遭遇。最近神がかっているのではと思うことが時々ある私としては、人間社会が壊れ、平和と命の危機が深まっていることに対して琉球の自然神も呆れ、警鐘を鳴らしたのかと感じた次第で、ツアーの最終日の自由行動に移った。
 
 
 

反建国記念日=紀元節に

琉球正月に帰沖してから1週間がたった。Tシャツでクーラーを入れていた車から寒さが増す首都圏に戻った挙句、土日の雪に見舞われた。土曜日は早めに勝田台駅に着いた時には吹雪のような雪と相当深く積もった雪の中、バス停とタクシー乗り場に珍しく多くの人が並んでいた。タクシー乗り場に並ぶのは雪の中で傘を差して待つことになる為に駅の屋根の下でバスが来るのを待つことにした。
結局、その判断が間違いで約1時間、待てど待てども勝田台団地の循環バスが来ないまま見ていたところバス停で並んでいた人たちも途中で諦めて歩き始めて少なくなるとまた並びの繰り返し。歩いたりタクシーに並びなおすのは意地でもやれないので、京成バスの千葉営業所を104番で聞いて電話したところ通じず、違う営業所へ問い合わせて事情を説明したところ、16号で大渋滞が起こり、3時間前に出た車が辿り着いていないということが分かり、並んでいた人たちに状況を説明して歩いて戻ろうとしたところでバスが到着。やっとのことでいつも降りるバス停から歩き始めて驚いたのは、長靴を履いていたので助かったものの積雪が半端ではなく降りしきる雪の中30センチを越える雪道を歩く羽目に。
お陰で日曜日は一日雪かきを中心に自宅に居た。その雪かきも自宅前だけならまだ楽だったが、翌日の朝小学校へ行く子ども達の通学路の約100メートル程も頑張ってしまった。その反動がきつかった。翌日の朝、組合事務所の周りも雪かきが必要だと思ってもいつもより1時間ほど早めに自宅を出て車は無理なので歩いて駅まで行き、何とか事務所に辿り着いた後、体のあちこちが動くたびに筋肉痛にさいなまれる始末だった。
そして今日の朝、又雪が約5センチほど降り積もっていて車の周りの雪かきから始まって組合事務所に来た。自宅を出る時、何故か東京は降っていないと思って傘も持たずに来て正解。東京はただの曇り。午後から平和フォーラムの集会に参加した。95歳になる浮田さんという女性と歴史家の保坂正康氏の講演を聞いてきた。
浮田さんは第一次世界大戦が終わった年に生まれてから第二次大戦、そして戦後の体験を語り、今の情勢の中で子や孫の世代に平和を引き継がなければ死に切れないとの決意を笑顔を交えて語った。保坂氏は、安倍首相批判を私が思いも着かない広い視点から厳しく語った。という意味で非常に有意義な集会だった。
事務所に戻ってから溜まった資料などの整理とユーチューブで「CIA秘められた真実」2003年にフランスの報道版を約2時間見た。その結論は2001年のツインタワービルの爆破は、1941年の真珠湾攻撃で虚を突かれた米国が作ったCIAが、その後暗殺やベトナム戦争、冷戦崩壊等の曲折を経て機構縮小、削減の憂き目に遭っていたところ、イスラム過激派の米国本土攻撃テロの事前情報を手にしていながら何の対策も採らず、やすやすと攻撃を許した結果、改めて組織を再編強化し、アフガン、イラク戦争に参入し暗殺許可も受けたという現状報告で終わるという構成になっていた。要するに事前情報を意図的に流した上で自作自演でオサマビンラディン主犯説をでっち上げたというCIA工作の巧みさを暗に批判して作ったドキュメントだった。
締めくくりに、琉球正月に帰沖した報告を書き込んでおく。
「3泊の沖縄滞在は、ご先祖のお墓や聖地巡りに始まって、沖縄で日雇い雇用保険の被保険者資格を取って、労働者供給事業を始めた組合役員や高江と辺野古の座り込み参加者、親戚、友人たちとの交流の日々だった。その中で私が感じたのは、1月19日の稲嶺名護市長の勝利が辺野古新基地建設を容認する対立候補との闘いに留まらず、昨年暮れの自民党国会議員と仲井真知事の裏切りを強いた安倍政権、とりわけ石破幹事長の「500億基金」に対する沖縄人の尊厳を守った勝利だったということだ。
また、所謂旧正月祝いに加えて沖縄中がプロ野球のキャンプ地として賑わいを増す中で、高江では、日曜日にもかかわらず、高江の入り口やメーンゲート、N4、N1ゲートに加えて反対側の山の中腹にも監視、阻止グループが座り込み、業者車両のリストと行き交う車両をチェックしてトランシーバーで連絡しあうという24時間監視体制が堅持されていた。
辺野古でもテント村は健在で、私がいた間にも数組の訪問者が説明を受けていた。そうした闘いの現場では、その後の安倍政権の圧倒的多数の沖縄御万人の意思決定を無視する強権的な策動への怒りが次の闘いへの覚悟を充填させていたと感じて気候的にも熱い沖縄から酷寒の東京に戻ってきた。
その神が宿る祈りの場に足を踏み入れた写真を撮ってきた。
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琉球正月祝い

最近書き込み途中で失敗することが多くなっている。折角書き込んだものが、全部なくなってしまった後から再度書く時間も気力もなくなって空白が多くなっている。
情けない話しだが、今日は琉球アジアの大晦日に当たり、午後は組合の委員長を見舞い、夕方から一時間半ほど元三重県知事の北川氏の講演を聴きに行って事務所に戻ってきた。これからテーゲーサンシンクラブの練習、新年会がパルク事務所であるので、これまた時間が殆どない中で、琉球正月に合わせて出した年賀状を載せる。
組合関係者にも100通近く出し、全部で290通位の宛名書きやコメントの書くのにそれなりに苦労したが、何とか間に合って昨日投函した。
明日から正月に合せて帰沖するが、今回は組合関係で5年ほど追求してきた日雇い雇用保険適用事業所と被保険者を作ってくれたみのりユニオンの事務所や社会大衆党への挨拶も含めて色々と活動し、平和と独立への祈りも兼ねている。
ということで、年末の挨拶がこのまま消えないで残ることを祈って、以下に年賀状の文章だけを掲載する。実物は、この文章の横に荒馬が前足を立てている絵が入っているが、それを載せようとして前回失敗した。
 
琉球アジア正月元旦(太陽暦1月31日)
甲午(きのえうま)の年は、60年周期で変化する31年目。
陰陽五行説では衝突が頻発、世界は騒然となる乱世を
黙示している。
*1834年の“甲午”の年は、大飢饉、百姓一揆・焼き討ちから天保の改革・幕末へ。
*1894年は、朝鮮の甲午農民戦争・東学党の乱から日清戦争突入。 
*1954年は、二重橋事件、米国水爆実験による第五福竜丸他被爆、原子力平和利用決議、造船疑獄と指揮権発動、近江絹糸大争議、日本再軍備となる自衛隊発足、洞爺丸台風と大火災被害など。
*2014年。名護市長選挙・東京都知事選挙・山口県知事選挙勝利、普天間閉鎖・辺野古新基地、高江ヘリパッド建設阻止・オスプレイ撤去・消費増税・集団的自衛権行使・原発再稼動・労働保護法制改悪などの実質改憲、平和、人権、環境破壊策動を断固阻止、東アジア共同体の中心を琉球・沖縄=非武装琉球ネシア連邦に!また労働組合の労供事業拡充、全ての職場に労働組合を目指して共に!
「命どう宝」を根っこに元気、勇気、暢気、陽気に65歳の命を輝かし続けたい!ご指導・ご鞭撻を!
 

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