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今日は、65回目の誕生日となる。良くぞここまで生かしてくれたものだと感謝、感謝、スマイル、スマイルで職場に来ている。
これからJR東労組の新年旗開きに参加して、高校時代のいわき出身の友人の福島原発がらみのイベントに参加して、夜自宅に戻ってじっくりと感慨にふけってみたい。
実は、毎月投稿している原稿に柏に本部のある地域情報紙の朝日れすかに「沖縄の風」という短いコラムとやはり千葉の佐倉市にある人権啓発センターが出している月刊「スティグマ」に「沖縄レポート」がある。
その新年号への原稿入れが遅れたために昨年12月15日に書いたレポート134号が没原稿となったので、ここに掲載して残しておく。
沖縄レポート134
新たな「琉球処分」との闘い
一、琉球処分とは
「石破茂幹事長が、琉球処分官に見えた。沖縄の国会議員をテレビで晒し者にした。胸がかきむしられるような思いだった」この発言は自民と連立与党を組む公明党の県本部で幹事長を務める金城勉氏のもので、沖縄タイムス紙で報道された。
この琉球処分という表現は、朝日新聞紙上でも作家の与那覇恵氏が語っていた。いずれも日本政府が沖縄・琉球の総意を無視して強引に政策を押し付けてくるという状況を批判したものだ。日本史の中では、明治政府の「廃藩置県」に応じなかった「琉球藩(本来は琉球国)」の「不誠実・抵抗」に対して1879年の3月27日に処分官松田道之が警官・軍隊約600人を従えて来琉し、武力威圧の下で廃藩置県を布達、首里城明け渡しを命じ、4月4日に琉球藩の廃止および沖縄県を設置した「処分」のことだ。その日は、歴史を遡ること1609年に薩摩藩が琉球国を武力侵略し、当時の尚寧王を降伏させて首里城から薩摩藩へ強制連行した日だった。両方とも悪いのは琉球国で、正しい薩摩藩や明治政府が武力を使い「罰を与える=処分する」という筋書きがまかり通ってきたのである。
しかし、戦後の沖縄人の闘いによってこうした「琉球処分」の意味をひっくり返し、日本国・中央政府に対する糾弾の言葉として繰り返し使われるようになってきたのだ。例えば、第ニの「琉球処分」とは日本の国体=天皇制護持のための時間稼ぎ、捨石作戦として戦わされた沖縄戦をいい、第三は、1947年の天皇メッセージ(向こう25年から50年以上潜在主権を日本に残したことにして米軍が琉球諸島を軍事占領することが日本国民にとっても望ましい)によるサンフランシスコ条約と日米アンポ条約締結で、日本は「主権を回復」した一方で沖縄は今日まで続く軍事占領状態に置かれた「屈辱の日=4.28」。そして第四は、ベトナム戦争の敗戦過程で米軍の軍事費の肩代わりと引き換えに密約まみれの「沖縄返還」で、基地のない本土並み核抜き返還を求めた沖縄民衆の27年に及ぶ「復帰運動」が裏切られたことを言う。その「復帰」から41年の間に何度も「琉球処分」という言葉を使わざるを得ない状況が今日まで繰り返されてきた。
最早こうした沖縄・琉球と日本国中央政府との関係を 正確に表現する言葉は1609年の「武力併合」を基点とする「国内植民地」であり、戦後から今日まで続く体制は「日米両国による軍事植民地」という表現しかない。
沖縄レポート134
新たな「琉球処分」との闘い
一、琉球処分とは
「石破茂幹事長が、琉球処分官に見えた。沖縄の国会議員をテレビで晒し者にした。胸がかきむしられるような思いだった」この発言は自民と連立与党を組む公明党の県本部で幹事長を務める金城勉氏のもので、沖縄タイムス紙で報道された。
この琉球処分という表現は、朝日新聞紙上でも作家の与那覇恵氏が語っていた。いずれも日本政府が沖縄・琉球の総意を無視して強引に政策を押し付けてくるという状況を批判したものだ。日本史の中では、明治政府の「廃藩置県」に応じなかった「琉球藩(本来は琉球国)」の「不誠実・抵抗」に対して1879年の3月27日に処分官松田道之が警官・軍隊約600人を従えて来琉し、武力威圧の下で廃藩置県を布達、首里城明け渡しを命じ、4月4日に琉球藩の廃止および沖縄県を設置した「処分」のことだ。その日は、歴史を遡ること1609年に薩摩藩が琉球国を武力侵略し、当時の尚寧王を降伏させて首里城から薩摩藩へ強制連行した日だった。両方とも悪いのは琉球国で、正しい薩摩藩や明治政府が武力を使い「罰を与える=処分する」という筋書きがまかり通ってきたのである。
しかし、戦後の沖縄人の闘いによってこうした「琉球処分」の意味をひっくり返し、日本国・中央政府に対する糾弾の言葉として繰り返し使われるようになってきたのだ。例えば、第ニの「琉球処分」とは日本の国体=天皇制護持のための時間稼ぎ、捨石作戦として戦わされた沖縄戦をいい、第三は、1947年の天皇メッセージ(向こう25年から50年以上潜在主権を日本に残したことにして米軍が琉球諸島を軍事占領することが日本国民にとっても望ましい)によるサンフランシスコ条約と日米アンポ条約締結で、日本は「主権を回復」した一方で沖縄は今日まで続く軍事占領状態に置かれた「屈辱の日=4.28」。そして第四は、ベトナム戦争の敗戦過程で米軍の軍事費の肩代わりと引き換えに密約まみれの「沖縄返還」で、基地のない本土並み核抜き返還を求めた沖縄民衆の27年に及ぶ「復帰運動」が裏切られたことを言う。その「復帰」から41年の間に何度も「琉球処分」という言葉を使わざるを得ない状況が今日まで繰り返されてきた。
最早こうした沖縄・琉球と日本国中央政府との関係を 正確に表現する言葉は1609年の「武力併合」を基点とする「国内植民地」であり、戦後から今日まで続く体制は「日米両国による軍事植民地」という表現しかない。
三、文科省の弾圧を許すな
文科省は去る10月18日、公民教科書採択で竹富町教育委員会が違法状態を続けているとして是正要求をするよう、沖縄県教育委員会に指示した。
それに対して県教委は「子どもの教育環境を第一に考える」「物事は信頼で解決することを子どもたちに見せたい」という見識で検討を進めた。その結果、寄付によって竹富町の児童生徒に教科書が配布され「無償措置法の目的である義務教育の充実について大きな問題は生じていない」との見解を出した。また、八重山地区での信頼に基づく公正な審議の観点と地方自治体の主体性を求めた地方分権一括法の付帯決議の観点から問題はないとの中間報告をまとめた。こうした当然の見解に対して下村文科相は「大変遺憾だ。法律上の義務を果たすよう強く指導する」と、県教委を呼び出す考えを表明、県教委への威圧、問答無用と言わんばかりの強硬姿勢を見せた。
そして、文科省の上野政務官は11月28日、県教委の諸見里教育長を同省に呼びつけ、「いまだに是正要求していないのは大変遺憾だ。仮に是正要求しないなら県教委は地方自治法に反する」と述べ、早急に是正要求するよう求めた。それに対して諸見里教育長は「竹富町では教科書が給付されており、混乱していない」「文科省の指示を持ち帰り、県教委で再協議する」と述べ、結論を出す時期については「県議会などの日程もあり、年内は難しい」との認識を示した。このように沖縄の小さな町の中学生が使うたった数十冊の教科書問題に中央政府がこれほどの強権で介入し、支配しようとする狙いは何か。それは宮古、与那国における自衛隊配備と軍事化の動きと無縁ではないと断言できる。
そもそも「育鵬社版公民教科書」は、沖縄戦や米軍基地に関する記述が殆どなく、軍事抑止力を強調し、改憲へ誘導するような記述があり、また、男女差別的な記述、原発容認の記述もあるという。
沖縄戦を経験したからこそ、戦争の恐ろしさや過去の過ちを十分踏まえた教科書で学んでほしいという多くの沖縄人たちの強い決意の表れなのだ。 問題解決を妨げているのは竹富町でも県でもなく文科省の方だ。地方分権の精神に逆行し、教育現場を「どう喝」するような是正命令は直ちに撤回すべきだ。国定教科書などで、政治が教育に介入した結果、戦争へと突き進んでしまった過去を考えると、教育における琉球処分とも言える不当介入を断じて許してはならない。
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