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沖縄レポート134号

今日は、65回目の誕生日となる。良くぞここまで生かしてくれたものだと感謝、感謝、スマイル、スマイルで職場に来ている。
これからJR東労組の新年旗開きに参加して、高校時代のいわき出身の友人の福島原発がらみのイベントに参加して、夜自宅に戻ってじっくりと感慨にふけってみたい。
実は、毎月投稿している原稿に柏に本部のある地域情報紙の朝日れすかに「沖縄の風」という短いコラムとやはり千葉の佐倉市にある人権啓発センターが出している月刊「スティグマ」に「沖縄レポート」がある。
その新年号への原稿入れが遅れたために昨年12月15日に書いたレポート134号が没原稿となったので、ここに掲載して残しておく。
 
沖縄レポート134
新たな「琉球処分」との闘い
 
一、琉球処分とは
「石破茂幹事長が、琉球処分官に見えた。沖縄の国会議員をテレビで晒し者にした。胸がかきむしられるような思いだった」この発言は自民と連立与党を組む公明党の県本部で幹事長を務める金城勉氏のもので、沖縄タイムス紙で報道された。
 この琉球処分という表現は、朝日新聞紙上でも作家の与那覇恵氏が語っていた。いずれも日本政府が沖縄・琉球の総意を無視して強引に政策を押し付けてくるという状況を批判したものだ。日本史の中では、明治政府の「廃藩置県」に応じなかった「琉球藩(本来は琉球国)」の「不誠実・抵抗」に対して1879年の3月27日に処分官松田道之が警官・軍隊約600人を従えて来琉し、武力威圧の下で廃藩置県を布達、首里城明け渡しを命じ、4月4日に琉球藩の廃止および沖縄県を設置した「処分」のことだ。その日は、歴史を遡ること1609年に薩摩藩が琉球国を武力侵略し、当時の尚寧王を降伏させて首里城から薩摩藩へ強制連行した日だった。両方とも悪いのは琉球国で、正しい薩摩藩や明治政府が武力を使い「罰を与える=処分する」という筋書きがまかり通ってきたのである。
 しかし、戦後の沖縄人の闘いによってこうした「琉球処分」の意味をひっくり返し、日本国・中央政府に対する糾弾の言葉として繰り返し使われるようになってきたのだ。例えば、第ニの「琉球処分」とは日本の国体=天皇制護持のための時間稼ぎ、捨石作戦として戦わされた沖縄戦をいい、第三は、1947年の天皇メッセージ(向こう25年から50年以上潜在主権を日本に残したことにして米軍が琉球諸島を軍事占領することが日本国民にとっても望ましい)によるサンフランシスコ条約と日米アンポ条約締結で、日本は「主権を回復」した一方で沖縄は今日まで続く軍事占領状態に置かれた「屈辱の日=4.28」。そして第四は、ベトナム戦争の敗戦過程で米軍の軍事費の肩代わりと引き換えに密約まみれの「沖縄返還」で、基地のない本土並み核抜き返還を求めた沖縄民衆の27年に及ぶ「復帰運動」が裏切られたことを言う。その「復帰」から41年の間に何度も「琉球処分」という言葉を使わざるを得ない状況が今日まで繰り返されてきた。
 最早こうした沖縄・琉球と日本国中央政府との関係を 正確に表現する言葉は1609年の「武力併合」を基点とする「国内植民地」であり、戦後から今日まで続く体制は「日米両国による軍事植民地」という表現しかない。 
 
沖縄レポート134
新たな「琉球処分」との闘い
 
一、琉球処分とは
「石破茂幹事長が、琉球処分官に見えた。沖縄の国会議員をテレビで晒し者にした。胸がかきむしられるような思いだった」この発言は自民と連立与党を組む公明党の県本部で幹事長を務める金城勉氏のもので、沖縄タイムス紙で報道された。
 この琉球処分という表現は、朝日新聞紙上でも作家の与那覇恵氏が語っていた。いずれも日本政府が沖縄・琉球の総意を無視して強引に政策を押し付けてくるという状況を批判したものだ。日本史の中では、明治政府の「廃藩置県」に応じなかった「琉球藩(本来は琉球国)」の「不誠実・抵抗」に対して1879年の3月27日に処分官松田道之が警官・軍隊約600人を従えて来琉し、武力威圧の下で廃藩置県を布達、首里城明け渡しを命じ、4月4日に琉球藩の廃止および沖縄県を設置した「処分」のことだ。その日は、歴史を遡ること1609年に薩摩藩が琉球国を武力侵略し、当時の尚寧王を降伏させて首里城から薩摩藩へ強制連行した日だった。両方とも悪いのは琉球国で、正しい薩摩藩や明治政府が武力を使い「罰を与える=処分する」という筋書きがまかり通ってきたのである。
 しかし、戦後の沖縄人の闘いによってこうした「琉球処分」の意味をひっくり返し、日本国・中央政府に対する糾弾の言葉として繰り返し使われるようになってきたのだ。例えば、第ニの「琉球処分」とは日本の国体=天皇制護持のための時間稼ぎ、捨石作戦として戦わされた沖縄戦をいい、第三は、1947年の天皇メッセージ(向こう25年から50年以上潜在主権を日本に残したことにして米軍が琉球諸島を軍事占領することが日本国民にとっても望ましい)によるサンフランシスコ条約と日米アンポ条約締結で、日本は「主権を回復」した一方で沖縄は今日まで続く軍事占領状態に置かれた「屈辱の日=4.28」。そして第四は、ベトナム戦争の敗戦過程で米軍の軍事費の肩代わりと引き換えに密約まみれの「沖縄返還」で、基地のない本土並み核抜き返還を求めた沖縄民衆の27年に及ぶ「復帰運動」が裏切られたことを言う。その「復帰」から41年の間に何度も「琉球処分」という言葉を使わざるを得ない状況が今日まで繰り返されてきた。
 最早こうした沖縄・琉球と日本国中央政府との関係を 正確に表現する言葉は1609年の「武力併合」を基点とする「国内植民地」であり、戦後から今日まで続く体制は「日米両国による軍事植民地」という表現しかない。 
 
三、文科省の弾圧を許すな
文科省は去る10月18日、公民教科書採択で竹富町教育委員会が違法状態を続けているとして是正要求をするよう、沖縄県教育委員会に指示した。
それに対して県教委は「子どもの教育環境を第一に考える」「物事は信頼で解決することを子どもたちに見せたい」という見識で検討を進めた。その結果、寄付によって竹富町の児童生徒に教科書が配布され「無償措置法の目的である義務教育の充実について大きな問題は生じていない」との見解を出した。また、八重山地区での信頼に基づく公正な審議の観点と地方自治体の主体性を求めた地方分権一括法の付帯決議の観点から問題はないとの中間報告をまとめた。こうした当然の見解に対して下村文科相は「大変遺憾だ。法律上の義務を果たすよう強く指導する」と、県教委を呼び出す考えを表明、県教委への威圧、問答無用と言わんばかりの強硬姿勢を見せた。
そして、文科省の上野政務官は11月28日、県教委の諸見里教育長を同省に呼びつけ、「いまだに是正要求していないのは大変遺憾だ。仮に是正要求しないなら県教委は地方自治法に反する」と述べ、早急に是正要求するよう求めた。それに対して諸見里教育長は「竹富町では教科書が給付されており、混乱していない」「文科省の指示を持ち帰り、県教委で再協議する」と述べ、結論を出す時期については「県議会などの日程もあり、年内は難しい」との認識を示した。このように沖縄の小さな町の中学生が使うたった数十冊の教科書問題に中央政府がこれほどの強権で介入し、支配しようとする狙いは何か。それは宮古、与那国における自衛隊配備と軍事化の動きと無縁ではないと断言できる。
 そもそも「育鵬社版公民教科書」は、沖縄戦や米軍基地に関する記述が殆どなく、軍事抑止力を強調し、改憲へ誘導するような記述があり、また、男女差別的な記述、原発容認の記述もあるという。
沖縄戦を経験したからこそ、戦争の恐ろしさや過去の過ちを十分踏まえた教科書で学んでほしいという多くの沖縄人たちの強い決意の表れなのだ。
問題解決を妨げているのは竹富町でも県でもなく文科省の方だ。地方分権の精神に逆行し、教育現場を「どう喝」するような是正命令は直ちに撤回すべきだ。国定教科書などで、政治が教育に介入した結果、戦争へと突き進んでしまった過去を考えると、教育における琉球処分とも言える不当介入を断じて許してはならない。
 
昨年末から新年にかけてブログがネットにつながらなくなるというアクシデントがあり、修復してみた。結局、原因不明のまま再度つながったので、書き込みとして残しておいたものを再掲載する。
 
2014年最初の書き込みで、久しぶりに命どう宝ネットを開けたところ、何と昨年暮れの30日に書き込んだ文が入っていなかった。確かにいつもの確認と決定のクリックがヘンだったが、まさか消えているとは。
兎に角一年を振り返って色々と書いた記憶があるが、後の祭り。
恒例の年末31日からこの3日まで連続4日家族活動に従事してそれなりに楽しいのんびりした生活を送ったが、今年ほど沖縄や寄せ場での活動に心が飛んだりして落ち着かない年末年始はなかった。というのも沖縄では仲井真知事の埋め立て認可発言以降も続く普天間基地での連日行動と年明けの名護市長選挙への動きが起こり、寄せ場ということではいつも沖縄での行動に車を貸してもらっている原田氏らが渋谷の宮下公園での越冬闘争、炊き出しなどの活動に警察の介入が想定されていたからだ。それでも結局、沖縄の活動はもとより渋谷の越冬闘争に参加することなく過ごしてしまった。その意味で自分の生活と活動のバランスの悪さ、中途半端さを痛感し精神的に落ち込んで過ごした正月だった。
とはいっても年に一回の孫も含めた家族旅行は、千葉の御宿からドイツ村に2,3日の一泊で満喫して帰ってきた。
御宿海岸にある月の砂漠のらくだの銅像の前で
小学校5年と3年、3歳の
孫と一緒で、中1の長女は久しぶりにあったら脚が長く伸びてもう爺ちゃんとは距離を置く感じになっていた。
それにしても翌日行ったドイツ村は、午後の早い時間はそれ程でもなかったが、
4時を過ぎて暗くなり始めてからイルミネーション目当ての観光バスや車が数珠繋ぎ状態で押し寄せてきたのには驚いた。それも川崎、横浜、多摩ナンバーがアクアラインを渡って開通した圏央道から一気にこれるという状況で、数年前のドイツ村とは全く違う賑わいになっていた。
 
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そして例年通り4日からの仕事始め。組合では、昨年暮れから進めてきた6階書庫の整理と紙資料の電子資料化、そして不用品の廃棄などを継続している。
今日は、連合の新年会。
明日は連合東京と中央労福協の新年会となる。
ここ数年来は、そうした組合関係の新年会では、できるだけ多くの人と挨拶を交わすことを主眼に飲食をしないことにしている。
 
今年も毎月帰国運動をする予定で、今のところ1月31日から2月3日、2月28日から3月3日のジェットスターを予約している。
名護市長選挙や2月には宮古島で独立研究学会が開かれるが、残念ながら参加できるスケジュールになっていない。
その意味では、ここ数年来の私の独立運動の動きはピントが外れているのかも知れない。その外れてきた原因が我喜屋倫さんを初めとする多くの童神と神人の親たちとの出会いから始まったということで、必然だと思っている。
その倫さんとの出会いから「神は存在する」と言い切るほど劇的に変わった友人と昔からの活動家だった先輩が神人になっていること、そして辺野古の闘いの中心に居て去年亡くなった大西さんをはじめ多くの活動家たちが、辺野古の闘いは人間だけのものではなく自然や神も味方になったからこそ単管足場での杭打ちを阻止することができたと総括していたことなど上げればキリがない。
だから去年亡くなった真久田や嶺井さんらの事を思うたびに自分が生かされていることへの感謝の念が深まるばかりだし、行動し続けなければ本当にバチが当たるという気持ちが強い。昔の言葉でよく言われたのが「お天道様が見ている」ということは、言葉を換えれば神様が常に自分と共にあるということだろう。
こうした自分の変化は沖縄の神人たちとの出会いが深まったことに加えて親兄弟、友人知人の死と向き合うことを繰り返してきて自分自身も死ぬことを予感しながら一日一日生きてきたことの精神的な変化だと思う。
もう直ぐ65歳の誕生日が来る。

ということで毎月投稿している沖縄の風の原稿を今日送った。
 
沖縄の風 いい正月でーびる
沖縄の正月しめ縄飾りは、五穀豊穣を願うしめ縄 に金運と代々続くようにダイダイのみかん、家や島の繁栄、たんとの意味を表現する炭、そして喜ぶの昆布という語呂合わせで玄関よりも沖縄でもっとも身近で日常的な祈りの場・火の神(ヒヌカン)に飾る。
「あらたまぬ年に 炭と昆布飾てぃ 心から姿 若くなゆさ」の琉歌がある。
正月料理は豚肉、揚豆腐、かまぼこ、昆布、田いもなど。漁港では大漁旗がなびき、
地域住民を中心に老若男女が集まり拝所や神屋を回り島の繁栄や各家族の健康などを祈願する初拝(ハチウガン)では、歌や踊りが演じられる。
 

師走の激動の中で

気がついたら師走の丁度真ん中、前回書き込んだのが11月10日ということで丸々一月間ご無沙汰してしまった。この一月間は大会を前後して兎に角、忙しすぎた。特定秘密保護法や連合関係で労働法制改悪など安倍最悪政権に振り回された嫌いがないでもないが、組合内外で激変が起こったことは間違いない。
変わったのは、組合の委員長、副委員長、会計監査、支部長2名。新委員長は、私が始めて執行委員になった時に足立支部の支部長になり、その後北支部長を通算で16年間勤めた人だけに中々委員長と言うのに苦労してしまう。それは書記局の事務職員も同じだと思うが、そろそろ一月が経つ中で、慣れてきた感じだ。
今日も、朝から機関紙編集と沖縄レポートの原稿書きで追われた。やっとこ両方終えて明日からの沖縄行きの前にやっておくことができたので、先月の30日に新運転塾で飲んだ残りの日本酒を飲みながら帰り支度。
明日の朝は、成田から朝の8時20分発のジェットスターで沖縄に帰る。
また、大きな変化は、ここ一月ぐらいの間にフェイスブックの友達登録をしたこと。沖縄の上原カイザ、平良サトコ、石垣金星さんらの友達になったお陰で、外のメンバーからの近況報告が読めるようになった。以前は、アメリカ大使館と吉岡学さんの二つからだけだったのが、賑やかになった。とは言っても読ませてもらうだけで書き込むところまでは時間がないので、一方的な情報収集に留まっている。
ということで、この間組合関係と沖縄レポートで書いた文章をここに残しておくことにする。
沖縄の風 12月
沖縄の師走の最大イベントはNAHAマラソン。29回目となる12月1日、天気は最高気温が21・8度の汗ばむ快晴の下、那覇から南部5市町のコースに2万7697人(男子2万607人、女子7089人)が参加。
全体の4割近くが県外・海外からの参加者で、難病で苦しむ人や東日本大震災の被災者にエールを送ろうとゴールを目指す人もいた。県内には、被災3県からの避難者が11月現在も985人いるという。因みに第1回は1985年の12月8日、真珠湾攻撃の日に4810名が参加した。
 
秘密保護法強行成立
 先月号で「新時代の日米同盟―未来への助走」というシンポジウムでの北岡伸一発言を報告した。悔しいかなその通りの結果となった。12月6日、特定秘密保護法は自民、公明両党によって参議院国家安全保障特別委員会で強行採決、即日、本会議にかけられ成立、13日の金曜日に公布された
決して秘密事項を「特定」していないにも拘らず秘密保護の頭に特定を被せることで一般社会には関係のない法律であるかの装いを凝らした姑息な法律を強引短兵急に成立させた結果、安倍政権の危険な本性が露になり、多くの国民の支持を失うことになった。とりわけ第二次世界大戦を経験した多くの人々が国会周辺、全国各地で反対の声を上げた。
戦前、戦中の日本社会は、大本営の発表のみが事実とされた。治安維持法、国家保安法などの下で憲兵と特高警察の弾圧による多くの悲劇が生まれた。 そして侵略戦争の犠牲の上に、日本は国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を3大原則とする民主憲法を手に入れたはずである。憲法が「知る権利」を規定するのは、民主主義成立の基本だからだ。情報は国民の財産である。政府・官僚に情報を隠蔽し廃棄する権限を無制限に与え、新たな特高警察と検事を増長させるこの法律は、文字通り憲法違反である。  
更に、そのシンポジウムで彼は武器輸出禁止の見直しだけでなく反撃力、打撃力を持つべきと強調し、集団的自衛権の行使を超えて日米共同で実戦できるよう法改正すべきと言い放ったのである。それが次期通常国会に出てくるといわれる「国家安全保障基本法」である。そして「共謀罪」が臨時国会終了と同時に政府筋から取りざたされる中で、石破幹事長の国家緊急時の報道・情報管制は当たり前という本音発言も繰り替えされている。この夏の麻生副総理兼財務相の「ナチス憲法発言」を忘れてはならない。まさに日米同盟の実践的強化にむけての助走が始まっているということだ。
 この法律が施行された後の沖縄は、ナチスドイツ下におけるゲットーと化すというのは私だけの危惧ではない。沖縄の中部地域は基地の中に住民生活があるといわれるほど米軍基地に囲まれているだけに
まさに日米同盟と安全保障の秘密に日常生活丸ごと囲い込まれているといっても過言ではないからだ。丁度戦後の米軍占領下での瀬長亀次郎氏や阿波根昌鴻氏等が軍秘密警察の監視下に置かれて不当逮捕監禁された時代を想起する沖縄人は多いはずだ。
 
 
 
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「STOP THE 格差社会!暮らしの底上げ実現12.5緊急総決起集会」
連合は、12月5日夕、東京・日比谷野外音楽堂で、を開催し、構成組織・地方連合会から5,047名が参加。労供労連として東京地本から草苅委員長を先頭に6名が参加し、デモ行進を散地点まで貫徹した。
集会は、第2波全国統一街宣行動の皮切りとして開催され、挨拶に立った古賀会長は、「働く者に犠牲を強いるような政策が強行されることは、断じて許されない。働く者を犠牲にする政策は、結果として政策効果に乏しいどころか、雇用社会の形骸化、そして社会の不安定化にまでつながる危険性がある。」特定秘密保護法案の強行採決に及んだ国会運営について、「安倍政権の国会運営は民主主義の根幹を揺るがす暴挙である」と力強く訴えた。
 大畠章宏民主党幹事長、経済アナリスト森永卓郎氏の連帯挨拶に続いて、派遣で働く組合員より「派遣で24年間働いてきたが、紙切れ1枚で雇い止めにあった。正規・非正規の枠を超えて、労働条件を守るために共に頑張りましょう」と実体験が熱く語られた。
  その後、アピールを採択するとともに、同日、強行採決された『「特定秘密保護法案」の強行採決に抗議する緊急アピール』を全会一致で採択した。
 最後に、岡本会長代行による「団結がんばろう」で集会を閉会国会請願。と銀座へのデモ行進に移った。
 
 
特定秘密保護法の強行採決・公布を許さず撤廃に!
 去る12月6日、参議院国家安全保障特別委員会において強行採決された「特定秘密の保護に関する法律案」は、即日本会議にかけられ成立、13日の金曜日に公布された本法律は、「国家安全保障基本法」と対をなし、集団的自衛権の名の下に、自衛隊の戦争参加を可能にし、米国の世界覇権に協力するものである。第二次世界大戦を経験した多くの人々が国会周辺、全国各地で反対の声を上げた。戦前、戦中の日本社会は、大本営の発表のみが事実とされた。治安維持法、国家保安法などの下で憲兵と特高警察の弾圧による多くの悲劇が作られた。
 そして侵略戦争の犠牲の上に、日本は国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を3大原則とする民主憲法を手に入れ、戦後68年憲法を守り続けてきた。
 憲法が「知る権利」を規定するのは、そのことなくして民主主義は成立しないからだ。「情報は国民の財産」である。政府・官僚に情報を隠蔽し廃棄する権限を無制限に与えるこの法律は、文字通り憲法違反である。  
我々は平和憲法を守り抜く闘いの重要な一環としてこの法律撤廃を目指して粘り強く闘って行く。
 

多忙な日々

前回の書き込みから約2週間、多忙な日々が続いている。
最も大きかったのが17日の組合大会。二年に一度の役員改選とあって様々な動きがあった。私自身、若手の書記長に引き継いで委員長選挙に出るつもりだったが、「人生色々男も色々」のお千代さんの歌さながらに残念ながらもう一期書記長に留まることになった。大会までの一週間、大会準備そのものより連合関係の諸行動、執行委員が統制処分の無効を訴えた裁判の結審、保坂世田谷区長の激励会、國學院大學の労供研究会、テーゲーサンシンクラブの練習、そして前日の16日には午後1時からJR東労組の平和集会に大田昌秀氏が講演するというので約3時間みっちり参加した後、浅草の田原町小学校で上映された「ワーカーズ」を友人たちと観に行た後、恒例の呑み会。翌朝は、いつもより一時間以上早めに起きて大会資料、代議員手当てなどのお金その他本部から運ぶ役目を無事果たし、本番の大会議論は過去形の話しばかり色々あったが、午後4時半に終了。役員選挙の結果、何と委員長、副委員長、会計監査が総入れ替えとなる中で、私と78歳になる中央本部委員長で統制委員長の留任が決まった。その後青年部の二人に荷物の運搬を手伝ってもらい、終わってから彼等は翌日の仕事に備えてアルコールを飲まず、私だけ呑みながらの懇談で一週間が終了した。
今週は大会後の新体制への移行期間。一番のショックは、学生時代からお世話になった叔父が20日亡くなったとの知らせ。今月の初めにお見舞いに行ったときは意識は完全ではなかったが、私のことを認識して声を出していたし、叔母の話では12月に退院ということだった。結局スケジュールが詰まっている中で沖縄に帰ることができず、従姉妹と一緒に見舞いに行くと予定していた16日から18日に帰ることにした。そして仕事と活動では、私は6階の書庫整理を続け、登記変更、役員変更など行政への手続き、前委員長は部屋の片付け、書類などの整理、新委員長は元の支部長と挨拶回りなど。その間に、埼玉にいる沖縄関係の友人の母親介護移送を手伝い、解放同盟の人権フォーラム、特定秘密保護法反対集会、連合の労働保護ルール改悪阻止集会、関西生コン60年出版祝賀会等が目白押しの一週間だった。
そうした中で、昨日はジェットスターの超割運賃が開示されたので、土日を挟んでいても1月は9千円台、2月は1万1千円台で往復できるということで1月と2月、仕事に差しさわりのない日を選び、友人にも勧めたりして午後6時までに予約を完了した。そして今日。午前中は組合事務所で資料の整理と支部長の来組を待ち、午後からは9条連の総会に出席、途中で抜けて法政大学で開催されている「国際有機農業映画祭」でサンシンの仲間とアトラクション出演。そこには恩納村から仲西さんが来て講演するという巡り合わせもあり午後6時半から15分間演奏する。その後、再度9条連の総会終了後の懇親会に参加して今日予定を終えることになっている。その間、御茶ノ水と飯田橋を行ったり来たりという相変わらずのドタバタ劇を演じている気分が無きにしも非ずだが、今日も一日感謝、感謝、スマイル、スマイルで過ごさせていただく。
 

11月の沖縄で

沖縄の11月。日本各地は秋風が吹き秋から冬へと一気に気温が下がる頃。沖縄、宮古、八重山諸島の各地域では、夏の余韻を残す太陽が暑い中、秋祭りが花盛りとなる。今年は3日の日曜日、各地で最高潮の盛り上がりを見せた。首里城周辺では、琉球王朝祭りという古式行列で、琉球国王が国の安泰や豊作を祈って城下の寺を詣でた儀式を再現、沿道は大勢の観客で埋め尽くされた。沖縄市泡瀬でも10年ぶりに行われた「泡瀬大綱引」に、地区内外から約3万人が会場を埋めた。そして読谷祭りは、丸々二日間全村民を上げての芸能祭の最終日の夜、進貢船に乗った若者たちと会場全体が一体となる創作劇が最高潮に達するのを見計らってうち上げられた夜空一杯の花火で締めくくられた。
 そうした沖縄に、私は11月1日から5日にかけて帰った。主な目的は三つ。一つは、サンシン演奏仲間10人と普天間、嘉手納、辺野古、高江の各地で座り込みに参加すると共に米軍基地に向かって「沖縄を返せ」などシュプレヒコールならぬ唄サンシンを演奏すること。次に、3日から5日那覇で開催された護憲大会に参加すること。そして、私の故郷宮古島で開かれた第12回クイチャーフェスティバルに参加することだった。真夏のような暑い太陽が照りつける快晴の下、午後2時から8時まで、出演者だけでも老若男女の1500人が延々と踊り演技を競うあった。クイチャーとは皆の声を合わせて雨乞い,五穀豊穣、村の繁栄などを祈り歌い踊る伝統芸能のこと。
途中から冷たいビールを呑みながら堪能し、終わった後は友人達と泡盛を午前2時までと連日の睡眠不足のまま故郷を満喫して沖縄に戻った。
その沖縄での米軍基地ゲート前唄サンシン演奏は1日と2日、宮古に行く前。実は、3年前に嘉手納第一ゲート内で3曲演奏し終わった後、武装米兵と沖縄県警に約1時間拘束されて実質的な座り込み行動となった実績があった。2年前の東日本大震災以降中止していたが、オスプレイの追加配備と高江の工事強行という事態を受けて再開したもの。ということで、沖縄にで真っ先に行ったのが、嘉数公園から普天間基地第2ゲート。普段締め切ったままのゲート前でサンシン演奏をした後、フェンス沿いに左側に回りこんでいって金網越しではあっても約2、30メートル先にオスプレイを目の前に見て「われらは叫ぶ普天間と辺野古の新基地許さない!オスプレイ撤去!全ての軍事基地撤去!」と歌う怒りを実感した。
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その後、嘉手納から読谷村に回って、金城実さんのところでも演奏させてもらい、「よく練習している」との評価の一方で「上手いとか良い演奏」という評価までは至らなかったということを自覚した。
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翌朝は、朝食を食べずに朝6時に恩納村の宿舎を出発し、高江の座り込みに参加。午後は辺野古のテントで唄サンシンをして那覇でサンシンツアーは解散となった。
そして、第50回護憲大会は「沖縄から問う『平和、人権、いのち』−核も基地も戦争もない世界を」をテーマに、全国の市民団体や労働団体から約2千人以上が参加。琉大の島袋純教授は、憲法や立憲主義が否定されている状況を批判。「人民の自己決定権を確立し、安全保障や外交も地元が拒否できる権限を主張してもいいのでは」と提起した。
その総括集会で、実行委員長の山城博治沖縄平和運動センター議長は、「11月1日から実施されている参加人員約3万4000人、車両約900両、艦艇6隻、航空機約380機が参加する2009年以来の最大規模となる陸海空自衛隊の島嶼防衛を想定した統合実動演習に対して今は、沖縄での集会があり大人しくしているが、明日以降彼等は牙を剥いて戦争準備演習を全開させるだろう68年前の沖縄戦で、多くの住民が日米の激烈な戦闘に巻き込まれ犠牲になった悲劇を繰り返させない。離島奪還作戦が実行に移されたとき、島は『第二の沖縄戦』になる可能性が高い会場が狭いから大きな声を張り上げるわけには行かないが、全身全霊をこめて戦争への道を阻止する。権力に対してはバカヤロウ!と怒りをぶつけていく。今日の午後、宮古島に渡ってミサイル導入阻止の闘いに合流する。」といつもながらの力強い発言で締めくくってくれた。
そして当の宮古島では、陸自地対艦ミサイルなど計22台の自衛隊車両が陸揚げされた港湾入り口では、搬入に反対する労働組合、市民団体が道路に座り込み、時間半に亘って阻止して警察に強制排除されたという。
そして、例の日経とCSIS「新時代の日米同盟ー未来への助走」というトンでもないシンポジウムで我が物顔で喋っていた北岡伸一の断言に沿って、国家安全保障会議設置法の成立から特定秘密保護法へと国会審議が移っている。
あのシンポに出ていた民主党の長島昭久が、国会での設置法案の修正協議に嬉々として座っていたのが報道されていたが、今回の秘密保護法にしても最後のところで民主党からの修正案を与党が受け入れて成立というパターンが用意されているに違いない。
というのもそのシンポに出ていた元外務事務次官の谷内正太郎が、その国家安全保障会議の初代長官に任命されるという報道が流れているのだ。ふざけるなバカヤロウ!と叫ばずにはいられない気分でその報道を見た。
まさに国家権力が安全保障と外交を独占し際限のない秘密の罠を張り巡らして国民を弾圧する先に戦争の落とし穴が待っている。この冷厳な歴史の教訓を肝に銘じて沖縄から平和・人権・命を生かす闘いを広げていかなければならないと思いながら、沖縄から宮古、そして沖縄へと動いた疲れのせいか、組合大会を前にして能力、体力、気力の衰えを感じている。
明日から始まる一週間、連日色々な行動が詰まっている先に17日の大会で一くぐりとなる。そして、アットいう間に師走の足音が迫り来るのだろう。
とにかく一日、一日、感謝、感謝、スマイル、スマイルを忘れずに元気、暢気、陽気に行こうと思う。
 

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