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敗戦70年の8月に



8月、いつも書いている朝日れすかの「沖縄の風」は
艦砲の喰えぬくさー」
沖縄戦で家族を失った悲しみを抱えつつ、力強く生きる人々の寂しさを歌った新沖縄民謡。鉄の暴風と言われた沖縄戦では米軍の艦砲射撃と空爆、地上砲撃の総トン数が約20万トン。TNT火薬に換算した広島の原爆は1万3千トン、長崎が2万2千トンとの比較でその凄さが分かる。長男と父を疎開船「対馬丸」の戦禍で、次男と妻を出稼ぎ先の大阪大空襲で亡くした比嘉恒敏が戦後沖縄に戻って作詞作曲。未だに不発弾2から3千トンが残り、完全処理撤去まで70年、戦後は終わらない状況が続いている。

その後、殆ど変わらぬ忙しさが続いている。それでもやらねば成らぬことは為せばなるという感じできっちりとはいえなくても、得意のテーゲーでこなしているから、感謝、感謝。
8日には、柏の映画館での「戦場の止め(いくさばのとどみ)」三上智恵監督作品の森口豁氏のトークの前演奏を二曲、出来は悪かったが、やったことに意義があり、森口さんとじっくり呑みながら話すことができてよかった。

 そして、4年ぶりに連合の懸賞論文に応募することに決めて書き始めたのが、締め切り5日前、それでも7500字ぐらいの「ニッチからリッチな労働組合へ 労働運動の戦後レジームからの脱却を!」の題で書き終えた。その中で、占領時代の労働組合法から改悪の流れを資料として読むことが出来て、これまた幸せだった。しかし、送った後の自分なりの印象では、今回のテーマと内容では、過去4回受賞した優秀、佳作にも入らないと諦めている。しかし、応募できてまとまった論文と仕上げられて良かった。


その後色々あったが、今日の締め切りだった「沖縄レポート」と執行委員会議案書の郵送も今日一日で完了。これは凄いことで、しかもこれから国会行動で2人と約束していただけに、早めに終えて久しぶりの書き込みが出来ているのだから。国会行動が終わって心置きなく呑めるというもの。
ということで、感謝、感謝!

ただ明日は、マイクロバスで群馬の戦争遺跡をめぐるツアーの運転手。朝5時起で家を出る為に軽く呑むだけにしなければと思っているが、どうなるやら。そして明後日は、午前中、連合の「安倍政権にNO!国会包囲行動」にマイクロバスで参加する。連合の役員たちの非難所らしい。




その沖縄レポートのテーマが「 沖縄戦後70年の節目に」というもので、冒頭の部分だけ以下に。
「今年は色々な意味で節目の年である。思いつくままに言えば、阪神・淡路大震災―オームのサリン事件―沖縄での3人の米海兵隊員による少女レイプ事件などが今から20年前、敗戦50年の節目に起こった。丁度村山談話が自社差政権から出された年だ。30年前には、派遣法・男女雇用機会均等法制定―プラザ合意―JAL123便墜落事件など。後部隔壁破壊が事故原因とされたが、事実は隠蔽されたままその後の価格破壊から雇用破壊、環境破壊となり原発までが破壊された。40年前は、ベトナム戦争終結―日本赤軍のクアラルンプール大使館占拠で「超法規的措置」―沖縄海洋博など。50年前は、日韓基本条約締結―アメリカのベトナム戦争介入。ここまでは私の記憶に今も鮮明に残っている。
しかし、60年前の保守合同・社会党統一の55年体制―砂川事件―核兵器禁止のラッセル・アインシュタイン声明などは、私が小学校の1年生で沖縄那覇から東京品川に転校した時で実際の記憶にはない。そして、今年の沖縄戦から日本敗戦70年だ。この8月15日の敗戦記念日を前にした安倍政権の「談話」が注目されていたが、100年間の日露戦争が冒頭に出てきたり、主語不明の「我々」が長口上を述べていて、この時期に何が言いたいのか不明瞭極まりないと「評価」された。
沖縄ではとりわけ批判が強い。お詫びは「わが国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と歴代内閣による謝罪の経過を紹介しただけで直接的な謝罪は避けた。侵略に関しては「事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、二度と用いてはならない」と客観的表現であり、国際的に問題視されてきた「従軍慰安婦」についても「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた」とだけ。一方で「戦争に関わりのない世代に、謝罪を続ける宿命を背負わせてはならない」と述べ、歴史の継承性を否定する有様。しかし、日本全体では、「評価する」との回答は44・2%、「評価しない」の37・0%を上回り、その関連で内閣支持率は43・2%と、最低だった前回7月の37・7%から5・5ポイント上昇した。それは日本のマスメディアの世論捜査の結果とはいえ情けない限りだ。

8月に入って

8月に入って、猛烈な暑さが続いている。外で作業する組合員のことが心配。今後の就労態勢を6月から9月にかけて抜本的に変えないと健康被害が必然だと思う。
その中で、8月について機関紙の以心伝心に書いた文章。


敗戦後70年8月
◎1日、原水禁世界大会の国際会議が福島で開催され、4日から広島、7日から長崎に移り、被爆70年に核廃絶を誓う。◎その広島被爆の日に第97回全国高校野球大会が開催され、全国47都道府県4021校から勝ち抜いた49代表校が頂点を目指して闘う。◎15日は、天皇が「朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」とポツダム宣言受諾を表明し「爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ」と戦闘行動を止めるよう命じた日。◎敗戦記念日とか終戦記念日とか言われるが、実際は日本の降伏文書の調印式は9月2日、東京湾アメリカ海軍戦艦ミズー艦上において行われた。◎この日に注目を浴びているのが、安倍首相の戦後70年談話。20年前の村山首相談話「植民地支配と侵略」「旧日本軍が関与した従軍慰安婦」への「痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。」を引き継ぐといいながら「未来志向」で行くという。◎国会に法案を出す前にアメリカ議会でこの夏に成立させると確約した「戦争法案」の行成立を狙う安倍首相の空虚な美辞麗句想定される。
◎旧暦のお盆は、20日の七夕にご先祖の霊を迎える準備をして、26日にお迎え28日に見送る。日本、アジア民衆の霊だけでなく、前天皇の霊も安倍首相止まれと命じていると思う。

それから7月26日の国会包囲行動から銀座でのいつものサンシン情宣。国会では、2万人以上の抗議行動だったが、銀座はいつもの参加者が少なくて、三人だけだった。一人が写真を取ってくれたので、映っているのは二人だけ。

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そして、いつもの「沖縄の風」は、

「艦砲の喰えぬくさー」
沖縄戦で家族を失った悲しみを抱えつつ、力強く生きる人々の寂しさを歌った新沖縄民謡。
鉄の暴風と言われた沖縄戦では米軍の艦砲射撃と空爆、地上砲撃の総トン数が約20万トン。
TNT火薬に換算した広島の原爆は1万3千トン、長崎が2万2千トンとの比較でその凄さが分かる。
長男と父を疎開船「対馬丸」の戦禍で、次男と妻を出稼ぎ先の大阪大空襲で亡くした比嘉恒敏が
戦後沖縄に戻って作詞作曲。未だに不発弾2から3千トンが残り、完全処理撤去まで70年、戦後は終わらない状況が続いている。 

これから毎月の4日行動、首相官邸とアメリカ大使館へ。来月で、少女へのレイプ事件から丁度20年になる。悔しい、怒りが込み上げてくる。
ふざけるなバカヤロウ!日米軍事基地撤去まで闘うぞ!


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安倍政権打倒!

前回の書き込みは、今日と同じ土曜日。夕方の高齢組合員の会議の前の時間を利用したものだった。それから早くも二週間がたった。この間、安倍政権が15日に委員会で強行採決、翌16日には本会議で11本もの自衛隊が米軍と一体もしくは代わりに、海外で戦争する為の法律を通過させた。
9月27日まで国会を延長させた挙句の参議院で否決もしくは不成立でも
法律が成立するという段取りだ。
山城博治流儀の「ふざけるな!バカヤロー!絶対許さんぞー!」
という気持ちで、その後17日の午後から21日の午後まで、宮古から沖縄に行ってきた。一年半ぶりに、JALのマイルを使って羽田、那覇間は無料。
宮古島では、親戚周りとアララガマフェスタの関係者と会い、800人もの陸上自衛隊駐留という問題への今後の対応を考えさせられた。既に、住民運動は動き始めているが、市議会では保守容認派が多数を占めている中、遠いとは言え、親戚の先輩が誘致派の代表になっていたのには驚きと呆れ、そしてムーーっという感情が湧いて来た。
沖縄では、どうたっち屋嘉田と叔母の家に宿泊。辺野古の座り込みと20日にはホテルカヌチャベイベイ行われた「戦後70年、辺野古新基地建設反対歌声祭り」に参加した。というのは、アララガマフェスタでズーット司会を担当し、指笛王国の王様でもある垣花さんが司会、糸数慶子さん、稲嶺名護市長と作曲家の池辺晋一郎さんらの鼎談もあるということだった。
屋嘉田の家主の仲西さんも一緒に前日から続く豪雨の中、参加してきた。
その前には、金城実さん、池原さんの地球雑貨にもいくことが出来たし、神人の我喜屋さんや広田さんとも久しぶりに話し込むことが出来た。
ということで、その後帰ってからも相変わらずの忙しさが続いている。
新運転塾の集まりの時間と成ったので、中断。一回終了。

あっと驚いて7月

怒涛の5月と書き込んだのが先月の9日だったのかと、驚くばかり。
その後は、我ながらよくも続くものだと思うほど超多忙の連続に毎晩のお酒と懇親。先日、電車の中に忘れたリックが戻っていないので、手帳を見ながら諸行動の連続を書き込めないが、先月に引き続いて6月21日から24日まで帰沖。今回は、新運転の役員4名と連合平和行動や労働局、琉球新報、連合沖縄の会長などに挨拶と労供労組の説明。その上に、初めて沖縄を訪れる役員もいたので、辺野古、嘉数台地から普天間基地、カデナ基地、そして南部戦跡も案内した。
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帰ってからが更に大変で、27,28日とマイクロバスを運転して福島原発事故関連の視察。そして、30日から7月1日は、組合の関係で山形の銀山温泉で会議と観光。恵まれすぎてご先祖様、組合員様に感謝!感謝!
イメージ 4イメージ 5イメージ 6一方では、小学校時代からの友人が自宅で突然死をしたり、同じ親友が癌との闘病で苦しんでいたりと辛いこともある。
そうした中で、毎月連載させてもらっているコラムと沖縄レポートも何とか締め切りを守って書かせてもらった。

7月の沖縄の風は「屋嘉節」「なちかしや沖縄(うちなー) 戦(いくさば)になやい 世間御万人(しきんうまんちゅ)とぅ 涙流ち」と沖縄が戦場になったことを嘆き悲しんだり、命からがら戦場を逃げ回った体験が歌われる。沖縄戦末期、米軍が東海岸金武町の屋嘉に設置した最大の捕虜収容所で沖縄住民の捕虜たちは、空き缶やあり合わせの木材、パラシュートの紐を弦としてカンカラ三線を作り「屋嘉節」が生まれて広まった。住民が避難していた間に米軍が勝手に造ったのが世界一危険な普天間飛行場。」


そして、沖縄レポートは

「沖縄から平和の希望を」の締めくくりは「今回のレポートの締めくくりの希望は、冒頭に記した6月23日、慰霊の日に4月末から悪性リンパ腫治療のため抗議行動の現場を離れている沖縄平和運動センターの山城議長が魂魄の塔前で行われた集会に参加し、糸数議員と笑顔の写真を送ってくれたことだ。そして翌24日、辺野古の米軍キャンプ・シュワブ前を訪れ、「夏以降、政府が埋め立てを強行する。それまでに元気になって戻る。必ず基地建設を止めよう」と呼び掛けた。山城さんはシュワブのゲート前で警備に当たる警察官にも挨拶。警察官の一人は「(元気そうで)うれしいよね。難しいね」とつぶやいたと地元紙が報道した。山城さんが療養している間も、辺野古テント、大浦湾、そしてキャンプ・シュワブ前の現場の闘いは意気軒昂、ひまわりの及川監督の詩の表現そのままに続いてきたし、今後もあらゆる手段を使って進基地建設を阻止するという翁長知事を先頭に世界中を味方にして勝利するという大きな希望に向かって共に進んで行きたい。」とした。

8日に書き終えてその夜送ったのだが、実は冒頭に書いたように普段持ち歩いているリュックを6日の夜、何処かに置き忘れてしまったのだ。これまで何回もあり、その都度京成電車の忘れ物係りにお世話になってきたのが、今回はその夜も翌日も京成に無いという事で、最初に乗った千代田線、その先の常磐線、そして小田急線まで問い合わせたがないということで、最後は警視庁の遺失物係。これもダメといったところで、昨晩自宅に京成忘れ物センターからリュックの連絡が封書で来たという顛末。それなら何故二日目も無かったのかよ、と文句の一言も言いたくなるがという感じで、これからとりにいくところ。
最後に、昨日の連続行動を書き込んでおく。
まずは、朝の交番、千代田線からの乗換駅、町屋の駅前交番に遺失物届け。それから神奈川労働局、職業安定課、需給調整課の担当者に申入れ書(前夜に急遽作ったもの)をもって名ばかり労働組合の告発。調査することの確認を取って約一時間後、初めて湘南何とか線で横浜から池袋、そこから西部池袋線で清瀬へ。復十字病院に結核治療で入院している委員長に見舞金と機関紙、申入れ書を手渡して意見交換。その時のマスクが今まで使ったことのないもので、結核菌をシャッタアウトする為にきつくなっていて話しずらかった。
そこに約一時間。それから池袋に戻り、JRで王子駅へ。法務局の出張所で定款変更の訂正を終えて事務所に戻る駅前で、桃6個500円と書いて座っている年配の女性がいたので、事務所にお土産と想い声をかけたところ。500円は、小さいサイズで並んでいる大きなものは本来2個600円するものを今日限り6個千円というので、12個買った。
そこに別の女性が買いに来て同じ事を言われていたので、大きいサイズ6個千円といった方が売れるよ、と余計なアドバイスをして戻った。事務所の皆に喜んでもらったが、イメージ 7


彼女が一個オマケにくれたものを食べてみたら、瑞々しく美味しい桃だった。
これは、昨日いなかった職員の分で机においてあったもの。今日の午後来るので、喜んでもらうことになる。




 



高麗神社.野遊会

5月10日、5,6年ぶりに埼玉県の高麗神社周辺での野遊会に参加した。晴天の下、有名な巾着田周辺も散策しながら神社に着いたのがお昼頃。
何かにつけて天気に恵まれる私。ご先祖様や守護神に感謝、感謝、スマイル、スマイルで深呼吸。
バーベキュウの間には、横須賀から大勢つれて参加した幸地さんと一緒に沖縄を帰せ・安里屋ユンタ・チョンチョンキジムナーをサンシン演奏と楽しい一日で終わらずに、午後6時から松戸で行われたお通夜に参加。47年間連れ添って活動も一緒だったという理想的なご夫婦のお連れ合いが突然亡くなったという悲しい場に、お酒が進んでしまった。
昼のお酒とダブって、気がついたら電車の往復運動を繰り返していたらしく、やっとのこと最終便で勝田台に到着した。
イメージ 1イメージ 2イメージ 3イメージ 4今日は、仕事の途中で切り上げて、午後6時45分のジェットスターで帰沖する。
沖縄の平和行進、辺野古新基地建設阻止県民大会、その他、お袋の法事など。
平日から平日の特別割引で5800円で往復してくる。
19日の夕方には、職場に復帰する予定。
その前に、スティグマに連載している沖縄レポート148の一部を書き込んでおく。

沖縄からの平和創造

一、70年前の5月
5月中旬の沖縄は、日本列島より一月ほど早い梅雨の季節を迎える。そして、8月の広島・長崎、そして8・15という流れの日本より一足早く戦争と平和についての深い想いが民衆の心に湧き上ってくる時期でもある。それは沖縄戦の記憶体験が拭いようもなく染み出てくるからだ。


 70年前、島のどこからもエメラルドの豊饒の海が見え、そこを命と生活の拠り所としてきた島人たちにとってその海が覆い尽くす米軍輸送船や戦艦、空母群という生まれて初めてみる戦争の圧倒的な光景とそこから打ち込まれる砲弾の嵐は、まさに鉄の暴風だった。そして、 味方であるはずの日本軍は、満州、南方と同じように沖縄を外地と位置づけ、沖縄の住民を守るためではなく、本土決戦を一日でも引き伸ばすために戦っていた。従って、外地で住民のゲリラやスパイに悩まされた経験から、現地住民=沖縄人に対する防諜策を強化し、現地語を使用するものは処分するという作戦命令までが出され、各地で日本軍による住民虐殺や強制集団死が起こった。


 まさに軍隊は住民を守るものではなく、戦闘作戦を全うするための暴力装置に過ぎなかった。地獄の戦場と米軍の従軍記者に言わしめた沖縄戦を生き延びた住民たちの死者への重い贖罪意識は、記憶の彼方に消えていくどころか、逆に生きてきた年数に応じて精神の多くを占めるのだ。


だからこの時期になると、沖縄の民衆信仰で生き続けている「ユタ」という霊媒師へのお年寄りの相談が増えるし、所謂PTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩み病院や引きこもり生活から抜け出せないお年寄りがいるのだ


 このような沖縄戦の悲劇が、今も人々の心に深い傷として残っているこの時期に、日米両政府、とりわけ安倍政権の暴虐非道な言動に対して、お前がまず地獄に落ちろと叫びたいほどの怒りを覚える。


 







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