今日は11月30日。先週から続く呑みすぎ後遺症で、軽い眩暈が取れないまま起床。
昨晩の新運転塾、組合員仲間との議論が盛り上がると抑えなければいけないはずの42度焼酎のロックが何杯か分からないほど進んでしまい、その時には酔っ払わないのが、後になって遅れて効いてくるようだ。
午前中は、新規加入組合員に対する研修。過去は約1時間ほどのトークだったのが、最近は3,40分ほどで、お後が宜しい状態になっているので、実際助かっている。
途中からは、NHKの将棋の観戦。今日は、羽生名人と森内竜王と言う超豪華版の準決勝だったか。結果は、矢倉戦から羽生の無理攻めを森内が反撃して見事な勝利。
羽生名人に5〜6連敗中だった森内は、全国の将棋ファンが見守るNHK杯戦の勝利はことの他嬉しかったに違いない。
それから午後2時に予定されていた王子駅前公園での集団的自衛権や安倍政権には反対する集会とデモに参加。予定の時間とのずれがあり、時間が短かったので、サンシン演奏二曲を「沖縄を返せ」一曲にした。
この写真は、ステージ代わりのところで、実際の参加者は100人以上いたと思う。と言うのは、いわゆる超党派市民運動ということで、共産党から社民党、新社会その他までの議員が参加した上に地域の労働組合などが結集していたからだ。
衆議員選挙の候補者も、登壇して発言していた。
こうした街頭行動として、私たちが命どう宝ネットワークとして続けているのが、銀座4丁目公園でのサンシン演奏と沖縄の新聞を並べ掲げてチラシを撒くことだ。
9月から始めて、この23日が三回目だったが、その時の公園周辺は、例の年末ジャンボ宝くじを買う人々、群集がものすごい列を並び続けていた前で、いつものように行動した。参加者もだんだんと増えて、今回は、テーゲーサンシンクラブの仲間も一人、一緒に演奏してくれた。
こうした街頭でのサンシン演奏は、沖縄キャンプシュワブでの抗議行動で行われている多様な表現とつながりたいとの想いから始めてきたものだ。実際、シュワブ横のテントでは、正門前や道路での行動を終えた後、参加者がそれぞれアピールをするだけでなく、サンシンに合わせてカチャーシーを踊り、最後にはウイーシャルオーバーカムを合唱してから、テントの片付けを皆で手伝い終えるのだ。
戦後70年近く、長い厳しい闘いを続けてきた沖縄・琉球人の闘いの智恵のさせるもので、厳しければ厳しいほど心と身体にゆとりを持って持続できるような闘いの作法を継承してきたのだと思う。
その点では、国会前の辺野古実行委員会の抗議行動でも、従来型のシュプレヒコールに加えて最近の新しいコールがあったり、サンシンと唄があったりと沖縄流儀の抗議行動になっていて感心した。
この写真は、22日の国会前の行動をとったものだ。土曜の午後にも拘らず、主催者発表で、確か300人近くの仲間が集まったようだ。
その中で、沖縄から安次富さんの発言が中継放送されたが、県知事選挙後一端は強行な工事再開となるかと思われた現地情勢が、衆議員選挙への情勢変化の中で、全ての工事が止まっていることと沖縄防衛局の工事変更手続きの審査承認を仲井真知事が諦めて、翁長県知事の判断に先送りされたと言う勝利の報告があり、全体の拍手で歓迎された。
そして、衆議員選挙についても、去年の12月に裏切った自民党候補者に対して、全ての選挙区で対立候補を統一してぶつけることになったということだった。
沖縄から安倍政権に対するNO!を突きつけてやるのだ、との怒りと希望のメッセージをしっかりと受け止めて、首都圏においても精一杯の努力を注ぐことを誓い合ったいい集会、行動だった。
と言う最近の行動の一方で、組合大会を終えてから3泊4日で沖縄に帰り、辺野古、キャンプシュワブの現地行動はもとより、組合としての労供事業へ向けての働きかけ、前からの仲間達との懇親など短い時間でやりきれなさを抱えながらの滞在だったが、その中で親戚の法事にも参加した。その時に叔母から貴重な写真を貰った。今から73年前ぐらいの写真で、叔母の長男だった宝一叔父が日本軍に入っていたときに、家族全員お写真を取って叔父に送ったものだった。
その中に、当時17,8歳の母が映っていたのだ。去年亡くなった候庄叔父が左端、オジイ、オバー、一人生きてるテル子叔母の後ろに立っているのが母親。
こんな宝物に出会えて本当に幸せだと思った。それだけに沖縄を平和な島にするまで5月15日には帰って来いということで、10年前の5.15に母が突然亡くなったと信じている私だ。
時間切れになった。これから初鹿明博氏の決起集会に参加する。維新会からの出馬となったが、彼のこの間の主張と行動は、私として指示してきたものだ。
明日から師走となり、本格的な選挙戦となる。身体の不調を整える為に、今晩は久しぶりの断酒をする。