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軍隊と軍事基地のない命輝く人々と自然の循環の島々だった琉球諸島を取り戻すために、非武装琉球ネシア連邦への独立を目指す仲間たちのネ

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私の生まれた宮古島で頑張っている「宮古平和運動連絡協議会と平和運動センター宮古島」の声明が出た。 9月4日、19年前の沖縄北部の海兵隊基地所属の米兵三人に当時小学校6年生の女の子がレイプされた日に、
新聞報道によると防衛省統合幕僚監部は1日、沖縄を訓練場所として、3〜6日の日程で、陸海空3自衛隊が参加する離島統合防災訓練を実施すると発表しました。離島防災を目的とした3自衛隊統合の訓練は初めてです。
防衛省によると、訓練は大津波を想定した沖縄主催の防災訓練への自衛隊艦艇や航空機の参加と、伊豆大島でも使われたホーバークラフト型揚陸艇(LCAC)の陸揚げ場所の調査が柱で、防災訓練は宮古、多良間、伊良部の各島、陸揚げ調査は渡名喜、粟国の両島で行い、調査には県庁や村役場の職員が同行するといいます。
防災訓練には、海自輸送艦「しもきた」や陸海空のヘリコプターなどが参加し、洋上の「しもきた」から宮古島にLCACで陸自の要員を輸送したり、ヘリが多良間と宮古の間で被災者を運んだりすることになっています。
 また、下地島空港を駐機場として3〜7日に使用し、3、4両日はCH47ヘリ1機、県の総合訓練がある6日はCH47が4機とUH60ヘリ1機が駐機するということです。 
  日本は環太平洋造山帯に位置する地震大国であり、さらに最近の気象変動により災害が多発する傾向にあり、私たちは普段から防災への備えを怠らないようにすべきです。
しかし、これまでにない陸海空自衛隊と米軍が参加する「防災訓練」は、艦艇や自衛隊機や揚陸艇などが結集し、下地島空港を自衛隊機が使用し、まるで「尖閣」での有事を想定した統合軍事作戦訓練と受け取れるもので、今回、沖縄県しかも主に宮古地区でおこなわれることは重大な意味を持っています。
現安倍政権は、大多数の反対する民意を無視して、「集団的自衛権行使容認の閣議決定」を強行し、戦争する国作りに突き進んでいる中、沖縄県与那国島への自衛隊新基地建設の着工を初め、奄美諸島にもミサイル基地を建設すると通知しており、宮古地区にも先だって6月11日に、防衛副大臣が市長に対して「自衛隊配備計画」の説明に訪れました。
琉球列島全域を自衛隊と米軍で共同使用する軍事要塞化の計画が推し進められている、その最中での「総合防災訓練」であることを忘れてはなりません。
さらに、宮古では「平成26年度沖縄県総合防災訓練実施要綱」に在沖米軍が参加すると明記され、多良間村では米海兵隊が参加すると村民に通知されています。主会場の平良港下崎埠頭への市民の見学を放送や新聞などで呼びかけている一方、主会場付近の海上やトゥリバー海浜公園は立入禁止区域とされています。見学可能な会場では、好印象の「人命救助の訓練」が展開され、それを目くらましに、立入禁止区域では、米軍と自衛隊の軍備が戦闘を想定して戦争訓練が展開されることが予想されます。
このような背景と意図をもった、「防災訓練」という名の軍事訓練・戦争訓練を、私たち市民は決して認めることはできません。また、「防災訓練」への米軍の参加に抗議し、自衛隊と米軍の軍事機能強化のための総合訓練に断固として反対し、住民が主体となった防災訓練の実施を求めます。
 
 
最近、書き込みが出来なくなっている。仕事の忙しさも含めて色々と理由があるが、そのうちの一つが、辺野古で日々起こっている新基地建設を巡る国家権力の暴力に連日連夜といっても過言ではない真っ向からの阻止闘争への感動の一方で自分が殆ど何も出来ていない不甲斐なさが大きい。何もしていない自分が沖縄、辺野古の現実を離れて命どう宝ネットワークとして何かを書く事ができるのかという自戒の念が強かった。そして、その現場を生々しく伝えるフェイスブックの大量の情報に飲み込まれるように見続けることが、日常の仕事の合間を埋める作業となっていて書き込む時間が取れてこなかったのも大きかった。
フェイスブックは、自分の情報すら書き直せない程度の知識しかない一方で、多くの友人知人のすばらしい書き込みが次から次へと繋がってみることが出来きて、「いいね」をクリックし続けたり、よっぽどの時はコメントに書き込んでいる。
そうした流れの中で、「シェア」というのもあることに気がついたが、実際「シェア」という作業をフェイスブック上では出来ないので、自分のブログに転載することで、そのすばらしい写真や文章を広げればいいのかと思い直している。
ということで、この間取り溜めた写真を連続して載せる。最初は、昨日投票が行われた市、村議会議員選挙で、勝利した東恩納琢磨氏たちの勝利の場面で、感動したのは「ジュゴンと海がめ」「竜巻」の二つは、阻止闘争に立ち上がっている人間たちを自然界の神々が支援しているし、今後も頑張れと励ましている証だと思う。その他は、現場で闘い続けている尊敬すべき感動の写真で、もしかしたら著作権云々の話もあるかもしれないが、フェイスブックの「 シェア」の手法でやらしてもらう。
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イメージ 8この左の写真の二人、右が沖縄平和運動センター議長の山城さん。高校生時代から現場闘争を続けている凄い男。
その隣が、確か「標的の村」を造り、今はフリーとなって辺野古・高江の民衆の闘いを映像化している三上さんの息子とか?
その三上さん書いたフェイスブックがすばらしかったので、プリントして友達に配ったり、今度の9日の市川の集会資料とするつもりだ。
この文章と三上さんが取った動画を見て、「標的の村」と同じ感動の涙が溢れてきた。
いつかは分かり合える日がくると信じたい。
〜8月30日、40人のカヌー隊と「海猿」との、壮絶な闘いの跡から
 
8月30日。この日がカヌー隊のXデーになると知らされたのは直前だった。この決戦計画は極秘で、それを証拠に放送局のカメラはひとつも海に出ていなかった。「反対アピール」が目的ならメディアをよぶだろう。彼らは世論に訴えるところにとどまらず、「本気で阻止」を決意しているのだ。
 8月14日に、辺野古崎の周囲は赤いフロートで囲まれてしまった。その中に基地建設の第一歩であるボーリング機材が持ち込まれ、台船が組み上がり、海に穴を開けていく。
 非暴力の抵抗を貫き阻止行動をしたいと、海保との直接対決も厭わずに集まってきたカヌー隊だが、このフロートに阻まれやぐらに近づくことができない。
 2004年・2005年の沖合案の時には、反対する人々が海の中に立てられた4つのやぐら全てによじ登って座り込み、ボーリング機材を稼働させなかった。政府が今回、海保を大量動員し、周辺の漁協も懐柔して、提供水域の形まで変えてなりふり構わず抑え込もうとしているのは、海のやぐらやボーリング機材にしがみついてでも、あきらめずに反対する人々がいること、それを警戒するためである。 
 そして、あれから2週間、カヌー隊はフロートに近づいては海保に拿捕され、行く手を阻まれてやぐらには到達できないまま、効果的な阻止行動ができないでいた。しかし、作戦は密かに進んでいた。
 8月30日、決戦の日。満を持して集まった40人のカヌー隊が、この日一斉に台船を目指し、国が海に浮かべた見苦しい赤い鎖を次々と超えていったのだ。この日の午前10時ごろ、辺野古は西から進んできた黒い雲に覆われ、一時、強い雨と雷に襲われた。海保や、防衛局が雇った漁師の船も一旦、港に戻って待機。灰色にそまった海上から一瞬、船の姿が消えた。
 やがて雨が収まると、辺野古の浜から静かに20隻のカヌーが滑り出した。4隻の船も海域で配置につく。目指すは辺野古浜近くの掘削作業用のやぐら。赤いフロートに二重に囲まれたあのやぐらを占拠し、作業を止めるためだ。異変に気づいた海保のゴムボートが猛スピードで集まってきた。
 あっという間に10隻ほどが海域に結集し、「フロートに近づかないでください!」「それ以上接近したらわかってますね?」と拡声器で叫ぶ。カヌー隊は、淡々と打ち合わせ通りの配置に付く。そして、一斉に赤いフロートを超え始めた。パドルで超えようにも、乗り上げている時間が長いと海猿に確保される。そこはチームごとに打ち合わせたとおり、先に飛び込んでカヌーを引く者、2艇まとめて後ろから押す者、プカプカ浮いて注意をそらす隊員…。 作戦中止を訴える海保の怒号と、抗議船の拡声器で騒然とする中、次々にフロート間際で転覆させられるカヌー。投げ出される隊員、引き上げる海保。それでも、もみ合う一団をすり抜けて、何隻かのカヌーがやぐらに迫って行った。
 しかし、海保のボートに追いつかれ、次々に飛び乗られて撃沈。中に入って行ったメンバーはすべて海保の黒いゴムボートに拘束された。乗り手がいなくなった色とりどりのカヌーが、あっちこっちの海面でひっくり返っていた。壮絶な海上の戦いの跡。市民の無謀な行動に呆然とする海保の姿があった。この40分、私の目の前で展開されていたのは、まぐれもない体当たり戦、だった。海のスキルを鍛え上げてきた海保の海猿たちにしてみれば、結局は捕まり、ゴムボートに拘束される運命とわかっていて、なぜ、カヌーのような弱い存在が次から次へと無駄な抵抗をするのか、理解できないだろう。もはや気の毒にさえなったのか、当初のような手荒な行為を控える人もいた。結論は出ているのに、秩序を乱すだけの集団。手のかかるならず者たちだと、我々を思うのかもしれない。
 でも、船の数も、装備も、練度も完全に負けていて、権力も政治力も、なにも持たない彼らがなぜここまでのことをするのか。もしかしたら少しずつは考え始めてくれたかもしれない。海保の皆さんはきっと、海を愛しているだろう。だから、海を壊したくない気持ちはよくわかってくれるだろう。親しんだこの海の素晴らしさを知っているからこそ、大学生から70代の大先輩まで、年代も生きる世界もバラバラな人たちが、やむにやまれずパドルを手に、厳しい海上工事の現場まで来てしまうのだと。
 それでも、まだ腑に落ちないだろう。
 こんな負け戦に見える戦いを、なぜ彼らが繰り返し挑んでくるのか。そこは沖縄に来て数ヶ月では、わからないかもしれない。全てを失った沖縄戦から70年のできごと。伊江島で土地を守るために戦った阿波根昌鴻さんから、米軍の統治の横暴さに抵抗して投獄された瀬長亀次郎さんから、脈々とこの島で生きるものたちが受け継いできたもの。沖縄が歩んだ道は、負けるとわかっていたって引き下がれないことばかりだった。
 その歴史的な任務を引き継いで今を生きる人たちの覚悟について。圧倒的な力を持ってしても、決して根絶やしにすることはできない信念、希望、明日を変えられると信じる力。そんなことを、できれば海保の皆さんの一人一人と話してみたいと、この日海に出た人や、浜で固唾を飲んで見守っていた人たちは皆思っていたに違いない。この日は結局、誰ひとりやぐらに登ることはできなかった。カヌーと身柄を返してもらい、夕方辺野古の浜に集まったメンバーに、周囲からは惜しみない拍手が送られた。確かに力でねじ伏せられたが、悲壮感はなかった。
 その力を容赦なく行使するのは「国」であり、敵は海上保安庁の職員ではない。本当は、共に海を愛し、守るという理想を語り合える関係でいたいと、壮絶なぶつかり合いの後でも、私たちは思うことができる。
 そうやって、作り上げられた対立の構図に落とし込まれずに、いつかは分かり合えると信じられる力こそが、希望そのものなのかもしれない。
三上智恵監督新作製作のための
製作協力金カンパのお願い
沖縄の基地問題を描く、三上智恵監督新作の製作を来年の2015 年完成を目標に開始します。製作費確保のため、皆様のお力を貸してください。
◎製作協力金10,000円以上、ご協力いただいた方(もしくは団体)は、映画HPにお名前を掲載させていただきます。
◎製作協力金30,000円以上、ご協力いただいた方(もしくは団体)は、映画エンドロール及び、映画HPにお名前を掲載させていただきます。
※掲載を希望されない方はお申し込みの際にお知らせ下さい。
 
 

お盆から敗戦記念日に

今日の敗戦記念日、いつもの千鳥が淵の平和集会をキャンセルしてしまった。
午前中に組合の関係で訴状が届き、その対応に追われたのと沖縄レポートの原稿が終わらなかったからだ。更に、中央本部の新委員長の登記変更手続きの書類作りを完成させるために時間がかかったからだ。しかし、実際に東京湾上のミズーリ号で日本が降伏文書に調印したのは9月2日だった。勿論、ポツダム宣言を受諾した日でもない。受諾は14日で昭和天皇の「玉音放送を録音した日で、翌15日にラジオで流したにすぎない。その後、日本の政治体制が大きく変わった1955年頃から8・15終戦報道が増え、月遅れのお盆も重なり、所謂「内向きの8・15史観」がつくられたという。
とりあえず先月の書き込みから早くも3週間ほどがたったので、先月末に投稿した「沖縄の風」コラムから。
「ユクシ」 
沖縄で日常的に使われる「嘘」の意味で「ほんとー!」「うそー!」「マジー!」という感じの言葉。日本語の「横し物言い」と同じで、語尾にerをつけて「ユクサー」は「嘘つき」となる。4年前の選挙で「できれば国外、最低でも県外」と公約した当時の鳩山首相が破棄した理由の「抑止」力論に「ユクシ!」と怒りが爆発した。そして今、辺野古では新基地建設が強行され、沖縄住民の必死の抵抗が続く。
 
 その8日は旧盆入りでお迎えの日を「ウンケー」。前日の7日には、台風11号が南大東島に暴風雨が吹き荒れている中、ご先祖さまを迎えるに当たり、那覇市の第一牧志公設市場周辺には、お供え物を買い求める人が多かったという。最近になって私が気づいたのは、「月遅れ」の意味で、昔のお盆が7月13日から15日だったのを、明治政府が新暦を採用した結果、7月では当時国民の8割を占めていた農民にとって、農繁期と重なってしまい都合が悪かったから旧暦のままか一ヶ月遅らせて8月13日から15日にしたということ。
 今年は、宮古島の神人と親戚のアドバイスで、母がなくなって10年、兄貴が逝って5年の節目ということで、お盆のウンケーからウークイはそれなりに供物、餅、ウチカビと沖縄ウコーを燃やして感謝、感謝で送った。母や兄貴、ご先祖たちが喜んでくれたと思ったのは、帰り道では雨模様だったのが、ウークイを初めて仏壇のある部屋から縁側に出て庭でウチカビを燃やしている間、真正面の夜空に満月がいてくれて、片付けを終わって、ありがとうって挨拶するのを待っていたように雨雲の中に戻って行った!
 
というお盆を前後して沖縄では、安倍政権の暴力的新基地建設と弾圧体制が大本営マスメディアの世論操作によって強行されている。地元の琉球新報の怒りまくった社説を読んでもらいたい。
国策に抵抗する者は負傷しても、死んでも構わないというのか。県民の生命を差し置いても普天間飛行場の辺野古移設を強行しようとする政府の手法に怒りを覚える。(中略)鉄板の上で激しく転倒すれば、骨折などの重傷を負う恐れがある。打ちどころが悪ければ生命にも関わるかもしれない。それを予期した上で鉄板を設置したのならば、あまりにも残酷だ。(中略)米軍統治下の反戦・反基地運動のさなか、憲兵隊は銃剣を突き付けた。基地のない平和な島を希求する大衆運動に対する威嚇行為だった。その非人道的な行為が普天間の辺野古移設の名の下に再現された。これも安倍内閣の専横の表れだといえる。県内移設を拒む県民世論に支えられた抗議行動を敵視し、市民の生命を奪うような行為は断じて許されない。憲法が保障する「表現の自由」に照らしても「殺人鉄板」を直ちに撤去すべきだ。」と。
 
 

沖縄手帳から

今日は、ここ10数年使っている沖縄手帳の記念日の確認から。まずは、私の生まれた宮古島で1965年、製糖工場の合併に反対する農民騒動が起こった日で、「
1965年7月23日、翌日の株主総会を控えて、反対派は株主総会会場を包囲し座り込みを行った。宮古警察署では大掛かりな警備事案になると予測し、琉球警察本部に救援を要請した。警察本部は特設警ら隊員30人を宮古警察署に派遣した。
株主総会当日、設営準備のため従業員が会場に向かったが、反対派に阻止され殴る蹴るの暴行をうけた。警察は救出に向かったが、警官隊に対しても投石が行われた。警察は宮古製糖の社員を守りつつ宮古警察署に撤退したが、群集は警察署まで追いかけて署の建物に向かって投石を始めた。遂にカービン銃で威嚇発砲を行い、漸く沈静化した。この事件で警察官34人が負傷し、26人が逮捕された。後に指導者の8人も逮捕された。」という宮古人の闘争心の強さが噴出した事件だった。
そして、浜田剛史がJウエルター級世界チャンピョンになった日。
 
 毎月、朝日れすかに書かせてもらっているコラムも、7月は、
集団的自衛権を閣議決定した同じ閣議で安倍政権は、普天間基地の移設先といわれている辺野古で新基地建設工事の着工を決定し、翌日官報に告示し、進入禁止拡大水域の効力が発生しました。そして、石破幹事長が仲井真知事では、秋の県知事選挙は敗北するということで別の人選に入ったようです。本当に沖縄を焦点に戦争、軍拡への道をひた走ることが明らかになり、今日のNHKの討論番組を見るに付け日本政党の政治力劣化は酷すぎます。
一方、松戸の「標的の村」は大学の友人が午前行った時は、立ち見、当日券無し。私が午後行った時もほぼ満席状態で、メインの夜を考えると1000人を越える市民が高江と普天間基地の闘い、高江の安次富さんと伊佐さん家族の日常生活の豊かさを壊すヘリパッドの建設、オスプレイの配備に涙していました。という前文をかいて、

「チビチリ」
沖縄語でチビはお尻、チリは切るなので言葉の意味では「尻切れ」となる。
この言葉は単独で使われることは少なく、読谷村にある「チビチリガマ」として有名。集落内の湧水が流れ込む所で小川が尻切れる所といった意味とちょうど豚の尻尾のように小さくて狭い洞窟という意味もある。その狭い洞窟で69年前の米軍上陸直後、避難住民139人のうち子供を含む83人が火や毒薬や刃物での強制集団死を強いられた場所。集団的自衛権の行使決定から戦場(いくさば)の再来を危惧する村民が多くなっている。
 
そして、前回の書き込みからアットいう間に20日近くが経った。最近は、兎に角落ち着いて書き込むことが出来ないほど、神がかりを自覚して以降、毎晩毎晩何かが起こってきてかけない状態が続いていた。それも一時の体調不良をものともしない勢いで、主な活動は組合、組合員のとのことだが、沖縄社会大衆党の党員として短期間沖縄に戻ったり、小学校時代の友人たちや供給先事業所の役員たちとの交渉、連合、労供労組協関係の役員との会議、呑み会などがづーーと続いてきた。その中でも、将棋仲間で組合の高齢者の仕事お越しで頑張っていた上山さんが亡くなった事はショックだった。しかし、この19日には偲ぶ会を昔の将棋仲間と忘年会で使っていた「東京温泉 古代の湯」という大衆浴場の部屋を貸しきって、内縁の妻と長男も参加してくれて、将棋を指し、酒を飲み、風呂に入りという上山さんスタイルでじっくりと偲ぶことができて、一区切りがついた。その翌日は、朝から労供労連東京のボーリング大会で、最初はレーンで前のめりになって転んだりしながら、115と124という意外な点数をあげた。その後がまた凄い一日になった。昼食懇親会で相手の委員長と一緒に調子に乗ってビールからハイボールへの飲み進み、終わる頃には頭痛がするほど状態。それでも夕方からの日本一大きな屋形船での懇親会に招待されて参加。翌日が休みだからということもあり、お台場の海風を受けて気分良く二時間ほど。その内不思議なことに、頭痛も消えて飲み食べてお開きまで付き合って船を降り無事帰宅となった。
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こんな日常の一方では、世界で起こっている理不尽な虐殺、それに合わせるかのように沖縄では辺野古の新基地建設が強行されているということへの怒りが募るばかり。
 今年が、第1次世界大戦勃発からちょうど100年にあたり、安倍首相が一月の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)で、日中関係を第1次世界大戦で戦う前の英独関係に例えたことが世界中で大きく報じられた。「当時英独は多くの経済的関係があったにもかかわらず第1次世界大戦に至った」と指摘し、現在の経済関係にも関わらず武力衝突から戦争に至る可能性を否定しなかったのである。
 そしてこの夏、世界は戦争状態にあるといっても過言ではない。一つは実際に戦闘状態にあるパレスティナガザ地域での住民虐殺である、イスラエル軍の軍事作戦が七月八日に始まって以降のガザ側の死者数が500人を超えたという。その中には子供70人が含まれているのだ。イスラエル軍は17日に始めた地上作戦を強化、20日にガザ市東部の住宅地などを大規模攻撃し犠牲者が急増している。
 そして同じ時期、ウクライナ紛争が世界の不安定要素になっている中で、高度約1万メートルの上空を飛行していたマレーシア航空の民間飛行機がミサイル攻撃を受けて墜落、客乗員298人全員が死亡という衝撃的な事件が起こった。一斉に親ロシア派の犯行として、ミサイルを武装勢力に供与したロシア避難が起こっている一方で、丁度国際会議から空路で戻る途中のプーチン大統領の暗殺を狙ったウクライナ軍の誤爆だとの観測も強い。
 また、こうした緊迫した国際情勢の一方で、米韓合同軍事演習の最中に、北朝鮮がミサイルを連発して一触即発の事態が直ぐお隣の朝鮮半島で起こっているのだ。いずれにしても、ロシア、中国、北朝鮮、中東情勢を一連の戦争状態と見るべきなのだ。
 

 
 

宮古ゆるさと祭り

先月の書き込みからアットいう間に一ヶ月がたった。この間、組合活動では中央大会、労供労連総会、労働法制がらみと集団的自衛権を巡る通常国会終盤の連続行動、執行委員会から約半年振りの評議員会、事故防関係の一泊行動などに加えて、6月6日から9日までの沖縄での合宿、21,22日の福島へのマイクロバスを運転しての調査活動、スティグマや沖縄御万人の原稿も何とか義理を果たしたなど、朝から晩まで良くぞ今日まで連続で生かせて頂いたと感謝、感謝、スマイル、スマイル!それも夜は、殆ど呑み会プラス帰途から自宅でのアルコールとの付き合いが途切れることなく続いた。
余分な時間というかゆとりのない充実した生活が続いた結果、気がついたら丸々一月間書き込みできなかった状態になっていた。
もう一月前になるが、沖縄での学習会の写真。恩納村の大規模ホテル開発地、辺野古、高江、東村の宿舎など。
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イメージ 4そして、この4日行動。224回目となり、金曜日だったことと集団的自衛権の閣議決定直後ということで、最近にない警備体制、しかも米国の2百何十回目の独立記念日。
久しぶりに信号を渡った所で阻止線が張られていたが、毎月4日行動ということで、官邸の警備から連絡があり官邸前に行き、脱原発の腹の底に響く太鼓の音を聴きながら待つこと暫し。二回目の若い職員が来たので、5月15日の集団的自衛権行使の宣言と7月1日の閣議決定のの後で、沖縄辺野古の進入禁止区域の拡大と工事の着工を決めたことの意味を教えてあげた。写真は、官邸前に咲いていたハイビスカス。
イメージ 5イメージ 6イメージ 7その後のアメリカ大使館は、相変わらずではなく先月は気づかなかったが、左の看板を4月から信号脇においてあるのだそうだ。大使館前は、メッチャ大規模開発が進んでいて歩道が狭くなり、巨大開発の原資が世界中から赤坂に集まってきているという不気味さを感じた。
それから昨日の土曜日には、先日亡くなった組合員の遺品整理で40年ぶりに警察の取調室に入った。遺品の一つに刃渡り40センチ位の本物の刀があったからで、刀商では許可証がないと扱わないということで仕方なく僕が持って行って書類を書いて引き取らしてきた! 悔しいけれど書類を書く時アルチュウ症状に似て若干字が震えてしまった。40年前は、そのまま逮捕、起訴されて3ヶ月拘置所にいた。沖縄女性の解雇撤回争議での不当弾圧で、僕を含めた五人の沖縄青年とヤマトゥが二人弾圧された。ということで、昔のことを思い出したりして結構疲れて事務所に戻ってきた!
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そして今日、上野水上音楽堂で「第40回宮古ふるさと祭り」が開かれ、来間島のこども達写真プロジェクトのサポーターとして、案内葉書の配布と協力カンパCD販売に行ってきた。午後1時前に行った時には、既に泡盛のオトーリをしているグループがいたり、会場はかなりの祭りムードだった。自分の役目として800枚贈られてきた写真展の葉書を兎に角会場の全員に配り、受付でも手渡すように依頼して,CDの販売態勢を作ったが、残念ながら売れ行きはいまひとつ。その一方、開演後の盛り上がりは、さすが宮古パワー。
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