うひゃー!

 gooメールが来年から有料になるということでどうしたものかと思っていたら、ヤフーから「gooが有料になります。どうぞ私どもへ」という勧誘が届き、元来、ドコモのgooより、ネット性能はヤフーの方がはるかに上と思っていたので、変更手続きをとったが、アドレスの読み込みがうまくいかない。 

 手続き説明通りに「pop」のアカウントを入力したりしたのだけれど、最後の「アドレスのインポート」の段階で手続きが元に戻ってしまう。 

 実は、ヤフーにメールアカウントをつくる前に、googleのメール、いわゆる「gmail」にアカウントを作ったのだけれど、これも gooメールが来年から有料になるということで、どうしたものかと思っていたら、ヤフーから「どうぞ私どもへ」という勧誘メールが届き、元来、ネット性能はドコモのgooよりヤフーの方がはるかに上と思っていたので、変更手続きをとったが、アドレスの読み込みがうまくいかない。 

 手続き説明通りに「popなんたら」のアカウントを入力したりしたのだけれど、最後の「アドレスのインポート」の段階で手続きが元に戻ってしまう。 

 実は、ヤフーにメールアカウントをつくる前に、googleのメール、いわゆるgmailにアカウントを作ったのだけれど、これも「アドレスのインポート」がうまくいかなかった。 

 というか、「アドレス帳のインポート」の設定画面見つからないので、ヤフーに鞍替えしたのだったが、gmailの私のアドレス、ushiodabun@gimail.comのアドレス帳らしき項目をチェックしたら、以前のgooのアドレス帳がすでにセットされていた。 

 ウヒャー! 

 以前使っていたgooのメールアドレスを、gmail設定の際に入力した時点で、すでにアドレス帳がインポートされていたらしく、それで「設定画面」がなかったようだ。 

 ネットソフトとしての、ドコモ<ヤフー<googleの実力差は想像以上のものがあった。 

 というか、ドコモは、メールソフトを有料化すると決めた時点で(月300円とかそれくらいの額だけれど、一年だったら5000円近くになる)、メール事業から撤退すると決めていたのではないか?とすら思えてくる。 

 googleやfacebookの、誕生日を知らせたり、「お友達ではありませんか?」の諸サービスは、誕生日を祝ってもらったことが生涯一度もなく、なおかつ友達の少ない私には、馴染めないところが多々あるし、特にフェイスブックの使い方は多岐に渡りすぎて全然使えていない。

 そういう意味では、日本のミクシーがSNSサービスでは一番違和感なく使えるように思うのだけれど、それは言い方を変えればミクシーが「十年一日のごとし」であるとも言えるわけで。 

 「これは!」と思えるようなサービスを工夫する余地はミクシーには充分あると思うのだけれど、それよりgoogleの日本人スタッフに頑張ってもらうのが一番手っ取り早いのかな、正直な話。

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 オリエント急行を真似た「七つ星」とかいう七〇数万円の特別列車が大人気らしいが、ブルジョア階級のいない日本で、誰が乗るのか? 

 フローベールの「感情教育」に七月革命だかで王宮を乗っ取った労働者たちが、玉座に座って、はしゃいでいるところを「なんと恥ずかしいこと」という意味合いの台詞をフローベールは書いているけれど、あれは自分が労働者階級であることを自覚して、王侯貴族を気取っているのだから、理屈は通っている。 

 日本の場合は、「真似だけ」が存在しているという恥ずかしさ。 

 誰だか知らないが、イギリスの生活経験のある女性が日本でイギリス風ティータイムの作法を教える教室を開き、また本も出しているそうだが、その女性がモーニング番組に出てきて、これをしてはいけない、あれもいけないと教えを説いていたが、面白かったのは、パーティーに招かれて、着席を勧められると、日本人の場合は、上席を辞退するために、すぐには座らないが、イギリスのティーパーティーの主宰者は、客が何処に座るべきか、最初から計算しているので、すすめられた席に座らなければ、自分の「位置=階級」に異を唱えていることになり、大問題になるので、すすめられた席に、必ず、黙って座らなければならないと言っていた。 

 もちろん、お客に招かれるのだから、「階級」は全員、中流以上ということになるけれど、その中でも「差異」はあるのだろう。 

 オリエント急行もまた、そういう中流以上の階級を前提にした列車なのだから、その「かたち」だけを真似た「ななつ星」は、究極の「箱もの」列車と言えるだろう。 

んと恥ずかしいことか。 

 「お座敷列車」の方がよっぽどいい。

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やっとできた

 クライマックスシリーズをやっているそうで、テレビで見ようと思ったが、どこもやってなくて、じゃあ、ラジオでと思ったが、ラジオもやっていない。

 クライマックスシリーズは、事故が何かが起きて開催中止になったのかと思ったくらいだが、ニュースを見たら、広島、西武がそれぞれ勝っていた。

 多分BSかなにかでやっていたのだろうが、前から書いているように、私はプロ野球の試合に興味があるわけではなく(いや、「ない」ことはないが)、プロ野球が世間においてどのように存在しているのか、その存在の仕方に興味があるので、そのためにはファン向けのBSではなく、一般世間向けの本放送でなければならないのだ。

 では、本放送でまったく中継をしていないということは、プロ野球は世間においてその程度のものとしかないものして扱われているのかというと、試合結果については大騒ぎで報じているし、プロ野球選手はスター扱いだ。

 こんなアホなテレビマスコミのあり方を見るためにテレビを見ている……ようなものだ。

 「写真私史―風に吹かれて」の追い込みをしていたため、書き込みの間隔が空いてしまったが、なんとか、今度こそは、ほぼ完成した。

 ソンタグは、20回は書き直したらしいが(下書き段階を数に入れたら100回くらいになるはずだ)、私も、手間だけはソンタグ並みにかけたつもり。

 これからまた別の意味で手間がかかるのだが、ともかく、乞うご期待ということで。

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恥を知れ!

 安倍が「雇用特区」計画を進めようとしているそうで、マスコミは猛反対のようだが、私は賛成だ。

 こうでもしないと、「労働者意識」は育たない。

 NHKは、仕事はっけん伝とかで、六角なんとかに、CD屋の店員をやらせて業績アップの責任をもたせていたが、労働者に自己が所属する企業の業績の責任なんかは一切ない。

 それを入社早々の新入社員に強いることこそ、ブラック企業の常套手段だということにNHKはなぜ気づかないのか。

 「雇用者特区」だったら、最初から「正社員」にならないと約束して就職する。

 ということは、企業の業績とは関係なく働くということで、精神的に自由になれる。

 一方、ホワイトカラーなんとかという、ホワイトカラーは基本的に残業代なしで働く制度を導入するそうで、NHKの解説員は「ブラック企業になる」とか言っていたが、最初から責任を負うことを明白にするのだから、それはあたらないだろう。

 もちろん、責任と言っても「無限責任」ではない。

 株式会社が本来そうであるように、事業の責任を取るのは「株主」なんだから。

 その株主だって、投資した額を失うので、出た損失をすべて返済しなければならない、「無限責任」ではない。

 「責任」をどこまで負うべきかという問題で、最近売れっ子のお笑い芸人…だれだっけ、又吉なんとかだっけ…が経済の仕組みを学ぶという、Eテレの「オイコノミア」で「リコースローン」と「ノンリコースローン」の仕組みを解説していた。

 「月光」では10年以上前に取り上げているのだが、リコースローンというのは、主に住宅ローンの仕組みで、借金の返済が滞った場合でも、借り主が残額を支払う義務を背負う制度のことで、ノンリコースローンは、借り主は担保としていた住宅を銀行に戻せば、ローンの残額は銀行が支払う制度だ。 

 日本では住宅ローンはすべてリコースローンだが、ノンリコースローンが存在しないので、その事実を借り手自身が知らない。

 橋本治もそうで、彼は人気作家でローン滞納することなく支払ったようで、リコースローンの事実を知る機会がなかったみたいだが、もしローン返済ができなかったら、住宅の担保価値と残額の差がたとえば1000万円あったら、それは担保を失っても、なお1000万円払わなければならないことを知らなかったみたいだった。

 そりゃあ、普通、担保として自分の住宅を提供しているのだから、それを銀行に取られてなお借金が残るなんて考えないだろうが、現実はそうなのだ。

 アメリカのノンリコースローンは、担保物件を提供したらそれで借り主の責任は終わり、後は融資した銀行の自己責任だ。

 それで、2000年初頭に、低所得者向けの無軌道な住宅融資が原因でリーマンショックが起きたわけで、オイコノミアの解説員は日本のリコースローンが銀行保護の政策である一方、銀行に貸し手責任を取らせるアメリカのノンリコースローンにも問題があるみたいなことを言っていたが、じゃあ、リコースローンで銀行を保護していたにも関わらず、日本の住宅バブルが惨憺たる結果に終わり、のみならず、その余波が今も続いていることをどう説明するのだ!と腹立たしかった。

  大体、アメリカには「公共住宅」が少ないみたいで、そのために、低所得者向けの住宅ローンを開発して、失敗したようだが、日本も、60年代後半以降、「持ち家政策」が本格化して、低所得者向け住宅の建設はおこなわれなかった。

 結局すべての元凶は「持ち家政策」にあるのだと思う。

 それが日本人のエゴを異常に肥大させた。

 小熊英二の「民主と愛国」を読んで一番びっくりしたことは、日米安保条約の対象に沖縄を含むか否かが問題になり、社会党が「アメリカの郡値基地が集中している沖縄を安保の対象にすると日本本土が戦争に巻き込まれる危険性がある」と言って猛反対して、結局沖縄は安保の対象外になったのだそうだ。

 沖縄が「安保」の対象になったのが沖縄の本土復帰時のようだが、そもそも沖縄に基地が集中したのは、地勢的な問題もあるだろうが、アメリカが日本国内の反基地闘争に手を焼き、自分が施政権を持つ沖縄の基地を拡大させたのであって、それでなお、沖縄切り捨てに走った社会党、マスコミの鉄面皮なエゴイスティックな行動は「犯罪」に等しく、許しがたい。

 60年の安保反対闘争に沖縄から参加した学生は少なからずいたが、彼らは「沖縄切り捨て」に等しい「沖縄への安保適用反対」運動を、自分とデモの隊列を組んでいた仲間から聞かされ「仰天した」らしいが、仲間たちは沖縄人の困惑が理解できず、「はぁ?」といった顔をしていたらしい。

 今の沖縄の「反日」は、小熊ははっきりと書いていなかったが、ここに起因すると言ってもいいのだろう。 それが今また、集団安全保障問題で、「戦争に巻き込まれるから反対」を叫んでいる連中は、本当に「恥を知れ」と言いたい。

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「へだてなさ」再考

 BBCの番組、生まれてから七年ごとにインタビューして、人生の変遷を探るという興味深い番組の「日本編」が先週の金曜日、9月20日に放映された。 

 田舎の農家の息子と、どこかのサラリーマンの娘と、あともう一人いたような気がするが、農家の息子は、親の手伝いなどを子供の頃からやっていたが、農家を継ぐことはせず、地元にできた建材工場に契約社員、要するにアルバイトで入社し、現在28歳、正社員になったものの、親の家から工場に通っている。 

 なぜ、農家を継がなかったのかという質問には黙っていたが、多分曰く言い難い不満があるのだろう。

 農家の息子については、これくらいで、次の「サラリーマンの娘」は、子供の頃から結構美人だが、志望の大学への入試に失敗し、女子短大に入った。 

 短大卒業の頃には、子供の頃から「美人」ぽかったが、期待以上の大人っぽい美人になり(私見)、日本航空のスチュワーデスになった。 

 入試に失敗したからと単純息めつけることはできないが、正直言って、容姿で選ばれたといっていいのではないかと想像できるわけだが、彼女はすっかり有頂天で喜んだ。 

 ところが数年後、彼女は運動中に転ぶかなにかして、大怪我を負い、数ヶ月間、休職することになった。 

 ちょうど同じ頃、日本航空が破綻した。 

 「どうなるのだろう」と心配したが、政府の支援のおかげで彼女は失業を免れた。 

 しかし、父親は、娘を激しく叱責した。 

 「怪我をしたということは、理由はなんであれ、社会人としての自覚がなかったからで、そんな社員を雇っている会社だから、経営も破綻するのだ」と言って、父親はその後数ヶ月、口もきいてくれなかった。 

 「でも、今、考えると、父親の言う通りで、私は、会社と一緒に生まれ変わった気持ちでがんばっています」 というのが、彼女の「28歳の現在」の感想である。 

 なんて嫌みな父親なのだろうと思ったが、番組のロールエンドを見ると、プロデューサーは外国人(英国人?)で、その一人以外、スタッフは全員日本人だった。 

 そうだろうなと思った。 

 日本人は昔から、外国人には本当のことを言うが、日本人同士では決して本当のことを言わないことで知られている。 

 バーガミニの「天皇の陰謀」の後書きには、天皇の子供時代の「学友」が裕仁天皇のことを「好戦的なガキだったよ」と自分に言っていたことをひき、「日本人は外国人には本当のことを言う」のだと、書いている。

 少年が「好戦的」なことは古今東西、すべての文化がそうなので、裕仁天皇がとりわけ「好戦的」で、スイスのバーデンバーで当時の陸軍中枢と「世界支配」の陰謀を企んだというバーガミニのストーリーは歴史学として受け入れられなかったが、「日本人は外国人には本当のことを言う」というバーガミニの言葉はまさにその通りで(バーガミニは聖路加病院を設計した外国人建築家の息子で、日本育ち)、だとしたら「28歳の私」(件の番組はそんなタイトルだった)の製作者、インタビュアーは外国人でなければならなかった。 

 外国人だったら、スチュワーデスも「本当のこと」、つまり「不満」をしゃべっただろう。

 日本人がインタビュアーでも、例えば「あなたの好きなマンガはなんですか」と聞いて彼女が「アラベスク」と言ったら、「あなたは耐える女の子だったのか」とか、話を展開できる。

 まあ、それはもし私だったらということで、本題に戻ると、「本当のことは言わない」は「嘘をつく」に等しいが、「本当のことを言っていない」ことをお互いに承知している日本人同士は「嘘をついている」自覚がなく、むしろ、「偽善的」な態度として現れる。

 その典型が「お父さんに感謝している」という言葉だ。 

 北朝鮮の拉致問題なんかもその典型の一つで、事件発覚当時、故中島梓が言った通り、強制拉致が犯罪行為であることは事実に違いないにしても、拉致されてから20年、30年、あるいは40年を経ている以上、北朝鮮人とみなすのが「世界の常識」なのだが、「めぐみちゃんは今も、お母さんに会いたいと言って、今日も泣いているんです」という訴えが、みんな本心では「はてな?」と思っても、「どうせ本心で言っているのではない」で、欺瞞的な合意が成立してしまう。 

 いや、母親が16歳で行方不明になってしまった娘のことを「今も泣きながら家に帰りたいと思っているにちがいない」と思うのは、仕方ないか知れないが、今現在の諸般の情勢を鑑みれば「娘さんは娘さんの人生を歩んでいます」と言って諭すのが周囲のあるべき姿ではないか。 

 「あきらめろ」と言っているのではない。 

 問題を解決したいのなら、めぐみちゃんの(生きているとして)あり得る可能性を想定し、極端には、毎日日本のお母さんのことを思って泣いている可能性、冷徹に考えれば(死んでいる可能性が高いと思うけれど)、すっかり北朝鮮の社会にとけ込んでいる可能性を考慮し、その上で、日本に残された家族の「満足」させるにはどうしたらよいかを考えるべきだろう。 

 日本人同士の間の暗黙の了解で成立している事柄を外に向かっていくら喧伝しても、問題が解決するはずがないのだ。 

 ニュースで、16歳の少女の白骨死体が発見され、母親が虐待して死なせた可能性が高いという。 

 今回は、死なせた娘を溺愛していたという証言もあって、ちょっと普通と異なるような印象もあるが、家庭相談所(なんというのか知らないのだ)の係員が家を訪ねると玄関から追い返され云々と、玄関を挟んだ「家と社会」の対立の構図は相変わらずで、今のままでは「拉致問題」と同じで、問題は解決しない。 

 いったいここ20年、いや30年近く、問題はすべて解決されないままなのだが、「家の外に出るとみんな敵」という、封建制度以来の日本の「家」のあり方を根本的に変えるしかないだろう。 

 今、NHKに園子温が出ていて、「園監督の敵は何ですか?」と聞かれて一瞬戸惑っていたが、「日本の曖昧模糊とした霧みたいなもの」と答えていた。 

 まあ、そういうことだけれど、その「霧」の正体は、私が思うに、「お互いに本当のことを言わないことをお互いに知っていること」、そのことではないかと思う。 

 そしてそれが必要だったのは、和辻哲郎が言う「へだてなさ」において互いをへだてる日本の家の構造に起因する。曰く、 

 『襖障子が「へだて」として役立つのは、それが閉ざされているということによって表示されている「へだて」の意志が、他の人によって常に尊重されているいう相互の信頼に基づくのである。…鍵をもって護るというような意味の個人は「家」の中では解消する。かかる「へだてなさ」を内に包みつつ、外の世界に対しては鍵のあらゆる変形をもって対抗するのが日本の「家」である。』 

 16歳の娘を殺しながら、社会を絶対に「家の中」に入らせなかった母親は、自分の行為の「犯罪性」を曖昧模糊とした霧の中で見失ってしまったのだ。 
  
 話がすっかりそれてしまったけれど、Eテレの日本版「28歳になりました」が全く内実を伴わなかったのは、日航のスチュワーデスの言葉に内実がなかったからではなく、彼女自身が「曖昧模糊とした霧」の中にいることを暴けなかった制作者の問題なのだ。 

 言い換えれば、彼女が「曖昧模糊とした霧」の中にいて、満足しているようだが、実は満足なんかしていないことを暴くことが大切なのだ。 

 それはソクラテスがしたことで、それでソクラテスは為政者に殺されてしまったわけだが、為政者が殺さざるを得なかったくらい、大切で本質的なことなのだ。

 長く書くつもりはなかったのに、また長くなってしまった。 

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