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憲法改正問題がいろいろやかましいが、現行憲法がかなり異常な状態でつくられたことは事実。
というのも戦後、明治憲法の改正をマッカーサーに指示された日本政府が、松本試案という憲法改正案をつくったが、毎日新聞がそれをスクープし、それを新聞で読んだマッカーサーが「これではだめだ」と激怒し、自分たちでやると言って、2ヶ月くらいでつくったのが現行憲法だ。
マッカーサーがなんで激怒したかと言うと、極東委員会という、ソ連やイギリス、フランス、そして中国を含む新しい占領組織が日本にやってくることになっていて、マッカーサーはそれに権限が失われることを恐れ、極東委員会が来日する前に憲法改正を実現したかったらしい。
ちなみにマッカーサーが廃案にしたその試案の責任者は宮澤俊義という著名な憲法学者で、スクープされたのはその宮澤案ではないらしいのだが、ともかく、宮澤はこの件があって後、日本人が制作ににかかわらない憲法を日本国憲法としてオシイタダクことになったことについて、法理論的に説明がつかないことから、8月15日に革命があって、その革命権力が新憲法をつくったと解釈することにした。
これを「八月革命説」と言うけれど、よくみると、明治憲法では憲法の改正を発議する資格は天皇にしかなく、天皇の発議なしになんで憲法を改正することができるのかという、きわめて形式的な発想で、つまるところ、自分たちの無力さを皮肉った「解釈」なのだろう。
それが一つの「学説」になってしまっているのは、滑稽だ。
ともかくそんなわけで現行憲法はいったん破棄して、明治憲法に戻り、そのどこがまずかったのかを仔細に検討し、なおかつ現行憲法で取り入れるべき思想があったら、それをどう新憲法に生かすことができるかを考えるべきではないのか。
そうすれば、その過程で歴史認識問題も一から考え直すことができるし。
加藤典明が、現行憲法をいったん廃棄してから再び選び直すという方法もアリではないかと言ったことがあって、それに近いアイデアかもしれないが、本当に反省するのだったら、単なる「選び直し」ではなく、直に歴史に向き合うことによってしかできないように思う。
戦後70年近く、あっちにふらふら、こっちにふらふらしているのも、歴史の連続性を見失っているからだ。きっと。
だったら、敢えて「元に戻る」ことは決して無意味ではないだろう。
要するに、山登りをしていて道に迷ったときは、何時間かかったとしても、くたくたになっても「元に戻る」のが原則なのだ、ということなのだ。
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