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朝日新聞の整理をしていたら、今年の都立高校の入試問題の「問題と解答」が載っていて、それの国語の問題に稲葉真弓さんのエッセイが使われていた。
稲葉真弓さんと言えば、月光で何回か下川コウシさんがらみで登場していただいたので、「出世したなあ」と感慨深く思いながら、その「問題と解答」を読むと、その「問2」が何とも納得が行かなかったので、それを再録する。
稲葉さんのエッセイは、中学三年生のときに祖母のもとを訪れたときの思い出なのだが、おばあさんが、「みいちゃん=稲葉真弓」にこう言う。
「みいちゃんはまだうちの桜餅、食べたことないだろ? 恋の餅だよ」
「恋の餅?」
「うん、おじいさんが私の作る桜餅に惚れてね、そいで結婚したのさ、あたしら」
おばあさんはうれしそうな顔をした。そうか、おじいさんは甘党だったんだ。私は見えないものが少し見えた気がして、おばあさんのしわくちゃな顔を感心して眺めていた。
というのだが、問2は、「私は見えないものが少し見えた気がして、おばあさんのしわくちゃな顔を関して眺めていた。とあるが、「私」が「見えないものが少し見えた気がし」た湧けとしてもっとも適切なものは、次のうちでどれか、というのだ。
ア 桜の花や葉の塩漬けを食べるために待つ時間が大切だというおばあさんの言葉によって、待つことに対する考えが変わったから。
イ うれしそうな面持ちで話すおじいさんとの思い出から、おばあさんの別の一面を知ることができ、おばあさんの別の一面を知ることができてより親しみを感じたから。
ウ 不思議で仕方なかった瓶や壺の中身の使い方を知ることができて、おばあさんに対する謎が少しとけたと思ったから。
エ おじいさんと結婚したきっかけが桜漬けを一緒に作ったことだと聞き、おばあさんにとって桜漬けが思い出の味だとわかったから。
私は、答えは「エ」だと思った。
よく読むと、桜餅を一緒に食べたことは事実でも、「桜漬けを一緒に作った」かどうか、エッセイには全然ないのだけれど、桜餅を喜んで一緒に食べたことで、おじいさんが甘党だったことがわかったとか、何より記述が具体的でいい。
「おじいさんが私の作る桜餅に惚れてね、そいで結婚したのさ」というおばあさんの台詞が、このエッセイで稲葉さんがもっとも言いたかったことに違いない。
「イ」も間違いではないが、ずいぶんあいまいな言い方だし、ここは語られている話の具体性を優先して、「エ」だ。
と思ったところが、正解表を見たら、正解は「イ」だった。
なんで「エ」が間違いなのか?
エッセイにない、「桜漬けを一緒につくった」というのが間違いなのか?
だとしたら、極めて悪質な「ひっかけ」だ。
そう思って、前年の試験問題を見てみたら、「車を運転していたら、海が見えてきたが、そのとき私は、ううう……っと声にならない声を挙げた」とかそんな記述があって、この「ううう……っ」といううめき声が「海(うみ)」という自己表出語になったという、吉本隆明のもっともいい加減な言語論を「正当な言語論」と認めた問題だった。
こりゃー、私はとても都立高校には入れない。
安倍首相問責決議案が可決になったとばっちりで、電力改革、生活保護法改正案がそれぞれ廃案になったそうで、どうせ電力改革にきわめて懐疑的、後ろ向きな電力改革法、自力更生を主眼にする生活保護法案が廃止になったことは、「いいことだ」と思ったら、朝日新聞は「せめてこれくらいはやるべきだったのに、残念」といったニュアンスだった。
「電力改革」「生活保護制度改革」にちゃんとしたビジョンがあれば、「せめてこれくらい」という曖昧な態度とは決別できるはず。
この曖昧な態度は、都立高校の入試問題で言えば「うれしそうな面持ちで話すおじいさんとの思い出から、おばあさんの別の一面を知ることができ、おばあさんの別の一面を知ることができてより親しみを感じた」という八方美人的解答を「正解」にするのと共通する「事なかれ主義」だと思ったのだった。
宮崎学が、橋下徹、「太陽の党との合併を解消し、中央官僚支配打破、地方分権改革の波を、大坂から全国へ」のキャッチフレーズ勇ましい『橋本維新の挑戦とアンシャンレジーム』という著書の宣伝が目に入った。
賛成である。
消費税を地方税にする提案は財務省がもっとも嫌う政策で、だったらもっとも「正しい政策」だ。
もちろん、各地方の貧富は拡大するが、貧しい地方には貧しい地方なりの生き方があるし、其れを特徴にして「貧しいが、○○地方が住むにはいい」となるかもしれない。
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