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原発再稼働の分厚い申請書を電力会社の社長さんが、規制委員会だか、担当官庁だか知らないが、深々とお辞儀をしながら提出するのを見て、日本人の「お上意識」は変わらないのだなあ、とうんざりする。 「うんざり」というか、あの「対等」の意識を欠いた行動は、極めて恥ずかしく、とはいえ、いざ自分があの立場に立ったら、無意識に頭を下げているだろうと思うと、日本人であることをやめるしか、対処方法はないのかと思ってしまう。 あるいは、長友の「お辞儀パフォーマンス」みたいに「形式化」することで、そこに込められた卑屈な心性を無化するか。 その点でいうと、細川元首相の天皇に対する「お辞儀」が、さすが藤原氏直系で、「卑屈」というイメージがなかったので、やっぱり気持ちの持ちようで変わるものなのかもしれない。 ということは、あの電力会社幹部の卑屈きわまりない「お辞儀」は、申請書にまったく自信がないことを表しているのか。 まあ、それはそれとして、マスコミは、「安全性が確保されていない段階での宣誓書提出はいかがなものか」という論調だったが、今求められているものは、「絶対的安全性」ではなく、安全性はいつかどのようなかたちであれ、必ず失われるのだから、その場合の「安全保全策」が求められているはず。 例えば、一回の事故もなく、50年間運転したとして、それは「安全性」が証明されたわけではない。 たまたま50年間無事故だっただけで、安全が破られたときの対処施設等が無駄な投資だったというわけではない。 まあ、これは確率論の話で、難しいのでパスして、元工学部生としては、今の日本の電力会社、特に東電ともんじゅや八戸の処理工場を経営している会社は、安全管理能力認定試験に落第したと判定せざるを得ない。 工学部落第生がそんなことを言っても説得力に欠けるかもしれないが、自主的に自分の能力を見限った落第生だからこそ、「東電に十分な力がない」ことがわかるのだ。 今回書こうと思ったことは、実はこのことではなくて、南海トラフ大地震の予知を研究している元バスの運転手のことをNHKで放送していて、そのことについて。 この人は、南海トラフ地震が昭和20年頃に起きたとき、その4、5時間か、それ以上前に大きく潮が引いたという報告があったことを調べて、それを地震の前兆だとして、自治体に訴えたりしているのだ。 この人はいい人そうだし、また売名的行為でもないこともわかるのだが、今度起こるかもしれない南海トラフ地震の「前兆」は、引き潮現象ではないかもしれない。 この人は、番組途中で、「南海トラフ大地震の予知を事実上あきらめる」旨の政府発表を耳にして、元運転手氏は「残念だ」と言っていたが、南海トラフ地震の危険性を言うことは、南海トラフ地震だけを警戒せよと言っていることに等しくなってしまうし、科学的にはあたり前の決定なのだ。 地震の予知とは、要するに様々な前兆を集めて、予知につなげようということで、バスの運転手氏がやっていることと基本的にまったく変わらない。 だから、政府発表を見た運転手氏が「不満」を言ったことは当然なのだが、科学者たちは、地震の予知はできません、意味がありませんと宗旨を変えたのだ。 実は、かなり確度の高い情報なのだが、3.11の少し前に地震学者の一部から、宮城沖が危ないという発言が学会等で出されていたが、学会(あるいは行政、政府も)は、それを極秘扱いにしているというのだ。 これはわからないでもない。 実際に前兆があったとしても、それが前兆だとわかったのは、地震が起きた後であり、なおかつ、すべての「前兆」がそうなので、うかつに発表したら、誰もが地震予知はできるものと思って、それを前提にしてしまう。 そうすると、予知されない地域は「安全だ」と受け取られてしまう。 とはいえ、数日前に怪しい現象が観察されていたのだとしたら、その時点で発表しても、他の地域を危ない安全意識に誘うことにはならないだろうから発表しても良かったのではないかと思うが…3.11のときはたまたま前兆がわかったが、それが常に「わかる」ようになってはいないので、一般には伏せたということなのか。 う〜ん、確率の話はやはり難しい。
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