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 和辻哲郎の『風土』を読む。

 といっても、読んだのは第三章、モンスーン的風土の特殊形態のうち、「日本の珍しさ」という箇所で、ヨーロッパへ行って、「珍しい」と思ったかと言うと、全然そうは思わなかった。旅行を終えて日本に帰ると「日本」ほど世界的に珍しいものはないと思った、という文章から始まっていて、「お、おもしろそう」と思ったら、予想していた以上におもしろかった。

 しかしあまりにも内容豊富で、まとめることができないのだが、要するに徹底的な近代日本の批判で、では、近代以前の日本を称揚しているかと言うと、そうではなく、明治以後の近代日本の歪みに日本の伝統的なあり方を見て批判するという、まったく救いのない論考なのだ。

 端的に言うと、今、よく言われている「公共性」の話で、日本人がその観念に乏しいことを執拗に論証するのだ。例えば、次の通り。

 『共同(公共性のこと)が「個人」をもって初めてその意義を発揮しうるとすれば、個人が喜んでおのれを没却しつつ、そこに生活の満足を感じるこの小さい世界(日本のこと)においては共同そのものが発達し得なかったのは当然であろう。そこで人々はおのが権利を主張し始めなかったとともに、また公共生活における義務の自覚にも達しなかった。そうしてこの小さい世界(日本の小さな「家」のこと)にふさわしい「思いやり」「控えめ」「いたわり」というごとき繊細な心情を発達させた。それらはただ小さい世界においてのみ通用し、外に対しては力の乏しいものであったが故に、その反面には家を一歩出るとともに仇敵に取り囲まれていると覚悟するような非社交的な心情を伴った』

 東京が諸外国の都市に比べ異常に「広い」ことはよく指摘されることであるけれど、和辻は「日本では、大都会になればなるほど不便なところになる。経済的にも心理的にも非常な浪費をしながらしかも生活はいっこう快適にならない」のは、結局のところ「都会と家との不釣り合い」が原因だと言う。

 この「家」とは、平べったい、靴を脱いで入る家のことであると同時に、制度としての家も視野に入っているが、和辻は主に、具体的な「平べったい、土地に張り付いた」家のあり方を言っている。

 要するに平べったくて、土地に張り付いているために、ヨーロッパのような労働者向けの高層建築が実現しないのは、高層建築をつくる金がないのではなく、「ただ共同的に、また公共的に都市が営まれないから」で、その様相が日本の「家」そのものに現れているという理屈である。

 いちいち「もっともだ」と頷かないわけに行かない指摘ばかりなのだが、驚くのが、これが書かれたのが昭和4年で、今現在、とくに東北大地震、大津波を経た今の「一つになれ」「絆」の連呼の実態をこれ以上ないくらいに正確、かつ詳細に書いていることだ。

 もっとも、『風土』の他の箇所を読むと、案外「日本万歳」的な記述が多く、ここまで徹底的に批判していて「なんで?」と思ったことも事実なのだが。

 この第三章の最後、実に辛辣な左翼批判が書かれていて、また上のように、「日本主義的な記述もあることから、和辻哲郎は現在に至るまで左翼の仇敵扱いをされているようだが、しかし、民主主義(デモクラシー)を是認するなら、基本感覚として、和辻の近代批判を共有することは必要だと思うがなー。
 

閉じる コメント(2)

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それはそうと、写真論集はまだですか。もうとっくに出てて良いはずかと。

2013/7/20(土) 午前 7:23 [ tan*g*chi*miya*i ]

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今、最終段階で…

2013/8/14(水) 午後 2:19 [ 潮田文こと南原四郎こと…… ]


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