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 大田昌秀元沖縄県知事が昨日の「米国が教えてくれた勇気」というタイトルの朝日新聞夕刊の取材記事で、「アメリカに対する思い」を4時間に渡って熱く語ってくれたという。

 「米国は尊敬すべき国だと率直に思う。正しいことを貫く勇気を与えてくれた」と。

 それで、米軍基地の継続使用に関する知事の代理署名を拒否して、国から訴えられたのだがそれも「米国から教えられたこと」だったのだ。

 大田元知事は、普天間基地について、移転したら、そこを自由市場にするとか、那覇空港を成田空港の二倍の規模にすれば、現在、那覇空港で働いている人のン十倍の雇用が生まれるとか、いろいろ言っているみたいだ。

 ただあまり幅広い支持を得ているわけではないらしいが、少なくとも普天間基地の跡地を「公園にする」という現在の案よりいいだろう。

 それはともかく、私は以前から沖縄県民の「怒り」は、事実上日本政府に対する怒りであって、アメリカとはそれなりに上手くやっていけるのではないかと思っていて、だったら「独立」して直接アメリカと交渉すればいいではないかと何度も書いたのだけれど、当てずっぽうも、案外「当たる」と思った。

 大田元知事はこんなふうに言っていた。

 「沖縄の人たちが今怒っているのは、自分たちが手段として扱われてきたと感じているから。その意味で、米国人よりも日本人の方が沖縄をモノ扱いにしているように私には思える」

 言われた朝日新聞記者は「言葉を返すこともできず」呆然としたようだが、私だったら「やっぱり!」でしかなく、「では、沖縄が直接アメリカと交渉するようにしたらどうでしょう。具体的には独立です」と水を向けてみるけどね。

 返事が過激で、今新聞に出せなかったら、とりあえず文字にしなければいいだけで。

 本当のところは「沖縄独立論」にも話が及んでいたのかもしれないが、それはともかく、大田元知事は、「今年は沖縄にとって歴史上最悪の年になりかねないと考えています。県民の怒りはそれほど、充満しているのです」と言ってしめくくっていたが、「県民の怒り」は話の流れから言って、全面的に「日本政府」に向けられたもので、大田昌秀元知事は事実上「沖縄独立論」を言明したようなものだ。

 沖縄は「琉球国」として独立して、日本から援助金を賠償の代わりにしこたまふんだくればいい。

 同じ言葉を話しながら、他国人である人間を相手にするなんて、日本人にとって、なかなか新鮮で発見が多いんじゃないかな。

パックス・ジャポニカ

 お正月も憂鬱だが、お盆時も憂鬱だ。 何故って、戦争を記憶している人がどんどん少なくなるばかりで、もう十数年もしたら、戦争を知る人は皆無となってしまうから、戦争は駄目だ! 怖い! 悲惨だ!ということを事実として語る人がいなくなって、不安だと、本当に「バカか、お前は!」と言わざるを得ない論調がマスコミを支配する一週間、否、今年は安倍のせいか、一月たっぷりそんなことばかり聞かされるので、本当に憂鬱になる。 もうちっと「知的」な話はできないのか? そういうわけで、「原子力文化」という、怪しげなタイトルの雑誌があるのだが、別に東京電力のPR誌ではなく、まあリベラルな雑誌(私は「リベラル」を新自由主義のことと思っているので、反自由主義を指す「リベラル」な人と話を合わせるのが少し苦労するのだが)で、山折哲雄という宗教学者が連載を持っていて、外国産の「平和研究」が日本列島の「パクスヤポニカ」を無視してきた!というタイトルの回がある。 これが結構いろいろなことを考えさせてくれるので、それを少し長くなるが、引用してみる。 仏陀の「不殺生」や、ガンジーの「非暴力」、老荘の「無為」、そして日本列島の「和」の精神などの東洋的な平和思想に対し、戦後の外国産の「平和思想」は次のように東洋的平和思想を批判してきた。 『心の平安世界に閉じこもる内向的で非政治的な処世感覚、生活防衛的で消極的な平和志向、紛争や戦闘状態から退行する受動的な静寂主義、不正義をそのまま放置する事なかれ主義、そして暴力のみならずあらゆる紛争を嫌う「和」の政治文化などなど……。戦争を宇宙の外部に放置しようとする「和」イズムの観念性、それが東洋やアジアのパクスだった。一切のパワーポリティクスを排除する平和の維持、つまりそれは奴隷の平和に他ならないというのが戦後における「平和」研究の背後に流れるウソ偽りのない通底低音だったのではないだろうか』 まさしく私はそのように日本の戦後民主主義を見てきたし、今も見ているし、それが私を抑圧していると思ってきた。 しかし、山折氏は、外国産の見方で、それは日本列島において奇跡的に実現されていた平安時代の350年と、江戸時代の250年の計600年の平和状態の意義を検討することなど皆無だった、今こそ「パックス・ジャポニカ」が何故可能だったのか、研究すべきだと言う。 この山折論文が原子力文化に載ったのは、2010年の8月で、その後、大震災を経て、日本の戦後民主主義を担ってきた勢力は、大震災後の「一つになれ」「絆」の合い言葉に「便乗」して、昔の新左翼が批判した一国平和主義、すなわち「パックス・ジャポニカ」に希望を見ようとしているようである。  では、山折氏は、「パックス・ジャポニカ」とはいかなるものであったのか、どう考えているのかというと、本人にも確たるビジョンはないみたいで、『何より大切なことは、平安時代の350年、江戸時代の250年それ自体の内部に目を凝らしてみるほかはない』と言っている。 それは異存ないが、続けて山折氏は「半ば奇跡のように実現されたパクスジャポニカの背後から国家と宗教の相性が極めて良好だった世界が私には自然に見えてくるのである」と書いていて、これが氏の結論らしいのだが、なんてこった!である。 私は、平安時代の国家と宗教の相性がどんなだったかよくわからないのだが、江戸時代のそれは、「相性が良かった」というのは、宗教学者・山折氏にとって都合のいい関係、抑圧的関係そのものだったのではないか! そもそも山折氏はパクスジャポニカを研究されたことはなかったと書いているけれど、まあ、これは本当かどうかよくわからないのだが、ケネディ時代に、ガルブレイスとか、キッシンジャーとか、そんな錚々たるメンバーを集めて、「戦争のない国家体制」はどうしたら実現できるかというテーマで、日本の徳川時代を俎上に上げて研究したという。 ガルブレイスやキッシンジャーの研究対象が日本の江戸時代だけだったのかはわからないけれど、彼らの出した「答」は、江戸時代の平和は、賤民に対する差別を前提にしていたので、江戸時代に範をとることはできないというものだった。 これは「ガセネタ」のようなものかもしれないが、山折氏が言うように「江戸時代の250年それ自体の内部に目を凝らしてみる」ならば、パックス・ジャポニカは仏教の国教化(檀家制度)による抑圧下の平和体制だと結論せざるを得ないのだ。 
 バクモンという、爆笑問題が、様々な問題に挑むという番組で、「団地」をとりあげていた。

 私が見たのは多分再放送だと思うが、非常に若い、「団地マニア」が紹介役で登場して「団地は当時の人々の憧れの的でした」と言っていた。

 それは確かにその通りであるけれど、このマニアは、肝心のことを見逃している。

 なんで、政府がそれを目指したのかということだ。

 もちろん、それは60年安保以後の池田勇人の「所得倍増計画」、そしてそれに続く「高度成長政策」を押し進めることにあったのだが、なんで「低所得者向け」の団地をつくらなかったのか。

 ここが肝心なのだが、政府は、「低所得者向け住宅」は民間に任せるという政策をとったのだ。

 これが「極めて異常な政策」だったことを、今こそ認識すべきなのだが、爆笑問題にそんな問題意識はないから、ひたすら「懐かしい」「おもしろい」の連発で終始してしまう。

 官僚がなにを考えているかはわかっている。 低所得者向けの集団住宅をつくると、低所得者が集団で暮らすようになり、治安が悪くなると思っているのだ。

 民間のアパートに分散していれば、そんな事態にはならないだろうと。

 しかし、そのかつての「憧れの的」だった団地は高齢化が進み、都市部の限界集落化している。

 それで「バクモン」の次回は、その対策として「中国人の留学生のシェアハウス」が増えていることをとりあげるらしいが、なんで日本人向けの低所得者向け住宅にしないのか。

 池田なんとかという、神戸大学の公的住宅専門家の話では、ちゃんと人の住める住宅を政府の責任で、2万円で供給すれば事態は劇的に変わると言う。

 2万円だったら、給料10万円程度でも多分やっていける。

 今は生活保護を受ける場合、最低家賃が5万7千円くらいなので、都内の低所得者向けアパートも、2万円で充分な程度の部屋なのに、5万7千円で貸しているのだそうだ。

 話が飛ぶが、ウィリアム王子にキョージという赤ん坊ができて、ワイドショーでいろいろやっているが、誰もが思うことは、「それにひきかえ、日本の皇室の行く先は不安だらけだなあ…」だろうが、誰もそれに触れない。

 ちょっと前までは、女系天皇是か非かを話していたはずだが、それはおくびにも出さなくなった。

 要するに日本はみんな仲間で、公的な生活が存在しないということが問題なんだが、一番手っ取り早い方法としては、沖縄が独立して、沖縄人を外人として、でも日本語で話し合うという経験が、「公的経験」がどういうものかを知らしめてくれるのではないかと思う。

 書き忘れてた。

 今日は朝鮮戦争終結60周年だそうだが、たしか福田恆存だったと思うが、朝鮮戦争が勃発して、アメリカ軍が半島の南端まで追いつめられたときでも、日本人がいっこうに危機感をもっていなかったことを「異常に思った」と書いている。

 結局日本人は、最後まで、沖縄を除き、戦争を実感しなかったのだ。

 だから、対岸まで戦火が迫っていたのに、誰も、対岸の火事でしかなかった。

 特攻隊の創始者、大西中将が、自分が特攻隊を組織した目的について、これくらいしないと日本人は現実に目を向けないと言い、最後に、特攻隊でも目が覚めないなら、本土決戦しかないとラジオで演説をした。

 まあ、実際に聞いたわけではないし、聞いた人も、最後は「意味不明」の絶叫で終わってしまったらしいのだが、結局、戦争も自然災害と同じで、そこに主体的経験の意識がなく、したがって、「大東亜戦争は、アジアにいい影響を与えた点もある」と能天気なことを今頃になって言い出す。

 「主体的」なんて、今時はやらない言葉だけれど、戦争を経験したことのない人が「戦争の経験」を自分の問題として意識することが大事なんだろうと思う。
 和辻哲郎の『風土』を読む。

 といっても、読んだのは第三章、モンスーン的風土の特殊形態のうち、「日本の珍しさ」という箇所で、ヨーロッパへ行って、「珍しい」と思ったかと言うと、全然そうは思わなかった。旅行を終えて日本に帰ると「日本」ほど世界的に珍しいものはないと思った、という文章から始まっていて、「お、おもしろそう」と思ったら、予想していた以上におもしろかった。

 しかしあまりにも内容豊富で、まとめることができないのだが、要するに徹底的な近代日本の批判で、では、近代以前の日本を称揚しているかと言うと、そうではなく、明治以後の近代日本の歪みに日本の伝統的なあり方を見て批判するという、まったく救いのない論考なのだ。

 端的に言うと、今、よく言われている「公共性」の話で、日本人がその観念に乏しいことを執拗に論証するのだ。例えば、次の通り。

 『共同(公共性のこと)が「個人」をもって初めてその意義を発揮しうるとすれば、個人が喜んでおのれを没却しつつ、そこに生活の満足を感じるこの小さい世界(日本のこと)においては共同そのものが発達し得なかったのは当然であろう。そこで人々はおのが権利を主張し始めなかったとともに、また公共生活における義務の自覚にも達しなかった。そうしてこの小さい世界(日本の小さな「家」のこと)にふさわしい「思いやり」「控えめ」「いたわり」というごとき繊細な心情を発達させた。それらはただ小さい世界においてのみ通用し、外に対しては力の乏しいものであったが故に、その反面には家を一歩出るとともに仇敵に取り囲まれていると覚悟するような非社交的な心情を伴った』

 東京が諸外国の都市に比べ異常に「広い」ことはよく指摘されることであるけれど、和辻は「日本では、大都会になればなるほど不便なところになる。経済的にも心理的にも非常な浪費をしながらしかも生活はいっこう快適にならない」のは、結局のところ「都会と家との不釣り合い」が原因だと言う。

 この「家」とは、平べったい、靴を脱いで入る家のことであると同時に、制度としての家も視野に入っているが、和辻は主に、具体的な「平べったい、土地に張り付いた」家のあり方を言っている。

 要するに平べったくて、土地に張り付いているために、ヨーロッパのような労働者向けの高層建築が実現しないのは、高層建築をつくる金がないのではなく、「ただ共同的に、また公共的に都市が営まれないから」で、その様相が日本の「家」そのものに現れているという理屈である。

 いちいち「もっともだ」と頷かないわけに行かない指摘ばかりなのだが、驚くのが、これが書かれたのが昭和4年で、今現在、とくに東北大地震、大津波を経た今の「一つになれ」「絆」の連呼の実態をこれ以上ないくらいに正確、かつ詳細に書いていることだ。

 もっとも、『風土』の他の箇所を読むと、案外「日本万歳」的な記述が多く、ここまで徹底的に批判していて「なんで?」と思ったことも事実なのだが。

 この第三章の最後、実に辛辣な左翼批判が書かれていて、また上のように、「日本主義的な記述もあることから、和辻哲郎は現在に至るまで左翼の仇敵扱いをされているようだが、しかし、民主主義(デモクラシー)を是認するなら、基本感覚として、和辻の近代批判を共有することは必要だと思うがなー。
 

お辞儀と確率

 原発再稼働の分厚い申請書を電力会社の社長さんが、規制委員会だか、担当官庁だか知らないが、深々とお辞儀をしながら提出するのを見て、日本人の「お上意識」は変わらないのだなあ、とうんざりする。 「うんざり」というか、あの「対等」の意識を欠いた行動は、極めて恥ずかしく、とはいえ、いざ自分があの立場に立ったら、無意識に頭を下げているだろうと思うと、日本人であることをやめるしか、対処方法はないのかと思ってしまう。 あるいは、長友の「お辞儀パフォーマンス」みたいに「形式化」することで、そこに込められた卑屈な心性を無化するか。 その点でいうと、細川元首相の天皇に対する「お辞儀」が、さすが藤原氏直系で、「卑屈」というイメージがなかったので、やっぱり気持ちの持ちようで変わるものなのかもしれない。 ということは、あの電力会社幹部の卑屈きわまりない「お辞儀」は、申請書にまったく自信がないことを表しているのか。 まあ、それはそれとして、マスコミは、「安全性が確保されていない段階での宣誓書提出はいかがなものか」という論調だったが、今求められているものは、「絶対的安全性」ではなく、安全性はいつかどのようなかたちであれ、必ず失われるのだから、その場合の「安全保全策」が求められているはず。 例えば、一回の事故もなく、50年間運転したとして、それは「安全性」が証明されたわけではない。 たまたま50年間無事故だっただけで、安全が破られたときの対処施設等が無駄な投資だったというわけではない。 まあ、これは確率論の話で、難しいのでパスして、元工学部生としては、今の日本の電力会社、特に東電ともんじゅや八戸の処理工場を経営している会社は、安全管理能力認定試験に落第したと判定せざるを得ない。 工学部落第生がそんなことを言っても説得力に欠けるかもしれないが、自主的に自分の能力を見限った落第生だからこそ、「東電に十分な力がない」ことがわかるのだ。 今回書こうと思ったことは、実はこのことではなくて、南海トラフ大地震の予知を研究している元バスの運転手のことをNHKで放送していて、そのことについて。 この人は、南海トラフ地震が昭和20年頃に起きたとき、その4、5時間か、それ以上前に大きく潮が引いたという報告があったことを調べて、それを地震の前兆だとして、自治体に訴えたりしているのだ。 この人はいい人そうだし、また売名的行為でもないこともわかるのだが、今度起こるかもしれない南海トラフ地震の「前兆」は、引き潮現象ではないかもしれない。 この人は、番組途中で、「南海トラフ大地震の予知を事実上あきらめる」旨の政府発表を耳にして、元運転手氏は「残念だ」と言っていたが、南海トラフ地震の危険性を言うことは、南海トラフ地震だけを警戒せよと言っていることに等しくなってしまうし、科学的にはあたり前の決定なのだ。 地震の予知とは、要するに様々な前兆を集めて、予知につなげようということで、バスの運転手氏がやっていることと基本的にまったく変わらない。 だから、政府発表を見た運転手氏が「不満」を言ったことは当然なのだが、科学者たちは、地震の予知はできません、意味がありませんと宗旨を変えたのだ。 実は、かなり確度の高い情報なのだが、3.11の少し前に地震学者の一部から、宮城沖が危ないという発言が学会等で出されていたが、学会(あるいは行政、政府も)は、それを極秘扱いにしているというのだ。 これはわからないでもない。 実際に前兆があったとしても、それが前兆だとわかったのは、地震が起きた後であり、なおかつ、すべての「前兆」がそうなので、うかつに発表したら、誰もが地震予知はできるものと思って、それを前提にしてしまう。 そうすると、予知されない地域は「安全だ」と受け取られてしまう。 とはいえ、数日前に怪しい現象が観察されていたのだとしたら、その時点で発表しても、他の地域を危ない安全意識に誘うことにはならないだろうから発表しても良かったのではないかと思うが…3.11のときはたまたま前兆がわかったが、それが常に「わかる」ようになってはいないので、一般には伏せたということなのか。 う〜ん、確率の話はやはり難しい。 

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