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 相変わらず「写真私史」のフィニッシュに手間取っておりまして…。

 特にここにきて、西田幾多郎と廣松渉を、現在の「日本万歳」路線問題と絡めて、取り上げようとしたものだから…。

 しかし、西田哲学の「直接経験」は「写真経験」と関係ないわけではないだろうという予測で書いている。

 それはさておき、橋下の従軍慰安婦発言で大騒ぎになっているが、この問題は、「明日はどっちだ」でもさんざん書いている通り、「近代国家がひとしなみにおかした罪」として認め、認めた上で、挑戦、中国、フィリッピン、オランダ等の被害当事者から損害賠償等の申し立てがあったら、個々に対応すればいい。(「基金」なんかはつくらずに。「基金」は官僚の得意技だが、すべて彼らの保身に使われる。)

 そしてその方針は、小泉前首相が、最後の年の年明けあたり(調べたら2005年の4月だった)に、インドネシアのバンドンで、中国、韓国を含む全アジアの首脳の前で、「村山談話」を(「村山」の名前を出しているわけではないが)引き継ぐことを宣言し、その後、ニューヨークでブッシュ大統領と会談、その後の記者会見で、自分の方針が「すべての近代国家が犯した罪」という次元でブッシュの支持を得たことを明らかにしたのだった。

 この方向で「解決」する意外ないし、そういう方向で日本の保守勢力への根回しをしているのだと思ったら、すぐ後で、櫻井良子らがアメリカの新聞に「従軍慰安婦問題は事実に基づいていない」旨の「全面広告」を出した。

 今回、バンドン会議関連でググったら、櫻井のブログが出て、曰く「対中叩頭外交の繰り返し」という非難文が掲載され、一方、左の天木直人のブログでは、「アメリカ従属、アメリカの利益の代弁者である小泉がバンドン会議に出席すること自体茶番」と書かれていた。

 右も左もバカばかり。

 小泉のいいところは、例えば靖国神社に参拝しても「本気でない」「外見だけ」ということが見て取れるところだ。

 大津栄一郎という人の書いた「英語の感覚」という岩波新書の知る人ぞ知る名著があるが、そこに英語理解の肝は、英語は「見えないものを見えるように表現する」ところにあるという。

 この原則は日本語にも通用するものなのだが、日本語では逆の形で表現される。

 つまり、「見えないものはないもの」として表現するのが日本語なのだそうで、日本人だって、小泉純一郎の「靖国参拝」が「外見だけ」であることは一目瞭然なのだけれど、それは見えないものとして、「外見」だけを見ようとするのだ。

 一方、中国は、小泉の参拝が「外見」だけであることを知っていたから、小泉が参拝を「やめる」と言わないまま臨んだバンドン会議で、小泉発言を受け入れたのだ。

 この「見えないもの」は橋下の言う「風俗産業」にも当然あるわけで、沖縄の「風俗嬢」がテレビインタビューで「風俗を活用しろ」という橋下発言を「侮辱された」と感じると言っていたが、自分の職業はそんな「見えるもの」だけではないと思っていたからにちがいない。

 彼女たちは、アメリカ兵と、全部ではないだろうが、「心がつながっている」と思っているだろうし、それを「誇り」にすら思っているだろうが、それは「見えない」ものなのだ。

 また米兵の方でも、「セックス処理」の道具として見ているわけではなく、「心」でつながることを臨み、それで初めて嫌されることになる。

 それはかつて、従軍慰安婦を「活用」した日本も同じで、ある髭面のベテラン上等兵が従軍慰安婦と恋に落ち、とうとう結婚までして周りから冷やかされ(祝福され)るが、直後、戦闘で頭の一部を吹き飛ばされてしまう。

 しかし、奇跡的に一命をとりとめ、国内に帰還したという話が、誰かの日記に(荷風かも)載っていて、「感動」したりするのだが、これも「見えないもの」に感動しているのだ。

 橋下は、この風俗産業を支える「見えないもの」を、日本語の通弊として「ないもの」として扱い、それで「セックス処理としての風俗の活用」を進言したりするのだが、この辺は説明すると大変にややこしく、橋下は外国特派員協会でインタビューを受けると言っていたが、「英語ができないので、うまく伝わるか心配だ。若者たちはぜひ英語ができるようにしてもらいたい」と話していた。

 でも肝心なのは「英語の感覚」なのだ。

 話が飛ぶが、飯島勳参与の北朝鮮訪問で北朝鮮が極秘のはずの特使の到着を大々的に報道したのも、「見えないもの」を「見えるもの」にしたので、韓国、アメリカはそれを不快だと表明した。

 「国際関係」は「見えないもの」が暗躍する世界で、それが前提になっている。

 それを「ないもの」として扱う日本人、というか日本語の「現実感覚=リアリズム」は国際的に大変にわかりづらいものであることを日本人は認識すべきだと思う。

 このことで気になるのが安倍首相のキャラクターで、生来真面目なものだから、従軍慰安婦問題についても、もし当時自分が従軍していたとしても慰安所に足を運ぶことはしない人で、だからこそ、慰安婦問題を「屈辱」として受け取ってしまう。

 しかし慰安婦問題を含む歴史認識問題については、仮に「歴史修正主義者」とみなされたら、その時点で一切の政治生命が失われることを痛感したようで、以後、発言を修正しているが、インタビュー等を読むと、歴史修正主義の何がいけないのか、批判されるのか、「日本はナチスとはちがうし…」と思っているところが、見え見えなのだ。

 もちろん、私も、戦前の軍国日本はナチスとちがうと思うけれど、だからといって、「アジア民族の独立の道を開いた」ということには、日本近代の実態を知れば知るほど、残念ながら、ならない。

 橋下はしきりに「従軍慰安婦制度はすべての国にあった」、「日本だけ避難されるのは心外」と言う。

 それは確かにその通りなのだが、それはそれぞれの国が、自分なりに考え、反省すべきことで、「だからお前らも一緒に反省しろ」というのは、あまりにも子供じみている。

 「歴史認識」は、中国、朝鮮が何を言おうが、日本自身が考えるべきことなのだが、中国、朝鮮に沿って考えるために、国内が分裂してしまう。それが日本なのだ。

 例えば、拉致問題にしても、まず第一になすべきことは、拉致被害者が日本に帰りたいと思っているかどうかを調べることなのだが、それは一切せず、頭から「帰りたいと願っている」と決めつけて、誰も疑わない、というか、そういう「可能性」を「見えないものはないものとして考える」日本人は、考えない。

 もちろん、拉致被害者の「帰国の意志」を疑っている人は、かつての中島梓のようにいるのだが、彼女が非難されたのは、「不法行為を黙認するのか」の一言だった。

 結局、「形式」しか見ようとしないのだ、このニッポンは。

 書き込みをさぼっている間に、いろいろあって、古い「明日はどっちだ5」に妙な書き込み事件があったりして、それについても書きたかったのだが、長くなりすぎてしまったので、この次に。

世界の大勢じゃん

昨日の日曜日、朝のNHKの討論会風番組は「教育問題」がテーマで、一方は、自民党の文部政務官等、要するに体制側、一方は、尾木ママと、教育問題の専門家で東大の教授等、体制を批判する側に分かれて討論をしていた。

 私は最後の30分くらいしか見なかったのだけれど、テーマの一つは、教育委員会をどう改革するかで、自民党は、知事等の委員長任命を強化するという方向の改革で、尾木ママと教育問題専門家は、その効果に懐疑的という態度だった。

 教育委員会問題は、私はあまり知らないのだけれど、元来アメリカの制度をモデルにした制度なそうで、だとしたら、選挙で決めればいいのではないかと思う。

 確かアメリカでは保安官なんかも一部は「選挙」で決まるのではなかったか。

 まあ、それはそれとして、面白かったのが、その後のテーマになった、週休二日制を週休一日にするという制度改革に対する意見が見ものだった。

 というのは、反体制側が二つに分かれたのだ。

 この問題について世論調査をすると、「ゆとり教育」に対する反動と、土曜日に子供が家にいるといろいろ大変だという、主婦の意見が影響して、どの世論調査でも、土曜日も授業を行うことに賛成の意見が過半数以上を占めている。

 この問題については、自民党側(体制側)は、土曜授業にほぼ決まっている。

 ただ学校週休二日制を導入したのは自民党なので、その整合性をどう説明するかが問題であるようだった。

 一方、尾木ママと教育問題専門家の対応は、尾木ママが、「お母さんたちの負担を考えると、世論の数字はしょうがないかなと思うけれど、ただ、土曜授業の再開は、世界の大勢から反していることは確かだから、それを考えなければいけない」と言った。

 これに猛烈に反発したのが、教育学者の大学教授で、同じ向かって左側の関に肩を並べて座りながら、尾木ままを見やって「世界の大勢がどうあろうと、日本の制度をそうしなければならないわけではない。日本は日本がいいと思うことをやればいい」と、週休二日制を廃止すべきであると強硬に主張していた。

 「反体制側」が二つに分かれたことは、「今」を象徴しているように思って、それが面白かったのだが、それより「世界の大勢がそうだから、そうした方がいい」という意見と、「体制がどうあれ、自分のいいと思う方法を追求すればいい」という意見の対立だが、わたし的には一層興味深い。

 一見、「体制がどうあれ、自分のいいと思う方法を追求すればいい」という意見の方が正当に思えるけれど、そうではないと言いたいのだ。

 なぜなら、自分の信念を貫くということは「真実」が存在することを前提にしているが、「真実」は存在しない。

 一生懸命、探せば真実は見つかる、今はまだ見つかっていないだけだ、というのではない。

 「真実は存在しない」のが真実なのだ。

 これは話しだすと大変なので、「世界の大勢がそうだからそうすべきだ」という尾木ママの意見に正当性があるのかという問題にさっさと移ると、私は「案外ある」と思うのだ。

 「世界の大勢がそうだからそうすべきだ」という意見は、少なくとも「真理だから、そうすべきだ」と言っているわけではないという点で、より真理に近いのだ。

 ジャンジャン。

 

憲法私感

 憲法改正問題がいろいろやかましいが、現行憲法がかなり異常な状態でつくられたことは事実。

 というのも戦後、明治憲法の改正をマッカーサーに指示された日本政府が、松本試案という憲法改正案をつくったが、毎日新聞がそれをスクープし、それを新聞で読んだマッカーサーが「これではだめだ」と激怒し、自分たちでやると言って、2ヶ月くらいでつくったのが現行憲法だ。

 マッカーサーがなんで激怒したかと言うと、極東委員会という、ソ連やイギリス、フランス、そして中国を含む新しい占領組織が日本にやってくることになっていて、マッカーサーはそれに権限が失われることを恐れ、極東委員会が来日する前に憲法改正を実現したかったらしい。

 ちなみにマッカーサーが廃案にしたその試案の責任者は宮澤俊義という著名な憲法学者で、スクープされたのはその宮澤案ではないらしいのだが、ともかく、宮澤はこの件があって後、日本人が制作ににかかわらない憲法を日本国憲法としてオシイタダクことになったことについて、法理論的に説明がつかないことから、8月15日に革命があって、その革命権力が新憲法をつくったと解釈することにした。

 これを「八月革命説」と言うけれど、よくみると、明治憲法では憲法の改正を発議する資格は天皇にしかなく、天皇の発議なしになんで憲法を改正することができるのかという、きわめて形式的な発想で、つまるところ、自分たちの無力さを皮肉った「解釈」なのだろう。

 それが一つの「学説」になってしまっているのは、滑稽だ。

 ともかくそんなわけで現行憲法はいったん破棄して、明治憲法に戻り、そのどこがまずかったのかを仔細に検討し、なおかつ現行憲法で取り入れるべき思想があったら、それをどう新憲法に生かすことができるかを考えるべきではないのか。

 そうすれば、その過程で歴史認識問題も一から考え直すことができるし。

 加藤典明が、現行憲法をいったん廃棄してから再び選び直すという方法もアリではないかと言ったことがあって、それに近いアイデアかもしれないが、本当に反省するのだったら、単なる「選び直し」ではなく、直に歴史に向き合うことによってしかできないように思う。

 戦後70年近く、あっちにふらふら、こっちにふらふらしているのも、歴史の連続性を見失っているからだ。きっと。

 だったら、敢えて「元に戻る」ことは決して無意味ではないだろう。

 要するに、山登りをしていて道に迷ったときは、何時間かかったとしても、くたくたになっても「元に戻る」のが原則なのだ、ということなのだ。

裸の王様

 富士山が世界遺産に指定されたそうだが、その富士山を「月光」で特集したのはもう20年前。そのとき、富士吉田市に行ったが、街が汚いことに驚いた。

 あんまり汚いので、後で「Wの悲劇」だったか、富士吉田市から話が始まること、それだけを覚えているような始末なのだが、そこの市長が「世界遺産」の報道に、満面笑みで「うれしい」と話していた。

 たぶん、あのころよりは「きれい」にはなってはいるだろうが、でもあの市長のセンスでは、「きれい」と言ってもただ外面だけ、なんのオリジナリティもない「美化」で、むしろ昔の汚い、泥だらけの街がなつかしいような、味気ない街になっているのではないかと、危惧する。

 もちろん富士山を特集するくらいだから、私は富士山が大好きだし、富士吉田市からさらにバスで奥に入ったところで出くわした真冬の富士山はいくら眺めていても飽きない、ちょっと類例を見ないものだった。

 でもそのとき、思ったことは、富士山に興味を持つのは日本の東半分で、西半分はそんなに興味を持たないのではないかということだった。「西の人」にあらためて聞いたことはないが、たぶん東日本人ほどには特別な感情はないのではないかと。

 まして「世界」が富士山にどれほどの興味を持っているのか。

 フジヤマ、ゲイシャと言うくらいだから、ゲイシャと同じでしょう。

 だったら、ゲイシャも「世界遺産に!」と言えよ、と言いたい。

 20世紀の始め頃、アメリカの旅行家で、ハリバートンという人物がいて、ピラミッドとか、最近、アクション映画の舞台としてよく使われるヨルダンの岩窟の宮殿とか、ともかくいろいろな「秘境」に行って、最後は、中国のジャンクで太平洋横断を企て、失敗して遭難死してしまった人なのだが、その人が書いた旅行記の中に、富士登山があって、「フジヤマ」は外国人にも知られていることは知られているのだなと思ったけれど、何しろ、全然「秘境」なんかではないので、登山記録を読んで、つまらないったら……。

 もともと富士山は「見る山」で、「登る山」ではない。

 他の山だったら、たとえば槍ヶ岳に登ったら、穂高岳がきれいに見えるとか、そういうことを期待して登るわけだが、富士山に登ったら富士山は見えなくなるので、これほど退屈な登山はない。ともかく、富士登山ほど退屈な登山はない、ということは、私自身登ったことがあるので確実に言える。

 ところで、三保の松原を世界遺産から除外することを条件に、富士山の世界遺産が認められたということだが、なぜ、これほどまでに三保の松原が嫌われたのかというと、調査にやってきた外国人の調査員がコンクリートの消波ブロックを「とても気にしていた」ことがとても気になると、地元の人が言っていたが、実際に、文章で消波ブロックの存在が指摘されていた。

 「観光立国」を目指すのだったら、何よりも護岸コンクリートをどうにかしろと、マスコミが先頭になって言わないとだめでしょ、と思うのだが、なぜか、誰も指摘しない。

 イギリス人は、美に鈍感だが、醜いことに敏感で、日本人は、美に敏感だが、醜いことに鈍感だと言う。

 そういうことなのか。

 待機児童ゼロを目指すために、保育園経営の企業参加を促すために、認可権限を握る自治体に、企業から申請が出たらそれを妨害しないよう総務省から通達が出た(具体的にどうやるのかはよくわからなかったが)とニュースで報じていたが、一、二週間前のテレ朝のニュースで、テレ朝はなんと言っていたか。

 「企業参加もいいけれど、不都合のないように慎重に」と言っていたが、どこがどう不都合なのか、それは言わない。

 「いや、ここが不都合だ、というのではなく、結果的に不都合のないようにすればいいのです」とか言いそうだ。

 役人仕事のことをあれこれ人は言うし、私だって官僚嫌いは人後に落ちないが、こういうのを見ると、マスコミの責任は本当に大きいと思う。

 政治家、官僚の方が、実際にはマスコミよりはるかにマシである。

 なぜなら、政治家、官僚は人から批判されるから、それに対応せざるを得ないが、マスコミは自分たちが批判されていることを十分知っていて、反省もし、自己改革をしなければならないと思っているが、しかし自分の権威がそれで損なわれてはならないと思っているので、この「批判―反省―改革」のプロセスを、人に知られないように、自分だけでやろうと思っている。

 マスコミは、他の業種にはできないこと、「人に知られないようにやりすごすこと」ができるのだが、それが彼らがダメな最大の理由だ!

 なぜなら、人に知られないようにやりすごしたと思っていても、実は、彼らがやり過ごしていることをみんな知っているからだ。

 要するにマスコミは、現代の「裸の王様」なのだ。

 って、あんまり人のことは言えないのだけれど。

 
 待機児童問題がなかなか解決できない。

 この問題については、小泉が首相になったときに、まっさきに「やる」と言って、でも結局できなかった。「なんでだろう、なんでだろう?」と思わずテツ&トモになっちゃうが、保育業界は、少子化で今後需要が減りこそすれ、増えることはないと思っているので、新規参入者が増えて、競争状態になることを恐れているのだそうだ。

 なるほど、ここでも既得権益者による既得権益守護というデフレ構造と同じ構造があったのだ。

 ところが、横浜市で、企業参入を許可したら、待機児童がどんどん減って、待機児童数ゼロ状態が視界に入ってきたのだそうで、その参入企業の経営者がインタビューに答えて、食料とか、お絵描きの紙とかを大量に、それまでとは全然違う安い値段で買っているので、利益も確保できると言っていた。

 もちろん「利益確保」は紙代、食費だけでは無理だろうが、利用者の声はおおむね「良い」、「満足している」というものだった。

 一方、待機児童問題が暗礁に乗り上げたままの自治体のうち、名古屋市を取材していたが、名古屋市の保育業界の代表は、株式会社の参入について、「利益優先では事業がおろそかになるのではないか」、ノートや食料等を大量に安く買っているそうだがと話を向けると「私どもは、近所のお百姓さんや、文房具屋さんを大事にしている、と言っていた。

 こりゃー、地方都市の衰退パターンそのままだ。

 利用者にも話を聞いていたが、株式会社参入については「利益優先だとちょっと怖いかもしれない」みたいな意見を放送していた。

 その後、自民党の「保育族」だという尾辻という議員にマイクを向けると、尾辻は「会社に委託するなんて、人任せにするのでなく、保育所が足りなかったら市がちゃんとつくればいいのよ」と言っていた。

 尾辻は、靖国神社参拝議員連盟かなにかの先頭でテレビに映っていた議員だが、なるほど、こういうやつだったのか。

 で、最後、まとめにあたった朝日新聞の論説委員氏は、「いろいろな意見があって、にわかに決めることは難しいが、待機児童をゼロにしなければならないことは確かなので、皆さんがんばっていただきたい」みたいなことを言っていた。

 もう結論は出てしまっているのだから、今更逡巡する必要なんかないのに……思わず「アホか」とどなりたくなった。ユニクロを支持するわけではないが、ユニクロの柳井社長だったら、こんなやつは年収120万円だ!と言うだろう。

 結局、自由競争で利益の最大化を目指す過程でしか、解決はあり得ないのだ。

 名古屋市の利用者のお母さんが「利益優先でやられるとちょっと怖いかも」と言っていたが、そういうところは自由競争が機能していれば、淘汰される。

 もちろん、その「淘汰」の過程で、被害を受ける消費者が存在することは事実だろうし、その被害者に自分がなってしまう恐れは否定できず、それで「ちょっと怖い」と名古屋のお母さんは言ったのだと思うが、それは結局「確率」の問題で、2年前、1000年に一度の大津波に遭遇してしまったことと同じ問題に、件のお母さんは直面し、悩んでいるのだ。

 この「確率問題」は、量子力学の不確定性原理にどう対応するかという問題と同じで、きわめてポストモダンな問題なのだけれど、これには多分「慣れる」しか対応策はないのだと思う。

 なぜなら「我々」、つまり「私」そして「あなた」が、「確率」を構成しているからだ。

 なんだか、またしても書こうとしていたことからそれてしまった気がしないでもないが、私はいったい何を書きたかったのだろう。

 とりあえず、マスコミくたばれと書いておこう。

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