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富士山が世界遺産に指定されたそうだが、その富士山を「月光」で特集したのはもう20年前。そのとき、富士吉田市に行ったが、街が汚いことに驚いた。
あんまり汚いので、後で「Wの悲劇」だったか、富士吉田市から話が始まること、それだけを覚えているような始末なのだが、そこの市長が「世界遺産」の報道に、満面笑みで「うれしい」と話していた。
たぶん、あのころよりは「きれい」にはなってはいるだろうが、でもあの市長のセンスでは、「きれい」と言ってもただ外面だけ、なんのオリジナリティもない「美化」で、むしろ昔の汚い、泥だらけの街がなつかしいような、味気ない街になっているのではないかと、危惧する。
もちろん富士山を特集するくらいだから、私は富士山が大好きだし、富士吉田市からさらにバスで奥に入ったところで出くわした真冬の富士山はいくら眺めていても飽きない、ちょっと類例を見ないものだった。
でもそのとき、思ったことは、富士山に興味を持つのは日本の東半分で、西半分はそんなに興味を持たないのではないかということだった。「西の人」にあらためて聞いたことはないが、たぶん東日本人ほどには特別な感情はないのではないかと。
まして「世界」が富士山にどれほどの興味を持っているのか。
フジヤマ、ゲイシャと言うくらいだから、ゲイシャと同じでしょう。
だったら、ゲイシャも「世界遺産に!」と言えよ、と言いたい。
20世紀の始め頃、アメリカの旅行家で、ハリバートンという人物がいて、ピラミッドとか、最近、アクション映画の舞台としてよく使われるヨルダンの岩窟の宮殿とか、ともかくいろいろな「秘境」に行って、最後は、中国のジャンクで太平洋横断を企て、失敗して遭難死してしまった人なのだが、その人が書いた旅行記の中に、富士登山があって、「フジヤマ」は外国人にも知られていることは知られているのだなと思ったけれど、何しろ、全然「秘境」なんかではないので、登山記録を読んで、つまらないったら……。
もともと富士山は「見る山」で、「登る山」ではない。
他の山だったら、たとえば槍ヶ岳に登ったら、穂高岳がきれいに見えるとか、そういうことを期待して登るわけだが、富士山に登ったら富士山は見えなくなるので、これほど退屈な登山はない。ともかく、富士登山ほど退屈な登山はない、ということは、私自身登ったことがあるので確実に言える。
ところで、三保の松原を世界遺産から除外することを条件に、富士山の世界遺産が認められたということだが、なぜ、これほどまでに三保の松原が嫌われたのかというと、調査にやってきた外国人の調査員がコンクリートの消波ブロックを「とても気にしていた」ことがとても気になると、地元の人が言っていたが、実際に、文章で消波ブロックの存在が指摘されていた。
「観光立国」を目指すのだったら、何よりも護岸コンクリートをどうにかしろと、マスコミが先頭になって言わないとだめでしょ、と思うのだが、なぜか、誰も指摘しない。
イギリス人は、美に鈍感だが、醜いことに敏感で、日本人は、美に敏感だが、醜いことに鈍感だと言う。
そういうことなのか。
待機児童ゼロを目指すために、保育園経営の企業参加を促すために、認可権限を握る自治体に、企業から申請が出たらそれを妨害しないよう総務省から通達が出た(具体的にどうやるのかはよくわからなかったが)とニュースで報じていたが、一、二週間前のテレ朝のニュースで、テレ朝はなんと言っていたか。
「企業参加もいいけれど、不都合のないように慎重に」と言っていたが、どこがどう不都合なのか、それは言わない。
「いや、ここが不都合だ、というのではなく、結果的に不都合のないようにすればいいのです」とか言いそうだ。
役人仕事のことをあれこれ人は言うし、私だって官僚嫌いは人後に落ちないが、こういうのを見ると、マスコミの責任は本当に大きいと思う。
政治家、官僚の方が、実際にはマスコミよりはるかにマシである。
なぜなら、政治家、官僚は人から批判されるから、それに対応せざるを得ないが、マスコミは自分たちが批判されていることを十分知っていて、反省もし、自己改革をしなければならないと思っているが、しかし自分の権威がそれで損なわれてはならないと思っているので、この「批判―反省―改革」のプロセスを、人に知られないように、自分だけでやろうと思っている。
マスコミは、他の業種にはできないこと、「人に知られないようにやりすごすこと」ができるのだが、それが彼らがダメな最大の理由だ!
なぜなら、人に知られないようにやりすごしたと思っていても、実は、彼らがやり過ごしていることをみんな知っているからだ。
要するにマスコミは、現代の「裸の王様」なのだ。
って、あんまり人のことは言えないのだけれど。
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