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プロ野球の統一球問題だけれど、あれはきわめて大事な事件だと思うのだが、プロ野球解説者は一言もそれに触れない。
ちょうど交流戦が終わったばかりだが、3連戦だったら、トータルしてどちらが勝ったか目に見えてわかるのだが、2連戦ではそれがわからズ、見ていてははなはだしく欲求不満が残る。
そんなのはファンはみんな思っていると思うのだが、全然改まらない。
そもそも2連戦になったのは、「3連戦では長過ぎて、選手が大変」と事務局の方で判断して、2連戦になったのだと記憶しているが、実際には2連戦だと間隔があきすぎて、調整に困るとか選手は言っていた。
しかし改められる気配は全然ない。
私に言わせれば、この辺のファン、選手に対する無神経さが「統一球問題」として露呈したと思うのだが、この「統一球問題」で、野球解説者は何も言わない。
日程問題も、何も言わない。
なんでだろうと思っていたのだが、古館のニュースステーションの野球解説の工藤が、肩を狭めて「私には全然わからない問題なので」とボソリとつぶやいていた。
なるほど、そうか、プロ野球解説者、とりわけ元プロ野球選手の解説者(昔、小西得郎という例外的存在が板が、今はほとんどすべてが「元プロ」ばかりだろう)は、統一球問題が孕む問題など、一度も考えたことがないのだ。
それはしょうがないとしても、では、プロ野球解説者とは何をする人なのかというと、ひたすら細かい「技術解説」に明け暮れるわけだ。
そして、それを聞き手も好んでいるから、マスコミも「技術解説」ばかりになる。
でも「批評」とは決して技術解説ではない。
「統一球問題」なら、それが孕んでいる「見えない問題」、「日程問題」なら、それが孕んでいる「見えない問題」をちゃんと見て、それを見えるように表現するのが解説者というか、批評家で、戦後日本というか、近代日本にもっとも欠けているのが、この種の「目を持った批評家」なのだ。
というのも、ひと月程前、土取利行という、元フリージャズのドラマーで、坂本龍一などと音楽活動をしていた人に話しを聞いたのだが、彼が「音楽は技術ではない」と発言した。
私は、他の芸術ジャンルはともかく、音楽、とりわけ器楽演奏は、自分ができないからということもあるが、「一から十まで技術の問題」と考えていたので、びっくりした。
でも、考えてみればそうなのだ。
美術では、子どもの美術が最高で、ピカソもマチスもみな「子どものように描く」事を目指していたのは周知の事実で、それは音楽においても、実は同じなのだ。
それが、芸術ジャンルにおいても、その評価が「技術評価」一点張りになったのは、近代日本の発達が「いびつ」だったからというのが土取氏の意見だったが、まったく私も同感であった。
でも、この問題はとても難しいので、なかなか上手く説明できないが、ともかく、プロ野球解説を聞いていて、すべてが細かな「技術解説」で占められていることに改めて気づき、「う〜ん」とうなってしまったのだった。
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