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イチローが4000本安打を打って、チームや観客の喝采を浴びたことについて、イチロー自身が、「4000本という数字自体に価値があるのではなく、価値があるとしたらそれを喜んでくれた人たちがつくってくれた」と言って、いやはや、これは深いことを言うなーと思った。
まるで西田幾多郎である。西田は「善の研究」で、次のように言っている。
『(普通の人は)科学的に見た世界が最も客観的であって、この中には少しも我々の情意の要素を含んでおらぬように考えている。しかし学問と言ってももとは我々生存競争実施の要求より起こったもので、決して情意の要求を離れたものではない。科学的見方の根本義である外界に種々の作用をなす力があるという考えは、自分の意志より類推したものであると看做さねばならぬ。それ故に太古の万象を説明するのはすべて擬人的であった。今日の科学的説明もこれより発達したものである。……個人なるものがあって喜怒哀楽の情意を起こすと思う故に、情意が純粋に個人的だという考えが起きるが、しかし人が情意を有するのではなく、情意が人をつくるのである。万象の擬人的説明ということは太古の人間の説明法であって、また今日でも純白無邪気なる小児の説明法である。いわゆる科学者は凡てこれを一笑に附し去るであろう。もちろんこの説明法は用地ではあるが、一方より見れば実在の真実なる説明法である。』
「4000本という数字自体に価値がある」という考えは、いわば西田のいう「科学者」の「外界に種々の作用をなす力がある」という考えに等しく、イチローはそれを否定して、「4000本という数字に価値があるとしたら、それはそれをすごいと思う人の情意がつくったのだ」と言っているのだ。
なかなかうまく説明できないが、要するに、南伸坊の「笑って楽しかったという記憶があるから、笑いは楽しいものと思うが、実際は恐ろしい危機を免れたときに笑うのだ」とどこかで共通しているかもしれない。
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