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虫酸が…

 テリー伊藤が日曜昼の「サンデーなんとか」で、中国人の観光客のマナーが悪いことをとりあげて、「それに比べて、日本は、震災以後、絆を確認し、一つになっている。なんという違いだ」と発言し、聞いて虫酸が走った。

 脇にいた黒金ひろしが「いや、現代中国は、60年程度の歴史しかない文化の浅い国で、三国志や水滸伝で描かれた中国人とはちがうんですよ」と言っていたが、これも知識の底が意外に浅いのでびっくりした。

 三国志はともかく、水滸伝は、ある著名な中国研究家が、中国庶民のことを知りたければ水滸伝を詳しく読むにこしたことはないと言ったくらいで、中国人観光客の傍若無人な態度に通じていることは、読めばすぐにわかる。

 いったいお前は中国人観光客を擁護しようと言うのか、非難しようとしているのか、どっちだと言われるかもしれないが、私が書こうと思っているのは、魯迅のことなのだ。

 魯迅に「野草」という、短文エッセイ集があるが、そこに「乞食者」という乞食の話が出てくる。

 『ひとりの子供が私に向かって乞食した。袷の着物をまとい、哀れげな様子は見えなかった。立ちふさがって頭を下げ、追いすがって泣きわめいた。彼の鳴き声と態度が、私にはいやだった。哀れぽくなく、児戯にひとしいのを憎んだ。』

 その魯迅の前にもう一人の乞食が現れる。こちらは唖だ。

 『彼のその手真似を私は憎んだ。彼は唖ではないかもしれぬ。単なる乞食のための手段かもしれぬのだ。私は布施をせぬ。私には布施心がない。私は布施するものの上位にいて癇癖と疑いとを与えるだけだった。(略)私は自分がどんな方法で乞食をするかを考えていた。どんな調子の声を出すだろう。どんな手真似で唖のふりをするだろう。(略)私は布施を得られず、布施心を得られぬだろう。私は布施の上位にいると自認する癇癖と、疑いと、憎しみを得るだろう。私は、無為と沈黙とをもって乞食するだろう。私は、少なくとも虚無を得るだろう。土埃、土埃……』

 布施を得ることができなければできないだけ、自分は布施を得ていいはずだという心理が高まり、高まれば高まるほど布施は得られず、とどのつまり、虚無だけになる。

 こんな風に乞食の心理に分け入った文学者は魯迅の他にいるだろうか。 いるとしたら、虫になったカフカとか、ドストエフスキーとか、そんなところだろうか。 現代中国の観光客のマナーの悪さは、「野草」の子供の乞食のマナーの悪さと通じているが、そのマナーの悪さに分け入れば、「絶望の虚妄なること、希望に等しい」に通じるだろう。

 この魯迅の「乞食者」を読んだ直後にテリー伊藤の発言を聞いたので、テリーの発言の底の浅さが見て取れてうんざりしたのだ。

 もしかしたら魯迅は現代中国ではうさん臭がられるようになっているのかもしれないが、こういう文学者がいるかいないかは極めて大きいと思う。

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