過去の投稿月別表示

[ リスト | 詳細 ]

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

恥を知れ!

 安倍が「雇用特区」計画を進めようとしているそうで、マスコミは猛反対のようだが、私は賛成だ。

 こうでもしないと、「労働者意識」は育たない。

 NHKは、仕事はっけん伝とかで、六角なんとかに、CD屋の店員をやらせて業績アップの責任をもたせていたが、労働者に自己が所属する企業の業績の責任なんかは一切ない。

 それを入社早々の新入社員に強いることこそ、ブラック企業の常套手段だということにNHKはなぜ気づかないのか。

 「雇用者特区」だったら、最初から「正社員」にならないと約束して就職する。

 ということは、企業の業績とは関係なく働くということで、精神的に自由になれる。

 一方、ホワイトカラーなんとかという、ホワイトカラーは基本的に残業代なしで働く制度を導入するそうで、NHKの解説員は「ブラック企業になる」とか言っていたが、最初から責任を負うことを明白にするのだから、それはあたらないだろう。

 もちろん、責任と言っても「無限責任」ではない。

 株式会社が本来そうであるように、事業の責任を取るのは「株主」なんだから。

 その株主だって、投資した額を失うので、出た損失をすべて返済しなければならない、「無限責任」ではない。

 「責任」をどこまで負うべきかという問題で、最近売れっ子のお笑い芸人…だれだっけ、又吉なんとかだっけ…が経済の仕組みを学ぶという、Eテレの「オイコノミア」で「リコースローン」と「ノンリコースローン」の仕組みを解説していた。

 「月光」では10年以上前に取り上げているのだが、リコースローンというのは、主に住宅ローンの仕組みで、借金の返済が滞った場合でも、借り主が残額を支払う義務を背負う制度のことで、ノンリコースローンは、借り主は担保としていた住宅を銀行に戻せば、ローンの残額は銀行が支払う制度だ。 

 日本では住宅ローンはすべてリコースローンだが、ノンリコースローンが存在しないので、その事実を借り手自身が知らない。

 橋本治もそうで、彼は人気作家でローン滞納することなく支払ったようで、リコースローンの事実を知る機会がなかったみたいだが、もしローン返済ができなかったら、住宅の担保価値と残額の差がたとえば1000万円あったら、それは担保を失っても、なお1000万円払わなければならないことを知らなかったみたいだった。

 そりゃあ、普通、担保として自分の住宅を提供しているのだから、それを銀行に取られてなお借金が残るなんて考えないだろうが、現実はそうなのだ。

 アメリカのノンリコースローンは、担保物件を提供したらそれで借り主の責任は終わり、後は融資した銀行の自己責任だ。

 それで、2000年初頭に、低所得者向けの無軌道な住宅融資が原因でリーマンショックが起きたわけで、オイコノミアの解説員は日本のリコースローンが銀行保護の政策である一方、銀行に貸し手責任を取らせるアメリカのノンリコースローンにも問題があるみたいなことを言っていたが、じゃあ、リコースローンで銀行を保護していたにも関わらず、日本の住宅バブルが惨憺たる結果に終わり、のみならず、その余波が今も続いていることをどう説明するのだ!と腹立たしかった。

  大体、アメリカには「公共住宅」が少ないみたいで、そのために、低所得者向けの住宅ローンを開発して、失敗したようだが、日本も、60年代後半以降、「持ち家政策」が本格化して、低所得者向け住宅の建設はおこなわれなかった。

 結局すべての元凶は「持ち家政策」にあるのだと思う。

 それが日本人のエゴを異常に肥大させた。

 小熊英二の「民主と愛国」を読んで一番びっくりしたことは、日米安保条約の対象に沖縄を含むか否かが問題になり、社会党が「アメリカの郡値基地が集中している沖縄を安保の対象にすると日本本土が戦争に巻き込まれる危険性がある」と言って猛反対して、結局沖縄は安保の対象外になったのだそうだ。

 沖縄が「安保」の対象になったのが沖縄の本土復帰時のようだが、そもそも沖縄に基地が集中したのは、地勢的な問題もあるだろうが、アメリカが日本国内の反基地闘争に手を焼き、自分が施政権を持つ沖縄の基地を拡大させたのであって、それでなお、沖縄切り捨てに走った社会党、マスコミの鉄面皮なエゴイスティックな行動は「犯罪」に等しく、許しがたい。

 60年の安保反対闘争に沖縄から参加した学生は少なからずいたが、彼らは「沖縄切り捨て」に等しい「沖縄への安保適用反対」運動を、自分とデモの隊列を組んでいた仲間から聞かされ「仰天した」らしいが、仲間たちは沖縄人の困惑が理解できず、「はぁ?」といった顔をしていたらしい。

 今の沖縄の「反日」は、小熊ははっきりと書いていなかったが、ここに起因すると言ってもいいのだろう。 それが今また、集団安全保障問題で、「戦争に巻き込まれるから反対」を叫んでいる連中は、本当に「恥を知れ」と言いたい。

「へだてなさ」再考

 BBCの番組、生まれてから七年ごとにインタビューして、人生の変遷を探るという興味深い番組の「日本編」が先週の金曜日、9月20日に放映された。 

 田舎の農家の息子と、どこかのサラリーマンの娘と、あともう一人いたような気がするが、農家の息子は、親の手伝いなどを子供の頃からやっていたが、農家を継ぐことはせず、地元にできた建材工場に契約社員、要するにアルバイトで入社し、現在28歳、正社員になったものの、親の家から工場に通っている。 

 なぜ、農家を継がなかったのかという質問には黙っていたが、多分曰く言い難い不満があるのだろう。

 農家の息子については、これくらいで、次の「サラリーマンの娘」は、子供の頃から結構美人だが、志望の大学への入試に失敗し、女子短大に入った。 

 短大卒業の頃には、子供の頃から「美人」ぽかったが、期待以上の大人っぽい美人になり(私見)、日本航空のスチュワーデスになった。 

 入試に失敗したからと単純息めつけることはできないが、正直言って、容姿で選ばれたといっていいのではないかと想像できるわけだが、彼女はすっかり有頂天で喜んだ。 

 ところが数年後、彼女は運動中に転ぶかなにかして、大怪我を負い、数ヶ月間、休職することになった。 

 ちょうど同じ頃、日本航空が破綻した。 

 「どうなるのだろう」と心配したが、政府の支援のおかげで彼女は失業を免れた。 

 しかし、父親は、娘を激しく叱責した。 

 「怪我をしたということは、理由はなんであれ、社会人としての自覚がなかったからで、そんな社員を雇っている会社だから、経営も破綻するのだ」と言って、父親はその後数ヶ月、口もきいてくれなかった。 

 「でも、今、考えると、父親の言う通りで、私は、会社と一緒に生まれ変わった気持ちでがんばっています」 というのが、彼女の「28歳の現在」の感想である。 

 なんて嫌みな父親なのだろうと思ったが、番組のロールエンドを見ると、プロデューサーは外国人(英国人?)で、その一人以外、スタッフは全員日本人だった。 

 そうだろうなと思った。 

 日本人は昔から、外国人には本当のことを言うが、日本人同士では決して本当のことを言わないことで知られている。 

 バーガミニの「天皇の陰謀」の後書きには、天皇の子供時代の「学友」が裕仁天皇のことを「好戦的なガキだったよ」と自分に言っていたことをひき、「日本人は外国人には本当のことを言う」のだと、書いている。

 少年が「好戦的」なことは古今東西、すべての文化がそうなので、裕仁天皇がとりわけ「好戦的」で、スイスのバーデンバーで当時の陸軍中枢と「世界支配」の陰謀を企んだというバーガミニのストーリーは歴史学として受け入れられなかったが、「日本人は外国人には本当のことを言う」というバーガミニの言葉はまさにその通りで(バーガミニは聖路加病院を設計した外国人建築家の息子で、日本育ち)、だとしたら「28歳の私」(件の番組はそんなタイトルだった)の製作者、インタビュアーは外国人でなければならなかった。 

 外国人だったら、スチュワーデスも「本当のこと」、つまり「不満」をしゃべっただろう。

 日本人がインタビュアーでも、例えば「あなたの好きなマンガはなんですか」と聞いて彼女が「アラベスク」と言ったら、「あなたは耐える女の子だったのか」とか、話を展開できる。

 まあ、それはもし私だったらということで、本題に戻ると、「本当のことは言わない」は「嘘をつく」に等しいが、「本当のことを言っていない」ことをお互いに承知している日本人同士は「嘘をついている」自覚がなく、むしろ、「偽善的」な態度として現れる。

 その典型が「お父さんに感謝している」という言葉だ。 

 北朝鮮の拉致問題なんかもその典型の一つで、事件発覚当時、故中島梓が言った通り、強制拉致が犯罪行為であることは事実に違いないにしても、拉致されてから20年、30年、あるいは40年を経ている以上、北朝鮮人とみなすのが「世界の常識」なのだが、「めぐみちゃんは今も、お母さんに会いたいと言って、今日も泣いているんです」という訴えが、みんな本心では「はてな?」と思っても、「どうせ本心で言っているのではない」で、欺瞞的な合意が成立してしまう。 

 いや、母親が16歳で行方不明になってしまった娘のことを「今も泣きながら家に帰りたいと思っているにちがいない」と思うのは、仕方ないか知れないが、今現在の諸般の情勢を鑑みれば「娘さんは娘さんの人生を歩んでいます」と言って諭すのが周囲のあるべき姿ではないか。 

 「あきらめろ」と言っているのではない。 

 問題を解決したいのなら、めぐみちゃんの(生きているとして)あり得る可能性を想定し、極端には、毎日日本のお母さんのことを思って泣いている可能性、冷徹に考えれば(死んでいる可能性が高いと思うけれど)、すっかり北朝鮮の社会にとけ込んでいる可能性を考慮し、その上で、日本に残された家族の「満足」させるにはどうしたらよいかを考えるべきだろう。 

 日本人同士の間の暗黙の了解で成立している事柄を外に向かっていくら喧伝しても、問題が解決するはずがないのだ。 

 ニュースで、16歳の少女の白骨死体が発見され、母親が虐待して死なせた可能性が高いという。 

 今回は、死なせた娘を溺愛していたという証言もあって、ちょっと普通と異なるような印象もあるが、家庭相談所(なんというのか知らないのだ)の係員が家を訪ねると玄関から追い返され云々と、玄関を挟んだ「家と社会」の対立の構図は相変わらずで、今のままでは「拉致問題」と同じで、問題は解決しない。 

 いったいここ20年、いや30年近く、問題はすべて解決されないままなのだが、「家の外に出るとみんな敵」という、封建制度以来の日本の「家」のあり方を根本的に変えるしかないだろう。 

 今、NHKに園子温が出ていて、「園監督の敵は何ですか?」と聞かれて一瞬戸惑っていたが、「日本の曖昧模糊とした霧みたいなもの」と答えていた。 

 まあ、そういうことだけれど、その「霧」の正体は、私が思うに、「お互いに本当のことを言わないことをお互いに知っていること」、そのことではないかと思う。 

 そしてそれが必要だったのは、和辻哲郎が言う「へだてなさ」において互いをへだてる日本の家の構造に起因する。曰く、 

 『襖障子が「へだて」として役立つのは、それが閉ざされているということによって表示されている「へだて」の意志が、他の人によって常に尊重されているいう相互の信頼に基づくのである。…鍵をもって護るというような意味の個人は「家」の中では解消する。かかる「へだてなさ」を内に包みつつ、外の世界に対しては鍵のあらゆる変形をもって対抗するのが日本の「家」である。』 

 16歳の娘を殺しながら、社会を絶対に「家の中」に入らせなかった母親は、自分の行為の「犯罪性」を曖昧模糊とした霧の中で見失ってしまったのだ。 
  
 話がすっかりそれてしまったけれど、Eテレの日本版「28歳になりました」が全く内実を伴わなかったのは、日航のスチュワーデスの言葉に内実がなかったからではなく、彼女自身が「曖昧模糊とした霧」の中にいることを暴けなかった制作者の問題なのだ。 

 言い換えれば、彼女が「曖昧模糊とした霧」の中にいて、満足しているようだが、実は満足なんかしていないことを暴くことが大切なのだ。 

 それはソクラテスがしたことで、それでソクラテスは為政者に殺されてしまったわけだが、為政者が殺さざるを得なかったくらい、大切で本質的なことなのだ。

 長く書くつもりはなかったのに、また長くなってしまった。 

「にごりえ」感想文

 樋口一葉、「にごりえ」読了。 おもしろい、と一言ですませるのが、申し訳ないような、小説のプロの作品という感じ。

 場末ながら、売れっ子のお力は、馴染みも多く、その中で特に足繁く通ってくる金持ちの独身男(朝之助)といずれ一緒になるのだろうと噂されている。 そのお力のかつて馴染みだったが、今はすっかり零落してしまったが、かつての女を忘れられず、時々やってくる男、布団屋の源七がいる。
 
 しかし、女は、源七が自分に入れあげた上、現在どのような境遇であるかを知っているので、源七がやってきても相手をすることはない。

 それを見た新しい馴染みの金持ち男(インテリでもある)朝之助は、「お前が本当に気にかけているのは、会わずに追い返している客だろう」と言う。

 源七は女房持ちで、子供も男の子が一人いるが、近所に住んでいて、男の子は、お力が自分たちの貧乏の元凶だと母親から言われているので、お力のことを「鬼」と呼んでいる。

 その男の子がある日、お菓子をもって家に帰る。

 母親はそれが高級なお菓子なので、「どうしたのだ」と問うと、男の子は「鬼にもらった」と言う。

 母親は、怒ってそのお菓子を取り上げて投げ捨てる。

 そこに源七が帰ってきて、女のこととお菓子は別、何も捨てることはないだろうと言うと、母親は怒り心頭になって、子供を連れて家を出ると宣言する。

 男は売り言葉に買い言葉で、「勝手にしろ」と言い捨てる。

 それから数日後、刀で切り裂かれた女と、すぐ近くで割腹した男が発見される。

 女はお力で、男は源七だった。

 近松の「心中天網島」が一見男女の心中なのに、実際は、遊女が馴染みの客の女房に対する「義理立て」だったと同じで、お力は、自分を「鬼」と呼ぶ妻の立場を理解し、まさかそれが原因で無理心中を男から仕掛けられるとは思っていなかっただろうが、子供にお菓子をあげたのだった。

 という話。

 有名な話なので「ネタ」を書いてしまったが、ネタを知っても、読後感はまったく変わらないので、書いた。(実は、最後が「無理心中」というのは、私も途中で知ってしまい、「アチャー」と思ったのだが、読後感に全然影響はなかった。)

 で、この「にごりえ」の映画だけれど、源七を誰がやるかが一番肝心で、調べたら、「七人の侍」でニヒルな剣豪を演じた宮口精二だった。

 宮口は同じ黒沢の「生きる」でも、役人の志村喬にからむ得体の知れないやくざを演じて、「何をしでかすかわからない」役には実にぴったりで、さすが今井正、と思ったのだった。

 ちなみにお力は淡島千景、朝之助は山村聰。

 まあまあである。

 ちなみに、「たけくらべ」をオムニバスに入れなかったのは、これもさすが今井正だ。

 「たけくらべ」は、オムニバスには無理だし、そもそも美登利をやる女優がいないだろう。

 新東宝で一度映画にしたらしいが、そのときは美空ひばりが美登利だったそうで、そりゃあんまりだ。(美登利のお姉さんで、遊郭一の売れっ子役は岸恵子。岸恵子はいまだに現役だものなあ……)

 と思っていたら、昨日の堺正章の「厨房ですよ!」に堀北真希が出ていて、彼女だったら美登利ができるかもしれないと見ていて思った。
 戦後民主主義を左から支えたのが丸山真男で、右から支えたのが和辻哲郎だと小熊英二の『民主と愛国』に書いてあった。

 最初にこれを読んだとき、丸山はともかく、和辻の名前は、意外に思った。

 というのは、和辻の『風土』を読んだとき日本人は公共空間にいると孤立し、不安に思うという考察に「なるほど」と思ったのだった。

 これに対し、欧米の都市の住人、あるいは欧米の植民地だった都市の住人は、公共空間が自分たちの自治にゆだねられた空間であると認識しているので「不安」に思ったりはしない。

 日本のマンションの「公共スペース」にインド人の住人が花とお香を飾ったら組合から撤去を命じられ、そこはいつもガランとしているというニュースを見たことがある。

 インド人は「公共スペースは何もしてはいけない場所らしい」と苦笑していたけれど、「公共概念」は、イギリスの植民地だったインド人の方がちゃんと明確に理解しているのだ。

 この「公共性」の概念がいかなるものであるか、和辻哲郎は『風土』で詳しく書いているのだが、少し長くなるが引用する。 和辻はまず東京の「だだっ広さ」を指摘する。

 『つまり日本では大都会になればなるほど不便なところになる。経済的にも心理的にも非常な浪費をしながらしかも生活はいっこうに快適にならない。それは帰するところ都会と家との不釣り合いに基づくのである。なぜこのように自動車や電車に対しても道路に対してもまた都会そのものに対しても不釣り合いな家が、実に珍奇なほどに小さな家が、依然として地に食いついた姿を都市の真ん中に示すのであろうか。人はそれを経済的な理由に帰するであろう。日本はまだヨーロッパほどに富んではいない、だから高層建築が起こらないと言うであろう。…(略)…しかしこれらの高層建築が建てられないのは経済力がないからではなく、ただ共同的に、また公共的に都市が営まれないからに他ならぬのである。』

 では日本人は何故共同的に都市を営もうとしないのであるか、和辻は、共同的に都市を営んだ方が便利であり、快適であるのに、それを選ばない理由が日本の家の形態に現れているという。

 『ヨーロッパの都市の家は、富豪の家を除いて、個人が一つの家を占有するのではない。建物を入ると廊下を挟んで左右に一個ずつの「家」がある。この廊下はいわば道路の延長である。否、本来の意味における往来である。そこでこの往来を通って…(略)…借り間している人のもとへ書留郵便を届けようとする郵便配達夫が建物の中の廊下の往来を通り、家の中の廊下を通ってその人の室にまでやってくるのは、この往来の意味を明らかにしたものである。配達夫のみならず、書店の小僧でも運送屋の人夫でもみなそうする。』

 なるほど、和辻によると建物の廊下は、外の往来と同じくらい、ときにはもっと汚いそうだが、廊下は往来だからなのだ。また、刑事コロンボがレインコートを着たまま家の中にずかずか入ってくるのも、個人が直接、往来に、街に接触しているので、自然に「公共の顔」に切り替わることができるのだ。

 日本の刑事ドラマが不自然なのは、この辺りのルールが確立していないからだろうし、また児童相談所の所員が、児童虐待の情報を得ても、児童をなかなか保護できないのも、「他人の家の中に入る」ことに対する抵抗感があって、ちょっとやそっとではできないということなのだろう。

 それはさて、和辻は、建物の中の廊下が往来なら、現実の町の中の往来もまた廊下であると言う。

 『個人はおのが室に、あるいは家にいるままの通常の姿で廊下へ出る。それから階段を下りて建物の入り口からさらにもう一つ外の廊下へそのままの姿で出る。ただそれが屋内の廊下と異なるのは上に空が見え、冬には暖房の設備がないことだけに過ぎぬ。人はこの廊下を通って飲食店へ行って食事をする。あるいはカフェへ行って一杯のコーヒーを前にして音楽を聴き、カルタを弄ぶ。それは大きい家の中で長い廊下を伝って食堂へ行き、あるいは客間へ行くと何の異なるところもない。』

 『ということは、「家」の意味が一方では個人の私室にまで縮小され、他方では町全体にまで押し広げられることに他ならぬ。それはつまり「家」の意味が消失したということである。家がなくして、ただ個人と社会があるということである。日本には明らかに「家」がある。廊下は全然往来となることなく、往来は全然廊下となることがない。その関門としての玄関はそこで截然と廊下・往来の別、内と外の別を立てている。配達夫も小僧もこの関門を入ることはできない。カフェも食堂もすべて「よその家」であって…(略)…共同の性格を帯びることがない。日本人はこのような「家」に住むことを欲し、そこでのみくつろぎ得る。それほどの執着を起こさせる魅力はどこにあるのだろうか。「家」は截然と外なる町に対しておのれを区別しているが、しかしその内部においては室の独立というごときものの全然ないものである。室を隔てるものは襖障子であるが、それらは鍵をかけるというごとき防御的、対抗的な「隔て」の意志の表現をかつて帯びたこともないし、その可能性もない。それを開けようとする欲する人に対してはそれを拒み得る何の力もそこには与えられておらぬ。しかもそれがある意味の「隔て」として役立つのは、それが閉ざされていることによって表示されている「隔て」の意志が他の人によって常に尊重されるという相互の信頼に基づくのである。すなわち「家の中」にあっては人々はおのれを守って他に対するという必要を感じない。それは言い換えればおのれと他の間に「隔て」がないことである。鍵は他の意志に対して「隔て」の意志を直接表現するが、襖障子はむしろ「隔てなき」意志を表現しつつ、その「隔てなさ」の上において室を仕切るものに外ならぬ。…(略)…かかる「隔てなさ」を内に包みつつ、外の世界に対しては鍵のあらゆる変形(その中には高い板塀や恐ろしげな逆茂木などもある)をもって対抗するのが日本の「家」である。もしそこに魅力があるとすれば、それはこの小さい世界の内部における「隔てなさ」にほかならぬであろう。』

 いや見事です、脱帽です。

 2020年のオリンピックは「おもてなし」の精神でもてなすそうだが、「隔てなさ」の精神が「非関税障壁」につながることを思うと「?」と思ってしまう。

 『人は問うかもしれない。このような小さい世界は西洋の長屋においても保存しうるのではないかと。しかし、この西洋風の長屋は、それを作るときに共同的な協力を必要とするのみならず、その存立が住人の共同的な態度を予想するものである。他と慰労かを隔てた隣と互いに交際しないような状態においてもそれはなお一つの組織であって、暖房の設備、湯の設備、昇降機の使用等々において常に共同的であることは免れない。そしてこの共同的であることが、日本人を最も不安ならしめるものなのである。』

 このように非共同的な態度では都会生活は不便で快適なものには決してならないし、だとしたら、このような態度は断固として改めなければならないはずだが、和辻は敗戦を経て、「日本人が共同的な態度を身につけることは到底、無理」と判断し、例えば「小さい世界の内部における隔てなさ」を「鍵のあらゆる変形」をもって守ること(これはまさに諸外国、とくにアメリカに批判されている「非関税障壁」に他ならない)を肯定することになったのだ。

 昭和はじめの和辻の激烈な「日本近代批判」を勘案すれば、和辻の戦後の転向は左翼主義者の転向より、日本に悪い影響を与えた点において、はるかに罪深いと、自由主義者の私は思う。

ものは言い様

 小熊英二の「民主と愛国」を読書中だが、「へー、そうだったのか」と思わせる既述が満載で、かなりおもしろい。

 といっても、まだ前半の半分までもいっていないのだけれど、たとえば清水幾太郎が岩波新書の『愛国心』という著書で、戦前の「忠君愛国」というスローガンについて、「自分だけが天皇に対する忠義を独占しようというもので、同列に並ぶ同胞はその競争者」なんで、実際には「忠君」は「愛国」とはつながらなかった、むしろ「民主的な同胞愛」、「国民の人間的な連帯」を破壊するものだった、と批判していたそうである。

 清水の『愛国心』は、1949年発売だから、清水はれっきとした左翼としてそう書いたわけで、後に右翼に転向するわけだが、その思想の根本はまったく変わっていないと言うべきだろう。決して日和見的に変身したわけではない。

 また伊藤恒夫という評論家も、戦中の「買いだめ、売り惜しみ」を例に挙げながら、戦前日本の「忠君」は「民主的な同胞愛」には、つながらなかったと書いているそうだ。

 もちろん、それはキリスト教国の「神への忠義」が、同胞愛=愛国心につながっていることと対比させての言葉だろう。

 ナショナリスト的言動が目立つ石原都知事に、アメリカの知識人が「民族主義者、国家主義者ととられかねない言葉は注意して使え。愛国心なら問題はない」と「忠告」したのも、なるほど、そういう意味だったのだ。

 少し時代は下がるが、敗戦時に10歳だった大江健三郎は、「厳粛な綱渡り」で次のように書いているそうだ。

 「終戦時の子供たちにとって〈戦争放棄〉という言葉がどんなに輝かしい言葉だったか。ぼくの記憶では新制中学の社会科の教師が、現在の日本大国論風のムードにつながる最初の声を発したのが〈戦争放棄〉についてだった。日本は戦いに敗れた。しかも封建的なものや、非科学的なものの残りかすだらけで、今や卑小な国である。しかし、と教師は突然に局面を逆転させるのだった。日本は戦争を放棄したところの、選ばれた国である。ぼくはいつも、充分に活躍する最後の切り札を持ってトランプゲームをやっているような気がした。このようにして〈戦争放棄〉は、ぼくのモラルのもっとも主要な支柱となった。」

 なるほど。

 私は大江の「平和主義」はあまりにも非論理的で支持できないと思っていたし、またいわゆるネット右翼も、大江に代表される左翼の「非論理」を集中的に攻撃してきた。

 しかし、「非論理」も、実はもう一つ「別の論理」、英語で言うところの、えー、なんだっけ…要するに「もう一つの選択肢」なのだ。(私がネット右翼を支持できないのは、彼らの「論理」が「非論理」を排除しさえすればよいと思っている、その純粋さに辟易しているからだ。)

 しかし、大江は、自身の「非論理」を、ガンジーの「非暴力」のように「公」に打ち出さなかった。

 いや、「厳粛な綱渡り」に書いているのだから、隠しているわけではないのだろうが、「私の非戦は、非論理の論理である」と発言の機会があるときは、枕詞にして言うべきだったのだ。

 普通の人とちがい、その「機会」はむちゃくちゃ多いのだから、言っていれば事態はずいぶん変わっていたと思う。

 多分、わけのわからないことを言うと、支持者が減ると思ったのだろうが、大江の小説自体、あれほどわけのわからない小説もないので……結局、すべては小説家・大江の自己保身を優先する「エゴ」から生じているような気がしないでもない。

 何しろ大江は、小説の原稿料、印税でずっと食べてきた唯一の小説家だそうだから。

 別に大江のことを書こうと思っていたわけではない。

 要するに民主主義とは、他のかたちでもあり得る「可能性」を自らの原理としてとりこんでいる政治体制のことであり、それは社民党のように現実離れした政党も、「可能性としてはあり得る」というふうに取り込むめばいいのだ。

 「ものは言い様」みたいだが、でも実際「ものは言い様」なのだ。

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事