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世紀末カルチャー
残虐趣味が埋める失われた現実感

以前なら「忌諱に触れる」とされたはずの嗜好が、 日々の生活にまぎれ、若い女性らの心をも掴んでいる。現実感と規範を失いつつある社会が、その裏に透けて見える。都内に本部を置くレンタルビデオの大手チェーンは、五月に予定していた犯罪映画キャンペーンを取りやめた。

取り上げた新着ビデオ三本のなかに、「土師淳君を殺した犯人が、影響を受けた可能性がある」と、捜査本部に名指しされた映画「フェティッシュ」が含まれていたからだ。富豪夫人ばかりを狙って斬首する連続殺人犯が登場するところが、淳君殺害を思わせると、リストにあがったらしい。

この作品は、殺人鬼と殺人オタクを題材にした、Q・タランティーノ製作総指揮のブラックコメディー。流血の場面は多いが、設定も筋書きも現実離れしていて、犯行の参考になるかどうか疑問ではある。

○増える女性のファン
巻き毛、白い肌、赤い唇と、白雪姫のような風貌のヒロインは、小さいころから異常に犯罪に興味を示し、テレビの犯罪番組チェックや新聞記事のスクラップを欠かさない。長じて、マイアミにある民間の殺人現場処理会社に就職し、ひょんなことから連続殺人鬼と対決するはめになる――。

「内容はホラーといったものではありませんが、時期が時期だけに目立つところに置くのはまずいだろうと……」チェーン店の本部も、当惑気味だ。この時期、「殺人オタク」「斬首」といったキーワードが、すべて「酒鬼薔薇聖斗」に結びついてしまう。

しかし、いまや映画、音楽、美術、コミックなどサブカルチャーの世界で、「死体」や「殺人」は、欠かせない要素だ。女の子のファンも、増えている。専門学校に通うイクミさん(一八)のお気に入りの映画は、米国の殺人鬼エド・ケインをモデルにした「悪魔のいけにえ」。殺人現場や手術の場面などが載っている雑誌を見ると、つい買ってしまう。「血がぐちゃぐちゃっていう感じが、いい」とにかく、寄生虫とか、へんな触感のおもちゃ、へんな漫画と、「気持ち悪いけど気持ちいい」ものに目がないという。

美大生のルミさん(二一)は、数年前、ナチ収容所の写真展を見てショックを受け、人体解剖図や死体の写真を集めたり、それをモチーフに絵を描いたりするようになった。

○不確実な生きる実感
ルミさんは、太りたくないと、思春期に入るころからダイエットを続けてきた。いまもTシャツの上から肩やあばら骨を確認できるほど、痩せている。からだは軽く、汗なんかもあまりかかず、というのが理想だった。その一方で「生きてるって感じ」を求めていた。

「わたしも、ほんとに死んじゃうのかな」と、軽く手首にカミソリをあてたことも何度かある。 親戚の葬式には出たことがあるが、人の死体をじかに見たことはなかった。死体写真をつぶさに見たり描いたりしていると、自分も肉体をもつ人間なんだ、という実感がわいてくる。「現実に、直前まで生きてた人が、肉の塊になってる。それって、すごく不思議じゃありませんか」

「死体」や「殺人」がもて囃されるようになったのは、九〇年代に入ってからのこと。 美女の死体が象徴的に扱われるデビッド・リンチ監督の「ツイン・ピークス」がブームになり、死体や死をイメージした美術写真が人気を集め、タレントの小泉今日子さんが写真集の中で死体に扮したり。

書籍では、ロバート・K・レスラーの犯罪心理シリーズの存在が大きい。九四年に出版され、百万部を超えるベストセラーになった『FBI心理分析官』(早川書房)は、日本の書籍では見られなかったような生々しい事件現場などの写真を収録。翌九五年からは殺人百科『週刊マーダー・ケース・ブック』の刊行も始まった。

こうした本や映画の背景には、八〇年代に入って、米国で連続殺人犯(シリアル・キラー)が続出し、彼らの出版した自伝がベストセラーになったり、サインが売りに出されたりという、現実の裏打ちがある。

加えてインターネットの普及で、海外発信のきわどい画像が手軽に取り出せるようになり、日本では主に自動販売機などで売られていた「悪趣味」分野の本も、一般の書店に並ぶようになった。

その代表格ともいえる『危ない1号』(データハウス)シリーズは、「鬼畜系カルチャー入門講座」と銘打ち、ドラッグから盗聴までの「あぶない」ネタを網羅している。編集長の青山正明さんによると、読者層は男女半々。

「殺人&死体」は、特集の中でも反響の大きい項目の一つというが、青山さんには、いま一つもの足りなさが残る。「目で見て明らかに分かるグロテスクさに人気が集中している。表層的な露悪趣味に、終始しているんじゃないか」

「猟奇犯罪研究家」を自称し、海外の連続殺人事件に詳しい翻訳家の柳下毅一郎さんも、「ブーム」に複雑な面持ちだ。「死体も殺人鬼も刺激物として喜んでいる連中が大勢いて、それを説教する人も、自制が働く人もいない。ああいうのは、まっとうな人間がやることじゃないという“つつしみ”が、八〇年代以降、なくなった」と、嘆く。

○力を失った社会的規範
佐川一政さんのトークショーなどに集まる観客には、二つのタイプがあるという。一つは、「佐川くん」を通じて人間の心理の深淵を覗き、自分の自我を確立したいといったタイプ。もう一方は、「へんなもの」が目的になっている人々。後者は十代、二十代が多く、最近、とみに増えているという。彼らの口癖は「窮屈な社会からはみ出した存在になりたい」。

悪趣味というカルチャーに走ることでしか、自分の存在を確認できない人々だ。酒鬼薔薇聖斗は、「殺人」が自身の「趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある」と、している。彼は、この種の「鬼畜」カルチャーの申し子なのだろうか。

上智大学の福島章教授(犯罪心理・精神医学)は、こうした文化と犯罪を直接的に結びつけ、排除するような動きが生まれるのを危惧する。人間には暴力性が潜んでおり、それを道徳で抑えている。映画やテレビの暴力には、浄化作用がある、というのが教授の考えだ。「個人的には、あんまり気持ちいいとは思いませんがね」(編集部 高橋淳子)

所収▶『アエラ』1997年6月23日号

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