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黒川創「夢の不穏」
初出▶青林堂『ガロ』1992年6月号
収録▶青林堂版『ねこぢるうどん』第1巻

小さい頃、熱を出すと、必ず決まった夢を見た。それは家のすみっこから、クロンボ の人形のようなものが、ぴょこぴょこと現われてくるようなもので、それが夢か現実 なのかさえ、はっきりしない。

だが私は、彼と出会うことによって、自分がすでに熱を出していることを、感じるのだ。幼い頃の夢は、不穏な力を持っている。高い鉄橋のような場所から、落下しつづける夢も、よく見た。

近所のある寿司屋の前からタクシーに乗ると、運転手がピノキオだったという三歳の時の夢も、覚えている(私はピノキオとかピエロとかが恐かった)。
そして、昼間でも、家のすみっこの暗がりからクロンボの”彼” やピノキオが現われるのではないかというおびえは、小学校に入り、その家から引っ越すまで続いた。

ねこぢるの作品の不穏さは、そんな夢の感触に似ているように私は思う。まあ、そうした感触は、いまも多少、私の中に残ってはいる。

本を読みながら、ごく短い眠りに落ちていることがある。そんな時、眠りの中で、ストーリーは条理の枠組みから抜け落ちて奇妙きてれつな形にふくれあがる。

原稿を書きながら(というか、うまく書きすすめられないで筆が止まっているあいだに)、眠りに落ちることもある。すると、夢の中で、思考は舵を失ったように勝手気ままな増殖をはじめ、やがて正気(?)を取り戻した私は、その夢の続きを原稿に記録するような具合いになるのだ。

オーストラリアの先住民アボリジニは、夢と現実とのあいだに特に区別を立てないのだという。ヴィム ・ヴェンダースの映画作品「夢の涯てまでも」も、そうしたアボリジニの感覚を、下敷としている。そこでは、夢を乱開発し、喰いつぶしていく者は、やがてその夢のほうから、逆に喰いつぶされることになる。

”夢”と”現実”とは、ひとつの世界として地続きで、人はいつのまにか”現実”から”夢”の中へと踏み出していってしまうのだ。
ヴェンダースはハイヴィジョンなどのテクノロジーを動員して、その”夢”のディテールを細緻に描きだすことをめざした(ただし、その試みは必ずしも成功していない)。

それと反対に、ねこぢるの場合は、極端に幼稚なポーズを通して、同様の世界に手を差しだしているように見えるのが私には面白い。だが、いっけんラフに感じるねこぢるの絵も、けっして、いわゆる”へたうま”ではない。

大胆で視覚的な構図、書き文字の図像化、そして、スクリーントーンの凝った使い方なども含めて1コマ1コマにたっぷりとニュアンスを持たせようとする点は、彼女独自の持ち味だろう(方法論としては根本敬の正反対だ)。まあ、アヴァンギャルドに通じる道は、いろいろとあるわけである。

夢の中では、ニンゲンの底に眠る”加虐性”とか”悪意”とか、もろもろのものが渦巻いている。だから、われわれは自分の夢のおぞましさにうんざりもするし、しばしば、それにそっと蓋をする。
それは、それでいい。しかし、時おり、ねこぢるみたいな臆面のない漫画家が現れて、ぬけぬけと、その夢の蓋をあばいていってしまうわけである。まあそういう場合に限ってニンゲンにとっての快楽のツボも、一緒に眠っていることは事実なのだ。

『ねこぢるうどん』の背景に描き込まれている風景は、見たところ、一九六○年代か、せいぜい七○年代初頭という感じである。その点、いっけん『ちびまる子ちゃん』とか『となりのトトロ』といった“懐かしモノ”に通じるところが、ないわけではない。だが、『ねこぢるうどん』には、それら、懐かしモノに共有される何かが、決定的に欠けている。

欠けているもの──それは、たぶん、いったん大人に成長した者が過去を振り返るという、秩序立った視線だろう。安定したノスタルジックな視線──そうした視線の中では誰も、小猫のキンタマをえぐり出したり、ボケ老人をいたぶったりはしない。だが、幼い頃からの夢の形を引きずってしまっている者たちは実は、いまもどこかで、そうした無体な殺生を繰り返しているものなのだ。

ちょっと耳にはさんだところでは、ねこぢるの正体は、二四歳ぐらいの女性らしい。だとすれば、『ねこぢるうどん』の街の風景は、実体験にもとづくものというより、いわば、彼女の既視感の中に浮かんでいる風景なのかもしれない。いずれにせよ、このような風景を、平然と脳髄の中に浮かべている不穏さに、私は好感を抱いている。

初出『月刊漫画ガロ』1992年6月号
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再録『ねこぢるうどん⑴』青林堂版
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