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就活と雑多なテーマで

ドラえもんのポケットから今何を取り出しますか?

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ドラえもんのポケットから今何を取り出しますか?
 
(起)
「ドラえもんのポケットから今何を取り出しますか?」企業面接でこのような質問をされたら、あなたは何と答えるだろうか?どこでもドアを取り出してこの場から逃げ出すか、それとも人生やりなおし機を取り出してもう一度青春を楽しむか。緊張感漂う就職面接で、とっさにこの質問に対する答えとその理由を答えられるだろうか。
 
(承)
いま3回生は就職活動の始まりの時期で、インターンシップに参加したり、早い人は内定をもらったりしているのではないだろうか。関西大学に通うみなさんの多くは就職活動をすると思う。
様々な業界があり、大小様々な企業があるが、誰しも必ず通る道が面接だ。面接では志望動機や長所・短所、大学時代頑張ったことなど定番とされる内容が多々あるが、ここではそんな定番な質問とはかけ離れた意外性のある質問を取り上げ、その質問をする意図を明らかにしていく。想像もしない質問には必ずどこかで巡り会うと思う。そんな時にも落ち着いて考えて、話ができるようにここでの内容は頭の片隅に置いて頂きたい。
(展1)
今年度就職活動を行った大学生を対象に、アンケートを実施した(回答者22人)。半数以上の人が「志望理由書や企業に関することしか聞かれなかった」と回答した。一方で、「好きな〇〇を教えてください」や「あなたを〇〇に例えると何ですか」のような一見就職活動に関係ないような質問を受けた人もいた。アンケートに答えてくれた人の約90%はこのような質問を面接でされることを知っていたという。
しかし、面接対策はしているが、このような質問への対策をしていなかった人は半数近く存在することがわかる。対策をしていなかったため、このような質問に対して「どうしよう」や「聞かれたことに驚いた」という感想が挙がっている。
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(展2)
東京の大学に通うHさんは、一次面接のときに「あなたを漢字一文字で例えると何ですか?」と質問された。しかし、彼女は企業の面接でこのような質問をしてくることを事前に知っていたため、驚きはなかったと言う。「大学が主催する就職ガイダンスや先輩から話は聞いていました。何回か面接練習もしたんですけど、毎回このような質問をされていたので質問されるだろうなと思っていました」
彼女の場合、このような質問自体への対策はしていなかったが、企業面接への対策が結果的にこのような質問への対策にもなっていた。「このような質問はその人がどんな人か知るために行われるため、自己分析が大切になってくるよ」と就職ガイダンスの講師の方に言われたそうだ。【取材先:知人(大学4年生)、12月18日に取材】
(転)
実際に人事を担当したことのある人によれば、突拍子もない質問をすることにより「対応力」を見ているという。「準備をしていない質問に対して落ち着いて答えられるかを注目してますね」つまり、面接官はその人の人柄に注目していることがわかる。
しかし、面接の場でよく見られようとしない就活生は少ないと思う。本心を隠して建て前で取り繕い、好感を持ってもらおうとする人が多いのではないだろうか。緊張感が漂う面接で本心を話すことは難しく、変わった質問でその人の本心や人柄を本当に知れるのだろうか。
就職活動を取材してきた経済ジャーナリストは「同じような回答になる質問は避け、練習して暗記してきた回答にならない質問をしています。企業側は、学生が自分の頭で考えた回答をしてほしいと思っています」とコメントする。暗記してきた回答をスラスラ答える学生よりも、回答に詰まったり、たどたどしく回答したりしていても「自分の言葉で話している」学生のほうが面接官は評価する。面接では自分の言葉で筋の通った回答をすることによって、「この学生は自頭がいい」という好印象を面接官に与えることができる。
 
(結)
今回の取材を通して、企業が面接で突拍子のない質問をする理由は、学生の「対応力」と「自ら考えた回答をしているか」という点を面接で評価するためであることが明らかになった。
冒頭で取り上げた「ドラえもんのポケットから今何を取り出しますか?」という質問に対して「採用通知」を答えた人がいる。「ドラえもんのポケットから取り出す」と言われたら、多くの人はアイテムを思い浮かべるだろう。しかし彼は、この企業に受かりたいという思いが緊張感を勝り、「採用通知」という答えが出てきたという。結果的に彼はこの企業からの採用通知を受け取ることができた。
このような質問への答える力をつけるためには、日頃から疑問に思ったことをその場で考えて答えを出す習慣をつけることである。そうすることで対応力が身に付き、想定外の質問にも落ち着いて答えることができるようになる。今後就職活動を控えているみなさんにはどんな質問にも答えることができるようになり、就職活動をまっとうしてもらいたいものだ。
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「『C1000ビタミンレモン!!』面接前にコンビニで必ず飲んでから面接に行ってた!でも続けて3回面接があった日にこれを3本飲んで、面接中にお腹壊してトイレ行きたくなったこともある(笑)」 と、就活中のルーティーンを失敗談を交えて語る稲谷さん(関大商4)。このルーティーンには、①時間に余裕を持って面接会場に向かうことができる。②ビタミンをしっかり摂取することで疲労回復、心を落ち着かせることができる、という2つの効果があるという。とはいえ、飲みすぎが原因で悪影響が出てしまえば、元も子もないため、気をつけなければならない。

人生において、誰しもが面接や試験などの大事な場面に遭遇する機会があるだろう。その際、最高のパフォーマンスを発揮するには、どのような行動をとればいいのか。きっとその答えは100人に聞けば100通りの答えが出てくるだろう。果たして私たちは大事な場面を乗り越えるためには、どのようなことをすべきなのだろうか。
 
「寝る前と朝で聞く音楽を変える」「携帯の待ち受け画面を企業の入社式の写真にする」など、「面接前に自信をつけるために何をしていたか」というインタビューに対して、様々な回答が得られた。また単に選考をこなすだけではなく、これから社会にでる1人の人間として成長するために、「1日1善ならぬ1日10善を心がけていた。」「自分にできることはないかと常にアンテナをはり、様々な場面で視野を広くしていた」など、これらの行為を日頃から行うことで、結果として面接の場にも活きていたという。

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上記のグラフは、採用担当者300人に面接で就活生の何を重視しているかをアンケートし、まとめた円グラフである。この結果から、採用担当者は就活生の態度や話し方を見ているということがわかる。やはり、緊張していると面接に悪影響を及ぼしてしまうのだろうか。とはいえ、採用担当者に好印象を与える態度や話し方とはどのようなものなのか、その正確な基準などはどこにも存在しないだろう。

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この絵は面接で成功を繰り返していた実際の先輩の経験談だ。正々堂々大きな声で話すことが強みというこの先輩は、自分の強みを活かせるように上記のことを常に意識していたという。自分の強みを自分自身で信じてあげることが自信に繋がり、結果として、面接官が重要視している態度や表情にも良い影響を与えていたのかもしれない。
 
ここで、面接に挑む就活生同様、試合前のスポーツ選手が最大限の力を発揮するために行っていることについて調べたところ、音楽を聴く選手が多いことが分かった。「移動中にその日のテンションに合わせて音楽を聴く。」と話す杉山愛さんをはじめ、試合前のロッカールームなどでは気持ちを高ぶらせるため・落ち着かせるために音楽を聴く選手は多数いるという。また、決まったことをすることで緊張をほぐす人は非常に多く、『自律神経を整えるには、体を動かすこともいいことだ。』と順天堂大学医学部教授の小林氏も述べている。
 
しかし、特別なルーティーンなどはいらないと主張する人もいる。「いつも通り朝ご飯を食べて、紅茶を飲んでから家を出る。とにかくいつも通りが1番!」「母親のお弁当を持って面接会場に向かっていた。普段の学校の日も基本的に、昼食は母親のお弁当だったので。慣れたご飯が1番安心する。」と日常と変わらない生活こそが緊張を和らげると話す人もいた。
 
とはいえ、面接は何をしたって多くの人は緊張してしまうものであり、ナイーブになってしまう場面も多いだろう。就職活動に詳しい関西大学教授の松林氏は「面接など大事な場面で力を発揮するには実力を身につけておく必要があるが、緊張自体を恐れる必要はない。」と語る。就活での不合格は受験などの不合格と全く違う心理作用であり、「運」に左右される部分が相当大きく、恋愛の様に「相手に見る目がなかった」と決めつけて次の面接に集中すると良い、という。
 
内定を勝ち取った人の裏側には、計り知ることができないほどの努力がある。自己分析、企業理解、エントリーシートにWEBテスト。ここまで乗り越えてきたからこそ就活生は面接に挑むことができる。上記で述べてきた先輩たちの経験談を参考にするもよし、日ごろ行っていることを継続するもよし。「どんな時も自分自身で自らを強く信じてあげる」これこそが面接で最大限のパフォーマンスを発揮するために最も重要なことなのかもしれない。
 

「ナシ農家が美味しいのはなぜ?」


まだ熱気も冷めやらぬ夏の夜のことである。虫のさざめきをかき分けて、自室のドアをノックする無機質な音が聞こえた。「ちょっと大事な話があるから来て」、聞き慣れた母親の声を確認し、スマートフォンに目を向けつつ二階からリビングに降りていくと、「いとこの○○くん、亡くなったのは知ってるよね?それでな、あんたおじさんとこの農園手伝ってみない?」これが山田啓介さん(20)の人生の転機へと繋がる一言だった。
農家をはじめとした第一次産業の労働人口が減少している中、梨農家への一歩を踏み出した人がいる。みなさんは農家になる、という選択肢について考えたことはあるだろうか。
日本の農家戸数は、雇用機会の拡大による都市部への人口の流出や、高齢化に伴う離農などにより、昭和25年をピークに減少を続けている。2017年の販売農家は、196万3千戸と5年前より37万3千戸、10年前より68万8千戸も減少している。
澤田(2003)は、
農業分野では、これまで農業以外の産業分野から人材を確保することがない。そのため、農業分野の新たな人材確保の方策を用意する必要がある。
と言い、就農者数の確保の問題はとても深刻であると言える。
また近い将来、日本の農業を支えてきた高齢農業者の多くが引退することが見込まれ、農業労働力は、脆弱化の進行が懸念されている。
しかし、販売農家の戸数が減っている一方で、年度別の新規雇用就農者は増加しているデータが示すように、農業に従事する人も一定数存在している。農家の魅力はいったいどのようなところにあるのだろうか。

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まず考えられるメリットとして、勤務時間が自由なことや、一経営者として自由に仕事ができること、出荷時期や作物によっては高収入が期待できる点があげられる。一般的にはこのような利点が考えられる。しかし、実際に農家として働く方々はどのような思いでお仕事をされているのだろうか。
農家になる以前、山田さんは工場で働いていたが、そこでの労働は辛いものだったと言う。「元々体力に自信があるわけではなかったので、工場の仕事はとてもしんどかったですね。残業も多く、忙しい時期だと10時半を過ぎてもまだ帰れない、という日が連日続きました。上司との人間関係にも悩んでいて、軽い鬱になって通院するようにもなりました。」
そして山田さんはある日、上司にやったことがない仕事を説明もなしに押しつけられ、その仕事で失敗すると理不尽に怒鳴られたのである。このことがきっかけで、山田さんは工場での仕事を辞めた。その後、自宅で療養しているときに母親から農家になることを提案されたのだった。
梨農家になってからは工場勤務のときと打って変わり、休みを自由に決めることが出来たり、人間関係に困ることもないなど、ストレスなく仕事ができているようだ。「この時期は叔父さんから電話がかかってきて、今日すごい寒いし休むか。と言われて休みになることが結構あります。この前なんてそれで8連休になりました。」と山田さんは嬉しそうに語った。「それに、自分が作った梨を美味しいといってもらえることほどうれしいことはないですね。」と山田さんは続ける。このように、山田さんは農家としての充実した生活を送っているようだ。
しかし、農家の生活が良いことばかりかというと、そうではない。まず、就職を希望する若い人の視点から見ると、職場において形成される人間関係が他の職場に比べて少ないのではないかという懸念があることが考えられる。他にも、収穫時期の前に台風が直撃した場合の損害や、獣害への対策などの様々なコストがかかる。また、長時間の農作業に耐える為の体力も必要とされるであろう。このように、農家として生きていくことはけして楽な道というわけではなく、最近では兼業農家という業務形態も増えてきている。
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ただ、そういったデメリットだけを見て農家という職業を切り捨ててしまうのは勿体無いように感じる。一生産者として仕事をしていく中で、消費者から自作の作物の評価を頂けた時などは、何物にも変え難い嬉しさや喜びを感じることができるはずである。
若者の就職活動について、ジャーナリストの松林はこう語る。
「学生の就活を見ていて感じるのは、自分が知っている職業しか選択肢にしていないということだ。しかし、世の中に存在する職業は実に多種多様だ。学生がイメージできる仕事はそのなかのほんの一部でしかない。就活で一番重要なことは、自分に向いていて、誇りが持てる仕事を見つけること。それが、自分が知らない業界や職種にある可能性は高い。学生には自分が世間知らずだという前提に立って、社会見学のつもりでなるべく幅広い企業を回ってほしい。」
第一次産業の働き手が減っている中で、どのようにしてこの産業を継続し盛り上げていくかという問題は、農家になる、ならないは別として社会全体として向き合っていかなければならない問題である。農家も消費者も相互においしいトコロを味わうためにも、職業選択をする若者が一度農家という仕事について考えて見ることが大切なのではないだろうか。
新規就農者の農業研修の現状と課題(https://www.jstage.jst.go.jp/article/fmsj1963/41/1/41_96/_article/-char/ja/

クレヨンしんちゃん的イメージ改革!

「年少者の心と道徳の成長に有害だ」2003年12月20日、日本経済新聞に書かれたクレヨンしんちゃんは記事の一部である。現在、大人から子供まで大人気のアニメであるが、15年程前は、子供に見せたくないテレビ番組ランキング1位になる程のアニメだった。なぜ、そこまでの悪印象から好印象に変わっていったのか。また、この変化は就職活動での(印象変化?・企業が求めること?)に活かせることができると考えた。
・就活で第一印象が悪かったが面接で取り戻した人の事例
インターンなどで積極的にいくことができず、良い印象を与えることができなかったが、面接ではその企業にあった取り組みの姿勢や自分自身を知ってもらえることができ、印象を取り戻した。
この事例とクレヨンしんちゃんとの関連性は、クレヨンしんちゃんが当初は下品なイメージで印象が悪かったが、世間が求めるものに合わせていき、クレヨンしんちゃんというアニメ自体のおもしろさを評価してもらいイメージを回復していったと言えるだろう。このように、クレヨンしんちゃんのイメージ回復の背景には、インターンから面接までの一連の流れに類似するものがあると考えた。
・趣旨説明
昔は批判が多かったクレヨンしんちゃんであったが、現在では国民に受け入れられている。その1番の理由は視聴者ターゲットの変更なのではないだろうか。15年前は大人をターゲットにしたアニメだったが、現在は大人と子供の両方をターゲットとしている。その結果、下品なシーン、過激なお仕置きのシーンが減少している。(ちんちん、おしり、お姉さんにナンパ、げんこつなど)

・就活の時に手応えのなかった会社からの内定
→自分としては手応えがないと思っていたが会社側は自分では思いがけないようなところを評価してくれた。今思えばそれは何気ない言葉遣いや立ち振る舞いなどを評価してもらったということなんだろうと考える。
クレヨンしんちゃんは最初は大人向けに書かれた漫画であるにも関わらず、あまり大人にウケがよくなかった。しかし、一部の層にはおもしろさや家族愛が評価された。
・事例、エピ1
昔の会社が求めていた人材は、協調性があり社風に合うかどうかを重視していた。新人を一括採用し、仕事の内容は会社側が一から教えるという今でいうアルバイトのような方式である。今の会社が求める人材は、専門知識を持つ人や新しい発想をする人だ。またコミュニケーション能力も重視される。さらに資格や突出した能力があると有利に働く。
・事例・エピ2
クレヨンしんちゃんの印象が変化したきっかけは2本の映画。それは、「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲(2001年)」、「映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶアッパレ!戦国大合戦(2002年)」であると考える。この2本の映画はヤフー映画の映画評価でも4.5(他のクレヨンしんちゃん映画平均3.3)を超えている。この2本の映画にはそれぞれ、家族愛、父親・母親としての生き方、子供が親を大切にすることなどの家族愛にまつわるシーンが多く扱われている。そんな点などから、親が是非子供に見せたいアニメとなったのではないだろうか。

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・分析
「上司の言ったことを忠実に再現できる反抗しない人間」。昔の会社で求められていたのはそういう人材であったが、現代の会社に求められているのは「専門知識を持つ人や新しい発想ができる、コミュニケーション能力を兼ね備えた人間」である。この違いから、昔の人からすれば、人と一風変わったことをするしんちゃんに新鮮さを感じ、人気を得ていたのではないだろうか。また逆に、現代の人からすれば人と一風変わったことをするしんちゃんに一種の手本のようなものを見出しているのではないだろうか。
日本社会の背景に変化が起き、同時にクレヨンしんちゃんという作品の中でも変化はあったものの、今と昔を比較して唯一変化が起きていないのがクレヨンしんちゃんの主人公である野原しんのすけの、下品さを持ち合わせ非常にユニークであり周りとは一風違ったというアイデンティティである。その理由として、下品でありながらもそれがこの作品の持ち味であり、しんちゃんらしさから世間の一部から嫌われながらもなんだかんだ愛されているキャラクターであるからだと考えられる。
しかし、「子供に見せたくない番組」と言われるようになったことや、監督に変化により、クレヨンしんちゃんのアニメの中で昔に比べ下品な表現や母親であるみさえの叱るシーンなどの少々過激な描写が数年の間減少したことも事実である。

また、度々クレヨンしんちゃんの中では子供たちの会話のなかで普通の幼稚園児ではありえないような社会問題について会話を間接的に行ったり、映画でも子供だけではなく、ある程度物事を考えるようになった年齢の人々に向けてのメッセージが込められたしっかりとしたテーマ性を持つ映画を製作したり、野原しんのすけをただの変わった子供ではなく、大人でも5歳である野原しんのすけに自分を重ね合わせやすいキャラクターに少しずつ変えていくことで幅広い年齢層に親しみを持ってもらう作品になってきている。映画の中でもしんちゃんが主人公であるからこそといった理由もあるが、違った発想で何かしらを良い方向に導きだしたり、誰かを救ったりしている場面が多いのはしんちゃんが「普通」や「平凡」な発想を持った子供ではないからだろう。
親しみを持てる作品になってきたからこそ、クレヨンしんちゃんの主人公である野原しんのすけはただの下品な変な子供という印象から、ユニークで時々天才的な発想を持つ子供へと印象がシフトしつつある。これは少なからず「普通でなくても良い」「個性も大切である」といったメッセージを子供たちに向けているのではないだろうか。就活でも、たとえ初めの印象が良くなくても、他の人とは違った発想を持っていたり、自分の印象をどうにかして良い方向に導きだしたりする力を発揮できれば、柔軟な発想で就活にも対応していけるのではないだろうか。

(あとがき:これら記事は実習授業の一環で書かれたものであって、俺が書いたわけではないので、内容は自分と特に関係ないです)
庵野秀明さん 「死に場所」を探している(アニマゲDON)
 
――放映中の「彼氏彼女の事情」は、高校生たちの恋愛を軸に、見えっ張りやナルシストなど極端な性格の登場人物の言動が笑いを生む。一方、傷ついた心に「やみ」を宿す少年も登場。「エヴァンゲリオン」に続き、内面描写の追求ですか?


■いや、「心のやみ」の部分は原作にもあるが、正直言って今はうっとうしい。「カレカノ」でやりたかったのはギャグ。原作の、シリアスとギャグの幅が大きいところに魅力を感じた。


――作画枚数を極端に減らしてキャラクターの止め絵や風景だけのショットを多用したり、キャラクターの絵を切り抜いて動かしたり。「実験」してますね。


■枚数を使わないことで出る味もあるし、従来の枠にはまった絵を変えたかった。今のセルアニメは表現の幅が狭い。キャラクターはどれも同じ顔で、髪の形と色だけで区別している。そんな約束事の上にあぐらをかいて作り続けるのはどうかなあ、という思いがある。
でもアニメは表現として、ほとんど行き着くところまで行き着いてしまった。二十年たってもまだ「ガンダム」。新しいものを生み出せず、表層を取り換えてリサイクルしているだけ。百年程度の歴史しかないのに、もう現代美術や文学と似た状況になった。
ぼくらの世代以降、日本人には何もない。アニメで言うと、宮崎駿さんや押井守さんの世代は、社会とのつながりとか問題意識の中でモノが作れても、ぼくらにはそんなモチベーションは持てない。必要がないから。「ものごとに意味なんてあるの?」と懐疑的だし、社会とのつながりも希薄。世界といえばアパートとコンビニと会社くらい。
とはいえ、「エヴァ」の時、世間と向き合いたくない人たちから、安易な逃避先にされるのは嫌だった。アニメにしろ何にしろ快楽というのは逃げ場だし、それを求める気持ちは分かるが、傷つく前に逃げこむ、甘える、それで満足するのはどうかな。


――最近、映画「ガメラ3」のドキュメンタリービデオを監督したが、映画の感想は?


■まあ、公開前なので詳しくはそのビデオ「ガメラ1999」を見て下さい。

――子供時代に夢中になった特撮映画を撮る気は?


■色気はあっても、実際に出来るかは予算のこともあるし、分かりません。年齢を考えると、勢いのあるものを作れるのはあと数年と思う。「カレカノ」はいま最終話の作業中。少し遅れ気味で焦ってます。次の企画は半年も休まずに始めるでしょう。
「死に場所」を探しているんです。今の「芸風」でまずは燃え尽きたい。そこで灰をかき集めて別の「芸風」があるなら探す。このままだと「エヴァ」で終わってしまう。それだけは避けたい。そう思わないと作れない。


(聞き手・小原篤 撮影・上田頴人)

あんの・ひであき 1960年、山口県宇部市生まれ。大阪芸術大学在学中に出あったアマチュアフィルム仲間と一緒に、アニメ製作会社ガイナックス設立に参加する。95年の「新世紀エヴァンゲリオン」はデザインと作画の質の高さで若者を引きつけた。緊迫感あふれるSFドラマは様々ななぞをはらんだまま、主人公の心の解放を描いて終了。97年、映画版で完結した。昨年、女子高生の援助交際を描いた実写映画「ラブ&ポップ」を監督。昨年10月からテレビアニメ「彼氏彼女の事情」を手がけている。


●DON
先月の富野由悠季監督インタビューには「最初の『ガンダム』の時は十三歳。『なぜ人は戦うのか?』なんて真剣に考え、悩みました。ガンダムは教科書のようなものだったのかも知れません」(埼玉・水島美樹さん)など、数々のお便りをいただきました。ありがとうございます。次回は三月二十六日に掲載予定。

(朝日新聞 1999.02.26夕刊)
 
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対談 根本敬(特殊漫画家)×山野一(漫画家)
 
「いまも夢の中にねこぢるが出てくるんです」
 
山野 デビューの頃の話から始めましょうか。当時、すでに結婚して一緒に住んでいたんですが、僕が漫画を描いてるときに、彼女は仕事を持っていなかったので、ヒマじゃないですか。それで落書きをしていたんです。そのネコの絵が面白かったので、これを漫画にしたら面白いんじゃないかということで始めたのがきっかけです。それを『ガロ』に投稿したら載っけていただいたというのが最初で。当時は漫画家になるとかそういうことはまるで念頭になかった感じでしたね。
 
根本 最初は名前が違ってたよね。「ねこじるし」。
 
山野 そうです。適当につけた名前で(笑)。変えた理由も明確なわけじゃないですけど、途中から本人がそっちのほうがいいということで。最初からコンセプト的にやってたわけではなくて、とりあえずできたものを載っけてもらった、よかった、ぐらいの感じでしたね。だから、漫画家としての訓練──私も別に受けちゃいませんけど(笑)──は何も受けてない。描いていたのもペンとかじゃなくて、フェルトペンやマジックで描いてましたし。そのへんは根本さんもよくご存じでしょうけど。
 
根本 デビュー前から知ってるけど、たまたま旦那が漫画家で、紙の空いたところに描いたネコの絵がいつの間にか独り歩きして、すごく大きくなっちゃったという感じだった。でも、俺にとっては別に区別はないから(笑)。いつの間にか周りが「ねこぢる、ねこぢる」って騒ぐようなっただけで。
 
山野 根本さんにすれば、「なんで漫画描いてるの?」みたいな感じだったんじゃないですか。
 
根本 でもね、意外と「なんで?」って感じはしなかった。山野さんと知り合う前から、俺の『花ひらく家庭天国』とか読んでたらしいしね。
 
山野 あ、僕と会うもうずっと前から根本さんの作品は熟読してましたね。
 
──山野さんは彼女の絵のどこがいい思ったんですか?
 
山野 ちょっと口では説明しづらいんですけど、何ていうのかな、尋常ではない何かがあって、無表情なのにかわいい、それでいてどっかに狂気が宿ってる、みたいな部分。
 
根本 目に見えないものとか、言葉にできないものとか、ね。
 
山野 同じネコの絵を執拗に描く。ほっとくといつまでも描き続けてるみたいなところも尋常でないものを感じましたね。
 
根本 それを自分で説明できる子だったら、かえって表現できない世界だよね。
 
山野 たとえば、初期の蛭子能収さんの、何も考えないで描く人間の顔なんかも、当の蛭子さんが無自覚な狂気みたいなものまで、見る者に伝えたりするじゃないですか。それと似たようなもの、言語化不可能なある種の違和感かもしれないけど、大人に解釈されたものではない生々しい幼児性というか、かわいさと気持ち悪さと残虐性が入り交じった、奇妙な魅力みたいなものがあったんだと思いますよ。
 
──そのうち、原稿の注文が増えてくるわけですよね。
 
山野 注文が来るなんてまったく思ってもいなかったから、不思議な気がしましたね。普通、漫画家はほかの出版社に漫画を描くときは、別のキャラクターを作るじゃないですか。でも、うちの場合、『ガロ』を見たいろんなとこから来たのが全部このネコの絵でやってくれということだったので、出版社によってキャラクターが変わるということがなかった。
 
根本 タイトルが変わっただけでね(笑)。
 
山野 タイトルも多少、文字が変わってるぐらいで、ほとんどねこぢるナントカですから、よくそれで出版社がOKだったなと思いますね。
 
根本 ねこぢるじゃなくて「ねこぢる」に仕事が来てたんだよね。
 
山野 まあ、そういうことだと思いますね。
 
──彼女の中で「ねこぢる」は、自分だけの作品だったのか、山野さんとの共同作業だったのか、どちらだったんでしょう?
 
山野 仕事とかにもよりますが、役割みたいなものも描いてる連載によって違いますし。どっちにしろ混じっていたのは確かですね。ただ、漫画好きではあったけど、漫画を描いたことがなかったので、いきなり商業誌で「八ページでこんなものを」と言われても無理なんです。アイディアは当人が出すにしても、それを漫画という形にして、いただいたページ数におさめるという作業は僕がやるという感じでしたね。
 
根本 漫画ってちょっと特殊ですもんね。面白いアイディアがあっても、それを具体的なセリフや、コマ割りで展開するというのは、小説とも違い、ある種の特殊技能ですよ。
 
山野 本人は多分、漫画家になろうという意志もないままになってしまったんだと思います。ですから、ある程度、事務性の高い作業は僕が代わりにやるという感じでしたね。
 
──ねこぢるの漫画のセリフはほとんど書き文字ですが、何かこだわりがあったんですか?
 
山野 本人が書いた字がなかなか味わいがあると思ったので、「そのままでいいんじゃないの」と僕が言ったのが最初だと思うんです。それで、普通なら鉛筆で書いて写植を入れるようなところをフェルトペンとかで書き込んじゃって、出版社のほうでもそれでいいという感じだったので、そのまま印刷されちゃったんだと思いますね。
 
根本 それがもう、ごく自然な流れでそのままスタイルとして定着して。
 
山野 そうです。でも、あんなに原稿が大したチェックも入らず、スイスイ入っていくというのは驚きでしたね。僕なんかエロ漫画誌で描かせていただいて食ってましたけど、「これはおっぱいが小さいじゃないか」とか言われて、「すいません」ってその場ででっかく描き直したりとかしていて、うるさく言われるのが当たり前だと思ってました。ねこぢるの場合、差別表現とかどうしても外せない部分ではあるでしょうけれども、それ以外の制約はほとんど受けてこなかった。許されてる枠内で割と自由にやらせてもらっていましたね。
 
根本 そういうところをひっくるめて“才能”なんだよね。
 
年を取ることを異常に嫌っていた
 
山野 以前、ねこぢるが二の腕の内側の静脈瘤というのかな、もつれた細い静脈のかたまりみたいなものを取り除く手術を受けたことがあるんです。座ったままできる簡単な手術なんですけれど、僕は体に刃物が入るとか、怖くて見ていることができないんです。でも、ねこぢるはずーっと手術の様子を凝視してたんです。医者も妙な顔をしてました。それがすごく印象的で。きっとどんなのが出てくるのか見たかったんでしょうね。そうやってじーっとまっすぐに、ある意味無遠慮に、いろんな物や人を見つめるみたいな性質はありましたね。
 
根本 「にゃーこ」の目にそれが象徴されてますね。
 
山野 あるとき、新宿駅で歩いてたんですよ。そしたら、今までおとなしく座ってたプー太郎がいたんですけど、いきなり宇宙語みたいなのをわめきながらまっすぐねこぢるのとこに走ってきて、腕をガツーンとつかんだんです。なぜあの無数に歩いている通行人の中から彼女のところにまっすぐ走ってきて腕をつかんだのかは謎ですね(笑)。
 
根本 それ、ポイント、絶対に何かあるんですよ、そこに。
 
山野 あと、ねこぢるって異常に年を取らなかった。容貌もあまり変わらないですけれども、精神的にずーっと子供のままみたいなところがありましたね。年を取ることをすごく嫌ってましたね。
 
──最後まで、お二人だけで描いていたわけですよね。
 
山野 そうです。でも、スクリーントーンとか、ベタとか、そういう仕上げの作業みたいなものは主に僕がやってたんで、最後まで働いてるのは僕みたいな感じではありましたね(笑)。
 
根本 マネジャー兼チーフアシスタント。あと、まかないのオバさん(笑)。
 
山野 そうなんですよね。
 
──背景とかは、山野さんが描いてるわけですか?
 
山野 いや、背景もペン入れは全部彼女がやってますけど、たとえば背景の下書きみたいなものは僕がやる。
 
根本 だからある意味、世に出た最初からねこぢるは絶頂期のフジオプロの赤塚不二夫先生だったんですよ。山野さんは一人で古谷三敏から高井研一郎から長谷邦夫から何から兼ねてたんですよ、もう全部(笑)。
 
山野 でも、何かやっぱり持ってるものが僕とは全然違っていたと思いますね。
 
──根本さんは「ねこぢるブーム」みたいなものをどういうふうにみていたんですか?
 
根本 ねこぢるブーム! そんなのがあったんですか(笑)。
 
山野 わかんないですけどね(笑)。
 
根本 まあ、傍から見れば、東京電力のコマーシャルにキャラクターが使われるようになったり、アチコチで見かけるから、ああ、すごく儲けてるなって思ったくらいですかね。
 
山野 でも、家賃六万のアパートにずっと住んでましたし(笑)。とくには何も変わりないという感じでしたけど。
 
根本 だって、それで変わるようだったら、そもそも「ねこぢる」は生まれない。でも、皮肉にも忙しくなったよね。
 
山野 そうですね。ある漫画を描きながらも次、その次の漫画のネタを練ってるみたいな状態ではありましたね。
 
根本 いつの間にか気付いたらプロの漫画家になってて、しかも売れっ子の(笑)。
 
山野 本人の中にも仕事をちゃんとこなしたい、もっとやりたいという気持ちと、もうやめたいというのが両方あった気がするんです。意外と責任感があるんで。でも、やっぱり時間的な制約の中で、背景をもっと描きたいんですけども、減らされていったということはあったと思いますね。元の絵が単純といえば単純なんで、劇画とか描かれてる方よりは早く終わるとは思いますけど。でも、それでも、たった二人でやってますから、できる量というのは限られてきますよね。
 
──二十四時間、ずっとお二人一緒だったんですよね。
 
山野 まあ、不健康っちゃ不健康なんですけどね。生活も仕事もみんなその狭いアパートで二十四時間一緒に共にしてるわけですからね。すごく売れてる頃とかでも、近所のコンビニでおでん買ってきて二人で食ってるとか、そんなんでしたから。ただ。僕が仕上げで二日か三日ぐらい徹夜でやってて。起きてきた彼女が「『ジャンプ』」と言うんです。『ジャンプ』の発売日っていうと五時に店頭に並ぶから、朝五時に寒い中急いで『ジャンプ』買いに行くわけです。で、まだコンビニで荷ほどきされていない『ジャンプ』の横で、「まだ? もう五時だよね? さあ早く」という顔で待っとるんですね(笑)。帰ってきて俺が仕事を続けてる横で『ジャンプ』を読んでる。『ジョジョの奇妙な冒険』がお気に入りでした(笑)。まあ、私もヘトヘトですからね、いくらか理不尽な思いはありましたよ。でも、そこで何か言い合いを始めるより買いに行ったほうが早いんで。
 
根本 でしょうね〜、それはねえ〜、うん。
 
遺骨と丸一年暮らす
 
──ねこぢるさんが亡くなった直後、山野さんはどんな感じだったんですか。
 
山野 白木の遺骨と丸一年暮らしてました。世間的には非常識な事らしいですが、葬るべき墓が無かったのでいたしかたないです。その後近所の霊園に墓を建て、一周忌の法要の時にようやく墓に入れました。自分はまあ家に引きこもって、持病の椎間板ヘルニアが出た時などは、コンビニの出前で暮らしてました。二百円払うと何でも配達してくれるんですよ。
それから家か二〇〇mぐらいのとこにあるカウンターのみの汚い居酒屋に呑みに出るようになりました。七十過ぎで江戸っ子のおじいちゃんと、三十後半のちょっと天然な息子さんがやっていて、ナイターを見ながら野球をまるで知らない僕に色々教えてくれましたよ。何一つ覚えちゃいませんが(笑)。でもそんなこんながちょうど居やすかったんでしょうね。他に客はめったに来ないので、仕入れた肴をどんどんただで出してくれました。これが当時の主食でしたね(笑)。ところがこの店が、ある日予告もなく潰れてまして。おじいちゃんに何かあったのかもしれません。それから製麵所を兼ねた蕎麦屋兼居酒屋みたいなとこにトグロを巻いてて、ここも客の入りはサッパリで、ただでつまみをくれるのはいいのですが、程なく潰れましたね、やはり(笑)。食べ物の善し悪しにうるさかった店主がコンビニで弁当チンしてもらってるとこに出くわしたのはバツが悪かったなあ(笑)。僕が通う店はなぜかみんな潰れちゃうんですよね、僕が載っけてもらってた雑誌がことごとく潰れたみたいに(笑)。
 
根本 そこは僕も負けませんよ!(笑)。
 
山野 まあそんなアル中もどきな明け暮れで、健忘症みたいになっちゃって、人とした約束をみんな忘れてしまうんですよ。何もしないでいるのが良くなかろうというので、貰ったまま放置してたMacを、何だかいじくりはじめました。
 
──その後、山野さんは「ねこぢるy」として作品を発表されました。それを拝見すると、やはり以前の「ねこぢる」とは作風が違いますね。
 
山野 そうですね。どちらかというと僕は、側にいて翻訳する係、漫才でいうツッコミ的位置づけだったかもしれない。
 
根本 そう、そうなんですよね!!
 
山野 すごく面白い人がいても、その面白さを表現するのが上手とは限らないじゃないですか。だから、その面白さみたいなものを翻訳する係のような位置づけというと、わりと近いかもしれない。
 
──あっちとこっちをつなぐ人みたいな。
 
山野 たとえば、「ぶたろうは、のろまだけどおいしいにゃー」みたいな言葉を本人はまるで無自覚に言ってるんです。ブタの「のろま」という性質と「おいしい」という性質のあいだにあるギャップみたいなものは、それを意外に思ってハッとする隣の人間がいないとなかなか捕らえられないんです。本人は無自覚なので、それが面白いと思ってもいないから流れてしまうんです。根本さんもいろんな電波な人と会ってるでしょうけど、それを傍で聞いていて面白いと思う人がいて、通訳しないと、その人はそれがとりたてて面白いと思っていないから、そこで流れてしまいますよね。
 
根本 そうなんです。
 
山野 それを拾い上げるのが俺の役割だったんだと思います。
 
根本 うん(深く頷く)。
 
幼児を金しばりにするジワッと来る衝撃力
 
山野 今でも、ねこぢるの夢を繰り返し見るんです。死んだのか、いなくなったのかがたいてい曖昧になってる夢で、ある日、急に帰ってくるんです。それで、家を普通に歩き回って、「どこ行ってたの? 何してたの?」みたいなことを言ってもちゃんとした返事もなく、というか、そんな質問に興味がないって感じで、何日かうちをウロウロしたあと、またいなくなっちゃうんです。冷淡この上ないですよね(笑)。
 
根本 夢に出てくるんですね。
 
山野 出てきますね。あと、レイブのようなカルトのような一種独特な雰囲気の若者達が、運河の近くの廃墟のようなビルに住み着いていて、商売をしたり、なにかの装置で化学的な実験をしたりしているんですよ。雰囲気はちょっと異様なんだけどまあ平和なかんじで、雑草だらけの庭にはそこにはいないはずの昆虫や小動物がいたりするんですが、そこにいるんですよね、ねこぢるが。「なんでこんなとこにいるの?」と聞くんですが、まあ適当な受け答えするんだけど、やはりそっけなくて(笑)、結局、事情がよくわからないままに夢が終わる。それもけっこう見ますね。
 
根本 それはいつ頃からですか?
 
山野 いや、もう死んでからずっとですね。パターンはいろいろありますけれども、まあ、そっけないってことでは一貫してますね(笑)。
 
根本 ハーン、成程。しかしわかります、それこそ言葉以前のところで。ところで、うちの息子が三つぐらいの頃かな、テレビのアニメとか見だした頃、ねこぢるのアニメを見せたんですよ。子供だから、退屈だったら飽きたとか、イヤだったらイヤだとか、そういう感情とか表現するでしょう? そうしたら最初から最後まで一時間、固まったまま(笑)。本人、どうしていいかわからなくて。
 
山野 そうですか(笑)。釈然としないまま見たんですね。
 
根本 俺も、ちょっと問題あったかなと思ったんだけど、本人が画面を見つめて動かないし、しょうがないから時間が経つのを待つしかなかった(笑)。ねこぢるの漫画は、それぐらいジワッと来る衝撃力があるんだよ。今読んでもまったく古びていないしね。それは十年後、二十年後でも絶対に変わらないと断言しますよ。

所収:文藝春秋『ねこぢる大全 下巻』p.790-796(絶版)

「本物」の実感 根本敬

 

大抵、自殺は不幸なものだ。

だが、例外もある。自殺した当人が類い稀なるキャラクターを持ち、その人らしい生き方の選択肢のひとつとして成り立つ事もタマにはあるかと思う。

ねこぢるの場合がそうだ。

死後、つくづく彼女は「大物」で、そして「本物」だったと実感する。

そのねこぢるが「この世はもう、この辺でいい」と決断してこうなった以上、これはもう認める他ないのである。もちろん、個人的には、数少ない話の通じる友人であり、大ファンであった作家がこの世から消えた事はとても悲しい。が、とにかく、ねこぢる当人にとって今回の事は、世間一般でいうところの「不幸」な結末などではない。

とはいえ、残された山野さんにとっては、とりあえず今は「不幸」である。

何故“とりあえず”が付くかというと、ある程度の時間を経ないと、本当のところは誰にも解らないからである。

ねこぢるの漫画といえば、幼児的な純な残虐性と可愛らしさの同居ってのが読者の持つイメージだろう。それも確かにねこぢる自身の一面を表わしてはいるだろうが、「ねこぢるだんこ」(朝日ソノラマ刊)に載っている俗や目常の遠い彼方に魂の飛んだ「つなみ」の様な漫画は、ねこぢるの内面に近づいてみたいなら見のがせない作品だと思う。まだ読んでないファンがいたら、是非読んでほしい。

年々盛り上る、漫画家としての世間的な人気をよそに、本人は「つなみ」の様な世界で浮遊していたのではないか。

 

俗にいう“あの世”なんてない。

丹波哲郎のいう“大霊界”などあってたまるか。

だが、“この世”以外の“別世界”は確実にあると思う。

ねこぢるは今そこにいる。

 

(文藝春秋『月刊コミックビンゴ!19987月号より再録)

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