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ねこぢるさんの夫、山野一さんから愛読者の方々へのメッセージです。
読者のみなさんへ
去る5月10日に漫画家ねこぢるが亡くなっことをお知らせします。故人の遺志によりその動機、いきさつについては、一切お伝えすることができません。また、肖像についても同じく公開できません。
彼女の作品を愛読して下さったファンの方々には、故人になりかわり、厚くお礼申し上げます。生前、彼女が作品化するため、書きとめていた夢のメモを、私がいずれ描くことで、読者の方々への説明とさせていただきます。
また、一部マスコミで"某ミュージシャンの後追い"との憶測報道がなされましたが、そのような事実はありません。
ねこぢるはテクノやゴア・トランスといった全く異なるジャンルの音楽に傾倒しており、本人の強い希望で柩におさめられたのは彼女が天才と敬愛していたAphex Twin(Richard D.James)のアルバムであったことをつけ加えさせていただきます。
漫画家 山野一
所収「漫画家・山野一さんからの緊急メッセージ」『月刊コミックビンゴ!』1998年7月号 文藝春秋 195頁
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漫画家ねこぢるは、去る98年5月10日に亡くなりました。彼女の死の経緯については、故人の遺志により、何も明かす事はできません。
そこで生前彼女がどんな人物であったか、少し書いてみようかと思います。私はねこぢるが18の時から一緒に暮らし、彼女がガロでデビューしてからずっと、唯一の共同創作者としてアシストしてきました。それは私と彼女の作業分担が極めて微妙で外部のアシスタントを入れる事ができなかったからです。
そもそも彼女は漫画家になる気などさらさらありませんでした。暇を持てあましている時に、私の漫画を手伝いたいと言っていたのですが、あまりにも絵柄が違い、ベタぐらいしかやってもらう事がありませんでした。そこで彼女がチラシの裏などに描きなぐっていた無数の落書き…。
その奇妙なタコのようなネコの絵が何とも言い難いオーラを放っていたので、それをモチーフに、彼女の個性というか、かなりエキセントリックな感性を取り込んで、私が一本ストーリーを創ったのが、ねこぢる漫画の始まりでした。
ねこぢるは右脳型というか、完全に感性がまさった人で、もし彼女が一人で創作していたら、もっとずっとブッ飛んだトランシーな作品ができていたことでしょう。私も以前は、だいぶ問題のある漫画を描いていたものですが、“酔った者勝ち”と申しましょうか…。上には上がいるもので、ここ数年はほとんどねこぢるのアシストに専念しておりました。
生前彼女はチベット密教の行者レベルまでトランスできる、類いまれな才能を持っておりました。お葬式でお経を上げていただいたお坊さまにははなはだ失礼ですが、少なくとも彼の千倍はステージが高かったと思われるので大丈夫…。今頃は俗世界も私のことも何もかも忘れ、ブラフマンと同一化してることでしょう。
所収:山野一「特別寄稿・追悼文」『まんがアロハ!増刊「ぢるぢる旅行記総集編」7/19号』ぶんか社 1998年7月19日 166頁
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身長153センチ、体重37キロ、童顔…。
18の時出会ってからずっと、彼女はその姿もメンタリティーも、ほとんど変わることはありませんでした。それは彼女を知る人が共通して持っていた感想で、私もそれが不思議であると同時に、不安でもあったのですが…。
98年5月10日、漫画家のねこぢるは、この世を去りました。
生前彼女は、かなりエキセントリックな個性の持ち主でした。気が強い半面極めてナイーブで、私の他にはごく限られた“波長”の合う友人にしか心を開くことはありませんでした。“波長”の合わない人と会うことは、彼女にとって苦痛で、それが極端な場合には精神的にも肉体的にも、かなりダメージを受けていたようです。彼女程でないにしろ、私にも同じような傾向があり、二人ともノーマルな社会人としては全く不適格でした。
毎日二人して、会社に行くわけでもなく、家でブラブラしているので、ステディーな御近所様方からは「何やってる人達なんだろ…」と、だいぶウサん臭がられていたようです。
そのような自閉的な生活をしていても、彼女にとってこの社会は、やはりなじみにくい場所だったようです。しだいにテクノやトランスの、神経質な音の世界に沈潜することにしか、安住の場所を見出せなくなっていきました。
あと二・三年したら引退して、彼女が好きだったアジアの国々を放浪しようねと、二人で話していたのですが、それを待つまでもなく、インドより、ネパールより、チベットよりも遥かに高い世界へ、一人で旅立ってしまいました...。
所収:二見書房『ぢるぢる日記』(1998年)114-115頁「漫画家 山野一」による「追悼文」
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どうして彼女は…?
「どうして彼女は…」その質問はもう数限りなく受けた。しかし本当のところは私にも解らない。
書かれた遺書は二年も前のものだし。亡くなる前夜は、テレビでやっていた“マスク“というギャグ映画を、二人で見ながらゲラゲラ笑っていたのに…。
ねこぢるはよく“COSMOS“やアインシュタインロマンのビデオを見ていた。中でも量子力学の“シュレディンガーの猫”や“認識した現在から遡って過去が創られる”という、パラノイックで魔術めいた理論に、強く惹かれていたようだ。それはもう宗教や哲学の問題とシンクロしている。ねこぢるがトランス中に話す切れ切れの言葉を聞いてると、彼女がその鋭い感性で、この世界の構造を、かなりシビアな領域まで認識してる事が読み取れた。
まあそんな特殊な能力があった所で、別に自慢にもならず、なんの役にも立たない。むしろ無い方が、アフター5にカラオケでも歌いまくって、有意義な人生を送れるだろう。だって呆れ果てる程殺伐としたものなんだから、何もかも剝ぎ取ったリアルって…。
「どうして彼女は死んだのか?」
そう聞かれたらもうこう答えるしかない。
「じゃああなたはなんで生きてるんですか?」ちなみに私は“惰性“です。生まれてから一度も死んだことがないし、がんばって死ぬ程の理由もないから…。
所収:文藝春秋『ねこぢるまんじゅう』(1998年)112〜113頁「漫画家 山野一」による「あとがき」
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バイオレント・リラクゼーション
彼女の元に来たたくさんのファンレター、その多くは中高生から寄せられたものだが、それを見ると、ねこぢるの漫画の内容のあまりの非常識さに、初めは驚き、とまどいを覚えたものの、次第に引きこまれ、繰り返し読んでいるうちに、自分の心が癒されていくのを感じたという…。またこの世の中や、人間の見方が変わったというものも多かった。
ねこぢるは別に自分の作品で社会批判をしようなどという気はまるでなかった。わざと人の感情を逆なでしてやろうという意図もなく、ただ自分の感性でとらえ、面白いと感じたことを、淡々と無邪気に描いていただけだ。
ではなぜ読者の方々は、ねこぢるの漫画に安堵感を覚えたのだろうか?…それは彼女の漫画がもつノスタルジックな雰囲気のせいかもしれない…。しかしそれよりも、自分との出会い…とうの昔に置き忘れてきた“自分自身”に再開した…そういう懐かしさなのではないだろうか?
まだ何の分別もなく、本能のままに生きていた頃の自分…。道徳や良識や、学校教育による洗脳を受ける前の自分…。社会化される過程で、未分化なまま深層意識の奥底に幽閉されてしまった自分…。その無垢さの中には当然、暴力性や非合理性・本能的差別性も含まれる…。
人間のそういう性質が、この現代社会にそぐわないことはよく解る。どんな人間であれ、その人の生まれた社会に順応することを強要され、またそうしないと生きてはいけない。しかし問題なのは、世の中の都合はどうであれ“元々人間はそのような存在ではない”ということだ。もって生まれた資質の一部を、押し殺さざるをえない個々の人間は、とても十全とはいえないし、幸福ともいえない…。
「キレる」という言葉に代表される、今の若者たちの暴走は、このことと関係しているように私には思われる。未分化なまま抑圧され続けてきたものが、ちょっとしたストレスで、自己制御できないまま、意味も方向性もなく暴発してしまうのではないか…?
ねこぢるの漫画は、そういった問題を潜在的にかかえ、またそれを自覚していない若者達に、カタルシスを与えていたのだと思う。
ねこぢるは右脳型というのか、思考より感性が研ぎ澄まされた人で、社会による洗脳を最小限にしか受けておらず、あのにゃーこやにゃっ太のような子供のままの心をずっともち続けていた。もし彼女が一人で創作していたら、もっとずっとブッ飛んだトランシーな作品ができていたことでしょう。
彼女と親しかったある女性は、ねこぢるの印象を、“いなばの白うさぎ”のようだと話してくれた。
“皮をむかれて赤はだか…”そのむきだしになった繊細な感性が魅力なのだという。でもそういう人間は鋭い反面弱い…。毛皮のあるうさぎ達が、難なくこなしたりかわしたりできることに、一々消耗し、傷ついてしまう…。このような生きにくさ、世の中に対するなじみにくさは、エキセントリックに生まれついてしまった者の宿命なのかもしれない。
98年5月10日 ねこぢるはこの世を去った…。
所収:集英社『ねこぢるせんべい』(1998年)136〜137頁「夫・漫画家 山野一」による「あとがき」 |
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──表題を『混沌大陸パンゲア』としたのは、この中に収録されている「カリユガ」第1話の扉に書いてあるように、現代はヒンズー教の言うところの最末期の状態で、その時に破壊の神シヴァが宇宙を混沌に戻すということと、その最末期の状態のようなことが描かれた漫画作品集ということでつけたのでしょうか。
山野 何となくつけたんですけどね。何百億年だか前に、大陸がみんな一つだったというのを聞いた時に、閃くものがあったんです。自分が考えていたこと…、それは精神的なことだったんですけど、それと通じるものがあったんですよ。根を手繰れば一つみたいな、そういう意味がないわけでもないですね。
──その精神的なことというのは、どんなことだったのですか。
山野 真面目に話し出すとキリがなくなるから一言でいいますけど、ユングの集団的無意識でしたっけ、誰の中にも共通の原体験とかそういうようなものがあるということですね。
──ユングは夢を分析していますけど、この単行本には、現実と幻覚が交錯している夢のような話が多いですね。
山野 そういうのは大体エロ本に描いたやつですね。そこは辻褄合わせというか、起承転結みたいなものがちゃんとあって、誰が読んでも納得出来る漫画というのを、あまり要求しないんですよ。タレ流しというか、女の裸さえ入れれば何を描いてもほぼいいというような所だったんで、そういうのを描いてましたけど、読者にはつまらないんじゃないかと思いますね。
そういう漫画は自分で描いてると楽しいんですけど、読み手を想像すると申し訳ないような感じがしますよ。センズリこく為にエロ本を買ってきたのに、こんな理解できないような漫画が載ってたら腹を立てるだけなんじゃないかと思いますね(笑)。実際に夢で見たことが織り混ぜられているんですけど、そういうのを描いている時は、珍しく漫画を描くのが楽しいというか、自分で満足できますね。
──夢を題材にして描く時は、夢を忠実に再現しようと試みたりするのですか。
山野 漫画で夢の中の変なビジョンみたいなものを描き留めようとすると、どんどんズレてきて、書き終った後で眺めてみると、始めに描こうとしていたものとは、全く別のものになっていますね。僕らは起きてる時に常に五感から入ってくる複雑な情報を、自分でも意識しないうちに処理してそれに対処して喋ったり行動しながら生きているわけですよね。
ただ寝ころんで畳を見ているだけでも、脳の中では状況を把握するという精巧な作業がされているから、毎日毎日寝ないでその作業をし続けるということは、出来ないわけですよね、多分。夢というのは、眠ることによってそういうものから解放されて起きてる時のストレスを解消するみたいな形で理不尽なものが沢山出てくると思うんです。
夢の中って辻褄の合わないことが一杯出てきますけど、そういうものを日記なりに書き留める時でたらめなビジョンを現実と類似した形に整理していくという作業を、無意識のうちにやっちやうんですよ。夢の中にあるビジョンがあって、それを文字に書き連ねてなるべく正確に描写していこうとしていても、書いている最中に、ああ、これは書こうとしていることとちょっとずつズレていってるな、みたいなことがありますよね。
言葉なり漫画なりで夢の中での体験を書き留めるというような、理不尽なものを整理しようとする作業は、精神的に不健康な感じがしますね。多分言葉や漫画という形で置き換えるのが不可能なぐらい、混沌としたものなんだと思いますよ、夢というのは。
──現実のことでもあまりに悲惨な状況の中にいたりすると、これは夢なんじゃないかと思ったり、現実逃避で妄想を抱いたりしてしまいますよね。山野さんはとことん悲惨な人達を描き続けていますけど、小誌の特殊漫画博覧会(92年10月号)での座談会で、そういった人を目撃する機会が多いと言われてましたね。
山野 自分と関わりのない人を第三者の立場で目撃することは凄く多いですね。例えば自分の妹がアレだとかそういうことはないですけど、傍観するような視界の中によくそういう人が登場しますね。
──子供の頃からそうでしたか?
山野 あったと思いますね。
生まれたのが北九州で、四日市にも住んでましたし。両方ともろくでもない労働者の町でしたからね。廻りに文化的な人間なんて一人もいなかったんですよ。自分の育った家庭は特に悲惨ではなかったんです。ごく当たり前の団地ファミリーというか、別に問題もなかったし。高校ぐらいまで何も感じないで生活していたようですね。何か激昂するようなこともないし、沈み込むようなこともないし、何も感じないで何もしないでただボーッとしていましたね。
強い、悲惨な体験とかをして考え方がこうなったというような憶えはないんです。何でこんなにひねた見方をするようになったのかということのハッキリとした原因は自分でもよく解らないんですよ。団地の側面の全く窓のないただっ広い壁とか、そういうのを見て育ったせいかもしれないですね(笑)。ヒビが入った処を漆喰でヒビの通りに塗り固めて補修してあるんですけど、それが何か妙な象形文字みたいな形になったりしてましてね、そういうのを見てるうちに、こうなっちゃったのかもしれないですけど(笑)。
大学に入ってから池袋に住むようになって、そこでもダラダラしてましたね。家族から離れたというのもあるけど、毎日マージャンとかパチンコとかやってただけで、劇的なことなんか何もなかったですね。ただボーッと4年間を過ごしていた感じですね。
会話が空転する感じなんです
──サラリーマンにはなりたくなかっんたんでしたよね。
山野 対人恐怖症という程ではないんですけど、人と関わるのがもう耐え難いんですよ(笑)。アルバイトとかをするにしても、バイクで書類を届けるとかそういうのをやってたんです。それだと受渡しの時以外は道路をただバイクで走っているだけだから、誰とも話をしなくてもいいし、時間が余れば喫茶店で寝るなり本を読むなり自由に出来ましたからね。例えば上司と部下みたいな、ある関係で結ばれた人と、狭い場所で同じ時間を過ごすような不愉快なことが(笑)なるべく少ないアルバイトを選ぼうと思いましたね。
人と心が通じ合うということが、あまりないせいだと思うんですよ。子供の頃から言葉が通じないなということをいつも感じてましたね。多分それは自分が変なせいだと思うんですけど。ある特定の言葉があって、その言葉によって包括されるある概念の範囲みたいなものがありますよね、概念の方を頭に思い浮かべながら自分はその言葉を相手に発しているのに、相手の頭の中にあるその言葉と概念の関係が、自分のとはズレてるんですよ。言わんとしたことが全然伝わらないんです。相手の言ったことも自分では解ってると思っているんですが、本当は解ってないのかもしれませんね。言葉のやりとりが空転するというか、噛み合わないような感じがしましたね。子供の頃からずっとそういう状態で、中学、高校となるにつれて、相手に合わせて話をするようになるから、そういうことを意識的にやっているのを、どんどん忘れていっちゃうんですよ。だから、そんなに苦痛でなくなってもいて、昔はそういうことを感じていたなということも、思い出さない限りは意識しなくなるんです。
──家に篭って一人で仕事が出来る漫画家という職業は、かなり理想に近いのでしょうか。
山野 僕は今でもほとんど人と会わないんですよ。妻と喋るぐらいで、あとは4、5人の編集者と打ち合せをする程度ですから。以前根本(敬)さんといろんな話をしていて凄いなと思ったのは、一度も労働したことがないって言うんですよ(笑)。一度も労働したことがなくて、一度も給料というものを貰ったことがないというのが凄くいいなと思いましたね。
僕の場合は、会社に勤めて社員とか役職がつくとかそういうことは一度も経験したことはないんですけど、少なくとも給料というものを貰ったことはありますね。だから根本さんにそれがないというのが、本当に凄いなと思って。多分一生何処にも就職しないで何の肩書も付かないまま終わるんだろうなと思うと、羨ましい気がしますね。僕は何年間かの間働いたことがあるし、今考えてみると、非常に拭い難い汚点を残してしまったんじゃないだろうかというような気がしますね(笑)。今は一応漫画が仕事でそれで食っているわけですけど、職業という感じはあまりしないですね。自分の好みとは関係なしに、こういう漫画を描いてくれと注文されて、その通りのものを作っている時は仕事という感じが多少しますけどね。
──注文通りの漫画を描かされている時は、苦痛になりますよね。
山野 それはそうですが、自分では全然面白くないなと思っている漫画でも、ある程度好意的な反響があると、読者がどんな読み方をしているのかだんだん解ってくるんですよ。だから、こういう読み方をしている人には、こういう風なことを描けば喜ぶだろうな、ということが解ると、作るのがそんなに難しくなくなってきますね。
あまり注文をつけない出版社で好きなように描いていても、一応読者に理解させようという、無意識な力みたいなものは働いています。どんなにでたらめなビジョンを漫画の中で再現しようとしても、どうしてもコマを切ってフキダシを入れて、主人公や脇役や背景をカメラ的アングルで描くという、漫画の基本的な形態がありますよね、結局それから逸脱しては描けないんです。
主人公が主体の場合でも、その主人公を客観的に別の所から描かなくちゃいけないみたいな。主体が感じとる世界をそのまま漫画という形で表現するのは、とほうもない天才でも出てこない限り無理なんじゃないでしょうかね。
自分の性質と全然違うものを作るというのは、漫画家とはいえ一表現者として非難されたり、堕落していると思われるんだろうけど、それはサラリーマンでも何でも同じじゃないかなという気もしますけどね。例えば鈑金工でも何でもいいですけど、その人が生まれつき鈑金工で、ただひたすら鈑金する為だけに生きてるってわけでもないですから(笑)。多分しようがなしにやってるんでしょう。大体仕事というのは、殆どの人にとってそんなものなんだろうと思うから、漫画家も同じだとは思いますけどね。だから、自分の我が侭通りに好きなことが出来ないからといって、そんなに悲観したものでもないのかもしれないですね。
ネガティブな望みばかりですね
──必ずしも我が侭を通すことが自分にとっていいことであるというわけではないのでしょうか。山野さんにとっていい状態というのは、どんなものなのですか。
山野 普通はこうであればいいなというような状態をイメージして、それに近付けようという努力はするんでしょうけど、自分はいい状態というのをあまり想像できないんですよ、それは不幸でもないということなのかもしれないけど。お金が沢山あればいいとかそういう普通のことは考えますけど、多分お金が一杯あっても、いい状態ではないんじゃないかという感じはしますね。仮に何億円欲しいなと願ってそれが実際手に入っても、あまりいい状態ではないような気がするんです。我が侭なんだか解らないですけど、サラリーマンが「部長になれたらよかんべなぁ」とか思って、部長になれたら凄く満足したりするようなことに相当する望みが想像出来ないというか、そんな感じですね。でもまあ、漫画はもしそうさせて頂けるもんなら、好きにやらせてもらった方がいいに決まってますけど。
──理想が高いんでしょうかね。
山野 いやそうでもないです。アレをやりたいとかコレになりたいとかいうポジティブな理想はあまりなくて、あんな事はやりたくないこんな物にだけはなりたくないという、ネガティブな望みばかりです。中でも一番世の中に出るのは嫌いだから、そういう意味では割と自分の思い通りにはなっていると思いますよ。僕みたいな立場の人間が世の中で生きていくのに、職業にしろ住居にしろ結婚相手にしろ、選び得る範囲というのがあるでしょう。凄く貧しい選択肢しか許されてないわけですけど、その狭い範囲の中では、一番マシな形に収まったのかなという気はしますね。
──ヒンズー教では、与えられたカーストの中で生きていかなければなりませんよね、山野さんのそういった考え方と何か通じるものがあるように思えるのですが。この単行本の中でも、ヒンズー教の神話などを題材にしたものが多いですね。
山野 ヒンズー教の神様というのは凄く神様らしいじゃないですか。他の宗教の神様みたいに嘘をついてはいけないとか、貞節でなくてはいけないなんてつまらないことは言わなくて、シヴァが何百万年も性交をし続けるとか、息子の首をはねて象の首とすげ替えるとか、いい加減ででたらめなとこが、僕にとって神様のイメージに一番近いなという感じがしたんですよ。
神様って、勤勉であれとか人を殺してはならないとか、そんな低俗でケツの穴の小さいこと言わないと思うんですよ(笑)。僕の感じでは、ある子供を彼が欲するままに好き勝手にやりたいことを何も禁止しないで育てたら、神様になるんじゃないかという気がするんですけどね。無制限に食いたいものを食わせてやりたいことはどんな犠牲を払ってでも全てやらせて育てたら、野蛮で無慈悲なヒンズー教の神様みたいな人間が出来るんじゃないかと思いますね。 ──『ヒヤパカ』(小社刊)の後書で幼稚園の頃の神様のイメージというのは、団地の給水塔だったと書かれていましたね。山野さんはそういう高い所から世界を眺めているような視点で漫画を描いているように思えるのですが。
山野 給水塔程度の高さから見える範囲の世界ですね。
幼稚園に入る前後の頃僕が住んでいた四日市という所は、コンビナートがあって、ちょっと郊外に山を切り開いて作った団地があるんですよ。それで、その団地の近くにスーパーマーケットがあって、小学校があってというような所だったんです。
世界が丸いということも知らなくて、荒涼としたユークリッド平面が無限に広がっていて、その上に、工場と学校とスーパーマーケットと団地をワンセットにした殺伐とした町が、ある間隔をおいて点在している、そういう状態がそれこそ宇宙の果てまで広がってるのかと思ってましたね(笑)。日本の形なんてものも知らなくて、四日市の海岸線というのは、埋め立てられて直線になっていたんですけど、陸と海はその直線のまま永久に隔てられていて、これまた宇宙の果てまで続いてるのかと思いましたよ(笑)。
でも、僕が3歳の頃の世界というのは、本当にそんな姿だったのかなという気もしますね。それで、学校で地球は丸いとか教わっているうちに、世界の形というのがだんだん丸まってきて、今解っている形に収まったというか、自分が知っている範囲でしか世界は存在しないみたいな気がしますね。誰とも会わないで部屋に篭っているせいですかね(笑)。
文責●ガロ編集部
一九九三年十二月三日
『月刊漫画ガロ』1994年2月号所収
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自分が初めてガロに投稿したのは83年だから
もう今年で漫画家生活10年になる。
しかし偉そーに漫画家と言っても始めの2年は掲載してくれたのはガロだけ、よって収入はゼロ、アルバイトで飢えをしのいでいた。世間ではこーゆー人の事を漫画家とは言うまい。初めて単行本が出て印税というものを受け取った時は思わず目頭が熱くなった、あんまり安くて。それも旋盤工の月給程度の金額を御丁寧にも5分割で払って下さるのだ。商品としての自分の漫画の価値がいかに低いものであるかという事をつくづく思い知らされた。
それからSM誌とか土方向けエロ本なんかに描くようになりアルバイトをやめる。ところが不愉快な労働から解放され、やれ嬉しやと思ったのもつかの間、この手の零細雑誌はすぐ廃刊してしまうため、たちまち窮乏する。
家賃2万風呂無し共同便所の殺風景な四畳半。
あるのは醤油で煮しめたようなふとんと殺風景なスチール机だけ。ふとんは学生時代友人から貰ったもので、机はその友人と2人で大学から盗んだ物だった(真昼間に堂々と運び出したら別に誰にも見咎められなかった)。ガスや電話(漫画家の命綱)も止められ、コーヒーのお湯は電気炊飯器で沸かしていた。今思えばよく生きて来られたものだと自分でも感心するぐらい。
そんな荒廃した生活で自分は身も心も腐りはてていたが、どんなに惨めだろーが、どんなに落ちぶれ果てよーが、二度と再び働きに出るよーな事はすまい、ほんの少しでも世間の方々のお役に立つよーな事はやるまいと秘かに心に誓っていた。そんな心がけのせいであろうか、その後もこの世界ではひたすら冷遇され続けた。
自分の能力のうち評価されたのは多少絵が描けるという一点だけで、注文が来るのは明るいお色気物とかほのぼのサラリーマン漫画とか自分の性質とは縁もゆかりもないものばかりであった。
2、3年前ギガという漫画誌が創刊され、そこにルーキーリーグなる企画があった。数十人の新人漫画家が、秋元康とか高橋源一郎とかどーでもいーよーなやつらの審査の元、勝ちぬき戦をやるというバカバカしい物であった。本物の新人ばかりだと内容が希薄になるので誰も知らないよーなプロが何割かヤラセで雇われており、その一人が自分であった。
担当編集者が 「ウチはねえ、まともな商業誌ですから、ガロとかに描いてるよーなのは困りますから、なんかエッチな女子高生物とかそーゆのを描いて下さいよ」と言うのでその通りの物を描いてやった。完全になめられてるなァと思いつつもギャラの小銭が欲しかったのだ。結果はわずか2回戦でブザマに敗退した。
グランドチャンピオンという漫画誌の編集はめずらしく理解があり、最低限の規制はあるもののほとんど自由にやらせてくれた。うんうんここはいい会社じゃわいと思っていっしょうけんめい描いていたところたったの7回で打ち切りになった。7回すべてが読者の不人気投票No.1であったそーな。まあこの手の話を挙げれば枚挙にいとまがない。
自分の友人(日雇いガードマン32才)はこう言った。
「仕事とはそもそも不愉快なものだ。味あわされた苦痛や屈辱、そーゆーものの代価としてわずかな銭を受け取るのだ。」けだし事実であろう。そう思えば諦めもつくし何かこう安らかな気持ちになる。個人的な実感としてはガロで描き続けていた事はペルーの通貨を貯金していたよーなものであった。それなりの満足があるにはあるが、他所のどこへ持って行っても通用しなかったし、時にはマイナスにすらなった。
ガロというのは何でも描かせてくれるがそれで食っていくのは不可能。普通の雑誌は拘束されるが金はもらえる。
これから投稿して漫画家になろうというよーな人は、好むと好まざるに関わらずこの両極の間のどこかに自分の位置を見つけていかざるをえないという事を知っておいて損はないだろうと思う。(ガロ1993年6月号203頁より転載) |



