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対談 根本敬(特殊漫画家)×山野一(漫画家)
 
「いまも夢の中にねこぢるが出てくるんです」
 
山野 デビューの頃の話から始めましょうか。当時、すでに結婚して一緒に住んでいたんですが、僕が漫画を描いてるときに、彼女は仕事を持っていなかったので、ヒマじゃないですか。それで落書きをしていたんです。そのネコの絵が面白かったので、これを漫画にしたら面白いんじゃないかということで始めたのがきっかけです。それを『ガロ』に投稿したら載っけていただいたというのが最初で。当時は漫画家になるとかそういうことはまるで念頭になかった感じでしたね。
 
根本 最初は名前が違ってたよね。「ねこじるし」。
 
山野 そうです。適当につけた名前で(笑)。変えた理由も明確なわけじゃないですけど、途中から本人がそっちのほうがいいということで。最初からコンセプト的にやってたわけではなくて、とりあえずできたものを載っけてもらった、よかった、ぐらいの感じでしたね。だから、漫画家としての訓練──私も別に受けちゃいませんけど(笑)──は何も受けてない。描いていたのもペンとかじゃなくて、フェルトペンやマジックで描いてましたし。そのへんは根本さんもよくご存じでしょうけど。
 
根本 デビュー前から知ってるけど、たまたま旦那が漫画家で、紙の空いたところに描いたネコの絵がいつの間にか独り歩きして、すごく大きくなっちゃったという感じだった。でも、俺にとっては別に区別はないから(笑)。いつの間にか周りが「ねこぢる、ねこぢる」って騒ぐようなっただけで。
 
山野 根本さんにすれば、「なんで漫画描いてるの?」みたいな感じだったんじゃないですか。
 
根本 でもね、意外と「なんで?」って感じはしなかった。山野さんと知り合う前から、俺の『花ひらく家庭天国』とか読んでたらしいしね。
 
山野 あ、僕と会うもうずっと前から根本さんの作品は熟読してましたね。
 
──山野さんは彼女の絵のどこがいい思ったんですか?
 
山野 ちょっと口では説明しづらいんですけど、何ていうのかな、尋常ではない何かがあって、無表情なのにかわいい、それでいてどっかに狂気が宿ってる、みたいな部分。
 
根本 目に見えないものとか、言葉にできないものとか、ね。
 
山野 同じネコの絵を執拗に描く。ほっとくといつまでも描き続けてるみたいなところも尋常でないものを感じましたね。
 
根本 それを自分で説明できる子だったら、かえって表現できない世界だよね。
 
山野 たとえば、初期の蛭子能収さんの、何も考えないで描く人間の顔なんかも、当の蛭子さんが無自覚な狂気みたいなものまで、見る者に伝えたりするじゃないですか。それと似たようなもの、言語化不可能なある種の違和感かもしれないけど、大人に解釈されたものではない生々しい幼児性というか、かわいさと気持ち悪さと残虐性が入り交じった、奇妙な魅力みたいなものがあったんだと思いますよ。
 
──そのうち、原稿の注文が増えてくるわけですよね。
 
山野 注文が来るなんてまったく思ってもいなかったから、不思議な気がしましたね。普通、漫画家はほかの出版社に漫画を描くときは、別のキャラクターを作るじゃないですか。でも、うちの場合、『ガロ』を見たいろんなとこから来たのが全部このネコの絵でやってくれということだったので、出版社によってキャラクターが変わるということがなかった。
 
根本 タイトルが変わっただけでね(笑)。
 
山野 タイトルも多少、文字が変わってるぐらいで、ほとんどねこぢるナントカですから、よくそれで出版社がOKだったなと思いますね。
 
根本 ねこぢるじゃなくて「ねこぢる」に仕事が来てたんだよね。
 
山野 まあ、そういうことだと思いますね。
 
──彼女の中で「ねこぢる」は、自分だけの作品だったのか、山野さんとの共同作業だったのか、どちらだったんでしょう?
 
山野 仕事とかにもよりますが、役割みたいなものも描いてる連載によって違いますし。どっちにしろ混じっていたのは確かですね。ただ、漫画好きではあったけど、漫画を描いたことがなかったので、いきなり商業誌で「八ページでこんなものを」と言われても無理なんです。アイディアは当人が出すにしても、それを漫画という形にして、いただいたページ数におさめるという作業は僕がやるという感じでしたね。
 
根本 漫画ってちょっと特殊ですもんね。面白いアイディアがあっても、それを具体的なセリフや、コマ割りで展開するというのは、小説とも違い、ある種の特殊技能ですよ。
 
山野 本人は多分、漫画家になろうという意志もないままになってしまったんだと思います。ですから、ある程度、事務性の高い作業は僕が代わりにやるという感じでしたね。
 
──ねこぢるの漫画のセリフはほとんど書き文字ですが、何かこだわりがあったんですか?
 
山野 本人が書いた字がなかなか味わいがあると思ったので、「そのままでいいんじゃないの」と僕が言ったのが最初だと思うんです。それで、普通なら鉛筆で書いて写植を入れるようなところをフェルトペンとかで書き込んじゃって、出版社のほうでもそれでいいという感じだったので、そのまま印刷されちゃったんだと思いますね。
 
根本 それがもう、ごく自然な流れでそのままスタイルとして定着して。
 
山野 そうです。でも、あんなに原稿が大したチェックも入らず、スイスイ入っていくというのは驚きでしたね。僕なんかエロ漫画誌で描かせていただいて食ってましたけど、「これはおっぱいが小さいじゃないか」とか言われて、「すいません」ってその場ででっかく描き直したりとかしていて、うるさく言われるのが当たり前だと思ってました。ねこぢるの場合、差別表現とかどうしても外せない部分ではあるでしょうけれども、それ以外の制約はほとんど受けてこなかった。許されてる枠内で割と自由にやらせてもらっていましたね。
 
根本 そういうところをひっくるめて“才能”なんだよね。
 
年を取ることを異常に嫌っていた
 
山野 以前、ねこぢるが二の腕の内側の静脈瘤というのかな、もつれた細い静脈のかたまりみたいなものを取り除く手術を受けたことがあるんです。座ったままできる簡単な手術なんですけれど、僕は体に刃物が入るとか、怖くて見ていることができないんです。でも、ねこぢるはずーっと手術の様子を凝視してたんです。医者も妙な顔をしてました。それがすごく印象的で。きっとどんなのが出てくるのか見たかったんでしょうね。そうやってじーっとまっすぐに、ある意味無遠慮に、いろんな物や人を見つめるみたいな性質はありましたね。
 
根本 「にゃーこ」の目にそれが象徴されてますね。
 
山野 あるとき、新宿駅で歩いてたんですよ。そしたら、今までおとなしく座ってたプー太郎がいたんですけど、いきなり宇宙語みたいなのをわめきながらまっすぐねこぢるのとこに走ってきて、腕をガツーンとつかんだんです。なぜあの無数に歩いている通行人の中から彼女のところにまっすぐ走ってきて腕をつかんだのかは謎ですね(笑)。
 
根本 それ、ポイント、絶対に何かあるんですよ、そこに。
 
山野 あと、ねこぢるって異常に年を取らなかった。容貌もあまり変わらないですけれども、精神的にずーっと子供のままみたいなところがありましたね。年を取ることをすごく嫌ってましたね。
 
──最後まで、お二人だけで描いていたわけですよね。
 
山野 そうです。でも、スクリーントーンとか、ベタとか、そういう仕上げの作業みたいなものは主に僕がやってたんで、最後まで働いてるのは僕みたいな感じではありましたね(笑)。
 
根本 マネジャー兼チーフアシスタント。あと、まかないのオバさん(笑)。
 
山野 そうなんですよね。
 
──背景とかは、山野さんが描いてるわけですか?
 
山野 いや、背景もペン入れは全部彼女がやってますけど、たとえば背景の下書きみたいなものは僕がやる。
 
根本 だからある意味、世に出た最初からねこぢるは絶頂期のフジオプロの赤塚不二夫先生だったんですよ。山野さんは一人で古谷三敏から高井研一郎から長谷邦夫から何から兼ねてたんですよ、もう全部(笑)。
 
山野 でも、何かやっぱり持ってるものが僕とは全然違っていたと思いますね。
 
──根本さんは「ねこぢるブーム」みたいなものをどういうふうにみていたんですか?
 
根本 ねこぢるブーム! そんなのがあったんですか(笑)。
 
山野 わかんないですけどね(笑)。
 
根本 まあ、傍から見れば、東京電力のコマーシャルにキャラクターが使われるようになったり、アチコチで見かけるから、ああ、すごく儲けてるなって思ったくらいですかね。
 
山野 でも、家賃六万のアパートにずっと住んでましたし(笑)。とくには何も変わりないという感じでしたけど。
 
根本 だって、それで変わるようだったら、そもそも「ねこぢる」は生まれない。でも、皮肉にも忙しくなったよね。
 
山野 そうですね。ある漫画を描きながらも次、その次の漫画のネタを練ってるみたいな状態ではありましたね。
 
根本 いつの間にか気付いたらプロの漫画家になってて、しかも売れっ子の(笑)。
 
山野 本人の中にも仕事をちゃんとこなしたい、もっとやりたいという気持ちと、もうやめたいというのが両方あった気がするんです。意外と責任感があるんで。でも、やっぱり時間的な制約の中で、背景をもっと描きたいんですけども、減らされていったということはあったと思いますね。元の絵が単純といえば単純なんで、劇画とか描かれてる方よりは早く終わるとは思いますけど。でも、それでも、たった二人でやってますから、できる量というのは限られてきますよね。
 
──二十四時間、ずっとお二人一緒だったんですよね。
 
山野 まあ、不健康っちゃ不健康なんですけどね。生活も仕事もみんなその狭いアパートで二十四時間一緒に共にしてるわけですからね。すごく売れてる頃とかでも、近所のコンビニでおでん買ってきて二人で食ってるとか、そんなんでしたから。ただ。僕が仕上げで二日か三日ぐらい徹夜でやってて。起きてきた彼女が「『ジャンプ』」と言うんです。『ジャンプ』の発売日っていうと五時に店頭に並ぶから、朝五時に寒い中急いで『ジャンプ』買いに行くわけです。で、まだコンビニで荷ほどきされていない『ジャンプ』の横で、「まだ? もう五時だよね? さあ早く」という顔で待っとるんですね(笑)。帰ってきて俺が仕事を続けてる横で『ジャンプ』を読んでる。『ジョジョの奇妙な冒険』がお気に入りでした(笑)。まあ、私もヘトヘトですからね、いくらか理不尽な思いはありましたよ。でも、そこで何か言い合いを始めるより買いに行ったほうが早いんで。
 
根本 でしょうね〜、それはねえ〜、うん。
 
遺骨と丸一年暮らす
 
──ねこぢるさんが亡くなった直後、山野さんはどんな感じだったんですか。
 
山野 白木の遺骨と丸一年暮らしてました。世間的には非常識な事らしいですが、葬るべき墓が無かったのでいたしかたないです。その後近所の霊園に墓を建て、一周忌の法要の時にようやく墓に入れました。自分はまあ家に引きこもって、持病の椎間板ヘルニアが出た時などは、コンビニの出前で暮らしてました。二百円払うと何でも配達してくれるんですよ。
それから家か二〇〇mぐらいのとこにあるカウンターのみの汚い居酒屋に呑みに出るようになりました。七十過ぎで江戸っ子のおじいちゃんと、三十後半のちょっと天然な息子さんがやっていて、ナイターを見ながら野球をまるで知らない僕に色々教えてくれましたよ。何一つ覚えちゃいませんが(笑)。でもそんなこんながちょうど居やすかったんでしょうね。他に客はめったに来ないので、仕入れた肴をどんどんただで出してくれました。これが当時の主食でしたね(笑)。ところがこの店が、ある日予告もなく潰れてまして。おじいちゃんに何かあったのかもしれません。それから製麵所を兼ねた蕎麦屋兼居酒屋みたいなとこにトグロを巻いてて、ここも客の入りはサッパリで、ただでつまみをくれるのはいいのですが、程なく潰れましたね、やはり(笑)。食べ物の善し悪しにうるさかった店主がコンビニで弁当チンしてもらってるとこに出くわしたのはバツが悪かったなあ(笑)。僕が通う店はなぜかみんな潰れちゃうんですよね、僕が載っけてもらってた雑誌がことごとく潰れたみたいに(笑)。
 
根本 そこは僕も負けませんよ!(笑)。
 
山野 まあそんなアル中もどきな明け暮れで、健忘症みたいになっちゃって、人とした約束をみんな忘れてしまうんですよ。何もしないでいるのが良くなかろうというので、貰ったまま放置してたMacを、何だかいじくりはじめました。
 
──その後、山野さんは「ねこぢるy」として作品を発表されました。それを拝見すると、やはり以前の「ねこぢる」とは作風が違いますね。
 
山野 そうですね。どちらかというと僕は、側にいて翻訳する係、漫才でいうツッコミ的位置づけだったかもしれない。
 
根本 そう、そうなんですよね!!
 
山野 すごく面白い人がいても、その面白さを表現するのが上手とは限らないじゃないですか。だから、その面白さみたいなものを翻訳する係のような位置づけというと、わりと近いかもしれない。
 
──あっちとこっちをつなぐ人みたいな。
 
山野 たとえば、「ぶたろうは、のろまだけどおいしいにゃー」みたいな言葉を本人はまるで無自覚に言ってるんです。ブタの「のろま」という性質と「おいしい」という性質のあいだにあるギャップみたいなものは、それを意外に思ってハッとする隣の人間がいないとなかなか捕らえられないんです。本人は無自覚なので、それが面白いと思ってもいないから流れてしまうんです。根本さんもいろんな電波な人と会ってるでしょうけど、それを傍で聞いていて面白いと思う人がいて、通訳しないと、その人はそれがとりたてて面白いと思っていないから、そこで流れてしまいますよね。
 
根本 そうなんです。
 
山野 それを拾い上げるのが俺の役割だったんだと思います。
 
根本 うん(深く頷く)。
 
幼児を金しばりにするジワッと来る衝撃力
 
山野 今でも、ねこぢるの夢を繰り返し見るんです。死んだのか、いなくなったのかがたいてい曖昧になってる夢で、ある日、急に帰ってくるんです。それで、家を普通に歩き回って、「どこ行ってたの? 何してたの?」みたいなことを言ってもちゃんとした返事もなく、というか、そんな質問に興味がないって感じで、何日かうちをウロウロしたあと、またいなくなっちゃうんです。冷淡この上ないですよね(笑)。
 
根本 夢に出てくるんですね。
 
山野 出てきますね。あと、レイブのようなカルトのような一種独特な雰囲気の若者達が、運河の近くの廃墟のようなビルに住み着いていて、商売をしたり、なにかの装置で化学的な実験をしたりしているんですよ。雰囲気はちょっと異様なんだけどまあ平和なかんじで、雑草だらけの庭にはそこにはいないはずの昆虫や小動物がいたりするんですが、そこにいるんですよね、ねこぢるが。「なんでこんなとこにいるの?」と聞くんですが、まあ適当な受け答えするんだけど、やはりそっけなくて(笑)、結局、事情がよくわからないままに夢が終わる。それもけっこう見ますね。
 
根本 それはいつ頃からですか?
 
山野 いや、もう死んでからずっとですね。パターンはいろいろありますけれども、まあ、そっけないってことでは一貫してますね(笑)。
 
根本 ハーン、成程。しかしわかります、それこそ言葉以前のところで。ところで、うちの息子が三つぐらいの頃かな、テレビのアニメとか見だした頃、ねこぢるのアニメを見せたんですよ。子供だから、退屈だったら飽きたとか、イヤだったらイヤだとか、そういう感情とか表現するでしょう? そうしたら最初から最後まで一時間、固まったまま(笑)。本人、どうしていいかわからなくて。
 
山野 そうですか(笑)。釈然としないまま見たんですね。
 
根本 俺も、ちょっと問題あったかなと思ったんだけど、本人が画面を見つめて動かないし、しょうがないから時間が経つのを待つしかなかった(笑)。ねこぢるの漫画は、それぐらいジワッと来る衝撃力があるんだよ。今読んでもまったく古びていないしね。それは十年後、二十年後でも絶対に変わらないと断言しますよ。

所収:文藝春秋『ねこぢる大全 下巻』p.790-796(絶版)

「本物」の実感 根本敬

 

大抵、自殺は不幸なものだ。

だが、例外もある。自殺した当人が類い稀なるキャラクターを持ち、その人らしい生き方の選択肢のひとつとして成り立つ事もタマにはあるかと思う。

ねこぢるの場合がそうだ。

死後、つくづく彼女は「大物」で、そして「本物」だったと実感する。

そのねこぢるが「この世はもう、この辺でいい」と決断してこうなった以上、これはもう認める他ないのである。もちろん、個人的には、数少ない話の通じる友人であり、大ファンであった作家がこの世から消えた事はとても悲しい。が、とにかく、ねこぢる当人にとって今回の事は、世間一般でいうところの「不幸」な結末などではない。

とはいえ、残された山野さんにとっては、とりあえず今は「不幸」である。

何故“とりあえず”が付くかというと、ある程度の時間を経ないと、本当のところは誰にも解らないからである。

ねこぢるの漫画といえば、幼児的な純な残虐性と可愛らしさの同居ってのが読者の持つイメージだろう。それも確かにねこぢる自身の一面を表わしてはいるだろうが、「ねこぢるだんこ」(朝日ソノラマ刊)に載っている俗や目常の遠い彼方に魂の飛んだ「つなみ」の様な漫画は、ねこぢるの内面に近づいてみたいなら見のがせない作品だと思う。まだ読んでないファンがいたら、是非読んでほしい。

年々盛り上る、漫画家としての世間的な人気をよそに、本人は「つなみ」の様な世界で浮遊していたのではないか。

 

俗にいう“あの世”なんてない。

丹波哲郎のいう“大霊界”などあってたまるか。

だが、“この世”以外の“別世界”は確実にあると思う。

ねこぢるは今そこにいる。

 

(文藝春秋『月刊コミックビンゴ!19987月号より再録)

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「自殺されちゃった僕」刊行鼎談
「自殺されちゃった僕」著者吉永嘉明×ねこぢるy山野一×特殊漫画家根本敬
──妻、ねこぢる、青山正明
身近な人間ばかり3人も「自殺」で失った
哀しみと怒りを綴った本「自殺されちゃった僕」。
その著者である吉永嘉明氏と、
ねこぢるの夫であり現在“ねこぢるy”として
漫画を描き続けている山野一氏、
それと2人の友人で、本に登場する人物達とも
親交のあった根本敬氏に集まってもらった。
本誌でしか読めない特別鼎談!
平沢端理●構成
2003年9月28日
妻、巽紗季が亡くなった。
2001年6月17日
僕の仕事仲間で編集者であり、たぶん日本一のドラッグライターだった青山正明さんが亡くなった。
1998年5月10日
僕と早紀の友人であり仕事仲間であった、熱狂的なファンをもつ異色の漫画家、ねこぢるが亡くなった。
共通しているのは、みんな僕のかけがえのない人間であったということ。
気むずかしいけれど、とても魅力的で、豊かな才能があったということ。
そして──。
自殺したということ。
(「自殺されちゃった僕」冒頭より)
 ●明後日、電気が止まるんですよね……。
吉永 ……明後日、電気が止まるんですよね。寒くなってきましたから、電気止まると辛いなぁ……。今さもしい生活してますよ。人生で一番貧してます。
根本 四千万も貯金があった時代もあったのに(笑)。
吉永 二千万ですよ(苦笑)。まあ二千万なんて、うつ病でだらだらしてたら3年くらいでなくなりますよ。妻も稼ぎがなかったですからね、貯金を食いつぶす日々でした。いや、貯金がゼロっていうの本当にきびしいですね(苦笑)。
根本 今やマイナスですからね。
山野 僕らの仕事って、原稿料が入るのは半年後とかじゃないですか。さし当たってが困ちゃいますよね。
吉永 出版社も厳しいみたいで、印税率も下がってますし、この本の版元の飛鳥新社はまだ一応10%なんですけど……その飛鳥新社の編集の赤田さんとは、元々、他の企画の話をしていたんですよ。そんな時に妻が死んだんですね。それでめちゃくちゃな状態になってた時、赤田さんがわざわざ僕の家までみえて、「先に、この今起こったこと書いてみないか」と言われて……ちょっと考えたんですけど、他にもうやりようがないとも思いましたので、じゃあ書こうというのが、この本を書くことになった経緯です。内容については赤田さんから「率直に」ということでね。だから僕も率直に書いたんですけど、自分で見て……この本は非常に感情的な内容になってしまったかもしれないというのはありますね。
根本 奥さんが亡くなってから1年も経ってない今の状況だと、まだある程度感情的にはならざるを得ないでしょう。
吉永 もともと僕は分析的な文章が得意ではないですし、正直、まだ無理だなっていう部分はあったんで。じゃあ率直に感情の本にしちゃえ、ということで、こうなりました。その「率直に」という部分で、山野さんには「フルチンの文章だ」って言われたことがあるんですけど(笑)。僕としてはパンツくらいは履いてるつもりで、あと一息でフルチンになれるところを多少セーブはしたつもりです。とにかく、皆さんには率直であるということと、あと「楽天的だ」ということを言われますね。普段はあまり意識してないですけど、そう言われると確かに楽天的なのかもな、とは思いますね。
根本 それは元々吉永さんの中にある、どうしても拭いきれない感性ですよね。
吉永 神経質で打たれ弱いくせに、最後のところでどこか楽天的な部分があるんですよね。先のことをきちんとシュミレートして、憂うことがない。
根本 まあ、そういうことができる人っていう方が少ないですよ。
吉永 うちの奥さんはしてたんですよね。若い頃からきちっと理屈で考えて、この先どうなるという悲観的なビジョンをずいぶん見てたみたい。そういったものを考えていくと、どうしても悲観的にならざるを得ない気がするんですよ。だから僕は考えないんですけど、その辺が、人から見たら楽天的だと言われるみたいです。でもすごい先のことを今考えて悲観的になってもしょうがないんですよね。とりあえず明日の飯が食えないと。
根本 そうですね、やっぱり、まず電気が止まらないってことは大事ですよ(笑)。
吉永 ホントね(笑)。明後日止まっちゃうんですよ。この寒い季節に。
根本 切ないなぁ〜、切ないなぁ〜。そういう本気でどうしょうもないときは、暖かいお茶一杯だけでも染みるんだよね。
山野 お酒が飲めればワンカップでもありがたい(笑)。
吉永 悪い影響としては貧乏ならではのうつ状態が来て、気持ちがしみったれてきましたね。そういうしみったれた気持ちが、身に染みつかないといいなあとは思っているんですが……染みついちゃうとまずいんじゃないかなと。
根本 大丈夫大丈夫、染みつかないですよ。吉永さんは絶対それを利用して何かしらまた商売しようと思う性質だから(笑)。
山野 吉永さん、僕はちょっと貴族的なところがあるように見えますね(苦笑)。
根本 そうそう、それが端から見れば楽天性に見えるんだけど、その部分が、よく言えば「全身編集者」みたいなところだと思うんですよ。あぁ…僕、今必死で吉永さんを褒めよう、立てようとしてますね。
一同 (笑)。
根本 ともかく、奥さんが亡くなった後、「今立ち止まっちゃったら自分はダメになると思うんで、とにかく仕事しないといけないと思うんですよ」っていうのを会う度に強調してたんで、今すごくつらい状況にはあるけど、この人は最終的に大丈夫なんだろうなっていうのは感じたんですよね。それで結局、途中でやめないでとりあえずちゃんと本にしたっていうのはね、本当に偉いですよ。
山野 吉永さんはすでに出版社に通ってる企画がたくさんあるじゃないですか。だから当面のお金を凌ぐの大変でしょうけど、先にやるべきことがあるって今すごいいいことですよ。
吉永 ええ、先にやるべきことはある。その先にやるべきことに集中したいはしたいんですけど……。
根本 したいんだけど、明後日には電気が止まると(笑)。
吉永 6千円くらいあればいいんですよね。それで電気代払える(笑)。
根本 いや〜、目先のお金っていうのは本当、引っ張られてみないと分からないですからねえ。
吉永 一回貯金残高ゼロになってみないと、ホントに分からないものですよねえ(笑)。
 
●苦しんで書かなければ伝わらない、売れない
──本についてのお話も少し伺いたいんですが、書くことで、3人の自殺について自分の中でなにか結末をつけるといった部分があったんでしょうか?
吉永 途中で気がついたんですけど、書くことではなにも変わらないんですよね。それでもなぜ書くかというと、さっきも話したように、どこまで率直にできるかというのがありました。僕は分析的ではないですから、理屈ではなく感情表現でどこまで伝えられるかと。あとはまあ単純に生きるため食うためですよね。生きる為に書いたというとかっこいいですけど、それは食うために書いたともいえるわけで売れることを見出してより率直によりリアルにするために嫌ですけど、思い出したりして、赤田さんにも言われましたけど、苦しんで書かなかったら伝わらない売れないだから苦しんでくれと笑いを得るために苦しむのはやっぱり物書きなんじゃないかなと思います。
山野 僕もね、一昨年の2月くらいでしたか、吉永さんが書きはじめられるときに、「まだ早いんじゃないか」と言うことは言ったんですよ。5年くらい経って、はじめて整理がついてくるんじゃないかと。でも整理がついてからじゃ、今とは全然違う本になっているだろうから、今書いたからこそ、あの本が出来たという気がします。
根本 ジミヘンだってさ、あの短い生涯で一杯録音残してて、いくらジミヘンとはいえ、中にはどうしようもない演奏のもあるわけじゃないですか。でもその不調な状態の演奏でも、やっぱりそれはそれで胸を打つものがあるわけですよね。そういうことなんじゃないかと思いますよ。本気で、調子の悪い自分をあからさまに残しているわけだから。まあ、そういうのも含めて……吉永さんはなおかつ売ろう売ろうという計算が頭にあるんだから大丈夫ですよ。しかしある意味、今日のこの鼎談が、一番「売る」っていうことにつながらないかもしれませんね(笑)。
山野 ええ、つながりませんね(笑)。
 
──読者から反応は来たりしましたか?
吉永 ポツポツとハガキは来てました。反応が早かったのは、自殺未遂常習者の人が「本読みました。来週精神科に入院するんですけど、この本を持って行きます」みたいな内容のが主流で……女性ばかりでしたね。精神を病んだ人が多くて。今までにない特徴としては、感想の最後にみんな必ず「ありがとう」って書いてあることです。これは、僕が今まで作ってきた本にはなかった特徴ですね。
 
──単純にねこぢるさんや青山さんのファンだったから、読みましたっていう人もいましたか?
吉永 いましたよ。でも、ねこぢる絡みで読んだんだけど、ねこぢるについて書いてる部分よりも、妻について書いてる部分の方が入り込める、とだいたいそういう感想でした。やっぱり僕のテンションの差なんでしょうね。ねこぢるや青山さんのときもショックでしたけど、どうしても、一緒に暮らしてた人っていのは別次元のショックでしたから。ねこぢるや青山さんのところとは同じテンションで書けていないんですよね。そこがばれちゃってる。
 
──山野さんから見て、ねこぢるさんについて書かれている部分が、自分の持っているイメージと一致していたり違ったり、ということはありました?
山野 ねこぢると吉永さんは友達で、僕は夫であったんですけど、友人として仲良かった以上、僕の知らない会話もしてたはずですから。吉永さんがねこじるをどう捉えていたか、というのが率直に書かれていたと思います。僕は吉永さんの奥さんとは何度かしかお会いしたことがなくて、そんなには知らなかったんですよ。だから、吉永さんから奥さんのことはもちろん聞いてましたけど、それを本で読んで再確認したというか……よりわかったというのがありました。青山さんとも僕はそんなに親しくなくて、何度かお会いして、家に遊びに来てくれたことがあった程度だったんですけど、吉永さんの本読んで「ああ、こうだったのか」とあとから分かった感じですね。
 
──ねこぢるさんは「右脳人間」だ、と吉永さんの本の中で触れられてましたけど、そのあたりは山野さんから見てどうだったんでしょうか?
山野 そうだと思いますよ。なんて言うのかな……直感みたいなもので生きてる、という感じはしました。
吉永 直感が異様に鋭いんですよ(苦笑)。ちょっと予言者のようなね、鋭いところが。
山野 そういえば、吉永さんは32歳で死ぬ、とか言ってたことがありましたね。僕はもう忘れてたんですけど、意外とその言葉がこたえてたんだな、というのがを本を読んでわかりました。
一同 (笑)。
吉永 だって、予言者みたいだと思ってた人にそう言われたら、ちょっと困りますよ。やっぱりどこか楽天的なもので、どれだけドラックをやっても、死ぬって思わなかったんですよ。本当に死にそうになって、これはいかんと救急車に乗るんですけど、やっぱり死をあまり覚悟しないで遊んでたから、ねこぢるに「32歳で死ぬ」って言われて、ちょっとドキッとしましたね。
根本 あ、……、今32歳って聞いてさ、昨日たまたまザ・フーのキッズ・アー・オールライトのDVD見てたんだけど、キース・ムーンが楽天的にドラッグやって32歳で死んでたな、とふと思い出した(笑)。
吉永 僕はそれより10も年取ってるんだ(笑)。なんだかんだで結構長生きしてますねえ。
 
●大麻よりやっぱり電気代ですよ。
──この本について、新聞でも取材を受けられたとか?
吉永 取材に来た新聞記者の人に「いろいろ率直に書いてて、ドラッグの方で捕まったりはしないんですか?」とか言われましたけど……やらない、持ってないから書くのであってね、現役だったら書けないですよ(笑)。知り合いのライターの人たちも本当はドラッグについて書きたいんだろうけど、現役だから書けないっていうのがみんなあって。僕はバースト・ハイとかで書いちゃってて、悪いなとも思うんですけど……書くにはやめるしかないですよ(笑)。現役じゃ書けないですよ。マークされるに決まってるじゃないですか?
 
──マークされてる気配はないんですか?
吉永 どうですかねえ。まあ、とりあえず僕、今尿検査受けても家宅捜査されてもなにも出ないので、そこは楽天的に行きたい(笑)。一番やめにくいと思ってた大麻は、お金がないことでやめられましたし。大麻よりやっぱり電気代ですよ。
一同 (爆笑)。
 
──戻りましたね。話が(笑)。
吉永 いや、こういうパブリックなところで「電気代が払えない」なんて話をしてるのはどうかと思うんですけどね(笑)。包み隠さず話をしてきたとはいえ。
 
──では、ここを読んでくれとか、こういう人に読んで欲しいとか、ありましたらお願いします。
吉永 まあ……僕の電気代の話もありきで(笑)、本当に生きるのは大変ですけど、それでも生きようと思っているわけですよ。だから……まあ、「生きましょうよ」と。楽天的にでいいんですよ。まだ実家にいたりで、僕よりは経済的に追いつめられてない人が多いと思うんです。僕はわりとギリギリですけど、楽天的に行きますので、経済的に追いつめられてないんだったら、もうちょっと人生を楽しく生きたらいいんじゃないかと思います。やっぱり生きてる方が、なんかね……楽しい気がしますよ。だから楽しくない人に読んでもらいたいですね。それで「少し割り切るか」と思って欲しい。空前のベストセラーになった「完全自殺マニュアル」は「死んでもいい」という本でしたけど、僕の本は「生きましょう」という本で、正反対なんですよね。同じように売れてくれたらどんなにいいかと思うんですけど、もし同じだけベストセラーになったら、僕は……ドラッグで死にますね。
一同 (爆笑)。
 
──駄目じゃないですか(笑)。
吉永 それは止められないと思うんですよ。そこまで売り上げ手に入れちゃったら、止まらなくなって死にますよ。
根本 いや、でもそういうもんなんだ人間っていうのは(笑)。
吉永 勿論、売れて欲しいですけどねもそんなに売れないから大丈夫ですよ。あと自殺した3人の話が書いてあるわけですけど、背景にはレイヴカルチャー、ドラッグってものがあります。青山さんを除いては、そんなにドラッギーな人ではないですけど、筆者の僕自身の話として、そういう90年代の東京のドラックカルチャーってものがある程度読めると思います。みんな、レイヴ第一世代だからね。僕が倒れてねこぢるに助けられたりとか(笑)、僕が倒れてばっかりなんですけど、まあ、そういうことが書いてありますので、読んでみてください。

吉永嘉明
1962年東京生まれ。明治大学文学部卒。バブル期に就職を迎え、出版界に入る。以来、ずっとフリーで雑誌・書籍の編集に従事。バブル末期には雑誌編集の傍ら就職情報誌や企業案内パンフレットなどを手がけ、「出版バブル」を体験する。海外取材雑誌『エキセントリック』編集部を経て、サブカルで勢いがあった頃の『別冊宝島』で編集・ライターをするようになる。95年〜97年、雑誌形式のムック『危ない1号』(データハウス)の編集に従事。著書に『タイ〔極楽〕ガイド』『ハワイ〔極楽〕ガイド』(共に宝島社文庫)など、編・著書に『アダルトグッズ完全使用マニュアル』『危ない1号』(共にデータハウス)。『サイケデリック&トランス』(コアマガジン)など多数。現在、雑誌『BURST HIGH』にドラッグ&レイヴ小説を執筆。近年、編集より執筆の仕事に重きをおくようになる。
山野一
1961年福岡生まれ。立教大学文学部卒。四年次在学中に持ち込みを経て『ガロ』で漫画家デビュー。以後、各種エロ本などに漫画を執筆。キチ○イや障害者、差別、電波などを題材にした作風を得意とする。主著に『夢の島で逢いましょう』『四丁目の夕日』『貧困魔境伝ヒヤパカ』『混沌大陸パンゲア』『どぶさらい劇場』(共に青林堂)他多数。故・ねこぢるの夫でもあり、現在はねこぢるy名義でも活躍中。雑誌『BURST HIGH』に4ページのマンガ「火星波止場」を連載中(当時)。
根本敬
1958年東京生まれ。東洋大学文学部中国哲学科中退。『ガロ』1981年9月号「青春むせび泣き」にて漫画家デビュー。活動の場は多岐に渡り、かつての『平凡パンチ』から『月刊現代』、進研ゼミの学習誌からエロ本まで。自称・特殊漫画家。他にイラストレーション(しばしば便所の落書きと形容されるドギツク汚らしい)、文筆、映像、講演、装幀等、活動の場は多岐に渡る。主著に『生きる』『因果鉄道の旅』他多数。著者公式HP『因果鉄道の旅とマンガ

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今月は漫画家の山野一さん(ねこぢるy名義でも活動)をゲストに迎えての対談形式でお送りします。山野さんは約8年前、僕は2年半前に共に妻を自殺で亡くしています。同じ境遇の先輩として僕は妻に死なれた当時、山野さんにとても助けられました。2年と8年の違い──残された者はどのように立ち直っていくのか? そのへんを探ってみたいと思います。
◎ ◎ ◎
吉永(以下、吉)どうも、お久しぶりです。今日はとんだ遅刻をしてしまって……

山野(以下、山)2年くらい前は約束自体を忘れてましたよね? 僕も妻に死なれたばかりのとき、同じような症状がありました。音が聴こえづらかったり、温度が分からなかったり。12月なのにTシャツ1枚で過ごしていた時もありました。

吉 僕は未だに重い鬱状態になると自律神経が狂って暑さ寒さがわからなくなったりしています。健忘の方はだいぶよくなってきたんですが……。山野さんは今、(妻に死なれたことからくる)鬱状態を完全に脱しているように見えますが、解放されたという感じはありますか。

 鬱を脱したというより、ショックから遠のいたという感じですね。結婚する以前の状態に戻っていくという感覚ですね。

吉 僕はいまだに妻にとらわれていて、まったく解放されていないので、山野さんみたいな感覚にいつかなれるのかな? と思っているんですが。

 革命的にガラッと心境が変わるわけではなく、なだらかに変わっていくものだと思うんですよ。

吉 (亡くなった)二人は、生前から自殺願望を口にしていましたけど、その点に関しては、どう気持ちの整理をつけましたか。

山 自殺に関しては、健全な状態で選んだことではなく、欝という病気が背中を押したということもあるかもしれない。病気が死に至らしめたという面も否定できないと思っています。

吉 山野さんは僕からみるととても理性的に見ます。僕は山野さんと同じ時を経たとしても果たして同じ心境になれるかどうか……。

山 とにかく二人は世の中に失望していたんだと思います。諦めていなかったから失望するわけで、現実を失望しきることで治癒するということもあるかもしれませんね。

吉 確かに妻は、僕に会う前から失望していました。僕と一緒にいた時は、一瞬失望を忘れたのかもしれませんね。でも7年たって鬱病になって……。

山 でもおかげで、7年生きれたという見方もありますよね。

 僕は、「死なれちゃった。とても悲しい」という本をだして、それにくる手紙を通じて僕よりもヤバイ人、死にたがっている人がたくさんいることを実感しました。それで、どうしても今度は「なぜ生きるのか」ということを考えちゃうんですよね。

 僕はそれには違和感があります。死を選ぶのは能動的なことだと思いますが、生きることは積極的に生きようと思わなくても普通にしていれば生きますから。生きる意味なんてなくても、ささやかな楽しみで人は生きていけるんじゃないでしょうか?

吉 でもささやかな喜びを積み重ねることを人は忘れてしまうんですね。

山 生きる意味を考えずに生きることを虫のように生きているととらえられるかも知れませんが、虫で何がいけないのだろう? と思います。人は等身大の自分より大きな夢を持って、それが達成できないと失望してしまう。それは狂気なのかもしれません。

 山野さんは僕から見るとある種「乗り越えた人間」なんですが、身近な人に死なれて壊れてる人に何かメッセージをいただけますか。

山 ある時スッと抜ける場合もあるし、つらい欝がちょっとした出来事を機に好転する時もある……。とにかく浮き沈みや早い遅いはあっても、時間の経過とともに徐々に解除されるのは間違いないと思うんです。あと、えらそうなことは言えませんが、みなさん生真面目過ぎると思います。色んな事に前向きに正しく失望しろと言いたいですね。
◎ ◎ ◎
確かに人間は錯覚して生きないといきていけないのかもしれない。山野さんと話して、ささやかな喜びに生きるという謙虚な姿勢が自分にも欠けていたと思いました。

吉永嘉明
1962年、東京生まれ。海外取材雑誌『エキセントリック』編集部を経て、サブカルで勢いのあった頃の『別冊宝島』で編集・ライターをするようになる。95年から97年、編集者及びドラッグライターとしてカリスマ的存在だった青山正明氏と『危ない1号』(データハウス)の編集に従事。著書に『サイケデリック&トランス』(コアマガジン)、『自殺されちゃった僕』(飛鳥新社)など。

所収:ミリオン出版『実話GON!ナックルズ』2006年5月号 p.111
ねこぢるyインタビュー
ねこぢる/山野一にまつわる50の質問
質問者:木村重樹(ペヨトル工房)

【1】まずは、故・ねこぢるさんにまつわる話を、山野一さんに伺えたらとおもいます。最初に、ねこぢるさんと山野さんの出会いみたいなことを(さしつかえない範囲で)教えていただけますか?

◎知り合いの知り合いです。

【2】ねこぢるさんはどういう子供だった(と、本人はおっしゃられていた)のですか?

◎最初におぼえたことばが「ばか」でだれに対しても「ばかばか」と言ってたらしいです。当時自宅庭にあった小さい噴水が好きだったそうです。

【3】ねこぢるさんはどういう学生(高校〜大学生)だったのですか?

◎音楽が好きでライブばかり行ってたようです。

【4】山野さんがねこぢるさんといっしょに漫画書き始めるようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか?その頃、つまり『ねこぢるうどん』等、最初期の作品を製作していた頃の、お二人の役割分担……みたいなところを説明していただけませんか?

◎ねこぢるが紙にいたずら描きしてた猫の絵が魅力があったので、私が筋をつくって漫画にしたのが初めです。

【5】“ねこぢるというキャラクターは、どういうふうに考えつかれたのでしょう?名前の由来と、あのキャラクターの姿格好の由来などを、教えください。

◎はじめは「ねこぢるし」という名前でしたが、「ねこぢる」のほうがいいと本人が言い出したのでそうしたと思います。初めは適当に描いてたものが、数をこなしてるうちにああいう形にまとまってきたんだと思います。

【6】フキダシ内部の文字が写植ではなく手書きなのが、ねこぢるワールドをまたいっそう“それらしくしている要因だと、個人的には思うのですが、あれはどういうことでそうなったのですか?

◎本人が手書きのほうがすきだったんだとおもいます。

【7】ねこぢるの作品ストーリー展開は、彼女が観る“ノートのようなものを、山野さんが肉付け〜あるいはアレンジされたものだ……みたいな経緯は著書のオマケ等でも解説されていましたが、そういう“夢日記みたいなものはまだまだたくさんストックがあるのでしょうか?

◎もうあまりありません。

【8】『ぢるぢる日記』というエッセイまんがは、僕自身は、『ねこぢるうどん』みたいな寓話ものと同じくらい……いや、時にはそれ以上に面白いと評価していて、(いささか大層な言い方ですが)世の真理みたいなことを、あの1コママンガとそんなに長くない文章で、いろいろ解き明かしてくれるようで、何度も読み返している一冊なのですが、またどうして、ああいうタイプのエッセイ風の連載をするようになったのですか?またねこぢるご本人は、それを楽しんで書かれていましたか?

◎そういう形で連載するように言われたからだと思います。めんどくさがっていたようですが、時にはたのしかったのかもしれません。

【9】ねこぢるさんの、かつての生活サイクルなどあったら、教えてください。

◎仕事のせいで不規則でした。徹夜したり一日中寝ていたり……。

【10】ねこぢるさんの好物……飲食物、嗜好品、テレビ番組、タレント、映画本、服、おもちゃ、人間……等々、思いだせる限りでけっこうです、教えてください。

◎好きな食べ物は、サブウェイのツナサンドとか野菜。はっさく、たばこはセーラムピアニッシモ、酒はバーボン、ジャックダニエルかフォアローゼス、映画はデビッド・リンチやクローネンバーグなど、おもちゃはブラックライトで光る装飾品など、黒いショートブーツばかりたくさん持ってました。

【11】ねこぢるさんはテレビゲームに、けっこう熱中されていたみたいですが、好きだったゲームとは、どんな種類のどういうタイトルでしたか?そのゲームの世界は、マンガにも反映されていましたか?

◎ファイナルファンタジーがいちばんすきなシリーズだったとおもいます。漫画にも影響してるとおもいます。

【12】ねこぢるさんはエイフェックス・ツイン(リチャード・ジェイムズ)が、大のお気に入りだったようですが、彼の作品のなかでもとくに好きだった曲/ディスクなどありますでしょうか?また彼(リチャード・ジェイムズ)以外のテクノでは、どんなものを好んで聴いていましたか?

◎エイフェックス・ツインはアンビエントワークスとリチャード・D・ジェームスアルバムが特に。他はオービタル、ブラック ドッグ、ジャム&スプーン、スクエアプッシャー、セーバーズオブパラダイス、オーブ、 テクノバ、ドラムクラブなど。 

【13】ねこぢるさんはハルシノゲン(サイモン・ポスフォード)も、大のお気に入りだったようですが、彼の作品のなかでもとくに好きだった曲/ディスクなどありますでしょうか?また彼(サイモン・ポスフォード)以外のトランスでは、どんなものを聴いていましたか?

◎ハルシノゲンはシャーマニクス、ガンマゴブリン、トランスポッターが特に。それ以外はプラーナ・Xドリーム・ジュノリアクター・トータルエクリプスなど。

【14】ねこぢるさんと行ったクラブやレイヴ、コンサートなどで、一番印象的だったのは、どういうパーティでしたか?

◎伊豆山奥の廃墟でやったゴアトラのレイヴ。

【15】ねこぢるさんはそんなに人付き合いがうまい方ではなかったということですが、その一方、日本にいるイスラエル人と友達だったという話ですが、どこからそういう交友があったのですか?

◎路上でアクセサリーを売ってるお兄さんと話してるうちに。イスラエルの若者はトランス好きが多くて話が合うから。

【16】ねこぢるさんと、担当編集者の関係(やり取り)というのは、どういうものだったのでしょう?何か印象的なエピソードなど、ありますか?

◎デブの編集者はきらいだったようです。

【17】ねこぢるさんはかつて、会社勤めをしていたこともあったようですが、どういう職種をどれくらいやっていたのでしょう?

◎生協に本をおろす会社の仕事を半年ぐらい。

【18】ねこぢるさんが生前、好きだった漫画家っているのでしょうか?

◎諸星大二郎さん、根本敬さん、丸尾末広さん、花輪和一さん、など。

【19】ねこぢるさんは山野さんの描く漫画をみてどういう感想をもっていたのでしょうか?

◎面白がったり、つまらながったりしてました。

【20】ねこぢるさんと暮らしていて一番楽しかったことは何ですか?

◎正月だらーっと6〜7時間、NHK教育でやってたアインシュタインロマンを見てた時とか。

【21】ねこぢるさんと暮らしていて、一番つらかったことは何ですか?

◎締め切りに多重に縛られてるときなど。 

【22】ねこぢるさんと山野さんはいろいろな所に出かけられていたようですが、そういう旅行の想い出で(『ぢるぢる旅行記』や『ぢるぢる日記』で発表していないものが)何かあったら教えて下さい。

◎サイパンでかたい黒なまこをしつこく石でつぶそうとしていたねこぢるが、いきなり開き直ったように吹き出してきたそうめんのような内臓に驚いた。

【23】『ぢるぢる旅行記』(ネパール篇)の続きは出ないのでしょうか?個人的には同書のインド篇が、ねこぢる名義の作品の中でも一番好きな漫画なのですが。

◎そのうちネパール行って写真撮って、 描くかもしれません。

【24】『ぢるぢる旅行記』の中で、山野さんは「おまえ(ねこぢる)は力ぬく天才だから」と、ありましたが、そんな彼女の“頭をカラッポにする才能 精神を解放する才能というのは、どういうところで実感されましたか?

◎現実や自分をすっかり忘れて、別の世界を幸福にたゆたえるとか。

【25】ちょうど山野さんとねこぢるさんが、インドを訪れていた向こうで、日本の地下鉄サリン事件を知った、というふうに、『ぢるぢる旅行記』(インド篇)にありましたが、ねこぢるさんはオウム真理教(と、それにまつわる騒動)のことを、どういうふうに思っていたのでしょうか?

◎被害を受けた方もいらっしゃるので……。ただ刺殺された村井さんの容貌や話・歌には強烈な印象をもったようです。

【26】今、『ぢるぢる旅行記』やそれ以外のねこぢる作品を見直していて、ねこぢるさんの作品は(とくに旅行記と銘打たれていなくても)“ここからどこかへ行くということを題材とした/あるいは/そういう姿勢が通底している作品が、とても多いことに気づきました。“トリップ……というとなんか聞こえは悪いですが、移動とか旅行みたいなことにかこつけてねこぢるさんを語るとしたら、どうでしょうか?

◎ここは自分の居場所じゃないなー……かといってどこがそうなのかはわからない。という感じはいつも持っていたようです。

【27】もしねこぢるさんが健在だったら、その後どういう場所に旅行してみたい、という予定や希望がありましたか?

◎インドとかそこらへん……あとトラック島(太平洋の小島)に行きたかったようです。

【28】ねこぢるさんと山野さんは、たしか実際に猫を飼っていたと(たしか『ぢるぢる日記』に書いてあったと記憶してますが)、動物の中ではやっぱり、犬より何よりも、ネコ好きだったのですか?他の動物や生き物にかんする好き/嫌いとか、ありましたか?

◎動物番組はすきでよく見てました。猫はすきですが、犬もすきでした、純朴な顔の柴犬が特に。あとコアラとオランウータンはきらいでした。

【29】『ぢるぢる日記』や『ぢるぢる旅行記』では、山野さんは山野さんなのにたいし、ねこぢる女史は(絵柄の中では)まさに〈ねこぢる〉でしたよね?唐突な質問ですが、ねこぢる女史ご本人と、マンガのキャラである〈ねこぢる〉は、かなり対応するパーソナリティと考えていいのでしょうか?また本人も、それを望んでいたのでしょうか?

◎描いてるすべての漫画の主人公がほぼ同じような猫のキャラクターなのでそうしたのでしょう。キャラと自分はわりとシンクロしてると思います。

【30】生前ねこぢるさんが一番怖がっていたもの/苦手にしていたものって、何でしたか。

◎汗っかきで鼻息の荒いデブ男など。

【31】ねこぢるさんは読者からの感想とかを読んでいましたか?もし、読んでいたとしたら、それをどのくらい気にしたとか、ありましたか?

◎読んだり読まなかったり、時には返事も書いていたようです。

【32】ねこぢるさんのストレス解消法とは、何でしたか?

◎寝続けることですか、寝疲れてましたが……。

【33】山野さんのマンガにもねこぢるさんのマンガにも、神様……それも、全能の神どころか、ゴクツブシのような神がよく出てきましたが、ちなみにねこぢるさんは神様を信じていましたか?いたとして、それはどんな神様でしたか?

◎ゴクツブシの神様は信じてなかったと思います。インドの神様にも興味がありましたが、実際イメージしてたのは「神様」という言葉とかけはなれた、人格的ではないものだと思います。

【34】ねこぢるさんは死後の世界を/あるいは/輪廻転生を信じていましたか?山野さんはどうですか?

◎信じているようなふしもありましたが……私にはそんな大それたことは解りません。

【35】ねこぢるさんと山野さんの共通点もしくは相違点……というものを訊かれたら、ズバリどういうふうにお答えになりますか?

◎共通点・みそっかす・わがまま/相違点・私のほうが若干あいそがいい

【36】ねこぢるさんは自身が関わるキャラクターがいろいろなキャラクター・グッズなど商品化されたり、CMで採用されたりすることにかんして、どんな感想をいだいていたか、教えていただけませんか?

喜んでいましたが、できの悪いものにははらをたてていました。

【37】ねこぢるさん逝き後も、ねこぢるキャラク ター・グッズはたくさん出現し、漫画を読まない人たちも含め、とても幅広い層に支持されていますよね?それはある意味皮肉なことかもしれないけれど、山野さん的には、こういう〈ねこぢる現象〉みたいなことを、ご自身のなかでどう受け止められているのでしょうか?

グッズから入った人も、その形状から発せられるなにかを、感覚でちゃんとかぎとってるという具体的な話を人づてに聞いて、ねこぢるの創ったキャラクターのアニミスティックな力に改めて驚きました。

【38】新版の『ねこぢるうどん』をトランスパーティのデコレーションやペイントで知られるKCさんが担当していましたが、商業出版の装幀なのになかなかサイケデリックな仕上がりでしたが……山野さん的にはこれらのデザインは、どうでしたか?

KCさんには私が直接デザインを依頼しました。彼がねこぢる好きだったこともあり、快くひきうけていただけました。商業出版っぽくないすばらしいデザインだと思います。 

【39】山野さんの漫画にもねこぢる名義の漫画も、狂人や老人や貧乏人や我儘な人間が出てますが、そういう登場人物は、割と現実的なモデルがあるものですか?それとも頭の中にいるキャラクターなのですか?

両方あります。町で実際にお見かけした方もけっこういいモデルになってます。

【40】ねこぢるの漫画には(にゃーことにゃっ太という、子猫の姉弟が主人公ということもあってか)いまのわれわれが子供だった時代の設定/子供時代の視点に、みちあふれていますが、漫画のなかのモティーフと、実際にねこぢるさんが子供の時の家庭環境や家族構成には、シンクロするところがあるのでしょうか?

◎ところどころシンクロしますが家族その他は架空に創りだしたものだと思います。時代背景はレトロな雰囲気をだすためねこぢるが育った時代より古目に作られてます。

【41】差別とか暴力、狂気や無慈悲みたいなことが、ねこぢるのモティーフにはしばしば採用されていて、それがそういう世界観に免疫のない若い読者たちに新鮮にうつっている……みたいなことが、(マンガとしての)ねこぢる人気の分析で、しばしば指摘されるところですが、山野さん自身、ねこぢるのマンガが、彼女の死後もなお人気が衰えるどころか、いや増している現状を、どうお考えになってますか?

免疫がないといっても、差別や暴力・狂気・無慈悲というものがなくなっているはずもなく巧妙にふたをされてるだけなので、若い人たちも常にそれにさらされ、あるいはかかえてると思います。いろんな事情で現実には言えない、やれないようなホンネがせめて漫画のなかでもズダッと、放り出されていたらすこしはせいせいするのではないかと思います。

【42】山野さんとの共同作業とはいえ、ねこぢるさんは漫画家という職業なり肩書きをもっていたわけですが、もし彼女がそういう表現手段を持たなかったら、ねこぢるさんはどうなっていたと思いますか?

◎ねこぢるはそれほど表現ということに固執してなくて、漫画は描くより読んでるほうがいいと、よく言ってました。なにもしないでだらだら暮らしたかったようです。

【43】たとえばねこぢるのマンガを英語に翻訳したとして、それは外国人にも受けると思いますか?翻ってねこぢるワールドと、日本のある世代、ある感覚の持ち主にしか 通用しないものか、それとも(大層な言い方ですが)ある種の世界的な普遍性を持ちえているものか、どうでしょうか?

◎どうでしょう、パソコン世代の子供達にも読んでもらえているようなので、世代はこえてるような気もしますが……。世界的な普遍性なんてものをもしもってるなら、逆につまんないような気もしますけど……。

【44】先の質問に関連してくるかもしれませんが、ねこぢるのマンガを一度も読んだことのない、なおかつ日本人でない相手にたいして、山野さんがそのマンガを説明しなくてはいけなくなりました。(通訳はいるという仮定で)どのように説明しますか?

◎絵と字がかいてあります。ねこの姉弟が遊んだり怒られたりトンカツをたべたりするお話です。

【45】ここからは山野さんがねこぢるyさんについての質問になります。まずねこぢるさんが亡くなってから先、ねこぢるという作品を封印することなく、ねこぢるyという名義で書き続けることになった経緯を、教えていただけますか。

◎ねこぢるをこのまま消さないでほしいというファンや家族の要望。逆に描くべきではないとの批判の声もいただいております。

【46】山野さんなりの分析でお願いしたいのですが、ねこぢるねこぢるyは、どこがどういうふうに違うと説明できますか?

ねこぢる作品はねこぢるを山野がサポートしてできたものです。ねこぢるy作品は山野が単独でねこぢるのキャラクターを使用しているものです。

【47】ねこぢるyでは、マックのペイントソフトや画像加工ソフトが導入されているとおぼしき、エフェクティヴなコマが目につくのですが、そのへんの加工は、意識的に(タッチを変えていこうと)してやっているものですか?それとも自然にそうなってしまうものですか?

◎マックは漫画をかくツールとしてペンよりだいぶ面白いということに気づいてしまったせいと思います。

【48】今後ねこぢるyではなくて、山野一さんの漫画をまた読める機会というのは、遠からぬ将来くるものでしょうか?山野さんご自身は、そのへんの使い分け、というか、なにか意識されていることがあったら、教えて下さい。

◎解りません。今なぜこんなことをしてるのかこの先どうなるのか、あまり考えられてません。

【49】ねこぢるyとしていわば彼女の遺志を継承した山野さんの今の立場として、やっぱりねこぢるねこぢるyはかなわないな……という部分があるとしたら、それはどういうところだと思いますか?

◎無自覚・無造作・無邪気……それでいて人のふところを深くえぐるような言葉・絵

【50】最後にオマケ……というかぜんぜん余談の質問です。友達のパーティ好きな女の子が今、イギリスに留学に行ってるんですが、寄宿先のロンドンのアパートに幽霊(らしきもの)が出るので困って、枕元にドリーム・キャッチャーとねこぢる人形を並べて寝ているらしいのです……が、はたして“ねこぢる人形は魔除けになると思いますか?

◎なることを祈ります。


初出▶河出書房新社『文藝』2000年夏季号
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