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ねこぢるインタビュー「なんかシンクロしちゃってるのかな、とかたまに思ったりして」
──漫画を描きはじめたきっかけは、どういうことですか。
元々は旦那(山野一氏)が漫画家で、それを手伝いたいといつも言ってたんですけど、ちょっとそれは無理なんで、自分に合った話とか絵とかもアレンジしてくれるというのが描き始めたきっかけです。あと隣に猫を飼っている外人がいて、よく世話とか頼まれたりして、その猫の絵を描いたりしてて。いちばん最初に描いた『ねこぢるうどん』は、 私生活にかかわる変なことがあって、それで山野が思いついて描いてみろという感じで『ガロ』に載ったということです。
──ペンネームも「ねこぢる」にしちゃったというのは。
最初「ねこぢるし」だったんですけど、自分も「ねこぢる」「ねこぢる」と言っているから、そのほうが覚えやすいし、言いやすいし、インパクトが残るかなと思って。
──話はどんなふうに思いつくんですか。
ケース・バイ・ケースですけど、自分の夢をちょっと入れたり、旦那が考えたり、二人で考えたり。ここはこうしたほうがいいとか、そんな感じでやっています。
──描いてみてから、編集の人に「この話はさすがにマズイんじゃないですか」というようなことを言われた経験はありますか。
"ちょっとどうかな?"というのでは、豚が丸焼きになっちゃうというのを描いて、それは「上に訊いてみないと」と。ふつうは、養豚とかはだめですし、死んじゃうとかいうのは、発行部数の多いところではだめです。完全に擬人化した豚とかなら大丈夫みたいですけど。
──ところで、根本敬さんみたいに、やっぱり実生活でも変なことって多いんですか?
前に、赤羽駅の渡り廊下で手を振っている男の人がいるんですよ。その時は私一人しかいなくて、振り返ってみても誰もいないのに、いつまでたってもずっと手を振ってる。あと、早朝にコンビニに行ってニ〜三分で買物を終え、来た道を通ったら男の人がサイクリング自転車から下りて、下半身をあらわにしてウンコをしそうになってた(笑)、私が睨みつけてたら向こうはニヤニヤして、スカトロマニアなのかな、とか。コンビニはすぐだから、ジュースを1本買えばトイレなんか借りられますよね。それをわざわざ道でやってるわけですから。これは三回あります。
──路上排便を見ちゃった。
ええ。おばさんとかも。家の近くだったから、急いで帰って山野に教えたけれども、もうおばさんはいなくなっちゃって、自分でも嘘っぽいなと思って、わざわざ見に行ったらちゃんと現物があった(笑)。旦那にもよく言われるけど。やっぱり変な人を見る確率が高いと思う。
──特殊な人からアプローチされるということはありますか。よく浮浪者の人に話しかけられやすい人って、いるじゃないですか。
前に新宿で電車がとまって立ち往生しちゃった時に、アルプス広場で友達と待ってたら、浮浪者がだんだん近付いてきて、うわヤバイのが来ると思ってたら急に手をつかまれて「おれ、頭ばかなんだ」と、涎たらして鼻たれて。頭にきたから、すぐ警察のところへ行って。「手をつかまれた」と言ったら、「オラーッ」とかって首根っこをつかまれて浮浪者は連れて行かれました。
──「向こう側」からの触手というか、そういうものに反応する部分があるのかもしれないという認識は自分では嫌なんですよね。
なんかシンクロしちゃってるのかな、とかたまに思ったりして。
──夢のほうはどうですか?
私すごい変な夢ばっかり見て、これは今度書き下ろしで出す予定の本に描いたんですけど、いきなり自分がローマ時代の領主の娘で、父親が一人の男の奴隷と犬五〇〇匹を連れて二階の広間にこもっちゃったという話から始まる夢を見たり。
──ローマ時代に対してのベーシックな知識とか興味とか、そういうことがあったりするんですか。
ないんですけど(笑)。
──自分でもびっくりですね。そんな夢見て。
いつも変な夢ばっかり見てるから、慣れてます。
──「今度はローマか」という程度ですか。
そうですね(笑)。夢はかなり記憶してるんです。だいたいオールカラーで。旦那にもすごいと言われたんですけど、夢を起きてから忘れちゃう時がありますよね。でも、また何か月かたってから、その夢の続きを見たりすることがあるんですよ。
──それ、すごいですね。
一時期RPGが好きでよくやってたので、その影響で夢がテレビの画面と同じように見えたことがあります。実写とテレビ画面が混ざったような夢を交互に見たり。あと、そういえば夢が外に出てきちゃった時がありました。夜中に犬にかまれて手を振り払ったら、犬が布団の上にいて、すぐに泡のように消えていっちゃった。
『文藝』1996年冬季号 河出書房新社
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山野一
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ユリイカ総特集=悪趣味大全
山野一インタビュー「カースト礼賛」
── 一昨年(一九九三年)の暮れから昨年にかけては、 『混沌大陸パンゲア』(青林堂)、『どぶさらい劇場』(スコラ)、『ウオの目君』(リイド社)と三冊の単行本が刊行されましたが、『ウオの目君』は、初めて一般向けコミック誌(リイドコミック)に掲載された作品ですね。
山野 あれは完全に普通の人向けですよね。『ウオの目君』だけ見てて、たまたま本屋で『パンゲア』なんかを見た人から、どうしてこんなものを描くのか理解できない、みたいなハガキをもらったこともありますよ。こんなにちゃんとした漫画が描けるのに、どうしてこういうひどいのを描くんですか、みたいな。本当はひどいのが先なんだけど。
──山野さんの作品は、最初期のころから貧乏とか悲惨さの描写が凄いですね。
山野 わりと、実際にあった話を使ってることが多いんですよ。『四丁目の夕日』の、印刷工が機械に挟まれちゃうのなんかもそうだし。大学生のころ、ある出版社で校正のバイトをしてたんですが、そこの下請けの印刷所の社長さんがほんとにそうなっちゃったんですよ。で、その話を部長さんが僕の隣の席でしてて。その部長さん、低学歴で叩き上げなもんで、もう同情して涙ぐんじゃって、気の毒だ気の毒だって言うんですよ。隣で笑いを圧し殺すのに大変でした(笑)。そりゃ気の毒は気の毒だけど……それってもう笑っちゃうしかないでしょう?
その出版社の地下にも印刷所があって、ときどきそこに版下をもってったりしてたんですけど、そこは窓がひとつもないところに輪転機を山ほど入れてるんで、凄い騒音なんですよ。そこで六人働いてるうち、五人がつんぼ(笑)。健常者じゃ勤まんないんですよ、音が凄くて。製本のところはまた身障の人ばっかりだし。つまりそういう人を雇うと税金が優遇されるし、一石二鳥ってことでいっぱい入れてたらしいですね。
断裁機のところで働いてた人は、指が四本なくて、なんかいい加減なゴムのつけ指をしてましたね。親指しか残ってない(笑)。ま、見た目をごまかすというより、あった方が仕事が便利だからつけてたんでしょうね。もちろんその断裁機でやられたんですけど、そんなひどい目にあいながら、それでもなお断裁機の前で働いてるというのがおかしかったな(笑)。本当なら指一本で何百万ともらえるはずなんだけど、昔風の職人気質な人だったから、きっと労災なんかも社長に二〇万かそこらの見舞金でごまかされて、そいつの貧乏くさい奥さんは、「あそこの社長さんはいい人だ」とか言ってたんじゃないでしょうかね。
その出版社であった話なんですけど、ある警察の偉い人が書いた自伝を自費出版したいってことで、一冊校正したんですよ。その内容が完全に狂ってたのが面白かったですね。現役を引退した後、自分の一生を回想してるんですが、どう考えてもおかしいところがいっぱいあるんですよ。
山の中のある沼みたいなところにヘリコプターで視察に行って、そこに赤い祠があって、皆がそれを見ているとき、ふと後ろの沼を見ると、さざ波が立っていた。さらによく見ると、それは波ではなく、無数の子蛇がこっちの岸に向かって泳いでくるところであった、とか書いてあるんです。それで皆気味悪がってあわてて逃げ帰ったとあるんですが、何か変でしょこれ。とても現実にあった光景とは思えない。そもそも警察のお偉方がそんなところに何を視察に行ったっていうんでしょうねえ。
若いころの武勇伝なんかもあるんです。ある雨上がりの日にいつもの田んぼ道を散歩していると、台風の後で増水した小川にザリガニがいて、それを小一時間ほど座って眺めてると、はっと胸騒ぎがして家に帰った。すると、思ってた通り泥棒が入っていて、格闘の末、そいつを捕まえて、買い置きしてあった有刺鉄線でぐるぐる巻きにしたっていうんですよ。で、風呂に入ってる間に、あそこん家の旦那が泥棒を捕まえたんだってよ、っていう噂が近所中に響き渡っちゃって、皆でその泥棒の顔を見にきた。やっぱりあの警察の旦那は強いなとか、立派だなって言ってるのが風呂に入ってるときに外から聞こえてきた、とあるんですね、で、結局一晩その泥棒を門柱にそのまま放置して、翌朝処分したって書いてあるんですよ。処分て何でしょうねー。たぶん処刑したとか、そういうことなんだろうけど、いくら昔ったって、そんなでたらめなことあり得ないでしょ?もう完全に蛭子さんの描いてる漫画の世界なんですよ。だいたいそういう人が今まで警察の要職に就いてたっていうのも凄い話で(笑)。
その老人に限らず、誰でもありますね、眠っているときと起きているときの区別がつかなくなるようなことが。僕よく寝ぼけるんですけど、そういう夢だか現実だかわかんないような状態にけっこう興味がありますね。『パンゲア』の後半に入ってるようなやつは、実際に夢に見たものを題材にしてるのもありますけど、半分寝ながら描いてるようなのもあって、描きながらその先を考えたりするんで、話がどんどん流れていっちゃう。最初頭の中でだいたい考えていたものが、描いてみて出来上がったものをみると、全然違ったものになってる。まるで他人が描いたものみたいで、後で読み返して自分で笑ったりする。
普通の商業誌に描かれてるようなやつって、誰が読んでも納得いくような筋の運び方がされてますよね、登場人物のリアクションまで記号化されてて。安心して、少しの不安もなく読めるっていうのが、なんか物足りないんですよ。だから自分でも正体がわかんないけど面白いっていうものを描いてみたいんです。で、今はとりあえず自分で捉えられる限りのものを整理できないまんま紙面に描いてみるっていうことが面白いんですよね、ちょっと子供じみてますけど。『パンゲア』に載ってるようなのは、わりと出版社がいい加減で好きにやらせてくれるんで、自分で結構ニヤニヤ楽しみながら、手慰みに描いてるってかんじですね。
──自分が漫画を描こうと思ったときに意識した漫画家はいましたか?
山野 やっぱり蛭子さんが僕は一番好きでしたね。『Jam』っていう自販機本に載ってた『不確実性の家族』って漫画を初めて読んだときにショックを受けましたね。暴力的に入ってきたというか……何でエロ本にこんな漫画が載ってるのか理解できなかった。巷に氾濫してる手塚をルーツとするようなマンガとは、まったく別のものを見せられたようで、あ、こういうのもアリなんだ、と目から鱗が落ちたような気がしました。現在描いてるのはちょっと興味ないですけどね。
根本さんとも話すんですけど、根本さんや僕と蛭子さんとは決定的な違いがあって……僕らはいつも傍観者なんですよ、気違いとかそういうものに対して普段は普通の常識人ですよ。でも、蛭子さんは本人が気違いそのものなんですよ。自分では認めないし、そんなこと思ってもいないだろうけど、確実な気違いですね、あれは。絶対勝てないですよ。あんな人のいいおっさんで売ってて、ポスターに家族でニコニコしてでっかく写ってるけど、あの人の頭の中は虚無の暗黒宇宙が広がってますよ。
突出した人間てどっか欠けてるっていうじゃないですか。天才であって同時に気違いなんですね、あの人は。あの初期の作品なんかでの狂気の世界の捉え方はほんと天才的だと思いますよ。同じ周波数の人間でないと電波が通じないんだけど、はまった人間には凄い力で訴えてくるものがある。自覚できずにいた自分の欲望を目の前に突きつけられるような。僕なんかは少しは考えて描いちゃいますからね。蛭子さんに訊いても「いや、オイも計算してますよ」とか言うに決まってますけど、頭の中を切り開いてみたら、あの漫画の通りの世界が広がってるんじゃないかな。
──最近、作品の中にヒンドゥー教のことがよく出てきますね。
山野 いや、ろくな知識もなしに適当なこと描いてるだけです。去年、ネパールに行ってきたんですけど、ああいうところでぶらーっとしてるのが好きなんですよね。ヒンドゥー教の神様って、なんか一番神様っぽいじゃないですか。大魔神みたいな、野蛮でいったん怒り出すと自制がきかなくなるところとか。
向こうじゃ乞食の顔が全然違うんですよ。新宿の乞食とか見てると、何ていうか、死んだ顔してますよね。ネパールの乞食は、まだ生き生きしてますよ。生まれてからその年まで、ずっと乞食やって食ってこられたんだから、先のことも別に心配してない。物乞いしてもらえれば生きてるし、もらえなければ、ただ死んできゃいい。別のところに行ってまたやるだけですからね。カースト制度で、俺は生まれつき乞食だから人生が改善される見込みはまるでないんだから、とインプットされると人間て平和ですよね。カースト制度ってすごくいい制度だと思いますよ。十何億もの人間を、混乱しているとはいえ、とりあえず無政府状態に陥れずに治めてるわけですからね。自分の立場が前世に由来していて変えられないものだってことが骨の髄まで染み渡ってる人間って、平和な顔してるんですよ。
物乞いするんでも、何の屈辱も感じない。先天的に物乞いなんだから犬が犬に生まれついたことを嘆かないのとおんなじですよ。日本なんて建前は何にでもなれますよといっておいて、実際は何にもなれないわけで、そういう不幸よりずっといいと思う。
向こうで乞食の写真ばっかり撮ってたんですよ。写真撮らせてくれっていうと平気で撮らせてくれるし。足が萎えた乞食とか、その十倍くらい強力なのとか、そんなのばっかり撮ってたら、西洋人の老夫婦が遠巻きに、何てひどいことをするんだって顔して見てるんです。でもまあ乞食にとっちゃあ、気の毒ぶって近づかない西洋人より、小銭をくれる下劣な日本人の方がいいに決まってますよ。
あっちの最下層の連中が飢えないで暮らしてるのは、豆を食ってるかららしいんです。何とかビーンズっていう木になる豆が、半野生みたいのでいくらでもあるらしい。でも、その豆にはアルカロイドが入ってて、長期間食い続けると、足が萎えちゃうんですよ。だから、飢えをしのぐためにとりあえず食うんだけど食い続けると、より気の毒な格好になって、さらにおもらいしやすい屈強な乞食になる(笑)。うまくできてるなあと思いますよ。
サドゥー(行者)もいっぱいいましたけど、都市にいるのは観光向けのえせサドゥーなんですよ、サドゥーに国家試験なんてないですからね。食い詰めた農家の次男坊や三男坊が皆サドゥーになるんです。サドゥーったって、それらしいネックレスとか服装をして、髪の毛巻いたりしてるだけで、もう精神的なものはまるで乞食(笑)。
いい世界ですわ。石工は石工で、動物を解体する人は一生動物を解体してるだけで、工夫なんてない。だからアーティストってのはいないんですよ、職人はいるけど。絵を描く職人はいるけど、伝統工法を親方から学んでおんなじことを何千年も描いてるだけ。そのかわり皆すごくうまい。曼陀羅を描く工房へ行って小一時間眺めてましたけど、すごくうまいです。あれは技術だけをただ仕込まれた人間の作業なんですね。あんな人がアシスタントに日当二〇ルピーくらいで来てくれるといいですね(笑)。
(やまの はじめ・漫画家)
唐沢俊一「バッド・テイスト・コミック30」
●『ねこぢるうどん』 ねこじる(原文ママ)
幼児の持つ、 プリミティブな残酷性をこれほど直観的に描き出した作品はないだろう。猫の姉弟の(猫ゆえに)基本的に無表情なままの残酷行為は、われわれが子供のころ、親に怒られても叱られても、なぜかやめられなかった、小動物の虐待の記憶をまざまざとよみがえらせる。そして、それを一種痛快な記憶としてよみがえらせている自分に気がついてハッとさせられるのである。
生命は地球より重い、とか、動物愛護、とかいうお題目をとなえて自己満足的な行動をおこしている連中に、これが人間の本質だ、とつきつけてやりたくなるような、そんな感じを受ける作品だ。他にも、差別、精神障害者の排除、貧乏人への理由なき侮蔑など、近代人が最もやってはいけないとされていることを平気でやる、イケナイ快感をこの作品は触発してくれる。かなりアブナイ。
●『混沌大陸パンゲア』 山野一
『ねこぢるうどん』の原作者が絵も描いている作品。貧しかったり、醜かったりすることが人間の本質までをもゆがめていく、だれもが知っている、しかし言葉にしたがらない本質、その上に描き出される残虐性と、運命のどうしようもない救われなさ。人間が、同じ人間の姿で最も見たくないと思っているような下劣な部分をこの作者は容赦なく、描きあばく。
描いていて自分もイヤにならないだろうか。どういう精神構造をしているのだろうか。よほど、人間の悪趣味な部分に興味があるのだろう。見るのがイヤだイヤだと思いながらも、しかしページをめくらざるを得ないという、マゾヒスティックな感覚を味わせてくれる一冊である。
(からさわ しゅんいち・漫画評論) 『ユリイカ』1995年4月増刊号所収
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ねこぢる追悼ナイト
●根本敬(特殊漫画家)
●白取千夏雄(元ガロ副編集長)
●サエキけんぞう(ミュージシャン)
●鶴岡法斎(コラムニスト)
かわいく、キャッチーなキャラクターと幼児独特の純粋な視点からの残虐性を併せ持つアブナイ作風で人気の漫画家、ねこぢるがあっちの世界に行ってしまってからもう一年以上がたちます。それでもねこぢるの生み出したキャラクター達の人気は未だ衰えず、色々なグッズとして街のあちらこちらで見かけることが出来ます。きっとねこぢるという名前を知らなくても、あの目つきの悪い猫のキャラクターと言えばわかる人も多いのではないでしょうか。
この日はそんなねこぢるのアブナイ魅力にとりつかれてしまった人たちがプラスワンに集まって、ねこぢるのアブナイ魅力について語りまくりました。一応ねこぢる追悼ナイトって事になっていますが、みんな好き勝手な事を喋ってるのであんまり追悼にはなってませけど…。
※以下の文章は、ねこぢるの突然の自殺から半年後の1998年11月23日に新宿ロフトプラスワンで行われた関係者4人による追悼トークライブを書き起こしたものです。
前向きな話をしよう
白取 そもそも『ガロ』にねこぢるさんの漫画が載るようになったきっかけは、ねこぢるさんの旦那さんで漫画家でもある山野一さんが、編集部に「こんなの描いたんだけど」くらいの軽い感じで原稿を持ってきてくれて、それが皆さんご存じの『ねこぢるうどん』だったんです。その作品を編集部一同で見てもう大爆笑、それで続けて書いて下さいってことで連載が決まったんです。
僕の印象はよくあるかわいいキャラクターが残酷なことをする、だからおもしろいっていう単純な露悪趣味ではないですよね。例えば子どもっていうのは、チンコとかマンコとかオシッコとかウンコとか平気で言うし、手のない人に「なんで手がないの?」とか平気で訊くし。そういう幼児ならではの残酷性、よく言えば純粋な視点っていうのがあって、それが猫という勝手気ままなキャラクターを借りているっていうのがすごい好きなんです。
僕、実はねこぢるさんご本人と会ったことは2、3回しかないんですけど、電話では去年の暮れから今年にかけては相当の回数話しました。そういったうえでの印象を言うと、ねこぢるさんは、やっぱり猫みたいな人でしたね。猫って自分の好きな時に甘えてきて腹が減れば飯食わせろって言うし、寝れば呼んでも来ないし、そういう勝手気ままで自由に生きてるっていう感じで。
だから今回ねこぢるさんがああいう亡くなり方をして、原因がよくわからないとかいろいろ言われてますが、一応僕なりに考えての結論としては、ちょっとあっちの世界に行ってみたかったんじゃないかなっていう感じがしてるんですよ。
だから、今日は追悼ナイトってことですけど、あんまりしんみりした感じにはしたくないなってのがありまして。よくあるじゃないですか、何々さんのご冥福を祈って3分間黙祷とか、そういうのはイヤですね。
これからは山野さんがねこぢるyさんとして続けて描いてくれるそうですし、描かれたものっていうのはなくならないし、悲しんでばっかりいられないので今日はもっと前向きな話をしたいです。
ねこぢる×山野一
白取 じゃあ、ねこぢるさんが漫画家で一番尊敬して止まなかった、やはり『ガロ』で自ら「特殊漫画家」と名乗って活躍している根本敬さんに来ていただきましょう。
根本 できればこういう場にはあんまり出たくなかったんですよね。まあ、これだけファンのあいだで盛り上がっちゃってると無理な話なんでしょうけど、ねこぢる本人としてはできるだけ人には知られず、なんなら自分は元々世の中には存在しなかったものとしてほしい、くらいに思ってるんじゃないですかね、そういう人でしたから。
白取 根本さんはご本人と何回も会ってるんですよね。
根本 まあこうやって漫画家として人気が出てきてからは数回しか会ってないんですけど、元々山野さんの彼女として何回も会ってましたからね。
白取 最初『ねこぢるうどん』が『ガロ』に載った時の印象っていうのはどんな感じだったんですか?
根本 まあ結構やるな、というかね。山野さんの協力があったとはいえ、元々漫画とか描いてる子じゃなかったですから。
白取 ファンのあいだではどこまでがねこぢるで、どこまで山野さんが描いているのか、っていうような議論が盛り上がってるらしいんですけど、そのへんはどうですか。
根本 いやまずあの2人の結びつきっていうのがね、ただの共作者とか夫婦とか友人とかとは違う、ジョンとヨーコ以上の何か深いものを感じましたからね。
白取 漫画を見ててもそうですよね。
根本 だから露骨なヤバさは山野さんが請け負って、それをねこぢるが多少かわいく折り合いつけていくみたいな。
白取 山野さんってほっとくと『どぶさらい劇場』とか描いたりするじゃないですか。『四丁目の夕日』的なところに傾きがちなんで。ねこぢるさんって奔放にわりと自分の好きなことを描きたがるタイプなんで、それを『どぶさらい劇場』がどうフォローするかなっていうところで。山野さんって社会適応できてる方ですよね。
根本 それは2人いるとやっぱり役割ってできるわけ。山野さんが本当に1人でやってたらもっとひどいことになってますよ。一応ほら、彼女がああいう自由奔放なタイプの人間なんで、山野さんがマネージャー的な役割もしなくちゃならないじゃないですか。何か失礼なことをしたら謝りなさい!とか。
白取 隣の家にウンコしちゃった猫のことで謝りに行く、みたいな。
根本 そういう部分を山野さんが請け負わなければならなかったってのがあると思いますね。
白取 今後、山野さんがねこぢるyとして描いていくんですけど聞くところによるとねこぢるさんはまだ山野さんの周りに出てるらしいんですよ。だから自動書記みたいな感じで描かれることもあるんじゃないかとも思います。
イヤな最後
根本 ねこぢるから一番最後に電話があったのが今年の2月か3月くらいかな ? 2時間くらい話したんですけど、あっちが何かを踏んだかなんかで突然ブツンと電話が切れちゃったんですよ、話の途中で。でもまあ2時間も話したし、用があったらまたかけてくるだろうと思ってたんですけど、それが本当に最後だったんですよね。
白取 それはイヤな最後ですね。
根本 最後に実際に会ったっていうのはもっと前で、「ミッションバラバ」っていう入れ墨入れた元極道っていうのが売りの集団があるじゃないですか、その集会がねこぢると山野さんの家の近所の公会堂であるっていうんで3人で見に行ったんですよ。
白取 それはいい話ですね(笑)。
根本 その時は8人くらい入れ墨入れた人が来てたのかな?それで一人一人どうやって神様に目覚めたのか話すんですけど、日本のシャブの元締めはコイツだったとか、元山口組でどうこうとか、皆強者ばっかりなんですよ。で、奧さんが韓国人っていう人が多くて。
白取 韓国はキリスト教ですからね。
根本 だから奥さんが改宗を勧めるらしいんだよ、悪いことから足を洗って神様を信じろって。でもやっぱりそんなもん信じられるかってなるじゃない極道だし。ところが、例えばある人の場合なんかは釜山に遊びに行って女を買ったんだって。それでホテルに連れ込んでいざSEXしようとすると、突然腹が痛くなってできなくなっちゃったの。しょうがないからその日は女を帰して次の日また呼んだら、また腹が痛い。「これはこの女のゲンが悪いのかな?」と思って別の女を呼んでも、やっぱり腹が痛くなる。後で日本に帰ってから奥さんにその話をしたら、「その時私は神様に祈ってたんだ」って。
白取 は〜。
根本 あと皆、神様を見ちゃうらしいんだよ、シャブやってるから(笑)。
白取 シャブも捨てたもんじゃないですね。でも普通、全身入れ墨の伝道師集団が来ても見に行こうと思わないでしょ。そういうものをおもしろがるっていう共通項はありますよね。根本さんの漫画とかを読んでる人はわかると思いますけど「イイ顔」ってあるじゃないですか。世間的にはアイドルとかモデルとかの顔がイイ顔とされてますけど、僕らから言わせるとあんなのはただのつまんない顔なんですよ。
わかる人にはわかるんだけど、普通の人から見るとあんな浮浪者みたいなオヤジのどこがイイ顔なんだ?っていう感じなんですけど。そういうのをおもしろがる部分って似てましたよね。だから根本さんの漫画とか好きだったんだろうし。
根本 っていうより、諸星大二郎とか好きだったんだよね、そうじゃなかったっけ?
白取 僕は根本さんが好きだって聞いてますよ。
根本 たくさんいる中の1人って感じじゃないの?
白取 でも根本さんと諸星さんが出てきたら、ほかに誰も入って来れないでしょう。
根本 花輪和一さんも好きだって言ってたよ。
白取 それならわかる。
根本 ただねこぢるってそのへんのエッセンスを吸収していながらも、やっぱ絵柄とかがかわいいから入っていきやすいんだよね。僕とか山野さんの漫画とかになると上級者向けっていうか、普通の人が見たら吐いちゃったりするじゃないですか。
白取 根本さんまでたどり着く人ってかなり限られてくるでしょう。ねこぢるさんのハードルを軽やかに飛び越えて、山野さんでちょっとつまずいて、根本さんにぶつかって完全にブッ倒れるっていう。
根本 俺の前に山野さんがいるか、山野さんの前に俺がいるのかってところは微妙だと思うけど。
白取 まあ、その辺は状況によって変わってくるんでしょうけど。でも僕らからするとねこぢるさんも根本さんも同じような感じで、あんまり変わらないんですよ、例のアレとかヤバイネタが好きだって部分で。
根本 例のアレって何?そんなにヤバイのあったっけ?
あの目だよ、ねこぢるは
白取 例のアレですよ、「ユ■ヤのブタめ」っていうのとかあるじゃないですか。
根本 そんなにヤバイんだ?
白取 それで『マルコポーロ』は潰れちやったじゃないですか。まあ、その文藝春秋からねこぢるさんの単行本が復刊するってのが因果は巡るって感じですごいなって感じですけど。まあ根本さんからしたらどこがヤバイの?って感じかもしれないですけどね。
根本 そのへんはわかりますよ、ねこぢるよりは少しは大人ですから。
白取 あんまりヤバイヤバイって話を言っててもしょうがないんですけど、ねこぢるの漫画の要素として、「かわいさ」ってあるじゃないですか、見た目のキャッチーさっていうか。今の女子高生とかだとこういうの見るとカワイーとか言うんでしょ?
最近聞いたんだけど、サンフランシスコにサンリオの店ができたんだって。僕らからするとふーんサンリオっさて感じなんだけど、キティーちゃんってほら口なくて真っ正面向いてて無表情でしょ、あれが気持ち悪いって言われてるらしくて。確かに向こうのヤツって過剰なまでに目とかパッチリしてて表情とかもすごいじゃないですか。だから本来ターゲットとして狙った人に全然売れなくて、あっちの変なもの好きな人に受けてるんだって。
根本 それは何かわかるなぁ。
白取 ねこぢるさんの漫画ってのも、こうやって見ると、わあかわいいとは思うんですけど、話とか見たら全然そうは思わないじゃないじゃないですか。だからあの黒目がちな絵って個人的にはすごく怖いんですよ。
根本 僕は「にゃーこ」と「にゃっ太」のアル中のお父さんとか大好きなんですよね。あの目がいいよね、瞳孔開いた。
白取 無精ヒゲ生えてて、酒ばっか飲んでて。ああいうキャラも、かわいい漫画ってのには必要ないキャラクターですよね、浮浪者とかもよく出てきますし。だから僕は他誌で連載決まっていった時やっぱり心配だったのは、ヤバイ話がなくなるんじゃないかなっていうのですね。『ガロ』ものってそういうのがあるじゃないですか。
根本 しかしこんなに人気があったとは知らなかったよ。死んでから随分本も出ましたよね。
白取 まあ、なんでもそうなんですけど「死ぬ前に評価しとけよ」って感じですけどね。
画像⑴をスクリーンに映す
根本 こういうところが凄いんですよね。
白取 僕らが言うねこぢるってのはまさにこれなんですよ。
根本 トラックに浮浪者が轢かれそうになってるんだけど、それを黙って見てるっていうある種超越的な視点っていうのが山野さんとねこぢるなんだよね。
白取 普通はリアクションとしてヒャーとかワーとかってあるわけじゃないですか、それが全然無反応ですからね、あの冷めた目がね。
根本 あの目だよ、ねこぢるは。ある意味「神」に近いんだよ。
白取 親父なんかにいたっては見てもないですからね。漫画評論家がいろんなことウダウダ言うんですけど、結局これなんですよね。トラックに「畜生丸」なんて書かないもんなあ普通。いいコマですよねこれ。
やっぱり僕、名場面っていうと『ねこぢるうどん』とか『ガロ』時代のものになっちゃうんですよ、『アブラハム家の墓』とかこれは大手の編集者じゃダメだろうって感じで。大好きな話っていっぱいあるんですけど、独断で言うなら『たましいの巻』が最高傑作だと思う。この頃の絵って均一な線で書き慣れてるって感じじゃなくて、表情も完成されてないんですけど、そういうところが逆におもしろいですよね。
画像⑵をスクリーンに映す
白取 これなんかもいいよね、これ子どもに見せたら本当に泣くでしょう。この本なんか、すごくいい装丁だと思うんだけど、こんなかわいい表紙で買ってみたら中身これですから。燃えてんですよ、猫(笑)。
根本 これなんかやっぱ山野さんの漫画に出てくるキャラの目だよね。
白取 やっぱねこぢるさんの漫画を読む時には、副読本として山野さんの漫画も揃えなくちゃね。
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白取 これヤバイんでしょうねやっぱり、文藝春秋版でどうなるんですかね?
まあ一応伏せ字が入ってますんで、いいと思うんですが。まあ、見る人が見たら怒髪天を突くって感じなんでしょうけど……。こういうのがノーチェックで載ってるんで青林堂版が大好きなんですよね、せっかくいい話がいっぱいあるんだから。
根本 確かオレ、『ねこぢるうどん』の解説に死体写真を使って何か描いてるんだよね。
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根本 これなんかが山野さんとねこぢるの関係を示してるんだけど。ねこぢるは、隣に引っ越してきた死体を見て「この人たち何か気持ち悪〜い」とか平気で口に出しちゃうんだけど、山野さんも本当はそう思ってるんだけど、社会とのつながりを最低限ちゃんと保つために「こら、失礼じゃないか」って一応叱ってみせると。
白取 まあこの死体たちもイイ顔してますよね。
根本 生きてる時はそうでもなかったんでしょうけどね(笑)。
リアルドキュメント
白取 それでは次に、最近ライターとして活躍している鶴岡法斎さんをお呼びしましょう。
鶴岡 鶴岡です、どうも〜。
白取 鶴岡くんって『ガロ』では投稿者だったんだよね。
鶴岡 そうそう、俺、元々漫画家になりたくって、中学の時にまだ神保町にあった頃の『ガロ』に漫画持ち込みしたんですけど、あん時、長井さん(『ガロ』の初代編集長)にいきなり蛭子さんの漫画見せられて、メチャクチャにやるんならここまでやれとか言われてああ難しいもんだな漫画って、とか思いましたね。
白取 なんかすごくいい挫折体験ってありますねぇ。
鶴岡 あのひと言であきらめたね、できないって。
白取 蛭子さんの漫画見て挫折するって珍しいよね、普通はあれでいいのかって思いますけどね。
鶴岡 あんなメチャクチャなのできないもん。
白取 今日は一応ねこぢるさんの話をしてるんですけど、ねこぢるさんって90年の6月号に初めて『ガロ』に載ったんですけど、あん時ってまだ読者だったんだよね?
鶴岡 俺 まだ「四コマガロ」とかに投稿してた頃なんですけど、うわ〜イヤなもん始まったなとか思いましたよ。
白取 これなんかも去勢手術してくださいって言って、金玉にブスッて包丁刺したらキュ〜って死んじゃうっていう、それだけの話なんですけどね。
鶴岡 まあ日常よくあることでしょう、何気ない日常っていうか。
白取 ないない(笑)。
鶴岡 でも俺、冗談抜きにねこぢるさんの漫画のほうがリアリティあると思う。車に浮浪者轢かれるとか、状況としていくらでもあるじゃないですか。俺は『Boys be…』のほうがシュールレアリズムだと思うよ、存在しないもんあんな話。
白取 そうだよね、だから皆かわいい猫のキャラクターだってところで惑わされてるよね。
鶴岡 リアルドキュメントだよ、ねこぢるさんの漫画は。人間の本質的な部分に食い込んでるもんね。
白取 『ガロ』の読者には、やっぱりすごい評判よかったですね。
鶴岡 『ガロ』の『ガロ』たる所以って言うか。そんな漫画が文藝春秋から単行本で出るってのが大笑いなんですけどね。
白取 僕ら的には本音を言うと、 自分たちがせっかく危険を冒してやってきたものを、ほかの版元がおいしいとこ取りして、っていうのもあるんですけど。
『ガロ』の刻印
鶴岡 あと、6年くらい前でしたっけ? 秋葉原の電光掲示板にねこぢるさんの絵が映ったでしょ。そん時少し離れた場所から見ると、電光掲示板の真下に浮浪者とか、電化製品買いに来た韓国人とかがうようよいるんですよ、あ、これを含めてねこぢるだなって気づいたんですけど。
白取 秋葉原、電脳街、ハイテクみたいな連想ではなく秋葉原、ガラクタ、多国籍みたいな。
鶴岡 売ってる物もジャンクなら集まってる人間のほうもジャンクだったという、 あれはすごくいい光景だったなぁ。
白取 ただ、アレを作った人たちは違うところに目を付けてたと思うんですよ、かわいいとか人目を引くとかそういう部分で。完全に失敗しましたね、これは。
鶴岡 そうですね、オレなんかいつ人殺すシーンが始まるのかな?とか思って待ってたんですけどね。
白取 そういうのがカラーで大映しになると最高だったんですけどね。
鶴岡 そういう意味でおっかないですよね。売れてほしいと思う反面、売れすぎるとそういうところが薄くなるっていう危険性が常にあるんで。本当は原形をある程度壊さないように保ちつつ、社会との折り合いをつけて売れていくっていうのが理想的なパターンなんですよね、なかなか『ガロ』系って難しいですよね。
白取 『ガロ』の刻印っていうかね。
鶴岡 俺、漫画持ち込みに行った時に長井さんに言われたんですけど、『ガロ』に載ってる漫画目標にして漫画描いてたら絶対ダメだって長井さん的にはやっぱりよその出版社から追いつめられて来たっていうのが理想的なんでしょう。
白取 そんなことないでしょう。
鶴岡 そういう漫画家たくさん知ってるし。
白取 まあ、俺も血で書いた漫画持ち込みされた時はびっくりしましたけどね。「茶色で描いちゃダメですよ、黒インクで描いてくださいね」って言ったら「これ俺の血なんです」って言われて。
鶴岡 あと、投稿四コマにペンネーム「明日死にます」とかいうのがいたでしょ?困ったもんですね。
白取 まあ、そういう雑誌って言っちゃなんなんですけど、それだけじゃないぞっていう感じで。
鶴岡 なんでも許してもらえると思うなよ、青林堂だからって(笑)。
白取 駆け込み寺じゃないんだから。ただそういう間口の広さっていうので集まってきたいい才能もいっぱいあったんですけど……これ別に『ガロ』追悼ナイトとかじゃないんですけど(笑)。
鶴岡 まあ、ねこぢるさんとかもよその雑誌だったら、絵はいいんだけど話を変えろとか言われますもん、絶対。
白取 大手の出版社だと毎回ネームチェックってのがあるんですけど、言ってみればヤバイこと描いてないかってところもその時点でチェックしちゃうんですよ。いつぞやの小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』も、皇室っていうだけで検閲されてスポーンと弾かれるという。まああんまり言いたくないんですけど、漫画っちゅうのも一応表現なんで、そういうのが入っちゃうと辛いなぁとは思うんですけどね。
鶴岡 それで怒る馬鹿がいるってのもあるんですけどね、世の中。
白取 差別とかを肯定しているわけじゃないんだよね。
鶴岡 肯定と現状認識っていうのを分けて考えないと。
白取 現実に街歩いてればゴミも捨ててあるし、浮浪者も寝てたりするじゃないですか。
鶴岡 新宿西口に行ったらイヤでも見れるんだから、こういうドラマが。
白取 やっぱそういうところを見て行かなきゃダメだしね、そこらへんを描くっていうのはすごい大事なことだと思う。
鶴岡 社会が成立するうえでいろんなことが隠蔽されているっていうか、とり繕われているんですよ。やっぱりクリントン来日する時に「オマンコに葉巻入れたヤツ来日」って誰も書かないじゃないですか、それはとり繕われてるんですよ。
白取 「うーん旨い」って(笑)。
鶴岡 やっぱ小渕はお土産として葉巻あげなきゃダメじゃないですか。
白取 そろそろ次の話を……(笑)。
純粋な傍観者
白取 それじゃ今日はもう一人ゲストの方が見えてます。青林堂版『ねこぢるうどん2』の帯を書いていただいたミュージシャンのサエキけんぞうさんです。
サエキ よろしくお願いします。僕は実はご本人に会ったことはないんですけど、僕のエッセイの連載で、ねこぢるさんに挿し絵を描いてもらってたんですよ。それを依頼した時に電話をかけたんですけど、非常にうつ的な話し方をする方ですよね。
白取 うん、そうですよね。
サエキ すごくゆっくりと話すっていうか、途切れ途切れ。すでに精神的には健康な方ではないなと思ったんですけど、それは誰に対してもそうだったんですか?
白取 そうですね。
根本 僕なんかは精神的に健康じゃないというよりかは、子どものままの人だなって感じがしますけど。子どもってある面大人を見抜いてるとこあるじゃないですか。
サエキ 言葉を選んでるっていうか探しながらしゃべってるって感じですよね。それと下品なことって全然言わないですよね、あんまりエッチなこととか考えない人なんですかね?漫画にもセックス描写は出たことないですよね。
鶴岡 そうですよね、普通の露悪趣味ってすぐにセックスに行っちゃうんですけどね。
白取 子どもってウンコとかオシッコとかって言うけどセックスとは言わないですよね、そのへんからも子どものままって感じがしますよね。
サエキ なるほど、それでその連載をお願いした2カ月後くらいにプラスワンで僕のコアトークっていうイベントがあって、それに来てくれたんですよ。それですごく会いたかったんですけど、お土産を残して去っていったという。僕、顔がわからないんで確認できなかったんですよね。顔がわからない人の話をするってのもイマジネーションだけが膨らんでいって、変な感じなんですけど。実際どんな感じの人だったんですか?
根本 十代の終わりくらいに初めて会って、変わっちゃいるけど基本的にかわいい子なんですけど、31まで全然変わらなかったですね。
鶴岡 顔出てませんでしたっけ?1回ガロに写真載りましたよね、眼鏡かけてて、ちいっちゃい方ですよね。
サエキ 「にゃーこ」みたいな人なんですかね?
白取 顔は全然そうではないんですけど、雰囲気はそのまんま「にゃーこ」ですね。
サエキ それで、そのイベントの後に2カ月に1回くらいは長電話するという関係にはなりまして。必ず最初に山野さんが出てくるんですけど、すごいちゃんとしっかりした応対をされて、その後に「も〜し〜も〜し〜」ってねこぢるさんが出てくるという、その対比がおもしろかったんですけど。
白取 山野さんってすごいナイスな好青年って感じの方ですよね。
サエキ 『TVブロス』で書いてた「ぢるぢる日記」の山野さんって、ヒゲ面で、禁治産者的な描かれ方をされてるんですけど。
白取 本人は全然違いますからね。
鶴岡 『TVブロス』だけ見てると工員かなんかかと思いますよね。
サエキ 電話の印象とはだいぶ違いますね。
白取 美男子ですよ、本当の山野さんは。
サエキ そもそもあの2人はいつ頃から一緒にいるんですか?
根本 つきあいだしたのは10年くらい前ですね。
サエキ じゃあ、山野さんがデビューした後なんですね。山野さんのデビューも衝撃的でしたね、漫画だけ読むとキチガイっていうかヤバイ人っぽいんですけど、そんな格好いい人が描いているとは。
白取 見るからにヤバイ人がそういう漫画を描いててもおもしろくもなんともないんですけどね。
サエキ どうしてそんなことになってしまったんでしょうね?普通にロックでもやってればモテモテだったのに。
鶴岡 山野さんって顔だけは社会の勝者みたいな顔してるじゃないですか。
白取 顔だけって。
鶴岡 だって漫画はとても社会の勝者が描くものじゃないですからね。
サエキ 山野さんって最初ぐちゃぐちゃな漫画だったんですけど途中からメチャクチャさ加減はそのままに、悟りを開いたかのような神がかった作風に変わったじゃないですか。
白取 さっきの、浮浪者がはねられているのを見ている視点ですね、そのへんが『四丁目の夕日』とかにも出てると思うんですけど。
鶴岡 純粋な傍観者としての神を描くようになりましたよね。
サエキ 山野さんがそういうふうに変わっていったのって、少なからずねこぢるさんとの精神関係とかが関係してくるんですかね?
白取 僕はやっぱり、ねこぢるという伴侶を持ったことによって、フォロー者としての視点を持たなきゃならなかったってのがあると思うんですよ。
根本 だから、2人とも本当はよく似てるんだけど、役割分担をしないと社会と折り合っていけないじゃないですか。電話の応対にしろなんにしろ、山野さんだって本来そういう人じゃなくても、ねこぢるがいることによって、そう演じざるを得なかったという。
白取 だから必然的に山野さんの作風も変わっていかざるを得なかったと。
根本 いや、そこは作家として行きつくべき方向に行ったような気がするけどなぁ、ちゃんと。
白取 逆に言うと、そこらへんのフラストレーションが『どぶさらい劇場』とかに出てきたんじゃないかと。
鶴岡 ありますよね、普段メチャクチャなヤツって意外と毒にも薬にもならないものを描きますからね。
白取 変態が一番多いのは警官とか公務員とか医者とかだもん。
鶴岡 意外とちゃんとした感じの人のほうがヤバイと。
生きていたことさえも
サエキ 死ぬ前に描いた、『コミックビンゴ!』の追悼号(98年7月号)に載ったヤツあるじゃないですか、読むだけでうつ病になりそうな。あれ怖いですよね。
鶴岡 死んじゃったっていう情報があるから増幅されてるんだろうけど、俺、アレ怖くて1回しか読んでないんだよ。
サエキ いや〜死ぬ前って感じしますよね、根本さんなんかはどう思われました?
根本 そういうのがあるからそう見えるんであって、多分それがなかったらいつものとおりに見えるんじゃないですかね?
サエキ まあ普段でもアレくらいの話はありますからね。あと『TVブロス』の日記を読んでますと、定食屋のオヤジのすることが気にくわないとか、けっこう気にくわないことが多いですよね。
白取 気にくわない人が多いから人にも会わないんじゃないですかね。
サエキ 気にくわないってことと精神的なことって関係あったんですかね?
白取 いや〜、僕はそんなにねこぢるさんが精神的にどうこうってのは考えてないんですよ。確かにまじめな話をすれば、『ガロ』っていうのは自由に描いてくださいって感じなんですけど、よその雑誌に行くことによっていろいろ言われるわけですよ、漫画ってのも商売だしそういうのもわかるんだけど、作家にとってやっぱりそれはすごいストレスだと思いますよね。でも僕は、それが原因でどうこうとはあまり思わないですね。
鶴岡 何か気まぐれで死にたくなる時ってあるじゃないですか。
白取 深刻に悩んだ末って感じではないと思いますよね。
鶴岡 タイミング的に悪い偶然がいくつか重なっただけだと思いますね。あるじゃないですか、プラットフォームとかでふっと落ちちゃおうかな、とか思うこと。そんなもんだと思いますよ。
白取 いまだに山野さんなんかも原因はわからないって言ってますしね。
サエキ 山野さんがわからないんじゃ誰にもわからないですよね。ちなみにお葬式関係ってどうだったんですか?
根本 きわめて身内だけが集まってって感じでやってましたね。本当は彼女の希望としてはそういうのを一切やるなってことらしいんですよ。
サエキ 遺書があったんですか?
白取 何年も前に遺書を書いてたらしいんですよ、生きてたことさえも忘れてくれみたいな。
鶴岡 早く忘れなきゃ、皆。
白取 だからこういうイベントで、黙祷とか臭いことをやって故人を悼むとかっていうのは、本人が一番イヤがることですよね。
根本 あんまりいろいろやっても絶対喜ばないからね、本人。
サエキ まあ、こういう日が1日ぐらいあってもいいと思うんですけどね、毎日こんなことしてるわけじゃないし。
鶴岡 あ、そうそう、今インターネット上で自称山田花子の生まれ変わりっていうのがいるんですよ。お前7才かっていうの。だからそのうちねこぢる2世っていうのも絶対出てくると思いますよ10年、20年とかしたら。そこまで行っていいキャラクターだと思うし。
白取 肯定かい(笑)。
鶴岡 三島由紀夫と同レベルで、絶対出てくるよ。
白取 でもなんかそういう人って皆、本人に殴られそうですけど。
鶴岡 そうね。
白取 「神の見えざる手」で、畜生丸にはねられたり。
鶴岡 家、火事になったりね、死ぬよ。
蛭子の呪い
客 (会場から)蛭子さんの呪いみたいですね。
白取 そうそう、今誰か言ったけど、蛭子さんに下手に関わると死ぬよ。ファンクラブの会長死んだしね。
鶴岡 俺の知り合いで蛭子さんにサインもらった人が創価学会に入っちゃったし。
サエキ 横浜のクリスマスディナーの広告に蛭子さんの絵が使われて。まるで大瀧詠一のジャケットのような2人が描いてあるんですけど、よく見ると顔が蛭子さんの絵っていう。
白取 狂ってますね日本も、あれ行ったヤツ絶対何人かは死にますよ。皆、蛭子さんの恐ろしさを知らないんだよ、何人も死んでるんだから。ファンクラブの会長だけじゃなくて、みうらじゅんさんも事故ったし。
根本 『Number』の担当者も死んだでしょ。
サエキ たけしさんが事故った頃って蛭子さんと何かやってますか?
根本 1週間前に生まれて初めてたけしさんが蛭子さんから本もらって、それじゃあってサインもらってたらしいですよ。
サエキ うわヤバイ!
根本 小田和正がやっぱり「新橋ミュージックホール」でたけしさんと一緒になって蛭子さんのことハリセンでパンパン叩いたらしいんだけど、1週間後に交通事故になったんですよ。
サエキ 「スーパージョッキー」関係大丈夫ですかね?
根本 それで水道橋博士がこれは本当に何かあるんじゃないかってことで使いの若い者に蛭子さん関係の記事を全部コピーして来いって言って図書館に行かせたらしいんだよ?そしたら帰りにそいつが事故にあったんですよ。
白取 調べただけでこれだ。
鶴岡 あれから「スーパージョッキー」で「悪人」っていう呼び方になったんですもん。
サエキ 平気かなー、山田まりやとか……。
根本 今、日本全国で蛭子さんのサイン持ってる人って何人もいるんだろうけど、その内何割が死んでるのか調べてみたいね。
白取 その死亡率たるや、高圧線の下の癌発生率を凌いでると思うよ。
根本 あとほら、蛭子さんがずっと住んでる所沢って、今ダイオキシンがすごいんだよね。
白取 蛭子さんにとってはエネルギーだから。
鶴岡 それと、よりによって蛭子さんの息子さんって今セガで働いてるらしいんですよ。
白取 セガサターン消えますね(笑)。じゃあ、蛭子さんはソニーの最終兵器なんだ。
鶴岡 しかし、そこまでわかってるのになんで蛭子さんはサインするんですかね。だって『ガロ』とかで根本さんがガンガン書いてるのに読んでないんですかね?
根本 読まない読まない、人の書いたものに興味ないもん。
鶴岡 じゃ、何書いてるか知らないんだ。
白取 基本的に読まないですから。
サエキ ところで根本さんはなんで無事なんですか?ある意味最も接触頻度が高いのに。
根本 俺免疫あるから、対因果者の。スタンスさえまちがえなきゃ大丈夫。「修行」もしてるし。
白取 蛭子さんがそういう人物だってことを教えてくれたのが根本さんだから。根本さんのおかげでわれわれは命拾いしてるんですよ。
鶴岡 俺も根本さんの書いているものを読んで、蛭子さんのサインをもらっちゃいけないんだってことを知りましたからね。あれ読んでなかったら今頃余裕で死んでますね。
サエキ でも根本さんも蛭子さんと接した結果、そういうことがわかったんでしょ。それに気づく前には、何か悪いことは起こらなかったんですか?
根本 あのころはまだ蛭子の魔力もそんなに野放図じゃなかったから。だんだん人に認められだして金持ちになってからですから。
白取 人を量る尺度が「年収」ですからね。会うと「根本さん年収いくら?」とか訊いてくるでしょ。
サエキ ぶしつけなんてもんじゃないですね。
根本 もはやそれすらも言わないですけどね。以前俺の本が出たときに友だち集めて出版記念パーティーみたいなことをやったんだけど、蛭子さんがその時プレゼントを買ってきたんですよ。それの中身がトランクス1枚と72分の生カセットテープが2本だったという。
鶴岡 普通、無難に花とか買ってくるじゃないですか。
根本 だからあれは無意識の内に俺への評価をしてるんだと思うんだよ、蛭子さんにとって俺はトランクス1枚と72分の生カセットテープ2本程度の男なんだよね。それ以上でも以下でもない。
鶴岡 合計して千円いかないでしょ(笑)。
白取 ええー、今日はねこぢる追悼ナイトなんですが、なぜか蛭子さんの話で盛り上がってます(笑)。
根本 そのほうが、ねこぢるらしくていいんじゃない。きっと話がよそへ流れてホッとしてるよ、彼女。
『TALKING LOFT3世』VOL.2所収 |

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知久寿焼「ねこぢるうどんについて」
初出▶青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号
にゃー子とにゃっ太の表情は微妙だ。
たとえば人間でいうと、喫茶店や飲み屋のテーブルをはさんで向かい合って話してるんだけど、そして相手の人は確かに自分にむかって喋ってるんだけど、その視点はぼくのはるか後ろ遠くにピントを合わせていて、右と左それぞれの目線が上から見てほぼ平行なまま、それでも口もとはいくらか微笑んでいるっていう様な気味の悪さだ。
猫の口もとが「ω」なのも手伝ってはいるが。そんな、キチガイのそれっていう感じの表情のまんま、身のまわりで起こる出来事に対して、情緒的なところをすこんと欠落させたみたいな単純でまっすぐな反応をする二匹──あれっ? やっぱりキチガイみたいだなぁ。そうか。そうです、ぼくは「ねこぢるうどん」の、この淡々としてキチガイなとこに感じちゃうんですよ。でも姉弟仲いいよね。
(ちく・としあき=ミュージシャン)
スージー甘金「表裏差の激しいところが魅力」
初出▶青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号
一見すると「キティちゃん」風なかわいらしい(?)ファンシーなキャラクター(?)が登場するのとは裏腹に、人を喰ったような内容で、かつきわめて残酷!という表裏差の激しいところが「ねこぢるうどん」の魅力の一つだと思います。読み終わった後、いつも頭の中に無理矢理天使と悪魔を一緒に入れられて、グチャグチャにかきまわされたような妙チクリンな気分になるのは私だけでしょうか!? (スージー・あまかね=イラストレーター)
土橋とし子「ねこぢるうどんは脳ミソが柔らかい」
初出▶青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号 ねこぢるさんの漫画には子どもの時の無意識の残酷さ(行動も言葉も)みたいなもんがある。世間とかいうものの中でちょっと大人みたいに生きている私にはナカナカ出せない世界になってしまっているようで、懐しくなったりうらやましくなったりするわけです。知らない間に脳ミソが硬くて四角になりつつ自分に気がついてハッとして、ちょっと悲しくなったりするけど毎月、ねこぢるうどんを読むのを楽しみにしておる次第です。読んだあとはちょっと脳ミソがほぐれた気になれます。
(つちはし・としこ=イラストレーター)
松尾スズキ「気持いいっす。」
初出▶青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号
狂った人間の目つきの描写にリアルを感じます。逃げてない所が好きです。残酷にして牧歌的な現代のグリム童話。ガロの読者に読ませるのなんかもったいない。小学三年生とかでドラえもんの隣りに連載して欲しい。とにかく「ねこぢるうどん」は我々表現に関っている人間が仲々真正面から立ち向かう事が辛い闇の部分を、ノホホンと土足で濶歩するアナーキーさに満ちていて気持ちいいっす。本当ですよ。 (まつお・すずき=役者)
逆柱いみり「絵がうまいのでうらやましい」
初出▶青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号
電気カミソリで無いヒゲを1時間以上かけてジージージージー剃っているジジイはうっとおしいものだ。
台所で11時間以上もうろうろゴトゴト何をしているのかとイライラしているとガスの元栓が心配で眠れないらしい。そのくせ便所の水は流しっぱなしだったりする。死んでからも幽霊になって続けられるかと思うと気が減入る。
「ションベンでもクソでも喰らえ」
渋谷の地下道を強力なインパクトを振り撒きながらブツブツと呪文のごとく繰り返し吐きだされていたキ印のババアの名言は自分を良識ある大人に引き戻してくださった 「こいつアブネー」うっとおしい奴をほほえましく見るのはムズカシイ。
「ピンキー」と呼ばれるオバサンはほれころんだピンクの寝巻姿、ゴム草履の足で一日中徘徊している。その行動範囲は恐ろしく広く思わぬ所で出くわしビックリする。昔はえらい才女だったという噂だが、バランスの崩れた栄養と垢でどす黒く彫りの深い顔は印度の行者を思わせる小学生の人気者だ。前置きが長くなってしまった。変な奴のネタというのはキリがない。
さて「ねこぢるうどん」は、変な奴とネコとのからみで進行する話が印象に残るのだが、どちらも1つ目の世界の住人であり現在しか見ていないという辺りがミソだろう。自分の漫画も先を考えずに書くことが多く、終りのほうで苦労するのだが、「ねこぢる」もあんまり考えて描いて無いんじゃないだろうかと思える時があって親しみを感じてしまう。
ただ変な奴の場合現在が幸福であっても強力な個性のため、5分後には死んじゃってたりもするわけだが、その点ネコや子供やバカボンのパパなどはけっこう踏み外さない様である。
壊れてる者はどこまでも行ってしまうが、無邪気なものはちゃんと家に帰る(長井会長のパーティーの時、山野氏のところにとめていただいたのだが、山野夫人ことねこぢる様はちゃんと部屋にいてファミコンをやっておられた)。まあ遊びに夢中になって友だち殺しちゃった子供とか、犯罪の一歩手前で止まるパターンをくり返すような狂人というのも少なくはないだろうから断定はできないが…
ところで山野夫妻は親切な方々でございました。今後も面白いまんがをファンのひとりとして期待しております。おわり
(さかばしら・いみり=漫画家)
岡崎京子「やだなぁ」
初出▶青林堂『月刊漫画ガロ』1992年6月号
ねこぢるさんのまんがを初めて読んだ時に「やだなぁ」と思いました。かわいいくせにすくいがどこにもなくてやりきれないのですから。ゆかいにむじゃきに「ぶちゅう」と虫をふみしだいてゆく2匹の幼いねこ姉弟。働く職工が黒こげの丸やきになって単々と死んでゆく、「ふーん」とみつめる2匹。いやな感じ。やだなぁ。でも私はこの「やだなぁ」という感じは人間が生きてゆく上でとても大切なものだと思うし実は好きです。
(おかざき・きょうこ=漫画家) 唐沢俊一「バッド・テイスト・コミック」
初出▶青土社『ユリイカ』1995年4月臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」
幼児の持つ、プリミティブな残酷性をこれほど直観的に描き出した作品はないだろう。猫の姉弟の(猫ゆえに)基本的に無表情なままの残酷行為は、われわれが子供のころ、親に怒られても叱られても、なぜかやめられなかった、小動物の虐待の記憶をまざまざとよみがえらせる。そして、それを一種痛快な記憶としてよみがえらせている自分に気がついてハッとさせられるのである。
生命は地球より重い、とか、動物愛護、とかいうお題目をとなえて自己満足的な行動をおこしている連中に、これが人間の本質だ、とつきつけてやりたくなるような、そんな感じを受ける作品だ。他にも、差別、精神障害者の排除、貧乏人への理由なき侮蔑など、近代人が最もやってはいけないとされていることを平気でやる、イケナイ快感をこの作品は触発してくれる。かなりアブナイ。
(からさわ・しゅんいち=評論家)
唐沢俊一「予言の書」
初出▶文藝春秋『ねこぢる大全 下巻』2008年10月
ねこぢるの描く猫の姉弟の悪意と残酷さを、よく人は“無垢な子供の”それ、だと指摘する。少なくとも、彼女が亡くなったときにはそんな論調の追悼がいくつも目についた。無垢であれば悪意も残酷さも許される、とでも言いたげな感じで。
実はねこぢるを殺したのは、そういう無垢な悪意であった。死去の報を聞いたときにたまたま私と仕事をしていた若い女性編集者が、死の直前に、ねこぢるに原稿依頼の電話をしたという話をした。ねこぢるは、それまでつきあいもない、初めて電話をかけてきたその編集者相手に、「仕事依頼が殺到して(亡くなる前年に東京電力のCMに彼女の描いたキャラクターが使用されるという、本当に作品を読んだことがあるのか、と問い詰めたくなるような事態が生じ、彼女は“売れっ子”になりつつあった)自分の方向性や資質と違うことばかりやらされていて本当につらい。いきなり仕事量が増えて体力が消耗しきっているので、もうこれ以上何も考えられないし、何もできない」という内容のことを、泣きながらえんえんと長電話で訴えたという。それを聞いたとき、そこまで彼女は追いつめられていたのか、と思い、慄然としたものだ。
キャラクターが可愛いから、メジャーな表舞台に彼女を引っ張り出そう、という業界各社の思いは、つまるところ彼女にとっては、“無垢な悪意と残酷さ”でしかなかったわけである。
あの頃は、と書いてそれがもう十年も前か、といささか愕然とせざるを得なぃが、しかしなるほど十年も前のことなのだな、と納得もできるのは、無垢な悪意というものが十年前にはまだ、世の中の人の目にさほどついていなかったということだ。だから、読者であるわれわれは、ねこぢるのマンガを読んで、そこに描かれた悪意を、マンガの中のことだと思って笑えたわけである。そのキャラクターをCMに起用できたわけである。
奇しくもねこぢるの作品が多くの人の目につくようになってきた一九九七年に、あの酒鬼薔薇聖斗の事件が起った。この犯人は十四歳。何らの理由も原因もなく、自らの心の中の残酷さが命ずるままに、幼い子供二人の命を奪った。それからである、堰を切ったように“無垢な心の”少年少女たちによる、さしたる理由なき殺人が頻発しはじめたのは。そして、ネット上には今日も無垢な悪意の書き込みがあふれている。自分の一言で人が自殺したり、立ち上がれなくなることを“純粋にワクワクする心で”残酷に期待して。
思えばねこぢるの作品は、世界がそういう時代へ突入していくことの、大いなる予言の書であったのかもしれない。あるいは、いいかげんなねこ神さまが、ねこぢる本人の作品を現実にしてしまったのかもしれない。
ねこぢるはその予言が自らの身に降りて、早々とこの世を去った。その去り方があまりに突然だったので、われわれは一層、その作品の前で立ち尽くさざるを得ない。十年たった今、また、おそるおそる、そのページを開いてみれば、彼女があの頃、いったい“何を”見ていたのかが、わかるかもしれない。
(からさわ・しゅんいち=評論家)
中野崇
初出▶河出書房新社『文藝』2000年夏季号
僕はねこぢるさんに1回だけ会ったことがあります。それは休刊になってしまった『まんがガウディ』の原稿依頼に行った時です。当時同じ編集部のN柳さんが「ねこぢるさんに会いに行くんだけど、一緒に行く?」と僕に声をかけてくれました。『ねこぢるうどん』を読んでいて、すでにねこぢるファンになっていた僕はすぐその話に飛びつきました。
ねこぢるさんの第一印象は“とてもシャイな少女”でした。僕等は約束の日にねこぢるさんと町田駅で待ち合わせをして、近くの喫茶店で打ち合わせをしました。駅から喫茶店までの道のり、ねこぢるさんは前髪で顔を隠すようにうつむき、なかなか僕等の方を見てくれません。喫茶店に入ってからもねこぢるさんはそんな調子でしたが、話がねこぢるさんの好きなこと、特にご主人の山野さんとインド旅行に行った時の話になると顔をあげて、とてもイキイキと目を輝かせてしゃべってくれました。前髪からのぞくねこぢるさんの目は、ご本人が描かれるお馴染みのキャラクターとそっくりでした。その時、“にゃーこ”はねこぢるさん本人だ!と思いました。
「ぢるぢる旅行記」はエッセイ漫画として人気を博しましたが、“にゃーこ”にしろ“ねこ神さま”にしろ、ねこぢるさん本人を投影しているキャラクターなので、作品にはエッセイ的な要素が入っていると思います。この要素がねこぢる作品の魅力だと思います。
(なかの・たかし=編集者) 柳下毅一郎
初出▶河出書房新社『文藝』2000年夏季号
人の死というのはつねに唐突なものだが、それにしてもねこぢるが自殺したときには驚いた。てっきり、そんなことはしないタイプだと思っていたからだ。じゃあ、誰なら自殺してもおかしくないタイプなのか、と問われると困ってしまうが、少なくともねこぢるは自分の狂気を対象化できるタイプだと思ってたのだ。
そもそも、ねこぢるがあれほどのポピュラリティーを獲得できた理由もそこだったはずだ。毒に満ち満ちた内容と、アンバランスな丸っこい描線の可愛らしい絵柄。ミスマッチとも言えそうだが、甘ったるい絵柄が毒をくるむ糖衣となったおかげで、ほど良く辛みを効かせることになったのだ。これが山野一ではそうはいかない。透明な、抽象度の高い絵で生々しさを抜いたからこそ、女子供にも愛されるねこぢるケータイストラップが作られたわけである。自分の中の毒にはまりこんでいたなら、そんなことはできないだろう。でもま、そんなこと考えるだけ無駄だっていうのがよくわかったよ。こざかしい知恵なんざ馬の糞ほどに役に立ちゃしないって、ねこぢるは教えてくれたのか。
(やなした・きいちろう=特殊翻訳家)
鬼頭正樹
初出▶河出書房新社『文藝』2000年夏季号
商業的にはたぶん「キティ」に追いつきはないが、キャラクター商品としての「ねこぢる」の浸透力は凄まじい。街角の「ガチャ」にまで「ねこぢる」バージョンがあるくらいだ。漫画のストーリーとは別に、ともに昔から「オンナコドモ」が好むネコということや、カワイラシイ絵柄という点だけで考えると特に不思議ではない現象かもしれない。だが、自殺した作者「ねこぢる」と残された作品を考える上で、この二者を比較することは必要だ(両作者にとっては全くもって迷惑な事だろうが)。
サンリオと青林堂という180度別方向を目指す企業の作ったキャラクターも市場では並列におかれる。集英社と青林堂のコミック単行本が書店で並んで置かれるのと同じだ。また社員デザイナーという作者のかげの薄い「キティ」と、「ねこぢる」から「ねこぢるy」へ移行しながらも続く「ねこぢるうどん」は、作者の匿名性によって読者から地続きの生活臭を消し去ってしまう。だから作中の不幸も死も切実さはなく「登場人物の純粋な無邪気さ」という言葉の陰に隠されていく。一方で、青林堂のもう一つのヒット商品との共通点も考えてみることだ。漫画家「蛭子能収」はその作品ではなく自分自身を肥大化した市場に送ってしまったが、そんなこともその他の二者のあらゆる現実と作品をも含めて、「ねこぢる」と「蛭子能収」こそが「ガロ」が二十一世紀に向けて懐妊した、純朴さのかげに狂気を秘めた強かな双生児ではないかと思えてならない。
(きとう・まさき=エディター)
青山正明
初出▶朝日ソノラマ『ねこぢるだんご』1997年11月1日発行 僕は豚汁が大好きなのだが、残念ながら猫汁はまだ一度も口にしたことがない。まあ、機会があれば、子猫を手に入れ、愛情を注ぎまくっ て大事に大事に育て上げ、しかる後、鍋にしてつついてみようかとは思っている。実際の味はともかく、ありし日のやんちゃな姿を収めた8㎜なんぞをモニターで観賞しつつ食する猫汁の味は、さぞ格別なものだろう。
さて、ありていに言えば、ねこぢる作品はイソップやマザーグースから今日のナンセンス&ビザール4コマまで連綿と続く残酷童話のひとつである。が、残酷童話という呼称はいいとしても、そうした類型に当てはまらない、ねこぢる独自の世界観というのが明らかに存在する。ねこぢるの創作する世界では、弱肉強食、強い動物は弱い動物にどんな暴力を振るおうが、その死肉を食らおうがお構いなしだ。ところが、その一方で、主人公たる猫一家は、奇妙なところは多々あるとはいえ、とりあえず仲むつまじい家族である。いつも手をつないで歩く、強く怖い父、分別ある母──。こうした家族のあり方は、今の世にあっては、現実とは程遠いファンタジーと言えよう。
つまり、ねこぢるの生み出す世界は弱肉強食という下界のビザール・ファンタジーと、そこにかろうじて点在する安住の巣、ファミリー・ファンタジーとのせめぎあいの所産なのだ。『つなみ』の女王とて例外ではない。彼女はひとりになることで、ようやく自分の意志と力でファミリーを築き上げられる可能性を手に入れたのである。
ビザール&ファミリーのダブル・ファンタジーが織りなすねこぢるの世界には、凡百の残酷童話にありがちな説教めいた教訓などない。残酷と安寧、他者と家族。ねこぢるは、ただただこの世のありさまを、諦念と一縷の夢を胸に淡々と描き続ける──。
最後に、これはあくまで僕の希望にすぎないんですけど、「ねこぢるが猫汁をすする」ようなことには、決してなってほしくないですネ。
(あおやま・まさあき=編集者・文筆家)
村崎百郎 初出▶河出書房新社『文藝』2000年夏季号
深読みすれば一コマで軽く十年は楽しめるのがねこぢる漫画の魅力だろう。同じ電波系でも、石川賢のように絵は複雑だが話の構造が善悪二項対立に帰結する体育会系の男らしい単純な電波漫画と違って、読み手に膨大な種類の妄想を喚起させる点で素晴らしい。
とはいえ、こういう評価や感想がねこぢる氏にとって何の意味もないことも事実である。“電波”発生装置としてのねこぢる氏と山野一氏の関係は、大本教における出口ナオと王仁三郎の関係に近いと思えば分かり易いだろうし、山野氏もどこかでコメントしていたが、ねこぢる漫画はねこぢる氏が抱えるカオスを山野氏が翻訳してどうにか我々一般人が楽しめる娯楽漫画の領域に押さえられたものだという。そのことを念頭に置き、ねこぢる漫画の中の「読者を楽しませるために加えられたと思われる明らかにウケ狙いの部分(と言うと語弊があるが…)」を省いて精読すれば、あの漫画の本来の怖さと深さが実感できるだろう。
そこには不謹慎さや反倫理や反道徳や反社会性など微塵も感じられない。ねこぢる漫画の根底にあるのは何かに対立する“反”の意識などではなく、非倫理、非道徳、非社会性ともいうべき、あらゆるものから隔絶し超然とした精神である。おそらく、ねこぢる氏は人類に対する愛も憎悪も関心も何もなく、読者のことなど何一つ考えず、人間の尺度で物事を考えていなかったろう。そういう強さや身勝手さやデタラメぶりは尊敬に値する。
(むらさき・ひゃくろう=工員・鬼畜ライター)
根本敬「本物」の実感
初出▶文藝春秋『月刊コミックビンゴ!』1998年7月号
大抵、自殺は不幸なものだ。
だが、例外もある。自殺した当人が類い稀なるキャラクターを持ち、その人らしい生き方の選択肢のひとつとして成り立つ事もタマにはあるかと思う。
ねこぢるの場合がそうだ。
死後、つくづく彼女は「大物」で、そして「本物」だったと実感する。
そのねこぢるが「この世はもう、この辺でいい」と決断してこうなった以上、これはもう認める他ないのである。もちろん、個人的には、数少ない話の通じる友人であり、大ファンであった作家がこの世から消えた事はとても悲しい。が、とにかく、ねこぢる当人にとって今回の事は、世間一般でいうところの「不幸」な結末などではない。
とはいえ、残された山野さんにとっては、とりあえず今は「不幸」である。
何故“とりあえず”が付くかというと、ある程度の時間を経ないと、本当のところは誰にも解らないからである。
ねこぢるの漫画といえば、幼児的な純な残虐性と可愛らしさの同居ってのが読者の持つイメージだろう。それも確かにねこぢる自身の一面を表わしてはいるだろうが、「ねこぢるだんこ」(朝日ソノラマ刊)に載っている俗や目常の遠い彼方に魂の飛んだ「つなみ」の様な漫画は、ねこぢるの内面に近づいてみたいなら見のがせない作品だと思う。まだ読んでないファンがいたら、是非読んでほしい。
年々盛り上る、漫画家としての世間的な人気をよそに、本人は「つなみ」の様な世界で浮遊していたのではないか。
俗にいう“あの世”なんてない。
丹波哲郎のいう“大霊界”などあってたまるか。
だが、“この世”以外の“別世界”は確実にあると思う。
ねこぢるは今そこにいる。 (ねもと・たかし=特殊漫画家)
根本敬「ねこぢるうどん」......それはマンガで楽しむ山野家の「バルド・トドゥル」となるのか?」
初出▶青林堂『ねこぢるyうどん①』2000年11月20日発行
ねこぢるyこと山野一もこの根本同様もう長いことマンガ家としてやっているのにその割には業界内に友人が少ない。だから自分にこの「解説」のお鉢が回ってきたのだろう。
その少ない友人の中に自分の場合、佐川一政という人がいる。佐川さんはいうまでもなく、81年に世界を震撼させた、あの「パリ人肉事件」の当事者だが、巷間、あの事件は狂気故の沙汰と思われている様だが、実際のところは『このままでは本当に狂ってしまう』という強いプレッシャーから逃れ、精神の安定を得るために実行されたとも思えるのである。
精神の安定を得るため人はとんでもない事をしでかしてしまう時もあるがそれ位精神の安定は重要なものなのだ。運命の残酷な仕打ちや思いがけない事態に直面したときに求めるものは何よりも精神の安定だろう。
「ガロ」に連載されている「ねこぢるうどん」をはじめ、ねこぢるy名義での諸作品を制作する過程で山野さんは別世界にいる、ねこぢると交感し、精神の安定を得ていたのではなかろうか。
ところで別世界とは......。
矢面に立つ山野一がまずいて、そのすぐ後ろにもう一人の山野一がいて、その後ろに更にもう一人の山野一がいて、実はその後ろにも山野一がいて、更にまたその後ろに──という様に背後には、数え切れぬ程の山野一がいるのだが、後ろに行く程、その背景はグニャリとトロけて、時空は歪み、四次元、五次元、正に別世界の様相を呈して来る。そして、ねこぢるの今いる別世界の入り口はそのあたりのどこかにあるのだと自分は思う。
「ねこぢるうどん」が真の評価を受けるのはまだ先の事だろう。何故ならこの作品はどこかへ向かうためのバルドっていうんですか、その途上にあるから。
一体どこへ辿り着くのか?それは─山野さんの脳内で行われる─山野さんとねこぢるによる「脳内コックリさん」でコインがどの方向へスーッと動くのか、それによって決まるだろうが、どちらが主導権を握るか、それによって道筋も違って来る。が、いずれにせよ辿り着く先はひとつだろう。 (ねもと・たかし=特殊漫画大統領)
山野一「タコねこ」
初出▶文春ネスコ『インドぢる』2003年7月30日発行
その目を初めて見たのは、彼女が暇を持てあまして書き殴っていた画用紙だ。大きな猫の顔に、タコのような足がついている。
「体はタコなの?」
「ちがう、この四本が足でこれがしっぽ」
なるほど、そう聞けばそう見える。
私はそれを「タコねこ」と命名した。
タコではないが、本人もその名前は気に入ったようだ。ほんの数秒で描ける一筆書きなのだが、得もいわれぬ妖しい魅力を放っている。 魅力は確かにあるのだが、その正体がよくわからない。目は人間のようにアーモンド型。瞳が大きく白目が少ない。無表情、焦点が合っているんだか合っていないんだかもビミョー。
口元はやや笑っているようでもある。可愛いようで怖い。単純なようでもあり計り知れなくもある。安全なようで危険。諸々……。絵の形や意味するものを捕らえようとする前に、なにかよくわからない物がいきなり直接意識の奥に飛び込んで来る、そんなかんじ。
原始人のケイブアート、あの半ば記号化されたような動物や人、あるいは六芒星やハーケンクロイツといったシンボリックな図形。
そういった要素が、描いた本人も無自覚なうちに備わっているのではなかろうか?そんな気がする。
「どれが一番いい?」
ほぼ同じなのだが微妙に崩れ方がちがう。
「んー……、これかな」
「次は?」
「そうだな……」
ねこぢるはすべてに順位をつけ終わるまで許してくれない。どうにか選び終わると、すぐまた別の画用紙に十個ほど描いてくる。
「どれが一番いい?」
そのタコねこが、「にゃーこ」と「にゃっ太」の原型だ。その一番最初の画用紙は、今は残っていない。 (やまの・はじめ=漫画家)
山野一「あとがき」
初出▶文春ネスコ『インドぢる』2003年7月30日発行 ある日起きると彼女は冷たくなっていた。普通に寝ているような穏やかな顔だった。
「もう亡くなっています」
救急隊の人の言葉の意味はわかるが、今目の前にあるものが現実とはかんじられない。いろんな人が来ていろんな事をいった。私はねこぢるの顔を見つめたまま「はい、はい」と受け答えをしていた。しかしこれは夢で、すぐに覚めるものだと頭の半分で思っていた。
それは葬儀が終わってからも変わらず、抱いて帰った白い箱に線香を上げるのだが、ねこぢるに上げているという気はしなかった。
ふと気が抜けると「あれ、ねこぢるどこ行ってんだっけな?」とすぐ思ってしまう。いつものように近所のコンビニか、遠くても駅前の繁華街にいるような気でいるのだ。
「私は長生きなどしたくない」
ねこぢるは出会った頃からよくそんな事をいった。長年聞いていると麻痺して、機嫌が悪いからまたそういう事をいうんだろう、ぐらいにしか思わなくなっていた。そういう慢性的な不安要因はあったものの、実際に引き金を引かせた動機はわからない。前の夜は仕事が一段落して、二人で酒を飲みながら、テレビでやっていた「マスク」という映画を見て笑っていたのだ。丸一年、白い箱と暮らす。
疑問はどんどん湧いてくるが、答えは何一つ与えられない。すべて憶測のまま放置される。考えは同じ所を堂々巡りして、そこから抜け出せない。
「私が死んで『オレが悪かったよぉー』って毎日メソメソ泣けばいいんだ」
怒った時などねこぢるはよくそういった。
いたずらっ子のような顔が浮かぶ。好きだった酒を遺影に供え、線香を上げ、手を合わせるのだが「何という身勝手なやつなんだ。意味わかっててそれやったのか?」そういう反感が、どうしても混じってしまう。確かに自分がそんなにいい夫だったと思わない。しかし、私が死ぬまで徹底的に無視され続けなければならない程ひどかったとも思えないのだ。
ようやく墓を建て、一周忌の法事を兼ねて納骨する。しかし、ひとかけらだけその骨を残してロバの絵の小さい壺に入れておく。
ねこぢるが好きだったインドで壺から骨のかけらを出し、手のひらに包んで海水につけた。日差しは強く首の後ろが焼けるようだが、海水は冷たい。波の力が強く、もろいかけらから小さな断片をさらって行く。波が引くとき手を開いて流してしまおうと思った。次こそと思うのだが、何度もやりすごしてしまう。結局手を引き上げ、もとの壺に納めてしまった。
ある日、知人がMacをセットアップしてくれた。ずっと放置してあったパソコンだ。マウスでグリグリと無意味な線を引き、消し、またグリグリ……。そうやっているうちに自分でも思いがけずハマっていた。Macでねこぢるの絵を描いていると、かつて故人と机を並べていた時のように、なにか対話しながら描いているような気がする。
それは錯覚なのだが、少なくとも紙よりは孤独でないと私にはかんじられる。墓や仏壇に向かっているより、Macのモニターの中に「にゃーこ」や「にゃっ太」を描いている時の方が、故人とシンクロできるような気がするのだ。正確には、私の頭の中の故人像とではあるが。
「ちがうっ、そうじゃなくて……、ああ、バカへたくそっ」
線を引く耳元で、ねこぢるがずっとそういい続けているような気がする。その声に従ったり、無視したり、教えられたり、反抗したり、感心したり、癒されたり、やさぐれたりしながら「ねこぢるyうどん」1〜3巻を描いた。最後の書き下ろしの部分では、消耗しすぎて私の目の下のクマは顔中に広がり、死に神みたいな顔になった。
ねこぢるに対する私の受け答えは、全部実際に口から漏れていたから、その姿を見た人は、急いでその場を離れたかもしれない。
ねこぢるは自分のキャラクターを本当に愛していた。
仕事をしながら何気なく、「にゃーことにゃっ太はどっちが君なの?」と聞いた事があった。返事がないので、聞いていないのかと思いそのまま忘れていたら、だいぶたってから、「んー……、どっちかに決められない」といった。ずーっと考え込んでいたのだ。
ねこぢるが亡くなったあと、私が漫画を描き続けるのはやめてくれ、という読者の声もあった。
そういう声には私もえぐられる。遺書にこそ書かれていないが、自分が死んだ時の事について何度か話していたからだ。
「絶やさないでほしい」
「やめてほしい」
その時々の気分によっていうことは変わった。
つまり私がやっている事は、黒でもあり白でもある。かつてねこぢるとしていたやりとりを、今は脳内のねこぢるとしている。
それがやっていい事なのか悪い事なのか、それになにか意味があるのかないのか、今のところなんともいえない。 (やまの・はじめ=夫・漫画家)
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黒川創「ねこぢるって誰?」
初出▶青林堂『ガロ』1995年10月号
先日、スーパーの文房具売り場をうろついていたら、「カブトムシのセット」が売られていた。直方体のプラスチックケースに、おがくずが敷かれ、なかにカブトムシが雌雄1匹ずつ入っている。たしかに「セット」には違いないが、シャープペンシルやノートと同じ棚に、カブトムシが“文具”として売られているというのはなんか変なかんじだ。
ねこぢるの「ねこ」も、このカブトムシに似ている。作者は、生身の「ねこ」なんかぜんぜん可愛がっていないし、たぶん、ペットショップとさえ、ほとんど縁がないだろう。むしろ、ねこぢるの「ねこ」には、西友かダイエーの文房具売り場あたりが、お似合いのではないだろうか。
スーパーで760円プラス消費税3%でカブトムシを買ってきて、夏休みのあいだ何かエサをやって最後にぶちぶちと六本節足をちぎっていく。そういう感触が、ねこぢるのマンガにもある。つまり、この人は、学校のウサギ小屋のウサギたちを血まみれになるまでたたきつけたり、プールに投げ入れてしまう少年・少女たちの白昼夢のような心情を、いまも共有しているのだろう。
ところで、私は、この作者・ねこぢると、何度か会ったことがあるのだが、あれが「ねこぢる」の正体であったかどうか、実はいまもってはっきりしない。何度か会ったとき、「ねこぢる」は20歳代なかばの小柄な可愛らしい女の子の皮をかぶっており、バーボンを好み、酔っぱらって、私はそのダンナと称する人物と、”彼女“を左右からぶらぶらとぶら下げて駅まで左右からぶらぶら運んだこともあるのだが、それがホンモノの「ねこぢる」であったかどうか、どうも明瞭ではないのである。
作品についてはすでに『ねこぢるうどん』第1巻の「解説」に書いたので、このことについて記しておく。
私に、ねこぢるとのご縁が生じたのは、たしか四年ほど前のことだ。ある業界紙にコラムを連載する機会があり、そこに毎回つけるイラストの描き手を探そうということになって、私は『ガロ』に「ねこぢるうどん」なるものを掲載していた未知のマンガ家を、担当編集者に推薦したのである。
担当編集者は、そのマンガを見て「わかりました」と私に言った。でも、彼は本心では、あまり「わかり」たくはなかったらしい。なぜなら、そのあと、担当編集者はすぐにねこぢるに電話を入れ仕事の件を依頼して、加えて「あなた、ねこしか描けないわけじゃないんでしょうね?」とかイヤミなことを言ったらしいのだ。
私には、担当編集者の不安がわかる。なぜなら、コラムの掲載は週二回、さまざまな雑多な話題を取りあげてのものであるにもかかわらず、かんじんのイラストレーターの作品は「ねこぢるうどん」しか見られていない。
そこでいきなり「ねこしか描けないわけじゃないんでしょうね?」発言となるわけだが、そんなことおまえに言われる筋合いはねえよ、と思うのが、描き手の当然の気持ちだろう。元はと言えば、私が悪いのだ。
そんなわけで、担当者との打ち合わせの時間、所定の場所に、ねこぢるは現われなかったらしい。ただし、やや遅れて男の「ねこぢる」を名乗る人物がやってきた。それが山野一で、彼はこれまでのイラスト作品をささっと要領よく見せて、「じゃ、そういうことで」と、この連載の仕事を決めてしまった。──というような経過をたどって、私はそれから1年、山野一のイラストと組んで、無事その連載の仕事を終えることができたのだった。
ということは、このとき、山野一は、サギまがいの仕事の交渉をしたのだろうか?そんなことはないわけで、実はこの山野一、例の「ねこぢる」らしき女の子の夫で、その仕事のストーリー作り補助、ペン入れ下働き、スクリーントーン貼りつけ係、および渉外担当のような受け持ちをしてきたらしい。つまり、「ねこぢる」というのは個人名というより一種の屋号で、その「ねこぢる」の成分には10%か20%、“山野一“が配合されているのだと考えられなくもない。それはそれでいいでも、だとすれば、あの「ねこぢる」の主成分らしき女の子、あの女性だけを呼ぶときには何と呼べばいいのかという、最初の問題に戻ってきてしまうわけである。
私は、あの女性と何度か食事をしたし、お酒も飲んだ。私は、そんなとき、彼女のことを「ねこぢる」もしくは「ねこさん」と呼ぶ。でも、どうもその「ねこぢる」という言葉には、20%ぐらい山野一が含まれているようで、落ち着かない。いったい、目の前の彼女、この本体が、それ自身だけの名前をもっているのかどうか、私は彼女だけを呼ぶことができるのかどうか、不安になってくるのだ。
私は、ひどいときには酔っぱらって、彼女の家に泊めてもらったこともある(もちろん、そのときには、20%の”山野一”成分付き)。そんな夜には、20%の山野一成分は、80%の主成分に向かって、なにか別の名前で呼びかけて良たのだが、どうも、その呼称がいつまでたっても私には覚えられないのだ。
というわけで、いまも彼女は私にとって「ねこぢる」である。
それでいいのだ。でも、私が彼女のことを「ねこぢる」と呼ぶたび、自分の頭のうしろのほうでは(......ただし、20%の山野一成分抜きの)と、落ち着きのないささやきが聞こえる。 ちょっとイライラする。いったい、彼女は誰なのだろう。
『月刊漫画ガロ』1995年10月号所収
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