城めぐりの記録

日本100名城スタンプラリーで城めぐりにはまりました。 登城した城址の感想と写真 を掲載中。

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日本100名城:選外名城百選:鹿児島県選外日本の城:903廃城をゆく:選外

登城日 2011.08.12(金)

西之表市街の東側の高台にある旧榕城中学校が内城址となります。
戦国時代の種子島氏の居城で、鉄砲伝来時、城主であった種子島時尭の像も建っています。
遺構としては、中学校のグランドを囲む様に立派な土塁が残っています。
また、城下には、鉄砲伝来ゆかりの像や解説が随所にあります。

入城料

 無料

城データ

よみがなうちじょう
指定市の史跡
江戸300藩
別名赤尾木城
城地種類平山城
天守なし
築城年代戦国時代
築城者種子島氏
廃城年代寛政元年(1624年)
主な城主種子島氏
遺構土塁
現状(案内等)旧榕城中学校(土塁、解説板、石碑)
関連wiki種子島氏
攻城団
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写真

写真1:内城(旧榕城中学校)/写真2:内城解説/写真3:土塁/写真4:根占戦争解説
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-46-c5/dougen2005/folder/1599326/73/63202173/img_0?1477156550 https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-46-c5/dougen2005/folder/1599326/73/63202173/img_1?1477156550 https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-46-c5/dougen2005/folder/1599326/73/63202173/img_2?1477156550 https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-46-c5/dougen2005/folder/1599326/73/63202173/img_3?1477156550
写真5:内城虎口/写真6:赤尾木城址の石碑(内城)/写真7:内城土塁/写真8:種子島時尭の像
https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-46-c5/dougen2005/folder/1599326/73/63202173/img_4?1477156550 https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-46-c5/dougen2005/folder/1599326/73/63202173/img_5?1477156550 https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-46-c5/dougen2005/folder/1599326/73/63202173/img_6?1477156550 https://blogs.c.yimg.jp/res/blog-46-c5/dougen2005/folder/1599326/73/63202173/img_7?1477156550
写真9:種子島時尭解説/写真10:種子島時尭解説/写真11:内城土塁/写真12:内城近景
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写真13:種子島博物館/写真14:八板金兵衛清定の像/写真15:鉄砲伝来の功徳/写真16:若狭姫の像
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写真17:若狭姫解説/写真18:若狭姫の墓/写真19:若狭姫の墓解説/写真20:南蛮鉄砲撃ち始めの地
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写真21:南蛮鉄砲撃ち始めの地解説/写真22:御坊墓地解説/写真23:御坊墓地/写真24:御坊墓地
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種子島氏は、鎌倉時代中期に島津荘大隅方惣地頭・名越氏(北条氏支流)の代官である肥後氏(藤原氏支流)の一流が種子島氏となったと見られる。

鎌倉幕府滅亡後も在地領主(国人)として島を支配。6代時充の頃から「種子島」を称する。1408年(応永15年)、8代清時は守護島津元久より屋久島を与えられる。1543年(天文12年)、14代時堯の代に鉄砲が伝来。島の古来からの豊富な砂鉄をもとに国産化に成功した事はよく知られる。
このために、鉄砲の事を「たねがしま」と呼ぶ俗称が生まれた。また、この頃、大隅国の禰寝氏と屋久島の領有権をめぐり激しく抗争している。禰寝氏は肝付氏と結び、種子島氏は島津氏と結んだ。

16代久時は島津氏に臣従し、それまで独自に行っていた琉球貿易権や屋久杉の伐採販売権も島津氏の手に渡った。
文禄4年(1595年)、太閤検地に伴う所替えで薩摩国知覧に移封された。
慶長3年(1598年)には薩摩藩の家老に任命され、江戸時代を通して家老の家柄として1万石の家格を保持した。
翌年には知覧から旧領の種子島に移封されたが、屋久島は島津氏の直轄地のままで、鹿児島への在府を義務

2012/12/9(日) 午前 8:09 [ 水・土壌汚染を学ぶ ] 返信する

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