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再会、初参加−昨日の札幌『教育』を読む会−
札幌『教育』を読む会
[ あんきゃめ ]
2011/8/24(水) 午前 2:37
小鮒智『語り継ぐ人間性と人格の教育』川崎教育文化研究所
発達援助・教師論
[ 櫻井智志 ]
2011/8/21(日) 午前 1:09
被災地の子どもたち・学校に目を向けよう!
東日本大震災
[ 北海道教育科学研究会 ]
2011/8/19(金) 午前 6:19
[ 北海道教育科学研究会 ]
2011/8/16(火) 午後 10:03
[ 京都・教育福祉労働安全衛生 ]
2011/8/16(火) 午後 1:15
[ 京都・教育福祉労働安全衛生 ]
2011/8/16(火) 午後 0:59
[ 京都・教育福祉労働安全衛生 ]
2011/8/16(火) 午後 0:58
中央政府は「発達」という言葉を使わずに、その言葉を使う者を敵視しました。しかし、大日本帝国憲法ができるときに言葉狩りができなくなって、中央官庁の言葉にしたのです。それが、特殊日本的な「発達」という言葉です。
5回にわたり大日本帝国憲法の上意文を直していく中で、「国家目的に向かっていくこと、能率的にそれを実現することが発達である。」「そして、その足手まといになる人を排除することが、発達の積極道である」としました。国家に対して反対の意見を持つ人、罪を犯した人、障害の重い人は排除する。治安警察法が作られたときです。このようにして、人間を積極道と消極道と、どちらでもない(邪魔者)としたのが、大日本帝国憲法ができたとき、世界に通用しない発達という言葉がまれました。外的な価値、富国強兵に向かって努力するために自分を捨て(滅私奉公)、国家のために命をささげる。これが発達の道であるというように変えてしまったのです。
[ 京都・教育福祉労働安全衛生 ]
2011/8/16(火) 午後 0:55
発達という言葉は、ルネッサンスの時期に南フランスの農業の営みの中で生まれました。それが宗教改革の中で、新しい時代における新しい生き方をすべての人々が身につけていくということで人々を勇気づけ、デベロップマンいう言葉が思想の中に位置づいたものです。いまピーストデベロップマンが21世紀の課題になってきました。この時にデベロップマンは、自分の力が充実すること、連帯して価値をつくり出すこと、一人ひとり分け隔てなく大切な関係を作って、方向性は自分の頭で考えて進んでいくということです。日本では、江戸時代末期に「発達」という言葉が蘭学から入ってきて、自由民権運動の中で花開こうとしていたのを明治中央政府が潰しました。
[ 北海道教育科学研究会 ]
2011/8/16(火) 午前 7:43
[ 元教師 ]
2011/8/16(火) 午前 2:05




