出師の表

日本は、真に独立した国なのでしょうか?

歴史観の目覚め

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6年前、アメリカに渡った時、
娘は、まだ9ヶ月の赤ん坊であった。
渡米2,3日前より酷い中耳炎になり、
出発当日も掛かりつけの耳鼻科で、
耳の洗浄を行って貰った。

アメリカは医療費が高いと聞いていた。
また、日本のような皆保険性でないことは
予備知識として持っていた。
しかし、アメリカでの就業契約などが済まないうちは、
民間の医療保険にも入れないとの情報を得ていたので、
予め加入したおいた旅行保険で、
娘の中耳炎の治療は対応しようと決めてからの出発であった。

現地に到着し、早速、医者を紹介してもらった。
中耳炎の治療(とは言っても、簡単なぬるま湯による洗浄であったが)を、
してもらった。
幸い、薬は、日本から持ち込んだのですますことができた。
さて、その時の一回の治療に対する請求は、
150ドル(当時、1万6千円)であった。
噂に違わぬ高い医療費だと感じた。

その後、民間の医療保険に加入。月に60ドル程度であったかと思う。

現在のアメリカ社会で医療保険に加入していない人は、
4000万人を超えるという。
盲腸の手術で200万円以上。出産で約150万。
一回の虫歯の治療で10万以上。
(詳しくは以下参照)
http://www.urban.ne.jp/home/haruki3/america.html

正直、貧乏人は死ななくてはならない社会である。

アメリカは医療先進国である。
ただし、最先端の医療を享受できるは、
富裕層だけであり、医療保険に加入することができない、
貧民層にとっては意味をなさぬ技術である。

今、日本は、アメリカ型の経済政策、
新自由主義経済を受け入れたことにより、
「勝ち組、負け組」と言われる二極分化が進みつつある。
また、現在の少子高齢化が進むことにより、
現在の皆保険制度が崩れる可能性があるとの指摘もある。

1年あまりの滞在後、日本に帰国する時に、
幾つかの理由から、
「日本は、アメリカのような社会でなく良かった」と、
安堵した気持ちになった。
日本の医療保険制度の存在、
さらに、個々人の経済格差が相対的に小さい社会であることも、
幾つかの理由の一つであった。

しかし、あれから5年が過ぎ、日本社会は変わりつつある。

アメリカ社会のように、能力ある者(運が良い者とも言う)が大金を掴む一方で、
それなき者は医者にも行けない社会となっても良いのだろうか?
多くの日本人は、否と思うはずである。
しかし、間違いなく、日本はアメリカ型の社会に日々近づいている。

今こそ、私たちは、本来あるべき日本社会、
理想とする国家像を模索する時であると言える。
理想や目標とする日本社会は、
どこかの国を真似るような相対的なものでなく、
日本独自の絶対的なものであることを願う。
それこそが、真に日本人の性質に適合する社会であるはずである。

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引き続き、アメリカで生活していた頃の話である。

大学のある研究室で働いていた。
赴任当初は、英語を喋ること、
異なる社会生活、食べ物の不味さに
辟易しながら過ごしていたが、
慣れてくると非常に楽であることに気がついた。

それは、「世間体」を気にすることが
ないことであった。

私の故郷は、東北の小さな田舎町である。
小さな頃より悪さをすれば、
「あれは、どこどこの息子だ!」と
糾弾されるような風潮があった。
また、必要以上と感じるほど、
親戚、近所づきあいをしなくてはならない。

それが、アメリカでは、全く不必要であった。
もちろん、行った当初は知り合いもいないわけであるから、
人付き合いをしたくてもできない状況であったのは確かである。
しかし、その理由だけでなく、
アメリカ人は、完全に「我は我、人は人」なのである。
道で会えば、知らない人とも挨拶を交わすが、
基本的には、他人に干渉しない。
干渉されたくない。
完全な個人主義、自由主義なのである。

その雰囲気に気がついたた時、
全く「世間体」を気にしない生活の楽さ、
心が解放されたような感覚は、
確かに今でも懐かしいかぎりである。

アメリカの大学を出て、
向こうで就職をした日本人と知り合った。
彼女は、一度、日本に戻り、
日本の企業に就職をしたことがあったそうである。
しかし、その生活を長く続けることができなかったそうである。
日本での生活は、「人の目が怖かった」と話していた。
彼女は、少し極端なところがあったかもしれない。
しかし、あの自由な雰囲気の中では、
私にも彼女の気持ちを納得できる部分が多分にあった。

「世間体」という言葉もまた「島国根性」と
同様に良い意味で使われることは少ない。
しかし、武士道精神にもあるように、
伝統的に日本人は、「恥」の意識を持っていた。
「不真面目であったり、悪さをしたりすれば、
世間に顔向けができい」という考えである。

「世間体」には、窮屈さ、偏狭さを感じる人が多いであろう。
しかし、「世間体」があるということは、
逆を返せば、「地域共同体」が
しっかりとしているということである。

横浜に住んでいた頃、「変質者現る」の回覧板が
頻繁に廻ってくることに驚いたものである。
小さな子供を持つ親として、かなり心配もしていた。
こんなに沢山の人がいるにも関わらずに、何故とも思っていた。

しかし、横浜には、
沢山の人がいても、
沢山の人の目が
あるわけではなかったのである。

「世間体」があるということ、
つまり、「地域共同体」が整っている社会は、
犯罪に対しての抑止効果が非常に高い。
「世間体」のないアメリカ社会では、
自由な風潮であるが、犯罪発生率が非常に高く、
日本においても、これまた、アメリカ化されつつある。

今、私は、少し窮屈でも、安心、安全な伝統的日本社会が好きである。

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約1年間、仕事のためアメリカで生活したことがある。

私が住んでいてワシントン州の田舎の大学街は、
小麦畑が広がる肥沃な所であった。
しかし、ワシントン州の北西部からアイダホ州にかけては、
茫々だたる荒野が広がる場所である。
また、観光で訪れたアリゾナ州の北部からモンタナ州の東部にかけても、
見渡す限り赤茶けた不毛の地が広がっている。

そのような作物の栽培すら難しい場所に、
アメリカ先住民(インディアン)の保留地がある。
実際、不毛の大地を過ぎ木々が生える緑豊かな場所に抜けると、
そこは、白人が住む場所である。
「3日も食べていない」と、物乞いの先住民の方に食べ物を、
懇願されたことがあった。

コロンブスの北米大陸到着以前、あの広大な土地は、
彼らのものであったはずである。
コロラドの緑豊かな場所にも彼らの祖先の遺跡が存在する。

Indian Reservation、北米先住民保護特別保留地。
reservationとは、権利などの保留や制限を意味する。

あの土地に住む彼らを見なければ、
日本語だけでは本来の英語の意味を考えずに、
如何にも保護された土地(豊かな場所)に
彼らが、生活しているような誤解を持ったままでいたかもしれない。

世界史的の流れを見ても、
通常、侵略者は、先住者の生命、権利を奪うことを、
常としている。
今のアメリカ先住民の姿は、400年前から続く、
アメリカの政治方針、言い換えれば、
アメリカが持つ「負の体質」の象徴と感じる。

前回の同タイトル-その1-では、「島国根性で何が悪い!」と書いた。

島国根性を辞書で引くと次のような意味である。
「島国に住む住民にありがちな、視野が狭く閉鎖的で、こせこせした性質」
確かに、直接的にこの言葉が日本人の性質に合致するのであれば、
贔屓目にみても褒め言葉にはならない。

しかし、本当に日本人は、この言葉通りの性格なのだろうか?
歴史的に、そうだったのだろうか?

通常、「島国根性」=「日本人の性質」と思われている部分がある。
私たち日本人もそのように思っているところがあるし、
特に、諸外国からは、そう見られていると思っている。

私自身、通念的に使われる島国根性という言葉は、
実際の日本人の性格または潜在的な精神性を
反映している言葉ではないと感じている。
古代からの歴史を俯瞰し、考慮すると、
昔も今も、
「視野が広く開放的で、おおらかで、そして純情純粋な性質」
であると感じる。

「島国根性」=「日本人の性質」の方程式が成り立つのであれば、
その意味自体が間違っているのではないか。

物事の本質がどこにあるかも分からずに、
言葉だけが先行し、概念化され、それに基づいて具現化される。
また、そのことに対して、疑念を持たないことへの反定立として、
島国根性の肯定を、敢えて、私は行いたい。

引き続き、島国根性の本当の意味、すなわち真の日本人の性質を
論証していきたいと考えている。
仮に、日本人の性質が「視野が広く開放的」であるならば、
どこかの国からグローバリゼーション(国際化)を、
迫られなくとも、十分に国際的な国であるし、
国際的な民族であるということなのである。

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グローバリゼーション(globalization)という言葉が花盛りである。

ニュースでも、新聞でも、グローバリゼーションと言う。
私は、この言葉を聞くたびに不思議な気持ちにならざるをえない。

まず、なぜ、グローバリゼーションと言うのであろうか?
この言葉は、英語である。この言葉を使うニュースや新聞は、日本国内のものである。
なぜ、国際化と言わないのであろうか?

ほんの一部の人を除いて多くの日本人は、英語よりも日本語が得意であろう。
それをあえて英語を使っている理由は、二つあるのではと推測している。

一つは、「格好いい」からである。
潜在的に、多くの日本人は日本語よりも英語が
格好いいと思っているふしがある。
半端に英語ができるのだろうか、日本語が不得意なのだろうか、
日本語のスピーチであるにも関わらず、
英語の単語をやたらと盛り込む人がいる。
宮沢喜一元首相などが典型的な例である。
多くの場合、英語を扱えるということ自体が、
「格好いい!」という気持ちからではなかろうか。

私は、言語に対する思いと、文化に対する思いとには
非常に高い共通性があると感じている。
上記したように、日本語よりも英語が格好いいという気持ちがあるとすれば、
それは日本の文化よりもアメリカの文化(イギリスでもよいが)の方が、
勝っているという気持ちからではなかろうか?
ちなみに、フランス語が話せるとなれば、「超格好いいー」となるのは、
フランス文化への憧憬が強いからであろう。

約150年前に、徳川幕府が、薩長を中心とした討幕運動により倒れ、
明治維新となった。
それこそ、急激な国際化に晒された明治政府は、
急激な欧化の道をだどる。
日本の文化よりも、欧米諸国の文化の方が優れているとの考えが、
日本の隅々に広がっていたと考えられる。
しかし、日清、日露戦争の勝利により、欧米に対する劣等感が克服されかかった時に、
第二次世界大戦の敗北とGHQによる占領地政策の効果により、
その劣等感は、私たちの遺伝子に刷り込まれるように
深層心理に根ざしてしまったと思われる。

さて、グローバリゼーションという言葉を使う二つ目の理由は、
日本人にとって目的なき国際化を推し進めたい人々が、
その言葉の曖昧さを増幅させたいからではなかろうか?

日本語でも国際化という言葉は、意味的に曖昧さが強い。
外人と話ができれば、国際化なのか?
それとも、海外旅行に皆で出かけることが、国際化なのか?
それとも車をどしどしアメリカに売ることが、国際化なのか?
国内の農産物を食べずに輸入食品に頼ることが、国際化なのか?

なぜ、国際化しなくてはならないのか?

しかも、声高に、グローバリゼーションという「日本語」の国際化よりも、
一般の人たちが、その真意を取りにくい言葉を使ってまで。

何となく格好良く、曖昧模糊な言葉で、しかも意味はなくとも力強く
国会で小泉首相が
「グローバリゼーション!」
と言われれば、
「そうだよね、そうだよね」
と、頷きたくなる日本人の心理状況が、確かに私たちにはある。

私の敬愛する国会議員の方が、やはり国会の答弁中に
小泉首相から言われた言葉がある。
「島国根性」と。
この場合、グローバリゼーションと島国根性は、完全な反対語であろうし、
小泉首相は、島国根性を卑下する言葉として使ったであろう。
格好悪く、意味も明確に取れる日本語で、しかも恣意的に力強く
「島国根性」
と言われれば、
「そうだよね、そうだよね」
と、頷きたくなる日本人の心理状況も、確かに私たちにはある。

しかし、私は、ここで強く言いたい。
「島国根性」で何が悪い!
私たちは、この島国で、2000年間生きてきて、忘れがちではあるが、
世界に誇れる文化を幾つも幾つも生み出してきた民族である。

日本が、真の独立国家を目指すとき、もう一度、島国であることから、
考えていかなくてはいけない。

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