「国家の品格」
今、日本人の多くの人たちが、
日本は何かがおかしくなっているのでは、
と感じているではないだろうか?
このブログの冒頭で、
この国は真の自立した国家なのか?という問題を提起し、
否であると解いた。
では、日本が自立するために何が必要かを求めるために、
このブログを展開させている。
私は、今の日本人の間に拝金主義的な風潮が蔓延しているのは、
お金以外に頼るべきものを見いだせない社会になったことに
原因があると考えている。
つまり、日本人が心の支柱、精神的な支えを
失ってしまったためであると考えている。
欧米であるなら国民の精神的な支えとして機能するが、
キリスト教であろう。
また、中東諸国であるなら、それは、イスラム教であろう。
幸か、不幸か、精神的な支柱となりうるだけの宗教を、
我々、多くの日本人は持っていない。
この国家の品格では、武士道精神を取り戻すことにより、
再び日本人に誇りと自信を与えることができると述べている。
私は、特に武士道精神の「惻隠の情」、
つまり他の人の不幸に対する敏感な感情と、
「恥」の意識が特に重要であると感じた。
「恥」の意識に関しては、キリスト教の「罪」の意識に通じ、
日本人の背徳的行為に対する自己規制の一つになっていた。
悪事を働けば、神の罰を受けるとのキリスト教的な考え方に対し、
同様に悪事を働けば、一家一族の恥であり世間に顔向けができない、
という感情を日本人は長い間もっていた。
しかし、このような日本人独特の「恥」の意識は、
アメリカ型個人主義重視の考えと、
辞書的「島国根性」への批判が重なり、
現代社会では失われてしまっている。
恥の気持ちがあれば、プロの設計士として、
少し強い地震がくれば倒れるようなマンションを設計しないだろうし、
惻隠の情があれば、他人が不幸になることが見えているそのインチキマンションを
売らないのではなかろうか。
日本という国を構成しているは、
間違いなくこの国に住む人々である。
日本人が住む国だからこそ、日本なのである。
日本が真の独立国家でないとすれば、
日本人が自立していなからである。
立つためには足が必要だが、立つ気力を失った者は、
健康な足をもっていても立つことはできない。
立つ気力は健全な精神より生じる。
日本人が真に立つためにも、唯一、精神的支柱となりえる、
武士道精神をも包括する誇り高き日本の歴史を
見直すことが必要である。
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