屏風を調べて復元して、当時と同じように鑑賞する実験を繰り返しておりますが、それでも、昔の人々の視線にちょっとだけ近づいたに過ぎません。
どんなに気をつけていても、どこか現代人の視線、感覚にとらわれて、簡単なことを見落としていたり、違和感はあるのに深く疑わなかったりして……。 今回もまたもや当たり前のことに気づかされました。 ”屏風は、ジグザグではない” ということです。 これは、いつも賞道に参加して下さる芸術家、白井忠俊さんが、教えて下さったというか、作品で表現して下さいました。 白井さんの大切な題材のひとつ大蛇を、屏風に表現するという作品で、ジグザグに自立させるのではなく、弧を描くようにして(表面を反らせるようにして)自立させています。 それを三隻合わせて、上から見ると円になるようにして、大蛇のとぐろを大きく構成しています。 なるほど。 これは面白い。 屏風は「紙蝶番(かみちょうつがい)」でパネルをつなぎ、正式には前にも後ろにも曲がるようになっています。 そんな情報を「賞道」で伝えていた私が、その機能について深く考えていないところを、白井さんは敏感に感じ取り、作品までに昇華させています。 これを見て、気がつくことがありました。 私には不思議に思っていたことがあるのです。いつも「屏風はジグザグを前提に描いている」と言っているのですが(もちろんそれは基本間違っていないと思います)、それでは説明ができない作品があるのです。 例えば、「行幸図屏風」。 横に真っ直ぐ伸びた、大行列。これもジグザグにして、細々と行列が近づいたり遠のいたりするのは、却って不自然です。(そういう楽しみ方もあるでしょうが……。)ここは列を真っ直ぐにして、俯瞰したい。 例えば、「武蔵野図屏風」。 一面に広がる野原を表現するのに、ジグザグである必要はありません。むしろ、ジグザグにすることで、だだっ広い印象が、薄れてしまいます。(でも、ジグザグにする面白さはあると思います) それに、右隻、左隻ともに左から三扇目に月、富士山が配置され、横に並べた時にはシンメトリーにならないという意味ではバランスがよくありません。
ところが、これを画面を内側に弧を描くように置き、上から見て円になるように配置すると、富士山と月はちょうど対面する形になるのです。
色んな矛盾を解決する紙蝶番の「滑らか機能」。 これから、屏風を鑑賞するときは、この機能を多用しそうです。 |
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鑑賞者の視線の位置が気になります。例えば病身のひとが枕から屏風を鑑賞するような場合もあったのでは?
2019/1/14(月) 午後 6:36 [ 12345 ]