四国百山横倉山、御嶽古道を歩いて見ませんか!!

古くは安徳天皇が逃れし古道、近くは、那須信吾の脱藩ルート

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備忘録として記す。
     忘れては不二かとぞ思ふこれやこの
             伊予の高嶺の雪の曙      西行法師
この関門から上流が面河渓と称する名所である。確かに松山の人が自慢していた通り、この渓谷は推奨に値する。関門から旅舎のある所まで約一キロの間、まったく自然はその妙椀を少し奮いい過ぎたかと思われるくらい
技巧的な、しかし繊細な美しい風景である。
大歩危、小歩危、の奇勝もなかなか良かったが、ここにはあの雄大さはない代わり、その精をより過ぐって緊縮したような見事さがあった。
亀腹岩という大きな岩を前にして、流れを隔てて探勝客目当ての旅舎、
渓泉亭が立っていた。この亀腹岩がまた素晴らしく大きい。岩の展覧会があったならおそらく入賞するであろう。
信州、飛騨の山にはこれより大きい岩はいくらもある。しかしこれほど平滑な一枚岩はちょっと塁がないだろう。
その宿についたのはもう夕方だった。
玄関で靴を脱いでいると、お宿料の方はと聞くので、一番上等(といっても五円だった)と答えたら目の前に亀腹岩の見える部屋に搭してくれた。

               
備忘録として
「石鎚山」 深田久弥 文学界 昭和18年 3月号を記す。

忙しい10日の旅を終えて、ようやく今こうして独り見知らぬ山間の村に、することもなくぼんやりしている気持ちは、また格別である。
こういう機会は少ない、僕はこの気分をうんとため込んでおかねば損のような気持がして、はるばる四国の山の中へ来たのだぞと人工旅愁を起こしながら、今を盛りの秋の陽に温まっていた。
二時間半もしてやっとバスが来た。それに乗って今度は面河川に沿いに山峡を上ってゆく。山の佇まい、川の流れ、乗ってくる田舎の人々、-実際日本はどこへ行っても同じようだ。今これが上州の山の中だと聞かされても、ちっとも不思議な気がしない。
一時間ほどして通仙橋という道の分岐点でバスから降ろされた。
ここから今夜の泊りの関門まで二里半を歩くことになる。五味という部落の手前に大きながけ崩れがあって、ようやく前の人の足跡を危なげにたどりながら越すところがあった。バスが関門までいかないのは、このためかもしれなかった。この山峡の最奥の成という部落を過ぎると、今までにも次第に谷が逼ってきていたが、急にあたりが薄暗くなったかと怪しむほど、流れ一筋挟んで両岸の山が切り立ったように迫ってきた。間もなく関門だった。
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石鎚神社において一年の無事息災のお参りをするのが年の暮れの行事
である。今年は11月16日となったが、石鎚スカイラインが10月の台風被害で通行止め残念ながら中止、面河渓を訪ねる。
「渓泉亭」は今も健在、美しく凛と営業していた。

昭和18年、「文学界3月号」の「石鎚山、深田久弥」に載っている。
秋の半ば、僕は独り松山駅から土佐の佐川に通じるバス(予土線)に乗った。石鎚山に登るには予讃線の石鎚山駅か伊予小松駅から行くのが表道だが、僕は種々の都合を考えて裏道の面河から登り、表道へ下ることにしたのだ。
このバスは、昨日天守閣の上から見ておいた、松山市から南へ直線的に延びている道路を約六キロばかり走ると、そこで平野が尽きて、徐々に山道にかかる。土佐街道である。
天気は上乗の秋晴れで、展望の利く所へ来る度に石鎚山の方を眺めるのだが、今日も昨日のようにその方面だけが雲にかかって見えない。
道は山腹を縫うて次第に高くなり、ついに七二〇メートルの三坂峠まで
登り詰めると、それから下りになる。峠の上はさすがにもう寒かった。
久万という山間の町まで下ると、バスはそこで小休止をし、それからさらに仁淀川に沿って土佐の方へ進んでゆく。やがて御三戸(みみど)という
小さな村へ着いて、松山を発ってから約二時間半揺られとうした車から
僕は降りた。ここは面河川が仁淀川に合する所で、その落合の洲に、枝ぶりの良い松の木の生えた大きな岩が立っていたりして、風景なかなか
よろしい。ここで面河川を遡ってゆくバスに乗り換えるのである。
そのバスを待つ間に、茶店に入って一膳めしを食べた。それからその辺をブラブラしていたが、バスは中々やってこない。
茶店のすぐ前の仁淀川には立派な鉄筋コンクリートの橋が架かっていてその橋の上から深い河の流れを眺めたり、それにも飽きて、橋のたもとの陽当たりのいい大きな石に寄りかかって本を読んでいると、流れの音に交じってチロチロと無間断に虫の声がしている。静かな平和な秋の
山峡である。

「石鎚山」 深田久弥 昭和一八年「文学界三月号」 

伊予 松山城

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巨大な松山城の縄張り図。その昔、この巨大な城を受け取りに出兵した
深尾、山内の侍たち連合軍の気持ちの高ぶりたるもの、すさまじいものがあったと思われる。
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正に戦闘する櫓の連続、ち密な配慮と豪快な無骨を感じさせる、城壁
松山城の凄さを感じさせられた。
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東京六大学早稲田大学に入学、青春の門をくぐる。
伊吹信介、演劇の志に結ばれた仲間たちと共に冬の北海道へ渡る。、
懸命に目標を探し求めるものの、只、只何も見つけることなく、若者たちの前に立ちはだかる暴力の日々。
春浅い、北海道を後に上京した信介の重く澱んだ倦怠の日々。
そして歌を目指す織江との別れ。
学友たちは政治運動に青春をかける。
只、一人。
決別の哀しみと熱い屈辱感の中、信介は虚無を見つめる。

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