ドクター大島の紬物語り

100,000反の大島紬を検査した男の着物裏話

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ここに紹介いたします刺青は、前回紹介したものより、はるかに精巧で高度な技術を、
要したことは推測できます。

大島の中でも、特に笠利、龍郷など、北部地方に、特に優れた模様が残されています。
このことは、当時、優秀な大島紬の織られた地域と符合いたします。

女性の一番憧れ、評判の高いる柄、デザインを織物でも表したいと思うのは、
誰しも抱く人間の自然な欲求でもありましょう。

参考までに、「はじき」と言われ沖縄の女性の間で憧れていた刺青も紹介しておきます。
(3本の手の図案の方が沖縄のものです)
ますます、古布に織られている大島紬のデザインに近いと思われませんか?

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ここに紹介します、大島紬の古布は、大正から昭和の時代ねかけおられたものです。

前記の、刺青(はでぃき)は、上流になれば成る程、複雑で、下流はすこぶる単純であり、
家柄の上下、貧富の差が現れていた。

また、女性にとっての唯一のおしゃれ、装飾であり、本土に於ける婦人の「紅かね化粧」に等しく、
島の女性たちは、刺青の美しさを人の中での唯一の誇りであり、羨望と、尊敬のしるしでもあった。

模様は、円、角、十字、渦巻、直線などの、基本模様がさまざまな形で様々の形で組み合わされ、
多彩な変化と、進化を遂げ、独特の模様を残している。

この様な時代背景、女性の美意識は大島紬のデザインに影響を与えないはずはなかったと思う。

大島紬を、この様に深く掘っていくと、替えてはならないもの、時代に合わせて替えていかなければならないものが見えてきます。

当時の人々が、自然に対し絶対的な畏敬の念を抱き、愚直なまでに純朴、素直に紬作りに対峙している姿が、垣間見られるようになると、堪らなく、愛おしくなります。

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大島紬の歴史を調べていたら興味ある資料を見つけていました。
奄美の島々には、色々な変わった風習があったようです。

その一つに、刺青があります。この風習は、奄美だけでなく、
北は、奄美大島から、南は、与那国島にいたる西南諸島で行われていたようです。

奄美では、「はでぃき」沖縄では、「はじき」と呼ばれ、琉球伝来の風習といえましょう。
中でも、奄美大島の婦人の間で行われた「はでぃき」は、高度な技術を持ち、
施され群を抜いて複雑で美しくみごとなもだったようです。

もっとも盛んな時代は、薩藩時代だったようです。(この時代は、女性のみに対する憧れと言う事の他に
、不良な本土人が、島の娘を誘拐して、本土に連れ去ることを防ぐためにも行われていたようです。本土の人は、刺青をした人を奇怪な目でみていて、快くおもっていなかったようです。)

なお、この風習は、奄美諸島においては、明治9年5月15日に、刺青禁止令が発布されています。
それでも、美に対する憧れは強く、処罰を覚悟の上で明治35年ごろまで、砒素はに、刺青がなされていたようです。

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