ドクター大島の紬物語り

100,000反の大島紬を検査した男の着物裏話

ドクター大島誕生物語

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その御婦人の衿のなかに秘められていた物は??????
商標でした。都喜ヱ門の商標を切り離すのが忍びなかったので、
縫い子さんに、無理をお願いして、衿の中に縫い込んで貰ったとのことでした。
その夜は、興奮して眠られませんでした。全然知らない土地の、顔も合わせたことのない女性が、
肌身離さず、とつておきたい、否、身に付けておきたい。
何がそうさせるのだろう。一女性を、ここまで虜にしている物は、大島紬とは、都喜ヱ門とは。
このご婦人との出会い、ご婦人の一言が、私に人生を決定づけたと申し上げても、過言ではないと思います。
フラフラしていた腹が、決まりました。自分の一生をかけても、かけがいのある何かがあるのでは。
それを掴んでから、辞めても遅くはないだろう。後悔も残らないだろう。
それから見るもの、なすことが全て新鮮に見えてきました。
「心此処にあらずんば・・・・」とはこのことでしょう。
ドクター大島{100,000反の大島紬を検査した男の着物裏話」を立ち上げたのも、根っこはここにあります。
次回は、商標誕生の裏話について、お話いたしたいと思っています。

5月4日の続きですが、
今考えると、このご婦人との出会いが私の運命を決めたのかもしれません。
関西の方だったと思います。呉服屋さんに連れられ、工場見学に来られました。
大島紬の工程は、分業制ですので、一箇所で、大島の作られる光景を見ることは出来ません。

それでも、私の修行先の工場では、各工程が、ある程度、まとまっていましたので、全体の流れが、掴み易く、説明しやく、全国の、熱心な呉服屋さんが、大島紬の勉強に来られました。
延べ人数にすると全国の、何千人の販売員に説明、指導したことでしょう。

そういう中で、素人さんに説明することは稀な事でした。
今考えますと、呉服屋さんにとつては、その方は、超VIPなお客様だったのでしょう。
それなりに気を使い、工夫して、ご説明したつもりです。

一通り、工程をご説明して、応接室へ、ご案内しようとした時、
お兄さん此処触ってみてと、衿を触るようにおっしゃいました。
場所が、場所だけに、まして初対面の方、若さも手伝って、躊躇いたしました。

いいから触って、と強くおっしゃつたものですから、
恐る恐る、触るると、
「何か解るね?」と、その御婦人が、おっしゃいました。

「良く解りませんが、紙みたいな物が入っているような気が致します。」とお答えいたしました。
実は、これはネ・・・と話を始められました。

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画像容量が足りなかったので、画像アップいたします。
帯小物は、家内が運営しているアンテナショップのもので、コーディネイトしました。
ご感想を、コメントしていただければ、家内も喜ぶと思います。

バケツと、ムツゴロウの画像は、猫の帯の前の柄になります。
泥の縞大島が、今回プレゼントした物です。

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何回めの結婚記念日でしょう。
私たちの仕事は、妻の支えにより成り立っている、と言っても過言ではありません。
日頃の苦労に対して、何かお礼を、
もう着こなせるかなと、いやそろそろ着こなしてもらいたいな、
そんな思いで、大島を創り、家内にプレゼント。
『母ちゃん、有難う』・・・・・

帯、小物は、別ですよ。自分で買ってもらわないとネ。
実は、照れくさくて、大きい声で言えないのですが、
私も同じ柄で作って、誕生日に、ペアーで着ようと思っているのですが?
皆さんどう思われますか、ご意見、ご投稿をお待ちしています。

兎の帯は、家内と、息子が、兎年ですので、
私が、原画を描いて、西陣の帯屋さんに掬いで織ってもらったものです。
日本に1本しかない物です。

帯揚げは、卵色の地に絞りをポイントにあしらった物。
帯締めは、シンプルですが、組み方が、チョット工夫されており
ありそでない、しゃれっ気のあるものを合わせてみました。

もう一組は、先日京都に行ったとき仕入れて来た帯。
自分も楽しむのも着物、人を楽しませるのも着物
洋服と違う装いの楽しみ、着こなす、奥ゆかしさ。

皆さんどちらがお好きですか?
私たちの感性、感覚は如何でしょうか?
コメントいただければ、物つくりに役立ちます。お待ち申し上げます。

『他は皆、師なり』吉川英冶氏の言葉ですが、出会った方が全て、私の師で、今日の私を形作ってくださった人々なのかもしれません。
主に、紬つくりに関して、影響を受けたことに関して書いていきます。11月上旬から数回にわたり投稿した物と、被る部分があるかもしれませんが、再読していただくと違う部分から、気付かれる事も多く、大島に対する理解も深まると思います。

昭和42年にこの業界に入りました。絵を描くのが好きでデザイナーとして採用されました。
ICデザイナーみたいな仕事で、細かい仕事で、根気の要る仕事です。全部に影響を与える責任ある重い仕事です。
体育系で育った男ですので、苦痛でした。机に座って、集中できるのが、90分位だったでしょう。
タバコは、吸わないので、現場に下りて、色んな職人さんと、会話を交わし、気分転換を図っていました。今にして思えば、このときの会話が、大島紬の知識を深めてくれたように思います。

それでも根気の要る仕事です。来る日も来る日も、同じことをコツコツと続けることは、大変な苦痛です。私が京都店長に赴任する前だったと思いますので、多分、昭和45年頃でしょう。
入社して、2〜3年、上辺だけの仕事が解り、毎日がマンネリ化してきていたのでしょう。

大学を卒業して、なんでこんな辛気臭い仕事を、しないといけないのだ。俺は、一生この仕事をしないといけないのか。
鹿児島は、学卒は、少ない。転職するなら、若い今のうち。迷いのある日々を過ごしている時でした。

ある日突然、とんでもないおばさんが、目の前に現れました。今振り返りますと、この人との出会いが、私の人生のターニングポイントだったようにも思います。

チョット文章が長くなったようですね。
一服して、次に投稿いたしましょうか。

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