ドクター大島の紬物語り

100,000反の大島紬を検査した男の着物裏話

ドクター大島誕生物語

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私が、一番初めに仕えた師匠が、都喜ヱ門氏でした。この方は、朝起きてから寝るまで、いや、寝ている間でも大島紬の事を考えている人でした。人の作るものは絶対に創らない人でした。
この人の、作風は、技術の粋を集めて、色と柄を、これでもか、これでもかと、加える作風でした。

1985年独立した時、心に決めた事は、母屋に弓を引くようなことは絶対に、しない。
それから、私の探し求め続けている世界は、如何に色を、柄を抜き省くかの180度違う、世界になりました。
これは、厳しい世界です。

柄を抜きすぎると、「間抜け」になります。
柄をとり、柄の置き方を間違うと「間違いになります。
言葉遊びみたいになりますが、
剣士は、「間の取り方に、生死の世界がある」と言いますが、世界は違っても同じような気が致します。

もう一人大きな影響を受けた方がいます。
京都の帯屋さんで、「織楽浅野」の先代の社長さんです。
一杯、一杯書きたい思い出、教えはありますが、「色にも、柄にも、地風にも格があるの」
初めて聞く言葉で、今流の表現をするなら「カルチャーショック」でした。

この言葉は、私の物創りの、物選びの確固たる尺度になっております。

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正藍大島を見ると、井上義輝氏を思い出します。
手抜きする事無く、真正面から挑戦する人でした。
その仕事ぶりと、仕事の仕上がりを認めて、
徳島の、藍を復活した、佐藤さんは、この人にしか藍玉は売りませんでした。

私の手元に、私がデザインして、井上さんに作って頂いた作品が数点残っています。
写真を撮るとき、ガラガラ声で、焼酎好きの、人懐こい井上さんの、笑顔が浮かんできて、涙が止まらず、一時は、シャッターを押せられませんでした。

福岡と、名古屋の会場で、プレミアムがついて、とんでもない値段で売られていました。
人様の商売の悪口は言いませんが、けして気持ちの良いもではありませんでした。
井上さんとて同じだろうと思いました。

最後の数点の遺作、何年かかっても、気持ちの解る人にお届けできればと祈っております。
それが、なき師への恩返しと思っていますので。

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近くの神社の境内で、骨董市が開かれました。
正藍大島(藍大島と正藍大島は違います)の着物2枚分けていただきました。
嬉しくて、嬉しくて、天にも昇るような気持ちでした。

恐らく、50年位前の正藍大島と推察いたします。
地の藍に力があります。そして年月を経ている為、
藍が定着して穏やかな優しさすら感じます。
当時の職人さんが、真正面から取り組んだ、技量が窺い知れます。
私が今手元にもつている4反の正藍大島、最後の大島の藍染職人と言われた、井上職人の染められた正藍大島ですが、何回見比べても遜色ないですもの。

絣の表現は、割り込み式と言って、昔は、これが主流だったのですが、
今では、一番高度な、絣技術と成り、作れる職人さんは極々少なくなりました。

何より救われたのは、地風がいいことです。
洗い張りして、裏を表にして、仕立て直しすれば、後50年は十分楽しめるでしょう。
その頃になりますと、この正藍大島には値段は、付けられない金額になっていることでしょう。

ちなみに、一枚いくらで買ったと思いますか?

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数多くの大島紬フアンに聞きました。
大島紬の魅力は何ですか?
そりゃ、着心地、着味よ。異口同音に答えられます。
着た人でないと解らないわよ。着てみないとその着心地のよさは、言葉では伝えられないよ・・とも

手織りで作るのか。機械織で作るのか。
泥染めで染めるのか、草木染にするのか、科学染料にするのか。

経糸の密度は13算(ヨミ)にするか、15.5算(ヨミ)にするか、18算(ヨミ)にするか。
経糸に対して、抱き合わせの良い緯糸の太さは、どれくらいの緯糸を打ち込んだらいいかを決めます。

大島紬の代表的な柄、龍郷柄(写真添付)で説明いたしましょう。
これは、昔から、経糸密度は、13ヨミです。一番粗い密度です。
従いまして、太い糸を使うか、泥染めで、糸を増量させて使うかします。

過度に、増量させますと、泥落ちの原因となります。
専門的に表現いたしますと、摩擦堅牢度が弱くなります。

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気付かれましたか?
白い物が入った缶。
白い物体は、石灰です。

科学的、論理的に泥染めを説明すると、
テイチ木の煎じ汁の中のタンニン酸と泥の田んぼの鉄分の化合によつて
二酸化鉄(錆びの色)によって、絹糸に、皮膜を作るわけです。

この時、化学変化を起こし易いように、触媒として、石灰を使います。
使う分量は、その年の、その時期の車輪梅の生育状況を、そして泥田の情況を判断しながら
石灰の量は、決まります。

多すぎて、絹糸が肌荒れを起こしたり、しなやかさが無くなつたり
化合し過ぎて,糸が増量しすぎたりします。

石灰が手に入らない、その昔は、
波打ち際に打ち寄せられた、枝サンゴを砕いて焼いて石灰の代わりに使っていました。
そこらの事は、前回紹介いたしました本の44Pに書いておきました。参考までに。

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