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バイクのこと2正直ね、バイクに此処までハマるなんて思っていなかったのよ。
其れなりのスポーツカーを持っていて、日常に困ら無い軽自動車持っていて、バイクが4台在れば誰だって文句はつけないでしょ、自分の人生にさ。
ところがね、Ninja H2ってヤツは囁いてくるんだよ。
オープンスポーツが非日常だってェ?ってね。
アッパーカウルに潜んだ単眼が意志を持って俺を見つめてくるんだよ。
乗りたいんだろ、って。ジャジャ馬に乗りたいんだろ、乗りこなしたいんだろって。
ああ、そうだよ。乗りたいさ。でもな、金も無いし、此れから子供も生まれてくるんだよ。そんな事を考えている場合じゃねぇんだよ。
俺は必死で抵抗する。
「クルマ売れば買えるんだけどなぁ……」無意識に声が出てたらしい。
「……で、クルマ、ナニ持ってるんだっけ」社長の声にH2との妄想の会話が吹き飛んだ。
「S2000ですよ」俺はH2から目を離せずに、社長の問いに答えた。
「ふぅん。そっか。幾らくらいで売れそうなの」
「去年、ガリバーに査定させたら300位と言われましたよ」
「実売だと、どれ位なんだろう」
「ええと、320から340位の間だったと思います」
「じゃ、其れ貰おうかな」
「え?」社長の言葉に驚き二の句がつげなくなる。
「え?」俺の問いに社長が問う。なんというか、グダグダである。
「……ええと、物々交換って事ですか」以前、古いバイク乗りの方に聞いた話で、昔はバイクなんて物々交換が当たり前だった頃が在ったと。其の事かと思い尋ね直す。
「そうだね、物々交換って事だね」社長はそう言うとニッコリと笑った。
「いや、でも……。ううん……。ずっと、大事にしてきたクルマなんで……」俺はS2000との思い出を描く。大学時代にグランツーリスモ2の表紙を飾った、白いS2000。あのフォルムに憧れて。
社会人に成って、2000ccのS2000が生産中止になると聞いて、悩んで。お金も無いのにフルローンを組んで。
一度目の結婚の際、其のローンが終わるまで待ってくれという事を条件にしてたのに、途中から生活費云々と言われ始め。
行違い、擦れ違いで、結婚生活が如何でも良く成り、離婚して。仕事を辞めて。
其れでも、意地でも、S2000だけは手放さなくて。周りから、手放せば、だの言われて。
其れでも、持ち続けて。
再婚して、妻が妊娠して、自分の子供を隣に乗せて送り迎えをするのが夢に成って。其の子供がもう直ぐ生まれてくるのに。
「結局、売るんだったら、何処の誰かもわからない奴に売るよりさ。所在がわかる人に売ったほうが良いんじゃないかな。悩むくらいに大切なクルマなんだったら、尚更だよ。其れに、乗りたくなったらいつでも乗りに来て良いよ。勿論、洗車とガソリンは満タンで、ね」
「え……、そんな条件、本当に良いんですか」俺は自分の耳を疑った。社長が言われた条件は、今の自分の保有状況を考えると、単に保管場所が変わる位のイメージだったから。そして、乗らずに草臥れていくエスではなく、健全に使われて年を重ねていくエスになるのだから。
「勿論、良いよ」
「……物凄く良い条件なので、即決したいんですが。自分の夢だったクルマなんです。其れと、妻がなんと言うか……」ああ、こうして書き起こしていると、自分が既にH2に乗ろうとしていた事が良く分かる。《自分の夢だったクルマ》過去形なんだよね。そして、逃げ口上を述べている。
「じゃあ、奥さんにも一度、此れを見て貰ってよ。其れから、決めて貰って大丈夫だよ」社長は穏やかにそう言ってくれた。
「でも、他に商談が入ったりしたら……」
「勿論、色んな所から問い合わせが来るんだけど。コッチも変なお客さんに売りたくないんだよ。美作くんのS2000と同じようなもんだよ。何処の誰だかわからない人に譲りたくない。だから、抽選中だって言って断ってる。美作くんだったら、大事にしてくれるだろ、此のバイク。そういう人に乗って欲しいんだよ」
「確かに、大事にしますけど……」
「さっきも言ったけど、直ぐじゃなくても良いから」
「……わかりました。7月の頭まで待ってもらえませんか」
「うん。大丈夫だよ。ゆっくり考えてみてよ」
「分かりました。また、妻と見に来ます」
お店の店長である社長の息子さんに聞いた所、社長はスポーツカー好きで、良い出物を探していた所らしい。確かに、自分のS2000なら、コンディションは最高だろう。ある程度、走らせてあるし、細々とした所に手を入れている。
半分、意を決して、自分の勤める会社の中古車部門に査定を依頼すると、305万円の値がついた。
此の事で、葛藤が増す。二度と手に入らない、S2000を手放すのか。好条件のH2を手にするのか。非常に悩ましい状態だった。
妻に相談し、友人に相談し、会社のバイク好きに相談し、二日ほど悶々とした後、妻と友人と共にバイク屋さんを訪れる。
「此れなんだけど」妻にH2を見せる。どう、妻は反応するだろうか。
「へぇ、綺麗なバイクだね。マフラーのところ、楽器みたい」
「此のバイクだったら、S2000を手放しても良いかな」俺はもう、此の時点でクルマからバイクへと移行する事を決意していたのだろう。
「うん、そうだね。此のバイクだったら良いと思うよ」妻の言葉に自分の葛藤が全て吹き飛んだ。
「しかし、どエライバイクだな。こんなの乗ってたら、そこら辺のバイカーが寄ってくるぜ。少なくとも、道の駅なんかにいたら俺は見に行く」友人は笑いながらそう言った。
「うぇ。バイカーホイホイかよ」
「バイカーホイホイだな」
「見にきてくれたんだ」社長が工場から出向いてくれた。俺、妻、友人を見渡して俺に視線を向ける。
「ええ。ほぼ、決めました。H2に乗りたいです。まだ、少し悩んでいますが」葛藤は吹き飛んだものの不安が在った。
「一回、S2000に乗ってきたら。其れから、決めて良いんだよ」一瞬、社長の言葉に意思が揺らぐ。
「いえ、乗ってしまうと、ずっと持っていたいと思ってしまうので」俺は妻の顔を見る。友人も俺が此れに乗ると既に思っているような表情をしている。
「来週、S2000に乗ってきます。そしてH2を契約しようと思います」俺は決めた。
「わかったよ。あ、ところで何色だったっけ。聞いていなかったわ」社長、どれだけ大物なんでしょうか。自分だったら、色を決めずに物々交換しようなんて言えません。
「黒色です」
こうして、叶えた夢を手放して、新しい夢に手を伸ばしたのです。
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