|
歴史を見たり、考えたりするときに一番大切なことは
「今の時代の尺度で見ない」ということです。これをやると何も見えてきません。
例えば、「あなたは祟りや怨霊を信じますか?」と聞かれたら、
半分以上の人は「そんなもん、信じへんわ」「迷信に決まってる」「非科学的」と答えるでしょう
そのことは別にどうでもよいのです。信じる信じないは自由ですから…
しかし、「奈良時代や平安時代の人たちは祟りや怨霊を信じていた」ということを否定すれば
それは現代の考え方や価値観で歴史を見ることになり、
正しい歴史認識ができなくなります。戦後のマルクス史観では日本の歴史は理解できません。
前置きが長くなりましたが、
日本は江戸時代初頭、鎖国体制を採り、長い長い天下泰平の時代が続いていました
そこに現れたのがペリーです。
欧米では産業革命に成功し、海外の植民地を増やす帝国主義の時代になっていたのです
商売で言うなら、内輪だけでこじんまりと商いしていたのに、
突然資本主義の自由競争の中に放り込まれてしまったようなものです
自分が収益を上げて自立しなければ、吸収され会社の存続さえできなくなるのです
そうならないために、一生懸命働き、支店も増やし会社は大きくなりましたが、
一部上場企業にはなれませんでした。まだまだ信用がなかったのです
それが明治時代です
内閣制度をつくり、国会や憲法をつくり、立憲君主国としての形はできました
そして、日清、日露の戦争に勝ち、台湾、樺太、朝鮮を「日本」に組み込みましたが、
まだ、欧米は日本を格下に見てました。その証拠が「不平等条約」です。
それを克服したのが、明治44年(1911年)です。しかし、翌年すぐに明治天皇がご逝去されます。
欧米から対等と認められ、一部上場企業として大正時代は始まったのです。
政治・経済・文化など、様々な分野で日本は大きく飛躍するのが、この大正時代です
近代議会政治の模範とも言うべき「二大政党制」や「民意による政権交代」の芽は
実はこの時期から動き出していたのです
学校の教科書は、「軍」を悪者にし、それに抵抗する者は正義の味方のような書き方をしていますが、
そのような先入観なしで考えてみましょう
大正時代に入る直前(1910年)、日本は日韓併合を行い、朝鮮は「日本の一部」になったのです
当時のアジア情勢を考えてみると、
中国では辛亥革命直前で非常に不穏な情勢、
ロシアでも社会主義革命の動きでこれまた不穏な情勢であり、
両方ともに隣接する朝鮮は、軍にとってみれば、安全保障上、非常に重要な地域になります
その朝鮮に、新しい軍勢を配置する(二個師団増設)要求は、当然のことです
しかし、西園寺公望内閣は、行政改革を選挙公約として勝利し、内閣が成立したわけで、
こちらも膨大な支出が伴う二個師団増設要求を拒否します。これも当然です
どちらの行動も理にかなっているわけで、どちらが悪いとかいう見方はおかしいのです
ここで陸軍は「そんなことだったら、国民の安全を守ることはできない」として、
上原陸軍大臣は単独辞職しました。内閣は一人の大臣が欠けても成立しません。
今の時代なら、後任を探すか、首相か誰かが兼任すればいいのですが、
当時は「軍部大臣現役武官制」という制度があり、陸軍大臣は誰でもなれなかったのです。
結局、第二次西園寺公望内閣は内閣不成立ということで、総辞職せざるを得ませんでした
そして、第三次桂太郎内閣が成立します
しかし、野党になった政友会や政府に反対する勢力は黙っていません。
政友会の尾崎行雄や立憲国民党の犬養毅らが、反政府運動をおこないました
これが第一次護憲運動です
民意はここにない、と判断した桂太郎首相は、内閣総辞職を決意します
こうして、50日足らずで第三次桂太郎内閣は崩壊し
政友会を与党とした山本権兵衛内閣(海軍大将)が成立します。
よく「戦前は言論の自由がない、天皇制で軍国主義の暗い時代」という人がいます
教科書にもそのようなことが書いてありますが、大きな間違いです
教科書を書いているのは戦後民主主義という名のマルクス主義者です
そのような記述に惑わされることなく、歴史を見ていかねばなりません
この時代、このように暴動も武力行使もなく、民意によって政権交代をしていた国がいくつあるでしょうか?
少し考えればわかることです。
補足しておきますと、教科書等では桂太郎首相は、軍とつながりが深く、悪役として書かれてますが、
彼が結成した立憲同志会には、大正デモクラシーの最盛期の主役、加藤高明や若槻礼次郎もいて
後の二大政党制(「政友会と憲政会(民政党)」)の布石になっていきます
|
全体表示
[ リスト ]





いやあ、これはすごい卓見ですねえ。傑作 傑作
2011/2/17(木) 午後 9:16