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「人種差別撤廃条約」という条約を知っていますか?
調べてみると、下のような説明がありました
人種・皮膚の色・血統・民族・部族などの違いによる差別をなくすために、必要な政策・措置を遅滞なく行うことを義務付ける国際条約。1965年の第20回国連総会で採択され、1969年に発効。日本は1995年に批准した。
1965年の国連総会で採択、とありますが
実は、大正時代に成立直前までいった「幻の条約」なのです
未曾有の戦乱であった、第一次世界大戦はドイツの降伏で終わりを迎えます
そして、その講和会議がパリ郊外のベルサイユ宮殿で
大正八年(1919年)から行われ、
日本からは西園寺公望、牧野伸顕らの全権団が派遣されます
そして、この日本全権団のもとに、
当時、白人社会で酷い差別を受けていた、有色人種たちが訪れます
「あなたの国だけが頼りなんだ!」
当時、有色人種として唯一の列強に名を連ねたのは、日本でした
そして、日本が会議の場で
「人種差別撤廃条約」を提案するのです
そして、17カ国中、11カ国の賛成を得て、条約成立かと思われた時、
アメリカ大統領のウィルソンが信じられない一言を発するのです
"日本の提案は受け入れることはできない"
日本全権団の事実上のリーダーであった牧野伸顕は問います
"なぜだ? 11票もの賛成があるではないか?"
ウィルソンはそれに対し
"このような重大な問題は全会一致でなくてはならない"
イギリスもウィルソンに強く賛同し、結局、条約は成立しませんでした
牧野伸顕は
"日本案に対し、過半数の賛成票があったことを、
議事録に記述するよう希望する"
これが、当時の英米を頂点とする白人社会に対する
牧野の、そして日本の、精一杯の抵抗でした
これが当時の世界の「現実」です
世界は「白人の意向」によって動いていたのです
しかし、この「白人独占社会」に向けて日本の投じた一石は
世界の有色人種からの尊敬を集めます
このように、大正時代は、日本の民度が世界レベルで高かったのです。
そして、日本が「人権先進国」だったことがわかると思います
しかし、今の「自虐史観」に凝り固まった教科書では
ウィルソンは「民族自決」を提唱した人物として登場し、
日本は「アジア侵略の土台を作っていった」と書かれるのです。
笑止千万とはこのことですね
そのような考えでは、世界に誇れる大正時代を理解することもできません
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