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先週は大正時代のお金を取り上げましたが
今日は、大正時代の郵便についてです
携帯も、PCも、FAXもなかった時代、
郵便は最もポピュラーなコミュニケーション手段でした
大正時代になると、明治時代の普通切手のデザインを一新するとともに、
偽造防止の「透かし模様」が入るようになります
この新しい普通切手は、デザインを一般公募します
そして、選ばれた田沢昌言氏の名から「田沢切手」と呼ばれます
記念切手も発行されましたが、一色刷りが普通の時代に、
色鮮やかな「裕仁親王立太子記念」(後の昭和天皇)です
この時代、国内だけでなく、外国との通信も郵便が主流でした
上は大正初期のもので、下は料金改定後の大正末期に発行された
外国郵便専用切手です
上の切手をみてわかるように、
切手の表記が「大日本帝国郵便」から
「日本郵便」に替わったのも大正時代です
関東大震災の時には、東京の多くの機関が焼失したので、
切手の印刷も、臨時に民間に受注しました。
そのため、単純な図柄、目打ち、糊なしという粗末な切手が使われました
「震災切手」と呼ばれ、大正14年に使用停止となりました
ちなみに、大正十一年の郵便料金は、
ハガキ1銭5厘、手紙3銭だったそうです(※ 5.10訂正)
大正時代に興味のある方は、ぜひ、大正村へどうぞ
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歴史
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大正時代前期は、日露戦争のため膨大な支出を強いられ、
経済が低迷した明治末期から一変し、
第一次大戦による「大戦景気」で、活気を取り戻した時期でもあります。
当時のお金は、概ね、明治時代と同じですが、
大正期に少し変わったところもあります
一番の大きな変化は、戦争による銀の高騰により、
明治期に作られた銀貨のサイズが替わったり、
銀貨を白銅貨に替わったことがあげられます
十銭硬貨は、銀貨から白銅貨に替わりました
50銭硬貨は、大きさや重さも小さくなりました
一円銀貨は鋳造停止になります。
明治以来活躍してきた一円銀貨最後の鋳造は大正三年でした
そして、これも大戦により、禁輸出禁止の措置がとられ、
金兌換(銀行で金貨に替えてもらうこと)も停止になりました。
そのような経済状況の中、流通は紙幣が中心でした
上から、武内宿禰1円札、武内宿禰5円札、和気清麻呂10円札
高額紙幣も発行されました
20円は菅原道真、100円は藤原鎌足です
当時の物価ですが、大正八年の資料では、
米10kgが3円80銭、豆腐一丁が4銭です
金属の高騰で、小額紙幣も発行されました
そして、大正末期からは、戦後恐慌、震災恐慌と経済は低迷し、
昭和になるとともに、金融恐慌が起こります 大正時代に興味のある方は、ぜひ、大正村へどうぞ
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一昨日、出張で大阪市内へ行かねばならなかったのですが、
時間に余裕があったので、
上本町六丁目から天満橋まで、歩いて帰ってきました
大阪城周辺は、高校が近くにあったので、
昔を思い出しながら歩いたのですが、
当時は日常の風景として何気なく目にしていたものが、
一つ一つに歴史を感じる建物だと再認識しました
大阪城大手門のすぐ近くに
大阪市水道局大手前配水所があります
昭和六年(1931年)の建物です
向かいの大阪府庁も、大正十五年(1926年)の建物です
大阪城天守閣は、秀吉時代のものではなく、
昭和八年(1933年)に再建されたものです
その天守閣の向かいには、旧陸軍第四師団司令部の建物が残っています
この建物は戦後大阪市立博物館として使われていましたが、
今は博物館が移転し、何にも使われていません。
同じく昭和八年の建物です
そして、天満橋の駅に近づくと、赤い煉瓦の建物が見えてきます。
大阪砲兵工廠です。一部の建物が残っています。
現在も残っている旧化学分析場。
窓には黒い板で閉じられており、中の様子はわかりません
観光資源や、何かの店舗にでもすればと思うのですが…
解体前(昭和56年)の写真です
京阪電車から見えてたのはよく覚えています
昔あった國民會館の建物は無くなっており、新しいビルに変わってました
当時の写真と、1988年の解体前の写真です
今でも昔のまま変わらないものもあり、
すでに壊され無くなっているものもありましたが、
歩いていて、すごく懐かしい思いがしました |
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今、僕たちが日常何気なく接しているもので、
大正時代から始まったものも、少なくありません
先日終了した高校野球。
その前身は中等学校野球ですが、
第一回の全国中等学校優勝野球大会は、大正四年(1915年)に行われました
写真は、始球式をする当時の朝日新聞社社長です
羽織袴のピッチングも様になっていますw
東京六大学野球も大正十四年(1925年)から始まりました
国勢調査が始まったのも大正時代です
第一回の国勢調査は大正九年(1920年)です
その時のポスターと、国勢調査を記念して発行された郵便切手です
ロシア革命は、世界中の労働運動に影響を与えました
日本でも、大正九年(1920年)に第一回のメーデーが行われます
週刊誌や文芸雑誌が創刊されたのも大正時代が多いです
石原知事の「花見自粛発言」は様々な論議を呼びましたが、
単に「自粛ばかりは…」とか「権力が…」という側面だけでなく
東京の電気は、福島県から供給されている、という前提での論議が
少なかったように思えます
実は、首都圏の電力を福島に頼っていたのは
今に始まったことではないのです
大正四年(1915年)に、福島県の猪苗代水力発電所から
東京への228kmの送電線が完成しました
福島県は、戦前から東京への電力供給の中心だったのです
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東京に残る大正時代を取り上げ、地元関西の大阪、京都ときた以上
神戸を素通りすることはできないので、今日は港町、神戸を…w
神戸といえば港町、そして異人館。
三宮から山の方に行くと、北野町界隈に異人館が並んでいます
異人館の多くは明治期に建てられたのですが、大正期の建物もあります
「ラインの館」 大正四年に建てられました
旧オランダ領事館。現在はオランダ館として、お店になってます(大正七年築)
須磨離宮に、大正八年、神戸迎賓館が建てられました
現在は、レストランになっています
そして、港町神戸は、多くの店舗や商社、工場などで栄えました
上から、郵船ビル(大正七年)、海岸ビル(大正七年)、
そして、商船三井ビル(大正十一年) ・・・
いずれも風格があって、港神戸にふさわしい建物ですね
下は、当時の神戸の新開地を描いた絵はがきです
同じ関西でも、外国人が多い町だからなのか、
京都や大阪とは、少し雰囲気が違いますね
そして、その、神戸港を大正十三年から、見続けてきた橋も残っています
大輪田橋。
昭和二十年の神戸空襲や、阪神淡路大震災も見てきた橋です
最後に、神戸で忘れてはならないのが、中華街(南京町)
東京では(他の地区でも)、「肉まん」と言いますが、
関西では「豚まん」って言います
(大学時代まで、「豚まん」は全国共通と思ってました(汗;))
じつは、その「豚まん」の発祥も、大正時代だそうです
いつも行列ができてる店です
大阪同様、戦前は経済の中心であった地でもあり
町には大正時代の面影も残っていますが、
阪神大震災で倒壊したところもあるそうで、残念です
大正時代に興味のある方は、ぜひ、大正村へどうぞ
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