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今日は、2011年2月28日です。
64年前の1947年2月28日、中国人による日本人大量虐殺事件がありました
え? 何それ? 学校で習ったこともないし、聞いたこともないよ〜
恐らく、そう思った人がほとんどだと思います
学校教育では取り上げられませんし、マスゴミも報道しません
しかし、これは実際に起こった紛れもない事実です
中国の脅威が現実に迫った今、是非、一人でも多くの人に知ってほしいと思います
少し長くなりますが、是非読んで下さい
1895年から1945年まで、台湾は日本の一部でした
清朝時代は未開の島だった台湾は、日本の支配下に置かれ大きく近代化されました
インフラや教育施設も整備され、昨日書いたように台北帝国大学も建てられました
しかし、日本は連合国に敗れ、台湾、朝鮮や南洋諸島を放棄させられます
中国大陸では、戦後すぐに、国民党と共産党の戦争が始まります(国共内戦)
共産党に敗れた蒋介石は、台湾に逃れ、そこで「中華民国」政府を樹立します
ところが、台湾では50年間の日治時代(台湾の人はこう呼びます)の間に
政治、文化、道徳などの民度は非常に高くなっていました
そこへ民度の低い中国人が大挙してやってきました
当初は歓迎していた台湾人も、すぐに、その中国人には辟易するようになります
法は守らない、役所は金で動く、汚い(衛生的に)・・・
そして、1947年(昭和22年)2月28日、
台北市内でタバコを売っていたおばあさんを、中国国民党の兵士が殴って
そのなけなしの売り上げを奪った時、民衆の怒りは爆発しました
台北、高雄、台中など、台湾全土で民衆の暴動がおこりました
当時の行政長官であった陳儀は、話し合うと言って時間を稼ぎ、
大陸にいた蒋介石に増援部隊の要請をし
台湾の民衆の弾圧を始めました
民衆の中心になったのは、日本時代に高度な教育を受けた人たちです
(民衆を片っ端から撃ち殺す中国人兵士。228記念館にある絵です)
台北では、放送局を本部とし、日の丸を掲げ軍艦マーチを鳴らして国民党と戦いました
このとき、多くの人は「日本が救援しに来てくれる」と思っていたそうです
(日本はアメリカの支配下に入り、日本軍も消滅していました)
(民衆が籠もった放送局。今は228和平記念館になっています。是非行って下さい)
しかし、数で勝る中国人は、片っ端から機銃掃射を行い、台湾の人たちを殺しまくりました
日本時代に高度な教育を受けた人は捕らえられ、殺されました
虐殺は台湾全土に広がり、少なくとも20000人以上の人が殺されました
これが、台湾の「228事件」です
(228記念館には殉難者の方の写真などが展示されています。東大、京大、阪大など、日本の大学を
出た方の多いことに驚きます。彼らは無実の罪で殺されたのです)
この後、蒋介石は戒厳令を敷き、この事件の真相が語られることはありませんでした
李登輝総統の時代になって、ようやく歴史の表舞台に出てきたのです
ここで自分が声を大にして言いたいのは、
この、台湾で殺された人たちは「日本人」だったということです
そして、たまたま中国に支配された台湾で起こっただけで、
東京や大阪でも、アメリカでなく、中国に占領されていたら
確実に起こっていた事件である、ということです
他国に支配されるというのは、かくも悲惨なものである、ということを
かつては同胞であった台湾にいた「日本人」が証明しているのです
そんな歴史も知らず、「友愛」などと言ってお花畑を飛んでるバカ総理や
自虐史観を教え、愛国心を否定するような日教組、
周辺国の脅威が迫っているのに党内抗争に明け暮れる民主党政府、
中国に首根っこを押さえられ、まともな報道ができないマスゴミ ・・・
こんな連中に騙されることなく
かつての同胞であった台湾からの教訓を
国民一人一人が生かしていかなければいけないと思っています
日本の心、台湾の心、大切にしたいです。 ※転送歓迎です。一人でも多くの人に知らせて下さい
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歴史
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大正時代は、政治、経済、文化などの面で、
大きく日本が発展した時代です
その背景には、教育制度の充実ということがあります
明治時代が新しい学制によって、初等・中等教育が充実した時代なら
大正時代は、帝国大学を中心に、高等教育が充実した時代です
明治43年に3校だった大学は、大正15年には37校になります
大正八年(1919年)に帝国大学令が改正され、
東京帝国大学、京都帝国大学に続き、
昭和の初期までに、計9つが設立されました(旧九帝大)
大正時代は、教育の面でも飛躍的に発展した時期でもあるのです
東京帝国大学
京都帝国大学
東北帝国大学
北海道帝国大学
九州帝国大学
台北帝国大学
京城帝国大学
大阪帝国大学
名古屋帝国大学
台北(現 台北市)や、京城(現 ソウル市)という外地にも大学を作ったのは
日本だけです
英がインドやマレーに、仏がベトナムやアフリカには、
大学どころか小学校すら建てなかったのです
植民地にも、
現地の人間も試験に受かれば入学を認めたような国は、
日本以外にはありません
(ちなみに、台湾や朝鮮にもあった帝国大学が、四国にはなかったので、
四国出身の代議士が、政府に噛みついたという話もあったそうですw)
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今日は二月二六日
あの2.26事件があった日です
戦後のマルクス史観や、自虐史観ではなく
フラットな視点で考えていかなければいけない事件だと思います
はっきり言えるのは、当時も今と同様
「閉塞感」(特に経済面)が蔓延していた時期だったということです
歴史には多くのヒントが詰まっています
それを生かせるようにしたいですね
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今年(2011年)は、大正100年です
何度も書いてますが、
日清・日露戦争に勝ち、不平等条約改正に成功し
日本が世界の一流国の仲間入りとともに大正時代が始まります
僕の地元、大阪にも大正時代の遺産はたくさん残っています
この間、仕事の出張で市内に出た時に
大正時代の面影を感じたくなって、電車に乗らずに少し歩いてきました
平日でもいつも賑わう心斎橋です
大正11年(1922年)築の大丸百貨店の外観です
何か、台湾総督府と感じが似てますね
正面入り口の上にある孔雀の装飾。すばらしいです
少し北上して、船場ビルディング
大正14年の建物です。今も店舗と住居として使われています
さらに北上して、大阪倶楽部
大正13年に建てられました
知人の社長さんに連れられて中で食事をしたこともありますが
大正ロマンを感じます
更に北上して、有名な中央公会堂
大正7年に完成しました
この他にも大阪にはたくさん大正時代の建築が残っています
飛行機がなく、今ほどアメリカとの関係が強くなかった戦前は、
大阪、神戸が経済や貿易の中心地だったのです
モダンボーイ、モダンガールの発祥も関西地方だそうです
今度は、家から近い京都に、大正時代の建築物と出会いに行きます
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風前の灯火の菅内閣ですが、
菅首相は財政再建に意欲をあらわし、その切り札として
経済通と言われる与謝野氏の起用に踏み切りました
しかし、これが裏目に…
なぜか?
マスゴミなどは敵であった与謝野氏の寝返りを批判していますが、
本当に景気を立て直してくれるなら、財政を立て直してくれるなら、
寝返りなど、どうでもいいことです
裏目に出た理由は、彼が「増税(その中でも特に消費税)論者であったこと」です
要するに、貧乏人を含めた国民全体から、税金を取ろうとしたことが反発を買ったからです
この人は、江戸時代、幕府の財政再建に唯一成功した人 田沼意次です
彼は教科書などでは「賄賂政治」「金権体質」などと批判されている人ですが
実際はそのような人でなく、政敵であった松平定信側の「情報操作」だったこともわかっています
彼は元々は身分は低かったのですが
9代将軍家重(吉宗の子)の小姓(小さい頃に仕える)になったことで頭角を現しました
家重は生まれながらにして言語障害があり、周囲は言葉を聞き取れなかったようです
そのため、癇癪を起こしたり、ふさぎ込んだり、学問をいやがったり…
子供が周囲に理解してもらえないのだから、当たり前ですね
しかし、田沼龍助(意次の幼名)は小姓になってからは、心を開いたのです
他の小姓が家重の言葉を耳で聞き取ろうとして失敗を繰り返したのに対し
田沼は「目で」聞いた、即ち、唇の動きや表情から家重の言葉を理解したといいます
そして家重、そして子の家治(10代将軍)の信頼を得て、財政再建を実行します
「予算」という概念を持ち込んだり、
鎖国体制下において「開国」を模索したり
中国向けに海産物を輸出して、貿易による収入を増加させたり
江戸と大坂で違った貨幣を使っていたのを統一しようとしたり、
多くの斬新な改革を行いました
その中でも特筆すべき事は
彼は貧乏人からチマチマ小銭を取ることでなく
有力商人からの税収を激増させることで財政を立て直すことができたことです
例えば、広い湿地があったとします
ここを幕府が水田地帯にしようと考えますが、開墾には莫大な金がかかる…
彼は商人に話を持っていきます
「この湿地を開墾しないか? 年あたり、収穫の●●%を納めればそれでよい」
商人は採算がある話には乗りますので、この湿地は立派な水田地帯になりました
商人は儲かり、幕府は一銭の予算も必要なく税収が増える…
小学生でもわかるような話です
意次は開墾以外でも多くの分野で、商人の資本力を利用しました
この結果、商人の利益は増え、幕府の税収も増えました
いわゆる、WIN-WIN の関係です
こうして、田沼時代は江戸時代で唯一、右肩上がりの財政状況を作り出しました
「逆転の発想」ができた田沼意次だったからこそ、成功したんだと思います
しかし、他の指導者は、こり固まった発想で、ことごとく財政再建に失敗しました
それは「商人を儲けさせること」に強い抵抗があったからです
だから貧乏な農民からの年貢増収中心とした対応を考える。そして、失敗…
今の世の中に似てますね
左翼政党や、馬鹿なマスコミは、大企業が儲けることを「悪」のように言います
貧乏人の妬みや嫉妬心、金持ちに対する憎悪というものは
社会主義、共産主義の原点です。そして、それが破綻することは歴史が証明しています
今の日本経済状況を変えていくためには
こり固まった考えをやめ、
庶民の意識の根底に根付いた「妬みや嫉妬心」をなくすことだと思います
増税=税収増、ではなく、減税=税収増 という発想をすべきです
消費税が下がることで消費が増える
所得税が下がることで今までよりもお金が回る
相続税などを上げて、金持ちから搾り取ることは、妬みや嫉妬心の溜飲を下げることになっても
経済的にはマイナス以外の何物でもありません
相続税を払うために貯金したり資産を動かさないことがなくなり、やはりお金が回ります
バラマキをやめ、所得税を下げ、相続税を廃止した上で初めて
消費税を上げることに意味があると思います
※ 最初にUPした記事から、一部修正しました
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