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こういうブログを書いていて嬉しいのは、FX以外でも、いろいろな分野の方が訪れて下さることです。
先日、"大正村"さまという方が訪問してくれました。
HNを見てわかるように、岐阜県に「大正村」というところがありますが、それをPRされています。
愛知県の「明治村」は有名ですが、明治村から距離的にも近いところに大正村があります。
大正時代の建物や景観を保存し、ボランティアの方々が、いろいろな活動をされています
戦後の日教組主体の教育では、
「戦前は天皇制で軍国主義で、自由もなく暗い時代だった」と習ってきた人が多いと思います。
僕自身、そういう風に習ってきました。
しかし、本当にそうなのか、ということに疑問を持ち、いろいろ調べていくと
教科書に書いてあることは「嘘八百」もいいところです
特に、変革の明治時代と、激動の昭和時代に挟まれた「大正」という時代は
政治的にも、文化的にも、大きく前進し、真の意味で「古きよき時代」でした。
第2次西園寺公望内閣が倒れた後に起こったのが、第一次護憲運動です
政友会の尾崎行雄や、立憲国民党の犬養毅らが中心になって、
流血などは一切なく、言論の力で第3次桂太郎内閣を辞職に追い込んだ
この一連の出来事を「大正政変」と言います
史上初めて、平民出身の原敬が首相になったのも大正時代です
国際的に見れば、日本は列強の一員として
「人種差別撤廃条約」を世界に提言し(英米の反対で幻に終わりましたが)、
国際連盟の常任理事国となりました
そして、清浦奎吾内閣が、衆議院を軽視した政治を行うと
憲政会、政友会、革新倶楽部の「護憲三派」が、
またまた言論の力で内閣を退陣に追い込んだのが、第2次護憲運動です
この結果、護憲三派内閣(加藤高明首相)が誕生し、
「憲政の常道」(衆議院の多数を取った党が政権に就く)が確立されました
21世紀の現代ですら、民主主義が行われない国があるのに、
日本では、大正時代には、民主主義は完全に浸透していました
(大正デモクラシー)
文化の面でも、大正時代はモダンな雰囲気が浸透し、
大いに花開いた時代だったのです
そんな大正時代の面影を残している大正村を、是非訪れたいと思っています
ちなみに、東京駅や台湾総督府(現総統府)も大正時代に建てられたものです
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歴史
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今まで、南京の話を3回にわたって書いてきました。
いかに、「ええかげんな歴史のねつ造」ということがわかると思います
中国では「嘘も百万回言えば本当になる」という諺がある、と台湾人から訊いたことがあります。
今日は、まとめとして
まず、この問題を考える時、
多くの日本人が見落としていることがあります
歴史学でも何でも、学問というものは「自由闊達な論議」で成り立っているはずです
しかし、今の中国・北朝鮮に「言論の自由」はありません。
例えば、中国で
「南京に日本が入ってきて治安がよくなって暮らしやすくなった」
と思ってる人はたくさんいると思います。
しかし、あの国で本当のことを言ったらどうなるか?
例えば、北朝鮮で
「日本時代はよかった。飢死する人もいなかったしなぁ」
と思ってる人はたくさんいると思います。
しかし、あの国で本当のことを言ったらどうなるか?
この"大前提"がないところで論議しても、意味はありません
言論の自由が保証されているアメリカ人が「日本への原爆投下が是か非か」という"論議"をすることとは根本的に違います
中国や北朝鮮からの「証言」は、
「言わされたこと」であり「都合の良い人間を選んでさせたこと」です。
マスゴミの街頭インタビューと同じです
麻生さんがホテルのバーで飲んでいた時のインタビューに
「セキュリティ考えたら当然」とか
「自分のお金で飲んでるんだからええやん」
「ホテルのバーって、案外安いんですよ」
などの声は、オンエアされません。同じ事です。
こういう事は少し考えればわかることです。
戦後、大陸から台湾に渡ってきた知識人の
「殺し方にも文化がある。あれ(南京の事件)は日本人の文化じゃないでしょう。南京で日本人に数十万が殺されたなんて話は聞いたこともない」
「大体、当時、共産党は山奥にいて、南京や上海には関係ないはず」
「当時は大陸は内戦状態。普通の庶民は、日本でも、軍閥でも、国民党であっても、安心して暮らさせてくれるとこならどこでもよかった。だから日本は歓迎された。満州国見たらわかるでしょ」
という「言論の自由」がある環境での証言をとりあげずに、言論統制下にある環境での証言を採り上げる事自体に、おかしさを感じなければなりません。
騙されないことが、相場にも勝負にも勝つための "大前提です"
そして、もっと自分たちの先人たちを敬愛する気持ちを持ちたいものです
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(1)では人口の増減を、(2)では被害者の数や虐殺方法、死体の処理などの疑問点を掲げていわば、物理的な面で考察しました。
今日は、人間の心理や習性という点に焦点を当てて考えてみました
・「大虐殺」という概念は日本人にはなかった
日本の歴史を考えた時、中国や欧州のような「大規模な殺戮」という例はありません。あの織田信長でさえ、一向一揆に対しても千人規模です。
元々穏やかな農耕民族に加えて、「怨霊」を極端に恐れる日本人には大量殺戮ということはできないのだと思います。左翼というのはマルクス主義の唯物論でしか物事を考えない人たちですから、そういう観点で物を考えませんが、これは大きなことだと思います。
・何故、蒋介石は「大虐殺」を国際連盟に提訴しなかったのか?
それまでの蒋介石は、例えば、南京・広東に対する「日本の誤爆を非難する案」を国連に提訴しています。 このように、当時支那は日本の軍事行動に対していちいち提訴し、これに対し国際連盟はこの言い分を受け入れて、日本に対し、非難決議を行っています。
そして、12月下旬の南京占領から1ヶ月後の翌13年1月26日、第100回国際連盟理事会が開かれていますが、この場で蒋介石は「南京での大虐殺」について何も触れていません。 人間の習性として、この行動はおかしいと思いませんか?
何10人かが犠牲になった時も大騒ぎする人間が、30万人の犠牲者が出たのに、戦争が終わるまで、何も言わないなどということは考えられません。
ここから考えられることはただ一つ。そういう事実はなかった、ということです。
・嘘の証言、写真のオンパレード
中国共産党政府が「南京大虐殺」を騒ぎ出すのに比例して、日本の国内でも研究や検証が進んでいます。そして、多くの写真や証言が「ウソ」だったことが証明されています。なぜ、ウソが必要なのか?
ここから考えられることはただ一つ。事実でないからこそウソが必要ということです。
・汪兆銘の南京国民政府
1940年、中国国民党No.2の汪兆銘は、共産党と組んで日本と戦う蒋介石と対立し「我々の真の敵は共産党である」として、南京で親日の国民政府を樹立しました。
汪兆銘は愛国者であり、支那を愛した人です。このような人物が、たとえ政治的な理由があるにせよ、「親日」の政府を、30万にが虐殺された南京につくるでしょうか?
ここから考えられることはただ一つ。南京は大虐殺などなかった都市だ、ということです。
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今日はアメリカが休日ということもあり、動意薄ですので、この前の続きを‥
(1)では人口の増減に焦点を当てて考えてみました。
今日は被害者の「数」にポイントを絞って考えてみます。
中国の言っている「30万人虐殺説」は人口の問題から、いかにおかしなことかというのは前回に述べましたが、この30万人説を採るなら
・どのような方法で30万人を殺したか
・その死体をどのように処理したか
の2点がきちんと説明されなければなりません。
しかし、「南京大虐殺はあった」と言う反日左翼や支那などから、上の2点についてきちんとした説明は聞いたことがありません。
銃弾や薬莢を1粒たりとも無駄にできない日本軍が、銃殺で30万人殺せますか?
すぐに刃こぼれしたり、脂肪が付くと使い物にならない日本刀で30万人殺せますか?
石油に困っていた日本が、大量の石油を使って焼き殺すことができますか?
30万人と言えば、関東では所沢市、関西では大津市、東海では四日市市くらいの人口です。その都市の人間全員が殺されるということは、生半可な数ではありません。
しかし、その大量の死体を見た人は誰もいません
穴を掘って埋めた、という人もいますが、
大津市の全員を埋める穴って・・・・
焼いて処理した、という人もいますが
所沢市民全員焼くために、どれだけの石油がいるか? そして、もし本当に焼いたのなら煙と死臭で1ヶ月以上は南京には近づけないくらいの惨状のはずなのに、人口は増加し、商業活動や学校も再開している・・・
少し考えれば、小学生でも「?」って思うことです。
そして、僕が「日本軍による大虐殺などなかった」という確信を持ったのは、戦後228事件で身内を殺された台湾人の方の、
「あれは中国人の殺し方ですよ。日本人はあんなことしない」
という一言でした。
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