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これから書くことはどこまでも素人の話として読んでもらいたい。
皆さんご存知のように菅原道真公は九州は大宰府の地で神様として祭られている。
いろんな地域で天神とか天満宮と言えばこの方をお祭りしてある。
ご存知のとおりです。
何故大宰府に来たのかはご存知の方も多いことだから割愛する。
正義感が強かったのか、要は時の権力者等の目の上のたんこぶでありジャマで仕方がなかったことだけは確か。
ところが道真公が逝去後、都ではいろんな不可思議な出来事が頻繁に発生した。
恐れおののいた貴族はその現象が道真公の祟りと思い、鎮静を込めて祭ったわけです。
問題はここからです。
何故恐れられたのか?
道真公を大宰府に追いやった都にいた貴族(藤原時平等)は再び道真公が都に戻ることを
阻止せんがため、常に道真公の大宰府における行動を監視していた。
当然、時平らに命じられた監視役が常時付き添っていたに違いない。
そして不穏な動きあらば、いつでも成敗するように任じられていた。
不穏な動きがなくても道真公が生きていてはそれだけで目障りな一派にとってどうかして始末したいのは間違いなかったのだろう。
菅原道真公は老死でも病死でもない。と言っている方がおられる。
暗殺されたと言うのである。
暗殺されたから、その事実を知っているからこそ祟りを恐れたのである。
ご存知のように、大宰府に着任するときは従事数名、家族は確か子供3人ほどで左遷されている。
右大臣の転勤にそれだけの規制がなされているのである。
暗殺されたが、従事が子供と道真公の首だけを持って遁走した。
胴体は観音寺境内に埋葬してある。
それでは首はどこに葬られたか・・・?
福岡県糟屋郡新宮町の神社の一角に目立たないように埋葬してある。
そして小さく菅原神社として祭ってある。
子供は落ち延びて熊本県は阿蘇内牧に。
内牧には菅原神社がある。この菅原神社は解説では16世紀に開基されているが、それはもっと前からあったはずである。
そう、道真の子が父のために造った社が始まりだと思う。
事実は時の権力者で好きなように残すことも抹消することも出来る。
抹消された事実を掘り起こすのも興味あることと思う。
事実か否か・・・誰も知らない!
女傑神宮皇后も暗殺された? 誰に?
次はそのことでも。
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はじめまして。
とある事を検索し続けてこちらにたどり着いたものです。
<これから書くことはどこまでも素人の話として読んでもらいたい。>
と書かれてありましたので、私の書くことも真実か否かと思ってください。
私は宮崎県に住んでいます。母の実家は北諸県郡のとある町です。
その町の城山跡に碑霊塔がありその敷地の隅に、風化し、荒れ果て、参る人もいない菅原道真を記す小さな古いお社がありますが(数年前にあり、今存在しているかは不明)、私の家系はその菅原道真の大宰府で生き残った子供の末裔らしいのです。
末裔とは言え、血族ではありません。現在に至るまでに子供が無く血が途絶えています。ですが、家系は残さなければならないため男女の養子をとることで残った家系だそうです。
家だけで血が繋がらなかったのですから、今となっては他人ですね。この話をどのように思われるか・・・でもこの世界にそのような人が存在し証を探している人もいるということで・・・。
2010/1/22(金) 午後 5:45 [ 探求者 ]
はじめまして。
歴史上事実と言うのはひとつでしょうが、日本には本当に何が事実かわからないことが多いですね。
ですから、いろんなひとが色んなことをいろんな角度からいろいろ言うんですね。
その代表例は邪馬台国でしょうか。
それにしても菅原道真という人は優秀すぎて不運な人だったと思います。
2010/1/23(土) 午後 11:14 [ 美奈緒 想 ]
太宰府に左遷されてから,道真公が生きていては自分の立場が危うくなると考えた藤原時平が,都から刺客がおくったとの噂が道真公の耳に入ると,密かに太宰府を脱出し,海路南下して鹿児島県川内市の湯田口海岸につきました。
その船をつないだという『菅公船つなぎ石』があります。石のある湯田町は,現在の海岸から幾分離れていますが,道真公の時代には入り江になっていたのかもしれません。
船を降りた道真公は,途中歩き疲れ道端の石に腰をおろして休みました。この石を『菅公御腰掛石』と呼んでいます。昭和初期頃まで,この石に乗ったりいたずらすると,頭が痛くなったり罰が当たると子供たちに教えていたそうです。
また,道真公は湯田に滞在して土地の人々に学問を教えていました。
その頃,田の蛭が多くの人々を困らせているという話を聞くと,池を掘って付近の蛭を全部池の中に集め人々の悩みを解消され、この池を『蛭が池』と呼び,旧湯田小学校が建てられていた場所と伝えられています。
道真はお寺に祀られないですね、神社ですね。
大陸からの仏教と、昔からの神道との争いだったのでしょうか?
2011/11/12(土) 午後 9:57 [ 環境歴史観光防災カメラマン ]