野夢への道(野夢のお話と三毛猫チビの育児日記)

9月9日野夢のお話始めました。三毛の里親日記も続いています。

ノームの知識

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ノームを知らない人のための情報です。夢之介のことも触れるかもしれません。
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昨年の6月27日、子ネコの「チビ三世@コアラ.小梅」が家に「里子」としてやってきました。
トライアル期間が終わって、7月4日から「チビの育児日記」として始まったこのブログですが、初めは「野夢」のお話のために準備されていたものでした。
9月9日から、スタートした「野夢」のお話も、個人的な事情でしばらくお休みしています。
もうしばらくしたら、多呂左右衛門さんと会った夢之介が、野夢への道を歩き出すまでのお話を再会する予定です。

でも、無理をしないというのが野夢との約束なので、また休み休みになるかもしれません。

野夢たちからみると、人間は「和」を欠いた存在なのだそうです。
「和」というのは「調和」ということで、バランスをとること。
むずかしい言葉でいえば「エントロピー」がどうのかというらしいのですが、この世界はバランスを保とうとする力で動いているのだそうです。

人間は、たいていの場合、「やらない」か「やりすぎる」かのどちらかで、不安定な状態でいることが多い。
「やりすぎる」状態であっても、ほんとうにひどい状態になるまで気がつかないから、気がつくと急いで元にもどそうと、今度は逆な方向に「やりすぎる」ことになるようです。

それは、きちんと物事を理解していないからだと、野夢たちはいいます。
「~しなければいけない」と自分に「言い聞かせる」ことはありませんか?
「言い聞かせる」というのは、理解はしていないけどやらなければならないということです。

「勉強しなければいけない」というのは、「したくない」けど、やらないと「誰かに認めてもらえない」ということですね。
「誰かに認めてもらう」ために、無理をするというのは、つらいことですし、もし認めてもらえなかったら、やってきたことの意味も無くなってしまうかもしれません。

野夢から見れば、「勉強したい」から「学ぶ」のが当たり前で、それはどんなにたいへんなことであっても、楽しいことなのです。

「続けなければならない」と自分に言い聞かせることがあったら、それはほんとうに必要なことなのだろうか?と、自分に問いかけてみてごらん。
自分に必要なものなら、続けることは苦しいことではなくて、楽しいものになるはずだから。
多呂左右衛門さんは、よくそういってくれます。
「続けたい」なら、がんばることで身体はくたびれても、心はくたびれません。

人間は、物を作りすぎて捨てています。
食べ物もエネルギーも、自分たちが必要としている以上のものを作って捨ててきています。
それを必要としているところもあるのに、それは「知ろうとしない/やらない」から、「知らない」ことで、あるものさえ無駄になっているのですね。

ポールトフリートさんとヒュイゲンさんが、ノームから受けた使命を思い出してみてください。
(この前の記事、プロローグです)
現代文明が育ててしまった七つの頭を持った怪獣と戦い、子孫たちに豊かな未来を残すことというものです。

どうやら、その怪獣は「やりすぎる」ことで成長しているらしいのです。
「調和」がとれていれば、そんな怪獣は現れることはありません。

怪獣と戦うというのは、多呂左右衛門さんにいわせると「戦争を始める」ことではないのだそうです。
人間が、それぞれ「調和」を知ることで、そんな怪獣は自然に消えてゆくことでしょう。
「戦い」そのものが「~ねばならぬ」なのですから、その戦いは別の怪獣を生み出すことになる。
その繰り返しから、いつになったら人間は抜け出すのかね。と野夢たちは心配していました。

まず、自分の心の中に「調和」を取り戻すこと。
それが広がれば、この地球も自然と調和を取り戻すことになるでしょう。
急いではいけないそうです。
何年もかかって変化した状態は、元に戻すのには同じ時間をかけなければ、バランスは元に戻りません。
少しずつ、きちんと理解できていれば、途中で投げ出したり、道を見失うことはないでしょう。
楽しんで続けることができるものが見つかれば、それはきっと野夢の道につながっているはずです。

今年のイラストは、チビ三世が登場しました。
多呂左右衛門さんと、見習いになった夢之介たちを、ピーロボたちが見守っています。
トトロの里、武蔵野のお話は、今もそれぞれの物語が続いています。

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ノーム(Gnomes)は、ヨーロッパで広く知られている「おとぎ話の小人」でした。
しかし、ノームを研究する人たちの中には、ノームを妖精の仲間と見なさない人たちもいます。

妖精学と民俗学との狭間で、ノームに新しい光をあてたのは、1976年に出版された「Gnomes」という本の存在です。
ノームを題材とした数百の文献の中で、オランダ人のヴィル・ヒュイゲンさんの文とリーン・ポールトフリートさんの絵になるこの本は、ノームの存在の意味を大きく変えることになりました。

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英語版はHarry N abrams社から1977年に出版され、日本語版は1979年にサンリオから出版されました。

日本語版の監修は遠藤周作さん、翻訳は山崎陽子さんと寺地伍一さんの分かりやすい翻訳でした。
特に山崎さんは、仕事としてと言うより、ノームを愛し、魂の翻訳をしてくださった方だと思います。
遠藤さんは、なぜこの本が日本人の友人作家によって書かれなかったのかを嘆き、山崎さんの努力に乾杯してくれました。

この本は、おとぎ話の小人だったノームを実在のレベルまで引き上げ、彼らの生活の息づかいまで、リアルに感じさせてくれます。
ノームの衣食住の描写の正確さは、自然科学から民俗学の深い知識と考察があって、始めて成し遂げられたと言えるでしょう。
この本に書かれていたノームの生活は、自然の中で動物たちと共存して、如何に生きるかと言う手引書にもなるものでした。

この本の影響は大きく、続編が1981年に出版されました。
それが「Secrets of the Gnomes」です。

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日本語版は1983年に、同じくサンリオから出版されました。
監修から翻訳は、前回に続き、遠藤さん、山崎さんと寺地さんの名訳に恵まれて出ています。

この本では、原作者のポールトフリートさんとヒュイゲンさんは、ノームに変身し、三つの使命を与えられることになります。
その最後の第三の使命は、この本を読んだ読者に委ねられるのですが、それを伝えた原作者はもうこの世を去ってしまい、使命が果たされたかどうか見届けることはできません。

その第三の使命とは、現代文明が育ててしまった七つの頭を持った怪獣と戦い、子孫たちに豊かな未来を残すことというものです。
その怪獣は、人間たちに汚染を広げ、世界を汚して行くのです。

七つの頭は、それぞれ人にささやきかけて、誘惑しています。
第一の頭は「将来のことなど知るものか」とささやき。
第二の頭は「おれが死ぬまでは、何とかもつさ」
第三の頭は「知らぬが仏」
第四の頭は「あとは野となれ山となれ」
第五の頭は「問題が起こるまで静観」
第六の頭は「それほど深刻じゃないさ」
第七の頭は「どうでもいいさ」と人の弱さに付け入ってきます。
※訳は「秘密のノーム」から引用させていただきました。

たぶん、これらの言葉は、毎日どこかで聞いているのではないでしょうか。

甘い言葉で、何もしなくていい理由をつけ、問題を先送りにしていくばかり。
気がついた時には、事態は深刻になって手をつけることすら難しくなっています。

ノームが人間たちに第三の使命を伝えてから、26年が経ってしまいました。
七つ頭の怪獣は、全世界に蔓延って、ますます勢いを増しているようです。

ポールトフリートさんとヒュイゲンさんの残したノームの本は、あまりありません。
アニメもできて、ヨーロッパではよく知られているそうです。

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日本では「わが友ノーム」翻訳は山崎さん、と「うごくえほん 森の小人 ノーム」だけだと思います。

豊かな自然を、次の世代に残す為には、ノームの示した第三の使命をさけて通るわけにはいきません。
今を生きるそれぞれの人たちが、この使命をどう果たしてゆくか。
それは私たち一人一人の課題でもあります。

ノームの本は、その他にもたくさんあります。
でも、日本でのお話はありません。
たぶん、語る人が始めるしかないのでしょう。

私の会ったノームは、漢字では「野夢」と書きます。
生活から書けば「農務」になるそうです。

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野夢の多呂左右衛門さんと野夢見習いの夢之介。
日本の野夢のお話は、多摩湖と八国山の辺り、トトロの里と呼ばれているところから始まります。

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