Tojo Hanged

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日差しがまぶしいのか、それとも米兵の話す言葉が分からず、愛想笑いをしているのか、どっちだろうか。どうしても自分の目で確かめたく、その写真を入手した。スキャンして拡大してみたが、結局今ひとつわからなかった。ただ、オカッパ頭の女の子が、両手を合わせ命乞いをしているように見える姿が、目に焼きついた。

子供にとっては、想像を絶する怖さだっただろう。しかし、サイパン島においては、この家族は、もし米兵に保護されたとするならば、ある意味では、数少ない幸いな家族の一つと言えるかもしれない。崖から飛び降りるなどして、自ら命を絶った同じ年頃の友達も少なくないはずである。

サイパンでの大敗は、言うまでもなく、東條英機が実権を失う理由の一つとなった。その東條英機が、1948年12月23日、絞首刑で殺されてから六十年経った。

12月23日という日付は、それ以前に、日本にとって大きな出来事があった。1854年12月23日には、安政東海地震が発生した。嘉永7年に発生したこの地震は、その32時間後に発生した南海地震後、元号を嘉永から安政に改められ、年表上は安政であるため、安政東海地震と後によばれるようになったとある。
http://www.bo-sai.co.jp/anseitoukai.htm

安政東海地震から94年後の東條英機の絞首刑は、果して、日本が新しく生まれ変わり、平和な日本の始まりを象徴する事になっただろうか。

東條英機の絞首刑がおこなわれた1948年は、旧日本の終末を意味する区切りの一つであると共に、所謂団塊の世代の誕生の年でもある。東條英機の絞首刑からの六十年は、団塊の世代が歩んだ六十年間と言えるかもしれない。数え年61歳は、還暦にあたる。そういう意味でも、2008年12月23日は、東條英機の絞首刑、日本の歴史の一つの区切りを振り還るのに適しているかもしれない。

当時、アメリカで報道された東條英機の絞首刑の新聞記事を顧みる事にする。東條英機等の遺書、そしてそれらの遺書と対照となるような一人の軍医の遺書なども載せる。

この記事は、全部で、33まである。


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9月11日と言えば、2001年に起った神風特攻隊21世紀versionと言えるようなNew Yorkでのテロ事件を思い出す。

しかし、日本人にとっては、この9月11日は、時差による違いがあるというものの、Nine Elevenの56年前、1945年の東條英機の自決のしくじりを意味する。

サイパンでは、何一つ武器を持つ事なく、多くの民間人が自ら命を絶った。武士道云々を人生観にして生きていた軍人が、拳銃を持ちながら、自決をしくじる事ほど恥はない。
http://blogs.yahoo.co.jp/drmusou/folder/1675418.html?m=lc&p=1

アメリカでは、Tojoは、Hitlerと同じく、否、真珠湾攻撃というアメリカ国土への直接の襲撃をおこなったとした理由で、最も極悪な存在の象徴だったと言える。しかし、実際蓋を開けてみると、つくりあげられた極悪な悪魔のイメージとは異なり、ちっぽけな、単なる人間の屑だった。

すばやく自決を全うする事すらできなかった愚かな人間を憐れむかのようなまなざしで、その愚者の手をとる米軍のnurse。

この写真は、当時、アメリカ人、そして日本人にとって、どのような意味をもたらしたのだろうか。

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Life Magazine May 27, 1946


大川周明
1946年5月3日

「Tojo is a fool. . . . I must kill him. I’m for democracy. . . .
America is not democracy. . . . I don’t want to go to America,
because she is democrazy. . . . You know what I mean?
Demo crazy. . . .」(p. 209)

Gayn, M. (1948). Japan Diary.
New York: WILLIAM SLOANE ASSOCIATES, INC.

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HitlerもMussoliniも連合軍の手で絞首刑にされることはなかった。連合軍に絞首刑にされたのは、三人のうち、東條英機、一人である。

何故、この様な人間に政権を握られるような事になってしまったのか、そして、何故、日本人の手で処刑する事ができなかったのか非常に悔やまれる。降伏が如実となった段階で、日本人の手で処刑すべきであっただろう。連合軍の手で絞首刑で殺されるのと、己の手で始末するというのでは、非常な違いがある。

軍人の良し悪しは、結果で決められる。失敗は、死という責任の覚悟がなければ戦争を布告するどころか、軍人としての資格は全くない。

東條英機を己の手で始末できず、連合軍の手で絞首刑にされたという歴史は、日本人の依存度の強さを象徴しているのかもしれない。権威主義という社会構成の下で、自己というものを築く事がなく、権威に頼ってしか生きていけない日本人の尻拭いすら己でできない幼稚度を象徴した結果となったかもしれない。

その幼稚な依存性が、戦後、アメリカに付属して存在するという日本の根底にあるのかもしれない。

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