全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 次のページ ]

    ドクターSUDA 須田高正のゼロから300km/hまでの軌跡―27
 
イメージ 1
 
           キャブレターセッティングとスパークプラグ
 昨年の夏、暫く走っているとエンジンの調子が悪くなるとの相談が有った。

 その内容とは、サーキット走行時の事であって、マシンはレース用250cc4サイクル空冷エンジン。
 調子の内容を聞いてみると、2〜3周は良いのだが、そのうちに不正爆発でのギクシャクした状態になってしまうので原因を調べたが分からない。
 しかし、また、走り出すと不調は収まっているのだが、暫く走っていると同じ症状が発生してしまうとのことだった。
 エンジンの調子は悪くないので、点火系統のトラブルではないかと考えてイグニッションコイルや各部の緩みなどを調べたが、何処にも異常が発見できずに困っているとのことだった。
 それまでは調子が良いとの内容から考えた事は、スパークプラグの熱価が気になったので聞いてみると、ノーマルのままであるとの事であったので、1番冷え型のプラグに交換して走ってもらった所、今までの症状が消えてしまったとの事であった。
 これは、俗に言う「プラグ上がり」であって、エンジンの高熱燃焼にさらされるとプラグが焼けすぎて起きる異常爆発(早期爆発)と判断しての指摘が当たったのである。
 この早期爆発とは、プラグが高燃焼温度によって火の玉のように焼けてしまうと、プラグがスパークする前に、その熱のために吸入圧縮されたガソリンを爆発燃焼させてしまい、早期(異常)爆発となってノッキングなどのエンジン不調となってしまうので、この症状を無くすための対策を行ったのだ。
 また、この状態を無理に続けているとピストンの焼き付きなどの大きなトラブルを引き起こしてしまうので注意が必要だ。
 
                 使用状態に合わせたプラグ選び
 キャブレターセッティングは、プラグの焼け具合を見ながらするのではなく、最適なキャブレターセッティングを終わらせた後、使用状態に合わせた最適なプラグ選びをするのが良い。
 この様にしておけば、その後にキャブレターセッティングが必要となった時には、今度はプラグの焼け具合をみながらの作業でも間違いが少なくなるのでプラグ選びは吟味が大切なのだ。
 例えとして、必要以上の冷え型プラグを使用して、プラグ汚れ(かぶり)を発生させてしまい、それを無くすために必要以上に薄いセッティングをしてエンジンを不調にしてしまう。
 また、逆の焼け型プラグであると、濃すぎるセッティングにして良い焼け方を追求してしまうと当然良い結果は得られない等「はまった」作業を続けることになるから最適プラグ選びは大切なのだ。
 
              水冷エンジンであっても注意が必要
 空冷エンジンに起きやすいプラグ上がりであるが、水冷エンジンであっても油断してはいけないのだ。
 それは、ラジエーターが容量少なくオーバーヒートを頻繁に起すエンジンは、その状態を長く酷使すると同様なトラブルを引き起こす心配があるので注意しなければならない。
 なお、逆のオーバークールはエンジンに良い影響を与えないので、これも注意が必要なのは当然である。エンジンには適温が大切なのだ。
 
 次回をお楽しみに
 
ドクターSUDAのホームページをご覧ください。現在W800、Ninja1000の試乗車がスタンバイ。まずは乗ってみてください。お待ちしております。

開く コメント(0)

   ドクターSUDA 須田高正のゼロから300km/hまでの軌跡−26
 
イメージ 1
 
            ガソリンタンク内の水
 
 理由は様々であるが、ガソリンタンク内に水が混入して、それが元でエンジン不動、不調を引き起こすことがある。
 特に長年にわたって使用しているバイクであると、知らないうちに水が混入してタンク内部を腐食させてしまう。
腐食が進行していくと、当然、その錆がキャブレター各部と燃料通路を詰まらせてしまってエンジン不調などを引き起こし、ガソリンタンクも最悪状態にすることもある。
 この場合は、タンク内の錆取りを初めキャブレターなどの錆除去作業となってしまい、その作業はけして少なくなく、その手間隙も大変なのが現状だ。
 
     水は錆発生以外にも思わぬトラブルを発生させた事例
 
 それは、正月休みを利用しての秘境温泉での出来事であり、冷えた体を温泉で癒した翌朝の出発時に起こった事件であった。
冬季ツーリングであるために、出発前には各部の点検を十分に行って出発したのであったが、翌朝のエンジン暖気を始めて間もなくしたらエンストしてしまった。
 何時もは、この様なことはなく「どうして?」と考えながら再始動を試みたのだが、何時もの始動性は影を潜めてしまって、始動の感触すら無くなってしまったのである。
 気温低下のために始動性が悪くなったと考えたが、エンジンの反応がまったく無い状態に外気の寒さも手伝って思わず身震を感じてしまった。
 即ち、バイクショップへのSOSなどの処理をしなければと考え、正月休みでダラケテいた私の所に連絡をしてきたのです。
 バイクの状態を聞いて様々な原因を考えながら、最悪の場合は正月明けを待って引き上げるかとなったが、「もしかしたら」との考えから1つの方法を行ってもらうことになります。
それは、日当たりの良い所までバイク(ゼファー750)を移動させ、また、暖かい温泉をバケツ一杯用意してもらった。
陽だまりでガソリンタンクとキャブレターなどの燃料系統に暖かい温泉をかけてやる作業を繰り返してもらい、人肌ぐらい暖めてもらったのです。
その後、温泉水をできるだけ拭き取ってやってから、エンジン始動を試みてもらったところ、セルモーターを5〜6回試みていると、ボソボソといいながらエンジンがよみがえってくれたのです。
この蛮行とも思われる行動は、ガソリンタンクを始めとした燃料系統とキャブレター内部の水が凍ったのを溶かす作業であったのです。
出発前での点検作業では、一般的ではないガソリンタンク内の水までは気が回らなかった事件であった。
 
              その後の処理

 どの場所に氷が有ったのかは分からないが、憶測が当たってお互いに喜んだのは当然であって、その後の処理としてガソリンの水抜き剤をスタンドで購入して適量をガソリンタンクに入れてもらうことにしました。
 水抜き剤の種類によってその混入量は異なるが、ガソリンに対して5%ほど(説明書に従う)でよく、満タン状態での処理が理想的であり、走行状態は無理は控える一般走行で、ガソリンを使い切ってやれば良い事になっています。
以前に水抜き剤のテストをしたことがあって、その効果は絶大であったことを確認しているので、タンク内の水が気になる方はお勧め商品です。
 なを、金額は、200ccぐらいのボトルで1000円以下であるから、1〜2年など定期的な処理で重大故障を防げるのなら安くて手軽な商品だと思います。
なお、ガソリンタンク内などの水の量によっては、1度では処理しきれない場合があるので、その場合を考えるのなら2〜3回の処理を繰り返すのが良いかと思います。
 
 次回をお楽しみに。
 
W800新発売!Ninja1000試乗車情報など

開く コメント(0)

 ドクターSUDA 須田高正のゼロから300km/hまでの軌跡―25
 
 暫く休止させて頂きましたことをお詫びいたします。
 
 イメージ 1
 
         
        バイクと私の人生
 
目的地に早く到着して、その余った時間を有意義に使いたいとの大義名分の元にバイク人生をスタートさせました。
そして、バイクと車を動かす楽しみとスピードにドップリ漬かってしまって今日に至っていますが、楽しいだけではなかったバイク人生でした。
痛い思い、悲しい思いなど様々な経験をさせてくれたバイクであり人生そのものでしたが、これからも頑張っていきたいと思っています。
 
今回より日常の管理をどのようにしたら突然の不具合を無くすことができるか等、バイクのサバイバル法をプラスして紹介したいと思います。
 
      バイクのサバイバル法 第1回
          バッテリー上がり
 
寒くなるってくるとエンジン始動が困難になる場合があります。これは、バッテリーの放電による容量不足によるものが大半であって、冬季以外でも起きる症状であり、その原因は、バッテリーの経年変化によるものの他に、充電系統のトラブル、または、年間走行距離が少なくて充電不足に陥った場合などが考えられます。
これらが原因で、朝一番などバッテリー容量不足で始動ができなくて困ることが有り、このような時、どの様にして処理するかでしょう。
その日はあきらめてバイクショップにSOSで処理することが有ると思いますが、ツーリング先など、どうしてもすぐに使用しなければならない場合は、どの様にしたら良いかです。
 
 この緊急時の処理法を知っているとサバイバルできますが、充電系統に不具合が有る場合は、SOSしか方法がありません。
 この充電系は、事前に発見するのは難しく一般的には不可能であり、どうしてもと考えるなら、定期的に充電系統を全て新しくするしか方法がありかせんが、これは、物理的にも出来ないことでしょう。
 
キックスタートエンジンであればこの問題に該当しませんが、キックペタルが無いスポーツバイクの場合はどの様にするかです。
1)        車または同伴車両からジャンプコードを利用してセルを回す。
2)        押しがけスタートさせる。この場合は、少なくなくともホーンが鳴るくらいのバッテリー容量が必要であって、ニュートラルランプも点灯しないバッテリーでは難しく、また、押しがけテクニックも必要です。
3)        次に、お勧めできない方法であり、それは、ジャンプコードが無い場合に、同様車両からバッテリーを借りてエンジンをスタートさせる方法です。
これは、バッテリーを載せ替えてエンジンが始動でた後に、エンジンの始動状態で「かりた」バッテリーを外してしまうと、ジェネレーターからの過電流のために各電装品にトラブルを発生させてしまうからです。
この事は、エンジンが始動すると当然、発電してバッテリーに充電します。この時にバッテリーを再度の交換のために外してしまうと、バッテリーの役目の1つである「プール」の役目を取り去ったのと同じであって、その「プール」が無くなってしまうと発電している電流が、そのまま過電流となって各種電装品にダメージを与えてしまうからです。
バッテリーは、蓄電(充電)するだけの物ではなくて、過電流を流さないための抵抗器でもあるからです。
 
以下次回に続きます。
 
            追記
 年末になると、デパートやスーパーなど買い物客で混雑しています。これは、新年のための用意などで込み合っているのですが、今年の「けじめ」を付けるためのもの、と考えて出かけるとより良いものになると思います。
 今年1年は、バイク業界にとって元気のない年でしたが、2011年は頑張って良い年にしなければと考えます。
 皆様も良いお年をお迎え下さい。
 
年末年始は新型情報、特別価格車のご案内、新製品のご案内新年のご挨拶などお楽しみたくさんのドクターSUDAホームページをご覧くいださい。
 
 
 
 
 
 

開く コメント(0)

    ドクターSUDA 須田高正のゼロから300km/hまでの軌跡
 
            梶本誠とのボンネビル行―6
         1995年7月 第3回エルミラージュ走行
 
 94年度のボンネビル中止によって再挑戦となった95年度は、エンジンも新たに作り直してテスト走行のためのエルミラージュでした。
イメージ 1
 
 様々な理由によってマシン開発が遅れてしまい、ボンネビルのための輸送が終了したのが6月末でした。
 ロサンゼルスにZZRが到着したのを確認した後、メカニック平山と2人で7月13日に成田を出発します。
 ロサンゼルス到着後、先行していた宮崎と空輸したマシンの受け取りに税関に出かけましたが、様々なイチャモンを付けられた通関手続きになります。
 レーサーとしての入国?申告であったために、フラッシャーランプに電球が入っていたので「これは一般車両である」などの様々な理由をつけられて通関を拒否されます。
 日本での試乗を終えた状態での空輸であったために、ヘッドランプ球は外していましたが、重量的に大して問題にならなかったフラッシャーランプ球までは外していなかったのを見つけられたのです。
 これは、担当者の拘りなのか、意地悪で「いじめられた」のかは分かりませんが、94年度では問題にならなかった内容を細かく調べられて否定されたのです。
 また、その他にも様々な事柄を指摘され、その都度修正して何回も通関事務所へ通って、やっとOKとなった時は、あと1日伸びてしまったらエルミラージュ走行は不可能な状態でした。
イメージ 2

 
イメージ 3
 
 ニューマシンでのエルミラージュ走行は、この時が最初であるために通関に手間取っていたらブッツケ本番のボンネビルになっていたので「ヨカッタ〜」が本音でした。
 当然、走りに対してのトライ&エラーを繰り返し、直進性アップのために伸ばしたRスイングアームは、前後重量配分が変わって後輪加重が減少して後輪空転がより発生したために、ノーマルに戻してして更にウエイトを積む方法での走りに切り替えます。
 これらの作業と走り方を会得したエルミラージュが終了すれば、次は、いよいよボンネビルでの走りになります。
 
イメージ 4
      ボンネビルも含め、この様なバイクも走れるのです。
 
 走行が終了して、次のボンネビルのための準備ですが、ここアメリカでは、そのための更なる作業はできませんでした。
 それは、時間的制約を含めこれ以上の作業は当初より計画に含まれていなかったと言うより、これ以上の作業(進化)は難しいと判断していたからです。
 物事に対して「これで万全」というものはありませんが、初めて経験するボンネビルでは、これ以上の作業(欲)はマイナスや危険が多くなると判断して、これ以上の作業は次回に頑張れは良いと考えていたのです。
 そして、総勢3人だけのエルミラージュ終了後は、8月本番まで青木さんの店にZZRを預かってもらって帰国します。
 
             8月ボンネビル走行
 
 1年越しのボンネビルが可能になった8月14日に宮崎とメカニックの田中、橋本の3人が先発、2日後の16日に私が出発しますが、これは、少しでも予算削減のためであって仕方の無いことでした。
 先発隊は、ロサンゼルス到着後、ZZRの点検整備をした後にトラックをレンタルして15日出発、途中ラスベガスで1泊してソルトレイクシティーへ、そこでキャンピングカーをプラスしてボンネビルまで進みました。
 私は、16日ロサンゼルス到着、その日の午後4時、梶本と2人で出発、ラスベガスの100キロほど先で1泊した後に8月17日午後6時ボンネビルへ到着しました。
 
イメージ 5
           ボンネビルの塩の感触を味わう梶本
 
 夫々の宿泊先は、先発隊はキャンピング場でのキャンパー内生活であり、私たちは安宿を確保してのボンネビル生活でした。
 先発隊は、走行手続きなどで1日を費やし、私が到着した翌日の18日からタイムアタック開始でした。そして、様々なセッティングを繰り返しての走行の3日目(20日)に192.843マイル達成でワールドレコード取得。これは夢が叶った瞬間でありスタッフ全員で夢の現実を喜びました。
 翌日21日は、記録更新がでできませんが、更なるアタック5日目の22日にエンジンブローの憂き目にあってしまいます。
 この日は、192.655マイルを計測して更なる記録のための走行時にエンジンブローとなって全てが終了したのでしたが、この場には私は居ませんでした。
 何故?となりますが、それは彼らには言えない悲しい理由があって明日には帰国しなければならなかったために、その日の昼過ぎにはボンネビルを出発していたのです。
 後ろ髪を引かれる思いで先に帰らなければならなかった自分に対して、仕方ないでは済まされない思いでいっぱいでした。
 そして、ロサンゼルスまでの1200キロほどを給油以外はノンストップで走りきった梶本氏のタフネスに感謝しながら、残してきたZZRたちの心配をしながらの11時間でした。
 
             ZZRの悲報を聞く
 
翌朝、帰り支度をしていると、まだボンネビルに居るはずのスタッフの声にビックリして部屋を飛び出すと、疲れた顔の宮崎たちがいました。
 「どうして」と聞くと、私が出発した後の走行2回目でエンジンブローを起したために、全てをまとめて夜を通して帰ってきたとのことでした。
 また、エンジンブローの原因は、シリンダーブロックなどの破損であったが、転倒を免れオイルも撒き散らさなくて済んだとのことでした。
 この時、ライダー宮崎を始め彼らがどの様な気持ちで後処理をしたかを想像すると「申し訳ない」の気持ちでいっぱいになりました。
 
イメージ 6イメージ 7 
 
 
 
 
 
 
 

 
   バラバラになったピストン           グチャグチャなヘッドとバルブ 
 
 現地で取り出したピストンを見せられた後にLA空港へ急ぎ、ZZRとの出会いから今までの出来事が走馬灯のように思い出されて一睡もしなかったフライトでした。
 
           ボンネビルを振り返ってみて。
 
 壮大な夢の元にスタートして、たった1回の出場でワールドレコードを取得出来た事は最高の幸せであり、これは、多くの皆様の援助とスタッフ全員の努力の賜物です。
 ZZ-R1100のポテンシャルを感じて最高速のプロジェクトをスタートさせ、1990年9月24日谷田部でのノーマルマシンでの初走行から5年後の1995年8月ボンネビルでのワールドレコード取得までの道筋は、終わってみてから、「あれをしたら」、「これもやったら」の後悔が浮上しますが、全てが未経験の分野での試行錯誤の戦いであって泣き言を言っても仕方ありません。
 マシントラブルによったライダーへの心配を考えながらの作業は、膨大な時間を要しての苦闘の連続であり、会社経営を考えながらの作業人員の確保と予算的弊害など、責任者が苦悩格闘しなければならない大きな問題を抱えてのプロジェクト進行は、「分かってくれ」を言いたかったことが何回もありました。
 また、胸が締め付けられるほどの恐怖を味わったり、様々な弊害を乗り越えてのボンネビルは最高の経験となって、その後の私に変化を与えたくれました。
 そして、ボンネビルに貢献して若くしてこの世を去った梶本氏の冥福を祈ってボンネビルは終了させて頂きます。
イメージ 8
         15年前の思い出が詰まったZZR-1100
 
               今後の予定
 以前に紹介しました思い出話しなどの復活と、お客様の様々な活躍などを紹介したいと考えています。
 また、当社に高専学生のお客様がいて、彼らがエコランマシンを製作しています。そこで、彼らの苦悩などを許される範囲で、その内容などを紹介できたらと考えています。
 
 
 
 
 
 
 

開く コメント(0)

      ドクターSUDA 須田高正のゼロから300km/hまでの軌跡―23
                  
             梶本誠とのボンネビル行−5
 
イメージ 1
            エルミラージュの夕暮れ
 
            エルミラージュ2日目
   初日はドライレイクの感触をつかんだだけで終了でしたが、そのドライレイクを堪能するために宮崎と三上がキャンパーで現地に残りました。
  この時、満天の星を見ながら「とうとう来た」などの話をシミジミと語り合ったと聞かされました。
 そして、アメリカ5日目は、今日からが本番であるために早めにホテルを出発してエルミラージュへ。
  ドライレイクに乗り入れ、そしてスタ−ト地点が見えだし、数多くのエントラントを目前に見た時は、また新しい興奮が盛り上がります。
   写真でしか見たことがなかった様々なマシンが集まっていて、めずらしい作りのマシンも有りましたが、バイクに対しては「くぎ付け」は少なかったのです。
  そして、バイクの作りを見ますと、特別な作りをしているわけではなく最初から心配していた「走り方」のみに心配すれば良いが第一印象でした。
 マシン作りはに対しては「自分の考えていた物で良い」に決まります。
   そのため、彼らのマシン作りを「盗む」必要はなく、ドタバタする必要もありませんでした。
  しかし、ガソリンタンクに氷を入れる空間を作って、ガソリンを冷やす工夫のマシンが有って、過酷な環境を物語るものを知ります。
  この様な過酷で強烈な太陽と土埃から逃れるためにキャンパー内が多かった私に、調べることを何故しないのか?とカリカリされた事もありましたが少し疲れ気味の私でした。
 
 イメージ 2
イメージ 4
 
 
 
 
 
 


 
 ターボマシンのGSX1100-Rと姿勢を低くするためのガソリンタンクのTZR250
 
  エルミラ−ジュでの走り方は独特のものであり、マシンとサ−ビスカ−とが一緒に並び、少しずつ進みスタ−ト地点まで行きます。(2輪&4輪が同じ場所から)
   前に数多く並んだマシンが一台づつスタ−トして行き、4輪のスタートはドライレイクでの土ほこりを巻き上げながら豪快に走る様は、今まで見たことがないものであると同時に、「転倒」の心配があるものでした。
 
イメージ 5
                 左より宮崎、関谷、高崎、三上、梶本
 
   そして、いよいよ宮崎の走る番になり、1回目は感触をつかむための穏やかな走りで終了させ、2回目からは本番のスタ−トです。
   しかし、レギュレ−ションで決められている、ボンネビル走行のライダー資格に対しての解釈に間違いが発生して、スピ−ドの出し方に間違いを生じさせます。
   それは、ボンネビル走行資格のためには「150 マイル以上で走れ」が必要であったところを「150マイルで走れ」と解釈して走ったのです。
  このために、ボンネビル走行資格を取得できないで1回目のエルミラージュは終了したのでした。
   このように、走ることへの心配だけが残るエルミラ−ジュが終わるのですが、この時のト−タル的な感想は、エンジンに対しては常識の範囲内でガンバレば良いが、走ることへの対策はトライ&エラ−で進化させなければ、と考えました。(エンジンは街乗り仕様に拘るセッティングで)

             6月2回目のエルミラージュとソルトレイク視察
                    第2回目のエルミラージュ

   6月2回目のエルミラージュは、前回失敗した走りを克服してボンネビルへの資格を得るための走りですが、同時に走りに対しての様々なトライをするためでした。
  また、基地となるホテルは、前回5月と同じホテルであり、そこの駐車場での様々な改良作業を行います。
 
イメージ 6
長く伸ばしたRスイングアームを取付けて直進性能を調べる等、様々ことにトライしま
した。
 
イメージ 7
        LA在住の青木氏も参加してくれました。
 
イメージ 8
               梶本と小倉メカニック
 
イメージ 9
           軽飛行機も参加?したドライレイク
 
イメージ 10
             エントリー代金100ドルでした。
 
   経費削減のためにメカニックが1名だけでの参加は、その仕事量を含めて厳しいもでしたが、優秀なメカニックのおかげで当初の予定を全てクリアできて、ライダー資格も獲得できたのです。
   これで8月のボンネビルへ参加が可能になったのですが、これからが本番であり、二ユーマシンでの数多くの作業が山済みであり、最後の谷田部テストでエンジンを焼きつかせて、不満足な状態でのボンネビル出発でした。しかし、天候不順のために中止になって94年度のボンネビルは中止になってしまいました。
 
              94年度のエルミラージュを終了して感じた事
 
   初めてのアメリカ(外国)を体験した時、自分1人では何も出来ない(経験がない)情けなさを味わい、これではダメだと感じました。
   息子のような三上たちの云いなりでの行動などは、自分自身が許せなくて何とかしなければと感じて、その後から猛勉強?をして、エルミラージュ2回目の走りのためと、ソルトレイクへ下調べに出かけました。
  ロサンゼルスから、1200キロ以上を走ってのボンネビル出場は、今までに経験したことにない距離であって、しかも異国での行動は全てが初体験ですから事前調査が必要でした。
  出場のために用意しなければならない諸々の知識を会得しなければスムーズな行動は不可能であり、また、安全と記録のためには何が必要であるかを知りたかったのです。
イメージ 11
感激の塩平原
 
イメージ 3
この様に荒い塩は、タイヤのグリップが心配でした
 
         夢のボンネビルへ行って感じたことなど。
   異次元の世界のボンネビルは、全てが未知数であって何が起こるかわからない場所であると肝に命じました。
   そして、このボンネビルへ行ったことが、その後のアメリカでの行動に自信をつけて、その後は、自分1人で全てを手配して1人だけで海外に出かけられるようになったのです。
  なお、アメリカは良い国だ、ということに気がつきます。それは物価が驚くほど安いことです。その理由は、当時の円ドルレートが、今年と同様な円高のおかげであったからです。
   日本のコンビニで売っている物と同じのオニギリが、1ドルで買えることはショックでした。350mlの日本製ビ−ルが6本パックで5ドル前後と水より安いのです。 これらの事は、少なくとも日本より「高価だ」と思っていました。
   ガソリン1ガロン(3.7ℓ)が1ドル10セント、また,
エンジンオイル1ケ−ス(1ℓ×24本)が12ドルなどショック以外のなにものでもありませんでした。
  そして、
  「見る物」「聞く物」総てが初体験であるアメリカ、この経験が、その後の私に大きな変化をもたらしました。
 
 次回は、95年度 3回目のエルミラージュへ進みます
 
国立東京工業高等専門学校のエコラン企画をマイクロロンの提供
などお手伝いしています。このページも連載ではじまりました。
どうぞ一度ご覧ください。
 
 
 
 

開く コメント(0)

全6ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

[ 次のページ ]


.


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事