狸穴ぶつくさ

2008年からHPマガジン9条のコラムと同じくしています

寄らば大樹

 「寄(よ)らば大樹(たいじゅ)の陰(かげ)」という諺がある。
 昔は、ただ日差しを避けたり雨宿りのためには大木の下がよいという実利にすぎなかったが、第二次大戦後では、上手に生きるには「有力なものを頼れ」という教訓に使われているようだ。
 
 とすると、戦後の「民主主義」とか「自立」といったお題目が、どれほど身に付いているのか、心許なく思えてくる。

 事実、願い事はマチやムラのボスに頼むとか、カイシャで出世するには上役にゴマをするとか、子どもの進学や就職は議員に口をきいてもらうといったことが、陰に陽に行われている。

 役所も、いまだに「お上(かみ)」と思われているみたいで、そこからきた通知に逆らう人はきわめて少ない。おおかたの住民は、不満や疑問を感じても、陰でブツブツいいながら、渋々従っているみたいだ。

 もっと大きな国や世界の問題でさえも、ワンマンというか強引な指導力を発揮する政治家に期待する向きが、けっこう多い。

 なんたる情けなさだろう。
 それでも利益を得さえすればよいのかもしれないが、はたして、どんなものか。
 だいいち、こうした世知は、その実、きわめて危ない。
かならずしも、上手で気楽な処世術とはかぎらないのだ。
 
 早い話、「大樹」は、絶対に安全とはいいきれないだろう。
 雷は落ちやすいし、毛虫が落ちてこないともかぎらない。
 あまりの古木だと、朽ちて倒れるやもしれないのだ。

 現に、「偉いお人」や「お上」でも、信用はならない。
 過ちはけっこうするし、ごまかすし、わざと欺きもする。ときに冷酷でさえもある。
 卑近なことでは、ボスや上役や議員の対応はおざなりが多いし、役所は上意下達に汲々とするだけだ。
 こと政治ともなると、それこそ「有力なもの」に媚びを売り、庶民には「痛み」を押しつけがちだ。

 けれど、さすがに、事情は、しだいに変わりつつある。
 これだけ、ひどい目にあってくれば、もう大樹は当てにはならない。いや、大樹に寄っていてはならないということに人々は気が付き始めている。

 ただ、気が付き始めてはいるけれど、その代わりの生き方に戸惑っているのが正直なところだろう。

 建前でいえば、なにごとも自分でする。そして、自分だけではできないことは、他人と協力する。それがいちばんいいのだろうが、簡単なようでいて、けっこう難しい。だいいち勇気がいる。他人もなかなかに応じてはくれない。徒党を組んでも、人間関係でトラブって、長続きしにくい。

 しかし、それにしても、まずは、勇気を持たなければ、何事も始まるまい。
 そして、他人と徒党を組むのなら、できるだけ緩やかなのがよさそうだ。性質や意見の違いはつきものだから、目くじら立てず、対等に自由を認めるようにしたらどうだろう。

 「寄らば大樹の陰」よりも、そんな度量を持つことこそが「民主主義の成熟」をもたらすにちがいない。

テレビ大好き

  「テレビでいっていた」と、よく聞かされる。
 そうおっしゃる顔は、ちょっぴり得意気だ。
 「どうだい、すごいことだろう」といった感じ。
 たまたま、そのテレビを見ていなかったほうは、「へぇ〜」と、感心してみせるほかはない。
 
 どうやら、それほどに、人々は、テレビにいかれている。
 話題のテレビを見ていないだけで、後れを取った気分になる。
 まるで、テレビなしでは、満足に暮らせないかのようだ。

 確かにテレビは面白い。情報源としても、新聞より、はるかに
に早い。動画だから、ラジオより、迫真性がある。
 ニュースなんかで現場の映像を見せられれば、もうイチコロだ。
 だが、「テレビでいっていた」ことは、常に、本当なのだろうか。そこで見せられる映像は、十分に、事実を物語っているのだろうか。
 さらには、テレビではいわないことや見せない事実さえあるのではないか。

 早い話、流行りの健康番組では、医学的に不確かなことや間違っていることまで、まことしやかに説かれている場面が目立つ。
 そのためだろう、多少は「自粛」する傾向にあるようだが、まだまだ大勢は変わっていない。

 ニュースの映像にしても、撮るときの意図と視角によって、相当に印象が異なってくるはずだ。
 いわゆるテロ事件では、それを起こす側と起こされる側の、どちらの立場で取材するかで、まったく逆の印象がもたらされるにちがいない。
 まして、国内外の政治と経済のあり方を根本から覆すような動きともなれば、テレビは腰を引かざるをえないだろう。

 やっぱり「テレビ大好き」には、ワナがしかけられている。
 そのことを知ったうえで、テレビは楽しみたいものではある。

「まあ、まあ」のツケ

 「まあ、まあ」という物言いが、よく使われている。
 およそ、争いが起きたときに、そういいだすお人がでてくる。
 そういいながら、身を乗り出し、両手を前にだして、下に押さえる仕草をくり返す。

 すると、たいていの争いが鎮まるから、不思議。まるで呪術のようだ。

 あれは、たぶん、「まあ、まあ」で、いきり立っている人に、水が差されるからだろう。
 争うのは「はしたない」と思わされて、ホコを収めざるをえなくなるのだ。
 特に目上の人からいわれたときには、無理にでも、争いをやめるほかはなさそうだ。

 そういえば、日本では、聖徳太子このかた、「和をもって貴しとなす」という倫理が尊ばれてきた。
 天皇を頂点として、上から下まで、仲良くすることが美徳とされてきたわけだ。
 だから、争いは、その原因いかんにかかわらず、全てよくないこと。まして、上に逆らうなど、とんでもないことになる。
 そんな倫理が、いまだに日本人の心の奥に居座っているのではないか。
 
 だとすれば、「まあ、まあ」は、ややもすれば、民主主義の根幹を危うくしかねない。気の利いた仲裁法だと、持ち上げていたら、いつの間にか、全体主義に陥ってしまうかもしれない。
 
 たとえ、そこまで大げさに考えなくても、「まあ、まあ」は、ひとつも、争いの解決には役立たない。
 せいぜい、「その場しのぎ」になるだけ。問題を先送りするか、曖昧(あいまい)にさせるだけだろう。
 その結果、不利な立場にある者のほうが、よけいに損をするのは目に見えている。いきおい、争いを鎮めたお人まで、意に反して、恨まれかねない。

 どうやら、「まあ、まあ」は、なかなかの癖玉。ストレートなようでいて、予想のつかないツケがまわってくる危険がある。

 そんなことどもを考えると、たとえ善意からでも、この物言いは避けたほうがよさそうだ。
 争いは、曖昧に収めてしまうよりも、徹底してやったほうが、根本からの解決に近づく。ただ、短期決戦ばかりではなく、事と次第によっては、時間をかける必要もあるだろうが。

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