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「寄(よ)らば大樹(たいじゅ)の陰(かげ)」という諺がある。
昔は、ただ日差しを避けたり雨宿りのためには大木の下がよいという実利にすぎなかったが、第二次大戦後では、上手に生きるには「有力なものを頼れ」という教訓に使われているようだ。
とすると、戦後の「民主主義」とか「自立」といったお題目が、どれほど身に付いているのか、心許なく思えてくる。
事実、願い事はマチやムラのボスに頼むとか、カイシャで出世するには上役にゴマをするとか、子どもの進学や就職は議員に口をきいてもらうといったことが、陰に陽に行われている。
役所も、いまだに「お上(かみ)」と思われているみたいで、そこからきた通知に逆らう人はきわめて少ない。おおかたの住民は、不満や疑問を感じても、陰でブツブツいいながら、渋々従っているみたいだ。
もっと大きな国や世界の問題でさえも、ワンマンというか強引な指導力を発揮する政治家に期待する向きが、けっこう多い。
なんたる情けなさだろう。
それでも利益を得さえすればよいのかもしれないが、はたして、どんなものか。
だいいち、こうした世知は、その実、きわめて危ない。
かならずしも、上手で気楽な処世術とはかぎらないのだ。
早い話、「大樹」は、絶対に安全とはいいきれないだろう。
雷は落ちやすいし、毛虫が落ちてこないともかぎらない。
あまりの古木だと、朽ちて倒れるやもしれないのだ。
現に、「偉いお人」や「お上」でも、信用はならない。
過ちはけっこうするし、ごまかすし、わざと欺きもする。ときに冷酷でさえもある。
卑近なことでは、ボスや上役や議員の対応はおざなりが多いし、役所は上意下達に汲々とするだけだ。
こと政治ともなると、それこそ「有力なもの」に媚びを売り、庶民には「痛み」を押しつけがちだ。
けれど、さすがに、事情は、しだいに変わりつつある。
これだけ、ひどい目にあってくれば、もう大樹は当てにはならない。いや、大樹に寄っていてはならないということに人々は気が付き始めている。
ただ、気が付き始めてはいるけれど、その代わりの生き方に戸惑っているのが正直なところだろう。
建前でいえば、なにごとも自分でする。そして、自分だけではできないことは、他人と協力する。それがいちばんいいのだろうが、簡単なようでいて、けっこう難しい。だいいち勇気がいる。他人もなかなかに応じてはくれない。徒党を組んでも、人間関係でトラブって、長続きしにくい。
しかし、それにしても、まずは、勇気を持たなければ、何事も始まるまい。
そして、他人と徒党を組むのなら、できるだけ緩やかなのがよさそうだ。性質や意見の違いはつきものだから、目くじら立てず、対等に自由を認めるようにしたらどうだろう。
「寄らば大樹の陰」よりも、そんな度量を持つことこそが「民主主義の成熟」をもたらすにちがいない。
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